アパートと隣人
話し合いの結果、ルナルは人前で話すことを控えることにしたが、従魔登録はやっておくことになった。従魔登録をしていない状態だと、無理やり拉致されて自分のものだと主張された場合に対処しづらくなるからだ。もちろん、むざむざと拉致されるようなルナルではないが、そんな手出しはさせないにこしたことはない。隙を作らないという意味で、従魔登録が必要だと判断したのだ。
従魔登録の相談を終えたところで、レクトたちはアパートを見に行くことにした。アパートは『そよ風亭』の隣の敷地に建っているので、すぐそこだ。
「ドアがたくさんある」
アパートの外観を見たレクトの感想がこれである。入口の数をこれほど増やす意図がわからず、目を丸くしている。
その様子がおかしくて、クレシェはくすくすと笑い声を上げた。
「あれがアパート。たくさんの家がくっついて一つになっている建物だと思うといいよ。ドアひとつにつき、家がひとつある感じだね」
「なんでくっつけた?」
「くっつけた方が場所をとらないでしょ? ここは人がたくさん住んでるからね。少ない土地でも多くの人が住めるように工夫してるんだよ」
「なるほど……」
納得したのか、レクトはうんうんと頷いた。女性陣はそれを微笑ましげに見守っている。
「レクトが住むことになるのは、あの部屋だね」
アパートは二階建てで各階四部屋。つまり合計八部屋から成る。セーニャが指さしたのは、一階の一番右奥の角部屋だ。現在、空室なのはその部屋だけなので、レクトが入ることですべての部屋が埋まることになる。
部屋を確認するために歩き出したそのとき、アパートの一室のドアが開いた。ちょうど、レクトの部屋の左隣の部屋だ。
出てきたのは一人の女性。どことなくくたびれた印象はあるが、それはよれよれの服や猫背のせいだろう。見た目はまだ若い、というよりも、少女と呼ぶべき年頃に見える。のそのそと数歩歩いたところで、レクトたちに気づいたのか顔を上げた。
「あ、セーニャさん。おはようございます……」
「おはようって……。もうお昼もとっくに過ぎてるわよ」
「え、あれ? そうですか。さっきまで寝てて、今起きたところなんです……」
少女はしょぼついた目をこすりながらぼそぼそとしゃべる。申告通り、起きたばかりなのだろう。
「誰?」
「レクトのお隣さんになる子だね。せっかくだから、挨拶しといたらいいよ」
「わかった」
セーニャに促され、レクトが少女の前に立つ。そしてルナルを両手に抱え上げた状態で自己紹介をした。
「レクト。隣に新しく住む。よろしく。こっちはルナル。狐。従魔登録する」
レクトは、ルナルから課題を課せられていた。セーニャへの自己紹介が簡潔すぎたので、もう少し愛想よくしてみなさいと言われていたのだ。そのこともあって、レクトにしては頑張った挨拶だった。本人はやりきった表情で少し満足げである。残念ながら、ルナルは呆れたように首を横に振っていたが。
とはいえ、挨拶を受けた少女はさほど気にしていないようだった。そうですか、と言ってぺこりとお辞儀を返した。
「私はレティカです。錬金調薬師の見習いですね。よろしくお願いします。それで、あの……」
レティカは一旦言葉を切ると、申し訳なさそうに、おずおずと言葉を続けた。
「私、夜型でして、夜にお仕事でお薬を作るんです。しかも、ときどき独り言を呟いているらしくって……。うるさかったら、ごめんなさい」
「いや、あなた。生活を改善しなさいよ。昼夜逆転のせいで、この間も寝過ごして納品が遅れそうになってたでしょ?」
「それはそうなんですけど……。やっぱり、夜の方が捗るですよ。だから、仕方がないんです」
申し訳ないと言いつつも、レティカには改善するつもりはまるでないようだ。セーニャの言葉も軽く聞き流している。
「それでは私はこれで」
レティカはそう言って去っていった。
その後ろ姿を見ながら、セーニャは大きなため息を吐いた。
「まったく、仕方がない子だね。レクト、うるさくて我慢できなかったら、アタシに言いなさいね。ガツンと言って聞かせるから。ただ、あの子も大変みたいだから……」
少し思わせぶりなセーニャの言葉を、レクトは少し考えてみる。もちろん、考えてわかるものではないので、結論は出ない。結局、よくわかっていないまま、「わかった」と頷いた。
「ここがレクトの部屋だね」
そういって、セーニャが部屋のドアを開ける。そこには奥行き方向が長い長方形の部屋がデンと一室ある。というよりも、それだけしかない。トイレとキッチンは外に共用スペースがあって、そちらを使うようだ。もっとも、キッチンはほぼ誰もつかっていないようで、ほとんどの住人は『そよ風亭』に食べているらしい。
「見ての通り、家具もないんだ。本当はベッドとテーブルくらいは備え付けているんだけどね。前に住んでたやつが、壊していきやがってね。まだ、新しいのが入ってないんだ」
セーニャは申し訳なさそうにそう言った。だが、レクトは問題ない、と首を横に振る。ベッドはなくてもいい。というよりも、あっても邪魔になる。レクトとしてはちょうどよい状況だった。
「ネル、来て!」
「え、何? ベッドを召喚した……?」
突然出現したベッドに、セーニャは少し驚いたようだった。だが、残念なことに彼女の驚きはこれで終わるはずがなかった。ニヤニヤと笑みを浮かべるクレシェが指示を出す。
「ネル、この人に挨拶をしてあげて」
ばさりばさりと舞い上がる掛け布団。リビング・ベッド流の挨拶だが、知らない者がみればただの怪奇現象だ。
直後、セーニャの悲鳴が部屋に響いた。
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