しゃべる狐は珍しい

 詳しい説明は一旦保留することになった。セーニャの夫であるフレトスにも同じ説明をする必要があるので、二度手間になるのをクレシェが嫌ったのだ。もっとも、そういう建前の元、セーニャを焦らしているという見方もできる。真実はクレシェにしかわからない。例え、彼女がニヤニヤ笑っていたとしても。


 セーニャはというと、今ではすっかりと平静を保っている。彼女も元は冒険者。引退したとはいえ、突発的な出来事にも冷静に対処する豪胆さは健在だ。今回の場合は、動揺してクレシェを喜ばせるのが癪だっただけだが。


「それで、ルナルちゃんはしゃべれるけど、基本的にそれは秘密にしておくってことよね?」

「そうなの?」

「え、あれ? 違った?」


 念のための確認のつもりが、レクトから思わぬ問いが返ってきた。予想外の反応に驚いたセーニャは、反射的にルナルへと視線を向ける。ふうっとため息を吐く子狐の姿が目に入った。


「その認識で大丈夫よ。ちょっと、レクトとは認識の齟齬があったけどね」


 ルナルはそう言うと、レクトの肩からぴょんと飛び降りて、テーブルの上に着地にした。そして、レクトに向かい、右前足を上げ下げしながら説明する。


「いい、レクト。私みたいな狐は、普通しゃべらないのよ」

「ルナルは狐じゃないよ?」

「まあそうなんだけどね。とにかく、動物みたいな見た目で、人の言葉話す存在は相当に珍しいのよ」

「うん」

「だから、私がしゃべってると目立つのよ。まあ、目立つだけなら別にいいんだけど、そうなると見たいとか欲しいとか言い出す人間が出てくるわ」

「……あげない」


 実際に想像してみたのか、レクトは少し顔をしかめている。意図が伝わったと見て、ルナルは大きく頷いた。


「うんうん、そうね。でも、たくさんの人がそう言って集まってくると面倒でしょ? だから、あんまり人前では話さないようにしてたのよ。わかった?」

「わかった」

「あと、あなたの魔術も特殊なものだから、できるだけ人前では使わないほうがいいわよ。じゃないと、クレシェみたいなのがたくさん寄ってくるから。そうなったら困るでしょ?」


 レクトはチラリとクレシェを見て、露骨に視線をそらした。


「それは……ちょっと困る」

「なんでよ!」


 クレシェが抗議の声を上げ、セーニャはそれを呆れた顔で見ている。


「アンタ、何をやったのよ……」

「な、何もやってないよ! ただ初対面のときにちょっと詰め寄っちゃったけど。でも、それだけだし。それ以外は変なことしてないはず! ね、レクト君。そうだよね?」


 クレシェは必死に弁明するも、レクトはやはりツツツっと視線を逸らす。


「目が怖い……」

「レクトが魔術を使っているとき、じっと見すぎなのよ」

「えぇ、バレてる!?」


 初対面のときにレクトを質問攻めしてしまったものの、それ以降は魔術に関する質問をできるだけ控えていた。一度質問を始めたら止められないという自覚はあるし、詰め寄って怯えさせるのは本意ではない。とはいえ、気になるものは気になるので、レクトが魔術を使うには凝視するように観察していたのだ。本人はこっそり観察しているつもりだったが、圧が強すぎて少しも隠しきれていなかった。レクトとルナルが指摘したのは、そのことだ。

 レクトはクレシェを嫌っているわけではないが、魔術を使うたびに凝視されるのだけは苦手だった。


「聞いたら教える」

「え、本当!? 質問に答えてくれるってことだよね?」

「……ほどほどにしときなさいよ? というか、これ、私が相手をすることになるじゃないかしら」


 レクトとしては、質問してくれれば答えるつもりはある。無言で観察されるよりはその方がずっといい。

 とはいえ、レクトの口数では十分な説明ができるとはとても思えない。しかも、レクトの知識は異界魔術に偏っていて、こちらの魔術との差異も理解していないのだ。

結局は自分が解説することになるのだろうな、とルナルは思った。レクトの姉代わりを自認する彼女としては、レクトをフォローすること自体はまんざらでもないのだが。


「まあ、ともかく。ルナルちゃんには外で話しかけないほうがいいわけよね」


 セーニャが脱線した話を本筋に戻した。


「それなんだけど、しゃべれないのってやっぱり不便なのよね。従魔登録してたらどうかしら? しゃべっても問題ない?」

「うーん、難しいんじゃないかな。従魔登録しても目立つのは避けられないと思うよ。人間と意思疎通ができる幻獣がいるっていう話は聞いたことはあるけど、あくまで御伽噺とかそういう類の話だし、それだって直接言葉を話しているわけじゃないんだよね、たしか。心と心で語り合うみたいな感じだったよ」


 従魔登録をすれば堂々と人前で話をできるのではないかと、というのがルナルの考えだ。これに対して、クレシェは難しいと判断した。人語を操る獣が実在したとして、それは伝説となるレベルの存在だ。どうやっても注目を集めてしまう。


 セーニャも同意するように頷いた。


「そうなると、トラブルは避けられないでしょうね。伝説の幻獣、それも主人が子供となると強引に取り上げて自分のものにしようとする馬鹿は出てくるでしょうから」


 それは尤もな懸念だ。自分の欲望を満たすためには犯罪すら厭わない、という人間は少なからず存在する。特に、レクトは一見すると普通の子供に見える。簡単に言うことを聞かせられる、と短慮を起こす輩は多そうだ。


 もっとも、そうなればレクトとルナルは容赦などするつもりはないが。


「そういう奴には痛い目を見てもらうことになるわね。私とレクトなら、多少の脅威なら退けられるとは思うし」

「潰す!」

「……むしろやりすぎそうで困るのよね。レクトの基準は樹海の魔物だから」


 不埒な輩は撃退してやると息巻いていたルナルだが、少し考え直した。レクトの反応が思った以上に好戦的だったからだ。レクトは一般的な人間の強さというものを知らない。樹海の魔物基準で対処されようものなら、たいていの人間は悲惨な末路をたどることになるだろう。


 レクトのことをよく知らないセーニャはルナルの言葉にギョッとしたようだが、クレシェにはその光景を想像できたようだ。困ったような表情を浮かべている。


「ルナルには悪いけど、なるべく私たち以外の人の前で話すのは控えた方がよさそう……かな」

「その方がよさそうね」

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