暴走馬車
出発は翌日。
リンデとレクトの別れはあっさりとしたものだった。昨日の騒ぎは何だったのかというくらいに、ちょっとした外出に出かけるときのような軽い挨拶を交わしただけだ。それだけルナルの存在が大きかったとも言える。レクトにとっては姉代わりであり、そしてリンデとのつながりを感じさせる存在だ。ルナルがいる限り、レクトはリンデとの再会を信じることができた。
オダイン樹海を抜けるのにも、それなりの時間がかかる。徒歩ならば三時間といったところだが、それも魔物に遭遇しなければの話だ。魔物が増えていることもあってか、何度か戦うことになった。ほとんど『導きの天風』で対処したが、数が多いときはレクトも参戦した。レクトの武器は弓。十二歳とは思えない腕前で、戦闘力ならばCランク相当はありそうだというのが同じ弓使いであるフィーナの見立てだ。それに加えて、レクトには異界魔術もある。それも勘案するとBランク以上の実力があってもおかしくはない。その上、妖狐のルナルまでが魔術でサポートするのだから、戦力としては『導きの天風』のメンバーにも引けをとらない。フォルテたちも本気でスカウトしたいと考えたほどだ。特にクレシェの無言の圧には、あまり物事に動じないレクトも少し引いていた。
レクトとしても『導きの天風』のメンバーは気に入っている。一緒に行動した時間は短いが、それでも性根が良く、付き合いやすい人たちであることはすぐにわかった。ただ、リンデから色々と経験してみろといわれていたので、とりあえずは街で暮らしてみるつもりだった。
オダイン樹海を出た後、一行は城塞都市ガンザスを目指した。オダイン樹海に一番近い年であり、『導きの天風』が本拠地でもある。
樹海近辺に人里はない。ただただ一面の平原が広がっているだけだ。人里がないので、当然道もない。最寄りの村でも徒歩なら三日ほどかかる。当然、野営は避けられない。
フォルテたちがそういった説明をしていたところ、レクトが薄っすらと笑みを浮かべて胸をそらした。
「まかせて」
「……ちょっと、レクト。まさか、あいつを出すつもりじゃないでしょうね。やめときなさいって」
「大丈夫」
「いや、大丈夫じゃないのよ、本当に」
自信ありげなレクトと止めようとするルナル。フォルテたちとしては少々不安になるやり取りだが、事情がわからない以上、成り行きを見届けるしかない。
最終的には「仕方ないわね」とルナルが折れる形で決着がついた。その後に、「後悔するだろうけど、これも経験かしらね」という不安を煽る呟きとともに。
「ラッシュ、出てきて!」
レクトの声に応じて現れたのは大型の箱馬車だ。箱だけで馬はいない。普通ならば乗り物としては役に立たない状態だが、レクトの呼び出した馬車が普通であるわけがない。
「これはクレイジー・キャリッジのラッシュ」
「ネルは知ってるのよね? あれと同じ、意思を持つ器物よ。自力で走るから馬も必要ないわ」
自力走行が可能な馬車。馬が不要な時点で馬車と呼ぶのが適当かどうか不明だが、話だけ聞けば便利そうな乗り物だ。そんなものを目にすれば驚いてもよさそうなものだが、すでにある程度耐性ができていたフォルテたちはほとんど動揺することなく受け入れた。
「便利そうだが、なんか物騒な名前だな」
「名前というか種族名みたいな感じね。そして、残念ながら物騒なのは間違いないわ」
「大丈夫なのかよ、それは……」
存在は受け入れたものの、種族名の物騒さを看過できずにコーダが指摘する。できれば安心材料が欲しかったのだが、ルナルから貰えたのは不安材料だった。
「きっと大丈夫。楽しみ」
実は、レクトもラッシュに乗ったことはなかった。それも当然で、道もない森の中で馬車を走らせることは不可能。ネルと違ってラッシュは飛ぶことができないので、今まで使い道がなかったのだ。
リンデに貰ってから初めて乗る機会が訪れたわけで、レクトは不安に思うどころかワクワクしていた。
だが、ルナルの言葉通り、すぐに後悔することになった。
「ぐ……! これは、ひどいな」
「お願いぃぃ、止めてぇぇ!」
無人の平原を馬なしの馬車が、驚くべきスピードで爆走している。
いくら平原とはいえ、本当に真っ平なわけではない。窪んだところもあれば、石くれが転がっていることもある。整備されていない道を普通の馬車以上の速度で走るとどうなるか。揺れる、跳ねるで車内は阿鼻叫喚の様相となる。
「うぐぐぅ……、気持ち悪いぃぃ」
「こ、こらえるのよ、ラッド! こんな状況で吐いたりしたら悲惨なことになるわよ!」
「飛散して悲惨ってことか。笑えねぇな!」
「馬鹿なこと言ってる場合じゃないでしょ」
フォルテ、コーダ、フィーナは比較的平気な顔をしている。もちろん、最悪な乗り心地に顔をしかめることもあるが、まだまだ会話をする程度の余裕はある。
一方でクレシェにはそれほどの余裕がなかった。ガタゴトなどという生易しい形容では足りないほどの揺れが衝撃となって体に響くのだ。冒険者としては比較的華奢なクレシェには拷問に感じられるほどだ。さきほど止めて欲しいと懇願するだけの存在になってしまっている。
そして、クレシェ以上に余裕がないのがレクトだ。走り始めは楽しそうにしていたが、それもごく短い間だけだった。乗り物酔いする体質だったらしく、今では苦しそうな表情でうずくまっている。ルナルの励ましも聞こえているのかどうか。油断すれば吐瀉物が車内を舞い踊る事態になりかねない。
「止まって。ラッシュ、止まって!」
「……駄目ね。気分がハイになりすぎて聞こえてないわ。もう強制的に収納した方がいいじゃないかしら」
耐えかねたレクトがラッシュに呼びかけるが、反応はない。ルナルの言う通り、久しぶりの出番に我を忘れているのだ。クレイジーの名に恥じぬ暴走と言える。
こうなっては最終手段しか残されていない。それはラッシュの強制収納だ。
ラッシュやネルは、普段はレクトの魔術で作り上げた異次元空間に収納してある。走行中ではあるが、その空間に戻そうというのだ。そうなると中の人間は凄いスピードで放り出されることになるが、背に腹は代えられない。
「収納する……」
「みんな衝撃に備えて! 放り出されるわよ!」
優れた冒険者は判断力にも優れているもの。咄嗟のことにも関わらず、体を丸めて上手に衝撃を逃がした。軽い打ち身程度はあったが、誰もが平然としている。いや、むしろ地獄から解放されたかのように晴々とした表情を浮かべていた。
もちろん、レクトも無事だ。体が軽いこともあり、かなりの距離を吹き飛ぶことになったが、高い身体能力を発揮して怪我を負うことはなかった。それでも苦しげな表情で地面に倒れ伏しているのは、まだ酔いが残っているからだ。
べちゃっと潰れたような格好でレクトは小さくつぶやいた。
「もうラッシュには絶対に乗らない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます