レクト、樹海を出る

「それで、リンデさんの頼み事は?」


 クレシェの話が終わったと見て、フォルテがすかさず話を戻した。リンデが話を振ったとはいえ、本来ならばレクトへの礼の話の途中でクレシェが割り込んだ形になったので、少し落ち着かなかったのだ。

 とはいえ、リンデがクレシェの話を先に聞いたのは、その内容が頼みごとの前提となる話に関連するからだ。


「さきほども話したが私はこちらの世界の人間ではない。そして、元の世界に戻るために、とある魔術を研究していた」

「研究していた、ですか?」


 クレシェはその言葉尻に少し違和感を覚えた。現在形ではなく過去形。つまり、今は研究をしていないということ。研究を諦めたのか、さもなくば。


「そう、研究していた、だ。実は少し前に、元の世界に戻るための魔術を完成させた」

「嘘!? もしかして異世界への転移魔法を完成させたんですか!?」


 クレシェの驚きは大きい。だが、それも当然の反応といえる。

 解呪に続き、異世界転移という奇跡。この世界では神に頼らなければ為すことができない偉業だ。それを自らの魔術だけで実現するというのだから、驚くなという方が無理だ。


 その上、異世界転移は解呪の奇跡とは比べ物にならないほど難度の高い魔術。解呪であれば高位聖職者ともなるとひとりで苦も無く為せるというが、勇者召喚はその高位聖職者が何にも必要となる大規模魔術だ。それすらも実現できるというのなら、技術格差は想像以上に大きいことになる。


 そして、勇者召喚のような不確実なものでなく、確実な転移を実現できたのだとすれば影響はすさまじい。異世界交流が始まるくらいならばまだいいが、一方的に侵略されるという事態も起こり得る。なにせ、向こうからは攻めることができるが、こちらから攻め返すことは不可能だ。勇者召喚という形で住人を拉致したという過去がある以上、そうなってもおかしくはない。


 クレシェの危惧を見てとったのか、リンデは心配いらないとばかりに笑みを浮かべた。


「その通り。とはいえ、運べるのは術者本人だけ。そして、転移先も行ったことのある世界だけだ。実質、私があちらとこちらを行き来するためだけの魔術だな。そもそも、私はこちらの世界をどうこうするつもりはない。私に呼び出した奴らには、それ相応の報いを受けてもらったからな」


 どうやら世界の危機にはならなさそうだとクレシェは安堵した。もちろん、リンデの言葉が真実かどうか確証はない。それでもレクトに向ける穏やかな視線は、その言葉を信じる根拠になりそうだった。

 それに、リンデがこの世界に憎しみを向けるつもりなら、こちらの世界はもっと衰退してもおかしくはないのではないかと思える。特に旧キンデリア王国周辺は更地になっているのではないかと。もちろん、何の根拠もないクレシェの妄想だ。しかし、異世界転移ともなると、クレシェからすれば神の領域。真実に近い妄想なのではないかと、クレシェは思っていた。


「そんなわけで、近いうちに元の世界に戻るつもりだ。たから、君たちにはレクトの面倒を見てほしいんだ」

「え!? リンデ、行っちゃうの?」


 さきほどまで、ぼんやりと話を聞いていたレクトが大きな声を上げた。感情の起伏が小さいレクトにしては珍しい。それほどまでに、親代わりにリンデとの別れが衝撃だったのだ。


「すまんな。私は向こうでやり残したことがある。すでにこちらに来て百年。今さら手遅れではあるが……、それでも結果くらいは見届けたい。心配するな。けりがつけば、一度はこちらに戻ってくる。それまでお前は世界を見て回るといい」

「待ってる!」

「ここでか? それは駄目だ。最近、魔物が増えている。お前ひとりで森にとどまるのは危険だ。それに、お前はこれまでずっと森に籠り切りだっただろう。世の中に出て色んな経験を積むいい機会だ。世の中にはお前のまだ知らないこと、楽しいことがたくさんあるはずだ。私が戻ってくるまで色々と経験を積んでみるといいさ」


 リンデはレクトを抱き寄せると、その頭をゆっくりと撫でる。

 レクトはオダイン樹海から出たことがない。様々な経験をした後で、そういう選択をするのならリンデも何も言わない。ただ、経験しないうちから選択肢を狭めて欲しくはなかったのだ。


 俯いたままで、レクトは何も言わない。ただ、リンデが自分のことを心配していることはよくわかっていた。


 しばらくの沈黙の後、レクトは小さく「わかった」とだけ呟いた。


「ありがとう。お前のところに戻れるように私の眷属も供につけよう。ほら、ルナルだ」


 リンデが右手を水平に伸ばすと、いつの間にか、そこには一匹の小さな狐が存在していた。一見するとただの子狐に見えるが、リンデの眷属として百余年を生きる妖狐だ。


「ほらほら、仕方がないから私がついていってあげるわ! 元気を出しなさい」

「ルナル!」


 リンデの腕を伝って、ひょいと身軽に移動する妖狐のルナル。レクトの頭にちょこんと居座ると、足元をてしてしと叩きながらレクトを励ます。ただの子狐だと思っていた冒険者たちは驚くが、レクトにとっては普通のこと。レクトにとっては姉のような存在だ。心細さも薄れ、しょんぼりとした気持ちもずいぶんと上向いた。さきほどまでのことが嘘のように、ルナルとじゃれている。


「というわけで頼めるかな」

「俺たちは冒険者だ。さすがに付きっ切りで面倒は見れないぞ。もし、パーティーに参加してくれるっていうんなら歓迎はするが」

「適当な街で住む場所の面倒を見てくれさえすれば、それくらいで大丈夫だ。レクトとルナルで何とかするさ。苦労もするだろうが、それも良い経験だろう。もちろん、レクトが君たちに同行したいというならそれでもいい」

「わかった」


 こうして、レクトはリンデに拾われてから初めてオダイン樹海から出ることになった。

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