樹海に住む少年
フィーナの索敵能力は高い。よほど隠密能力に優れた相手でなければ、接近前に気づくことができるのだ。しかし、本来ならば、と注釈をつける必要がある。今はフォルテのことで動揺していて、注意がおろそかになっていたのだ。
これは間違いなく失態だ。もし、現れたのが少年ではなく、獰猛な魔物であれば全滅の危機もあった。
とはいえ、後悔で頭を鈍らせるのは悪手。フィーナは気持ちを切り替えて少年を観察した。
見た目はごく普通の少年だ。衣服は上等そうに見えるが、それでも一般の範疇を外れたものではない。都市に住む裕福な子供と言われれば納得できる出で立ちであろう。だからこそ、オダイン樹海で遭遇するには相応しくないといえる。
「……あなたは?」
フィーナは警戒を隠すことなく尋ねた。
このような状況にも関わらず、少年は無表情を保っている。それが少し気になるものの、他に特徴と言える特徴はない。普通に考えれば、ただの少年だ。しかし。普通でない状況で出会ったからには、油断するわけにはいかない。
「レクト」
少年の言葉は短い。すぐには何を意味しているか理解できなかった。
「レクト……? もしかして、名前かな。レクト君っていうの?」
尋ねたのはクレシェだ。
その問いにも、少年は無言で頷くばかりだった。よほど無口なタイプなのか、それとも人見知りをしているのか。
ともあれ、話を聞くことはできそうだとクレシェは安堵した。
「レクト君はなんでここに?」
「声がしたから」
「ああ、うん、そうか。ええとね、もしかしてレクト君はここに住んでるの?」
レクトと名乗る少年はコクリと頷いた。
「本当!? もしかして、樹海の中に村があるの!?」
オダイン樹海に村があるとは聞いたことがない。というよりも、人が安心して住めるような環境ではないのだ。村をつくるには魔物を排除しながら森を切り拓かなければならない。誰が考えても無謀な行為だ。そんなことをするよりは、平原に村を作ったほうがよほどいい。ハルフォン辺境伯領にはまだまだ未開拓の土地が多く残されているのだ。わざわざ往来も難しく、危険も大きいオダイン樹海に村を理由は本来ならばない。
ただし、絶対にないとも言い切れない。世の中には人目を忍んで生きていかねばならない人間というのも確かに存在するからだ。例えば、逃げ出した罪人。もしくは、権力争いに敗れた元貴族。謂れのない迫害を受けた者や単に社会に馴染めなかった者。そんな者たちが人里離れた場所に隠れ住むというのはよくある話だ。
だとしたら、希望が持てるとクレシェは思った。教会組織も上層部にはドロドロの権力争いがあることを知っているからだ。ひょっとしたら、権力争いの果てに落ち延びた聖職者が隠れ住んでいるかもしれない。
もちろん、それはクレシェの願望が多分に含まれた予測にすぎない。そして、そんな予測はあっさりと裏切られた。
「村はない。家があるだけ」
「そっか……」
レクトの言葉が正しいとすれば、見通しは良くない。クレシェたちが知る最寄りの街まではどんなに急いでも五日はかかる。その途中にも村はあるが、聖職者が常駐するような規模の村ではない。
街までたどり着くのが先か。それとも呪いがフォルテの体を蝕み、命を奪い去るのが先か。意識のないフォルテを運びながら移動することを考えると、クレシェたちはどうしても部の悪さを感じてしまった。
沈み込む冒険者たち三人をよそ目に、レクトはフォルテの様子を観察した。息が荒く、苦悶の表情を浮かる様は死を予感させる。並の子供であれば、恐怖を覚えるような状況。しかし、レクトは淡々と彼の状態を確認するだけだった。
「その人、呪われたの?」
「……ええ。だから、解呪できる人を探しているの。あなた、心当たりはない?」
尋ねながらも、フィーナは期待していなかった。
聖職者以外に解呪のような高度な神聖魔術が使える者はほぼいないといっていい。何故なら、教会が神聖魔術の素養がある者を囲っているからだ。もちろん、国を跨いで広い影響力を教会であっても、本人の意思を無視して強制することはできない。必然的に、神聖魔術の素養を持ちながらも教会と距離をおく者もそれなりにいる。しかし、神聖魔術に関する知識は教会がほぼ独占しているため、教会に属することなく神聖魔術を学ぶことは極めて難しかった。独学にしても治癒の奇跡程度ならともかく、解呪の奇跡まで会得している者はやはりほぼいないだろう。
ちなみに、クレシェがフォルテに使ったのは強化魔術に属する治癒魔術だ。対象の自己治癒能力を一時的に強化することで傷を癒すというアプローチで、神の力を借りて奇跡を成す神聖魔術とは系統が異なる。
ともかく、そういう理由からレクトの答えには誰も期待していなかった。そのため、レクトからの返答に驚くことになる。
「ある。なんとかできる」
「え? 今なんて……」
その返答は完全に想定外であり、フィーナは虚を突かれた形となった。その隙をついたというわけではないだろうが、レクトが倒れているフォルテの元に近づくと片膝をつき手をかざす。
「ちょ、ちょっと、どうするつもりなの?」
「……? 治す」
慌てて止めるクレシェに対して、レクトは小首を傾げて答えた。
「治す……? 神聖魔術が使えるの?」
まさかと思いつつ確認するも、レクトは首をふるふると首を横に振るのみだ。クレシェにはレクトの意図がまったくわからなかった。少なくとも、クレシェの知識には神聖魔術以外に呪いを解く方法に心当たりはない。
特殊な魔道具を使えばあるいは可能なのかもしれない。しかし、レクトはそれらしいものも持っていなかった。
このままレクトに委ねるか、クレシェは迷った。フィーナに視線を向けると、彼女も判断が付かないようだ。決断したのはコーダだ。
「賭けるしかねぇだろう。おそらく、街までは持たねぇ」
フォルテの状態はかなり悪い。コーダは、呪いがフォルテの命を刈り取るまで、それほど猶予がないと見ていた。根拠などは何もない、ただの勘だ。しかし、フォルテを蝕む呪いは、聖水がなんら効果を発揮しないほどの強力なもの。突然意識を失ったことも考慮すると、呪いの浸蝕は極めて速いと考えたのだ。
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