王女はコーヒーを愛する
「赤身肉のどこかスモーキーな風味がコーヒーには合うと思うの。脂肪が少ない部位を使う代わりに、上質な香りの別の脂肪を加える。これなら食べ応えのある一品になるわ」
王女は自室に料理人が到着するや否や、挨拶もそこそこに書きかけのレシピを見せ、まくしたてるように喋った。
「やはり乳製品は外せないわね。チーズの酸味と合わせるのもいいけれど、上手に使わないとコーヒーの風味が負けてしまう恐れがある。だから、使うなら種類と量は慎重に。使わないなら、代わりにバターや生クリームを多めに使ってもいいかもしれないわ。うーん、悩ましいわあ」
とうてい王女の口から出たとは思えない台詞だが、料理人はすっかり慣れた様子だ。
「さすが、『コーヒー王女』でいらっしゃる。十年近く前、『どんなものでもいい、貴方が思うコーヒーに合うお菓子の作り方を教えて』と、私などにお声かけくださったのが懐かしゅうございます」
初老の料理人は親しげに笑い、顔に気持ちのいい皺を浮かべた。
「もう……、子供のときは、仕事中に手間をかけたわね」
王女は見慣れた笑い皺を見て、困ったように笑い返した。
「とにかく、お菓子にも使われる生クリームやバター、あるいはチーズなど。これらをたっぷり使っても違和感がないのは、『マッシュポテト』だと思う。これを牛の赤身肉と合わせてみたいの。それから……、とりあえず、ここで作ってみてくれる? 今はできる範囲で構わないから」
「承知いたしました。すぐにご用意させていただきますよ。下拵えに火を使うものだけ、屋外で仕込んで参りましょう」
料理人はくすりと笑う。
厨房はティー少女の仕事場の一つだ。彼女と顔を合わせないためには、試作はどこか別の場所で行うしかない。
料理人は屋外にある、大物を焼くための窯へ向かう。じゃがいもを茹でるくらいの火なら窯の横で起こしても問題ないだろう。
「……それにしても、厨房を譲ったうえに、ご自分の部屋で料理をさせるなんて」
厨房はティー少女のために。自室で料理をさせるのは、わがままに見せかけて、料理人が秋風にさらされる時間を減らすため。
——まったく王女らしくない王女である。
じゃがいもの下拵えを終えた料理人は、豪奢な部屋に似つかわしくない、無骨な仕事道具を見て思いを巡らせながらも、素晴らしい手つきでマッシュポテトを仕込んでいく。できあがったそれは、まるでケーキの特別なクリームのよう。
「……そう、なめらかな舌触りと口溶けを加えることが大切なの」
王女は料理人に何かを見透かされたことを察してか、少しむっとして、恥ずかしさをごまかすように言った。
じゃがいもの淡い黄金と、ミルク由来の純白が混ざり合ったマッシュポテトは、陽を浴びた雪のように美しい。
——王女が少女と初めて会った日も、こんな美しい雪が積もっていた。
数年前、王女は王宮内の廊下で見慣れない少女の姿を見た。
本来なら王女が立ち入ることのない、給仕人の作業室に繋がる廊下であったが、コーヒーに熱を入れる彼女はそこに立ち入ることがあった。
窓にはとろけるようになめらかな雪。白い背景に見慣れぬ異国の繊細な金髪が美しかった。現実離れした光景に、王女の姿を認めた少女が礼の形を取る動きが、実際より優美に、長い時間に思えた。
しかし、王女が見惚れた刹那、少女が礼の形を取ろうと引いた足を滑らせた。そして、王女は迷わず彼女の手を取った。
王女は、少女の手が想像の数倍冷たかったことに驚いた。
よく見れば、少女の外着には雪が残っており、頬と耳はりんごのように赤かった。足を滑らせたのも、きっと靴底が凍りついているせいに違いなかった。
「大変な失礼を……。王女様、申し訳ございません」
この王宮に、高貴な子供は王女しかいない。
金髪の少女は、絢爛な装いの黒髪の子女に恐縮した様子を見せた。
「気にしなくていいわ。本当よ。王女たるものは、国民に手を差し伸べるものよ。私は自分の信念のまま動いただけ」
王女は早口気味で伝えたが、金髪の少女は先程まで赤かった頬を青白くしたままだった。
「そんなに怯えないで。……私は周りが心安らぐ存在でありたいの。たとえばそう」
この頃の王女は有徳の人になろうと努めて振る舞っていた。それが王女らしくないと言われようが、彼女は自分の中の理想の王女像を信じた。
しかし、彼女は生来の闊達な性格と、年齢による単純な幼さ故に、少々場を凍り付かせる発言をすることがあった。
「『亡き女王』とは真逆の」
「王女様、私は——」
幼い王女は、自らの高貴なる母を引き合いに出せば、身分違いの少女がどう思うかも分からなかった。それでも少女がさらに焦ったことは感じ取り、取り急ぎ言葉を放つことで誤魔化そうとした。
「ああ、そうね……。聞いているわ、今日かの国から、珍しい紅茶という飲み物の貿易の件で、私と年齢が近い子が来ると」
「ご、ご挨拶が遅れまして——」
「堅苦しい挨拶は後でするのだから今はよしてちょうだい。私こそ謝らなければならないわ。先ほどの言葉に少々間違いがあったわね」
王女は気まずさから窓の方を向き、そしていくつかを悟り、恥じた。
相変わらず外は美しい雪景色だったが、先ほどよりずっと冷たく見えた。
王女にとって、雪とは窓の格子越しに見るものであり、肩に積もらせたり、そこに足を深々と埋めて歩いたりするものではなかった。
それ故に王女は想像できなかった。体の芯まで凍るような雪の冷たさも、自分の足りない振る舞いが同じ年頃の子供に与える影響も。
——それでも、自らが温かくあることで人に寄り添いたかった。
「我が国民でなくとも、私は転びそうな人がいたら手を差し伸べるべきだと思うわ」
向き直った王女は、金髪の少女がはじめてほころんだ笑みを浮かべたのを見た。
王女は今でもその事実を覚えている。
しかし、いつの間にか疎遠になっていた金髪の彼女の、かつての表情を思い出せないでいた。
「……あの頃から私は独り善がりで、自分の話をしてばかりね」
マッシュポテトの上に艶のある挽き肉が転がされていく。
「だからあの子に愛想を尽かされてしまったのだわ」
窓の格子に似た模様で封をされていく料理を見つめながら、王女は独りごちた。
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