少女は紅茶の天才である
金髪の少女は、厨房で頭を悩ませていた。
「紅茶には焼き菓子や乾燥させた果物、素朴なサンドウィッチなんかの軽食が普通よね……。繊細な紅茶の味と香りを引き立てこそすれ、決してそれを奪わない組み合わせ。メインディッシュ相当の料理なんて、この国どころか、祖国でも前例がない……」
長い金髪をまとめた少女は紅茶の天才である。子供でありながら、他国に派遣されたほどの。
もちろんティーフーズにも詳しく、自分でレシピを考えることもあった。しかし、今回の件は彼女にとって初めての事態である。
彼女はしばらく口元に指を当てて、ぶつぶつと早口で独りごちていた。その姿は普段の軽やかな雰囲気とは異なる。まるで——。
「まるで、無理やり集中して、自ら思考の海に沈もうとしているみたいですね。少しは肩の力を抜いてはどうです」
声をかけたのは、笑い皺のある初老の細身の男性である。
「……ごきげんよう。貴方がなぜここへ?」
「料理人が厨房にいてはいけませんか?」
笑い皺を一層深くした彼は、王女付きの料理人である。もちろん、コーヒー王女と友人関係にあったティー少女とも馴染みであるが、
「……万が一、不運にも予期せぬ偶然が重なった場合、悪い噂や不正の疑惑が持ち上がるかもしれません。申し訳ありませんが、席を外していただけますか」
コーヒーについて博識である王女も、これまでにそれにまつわる新たなアイデアを出すことがあった。しかし、王女自らが直接調理をすることはなく、アイデアの具現化はこの男性に任されていた。
「そう言わないで。面白いものを持ってきたんですよ。せっかくの機会なので。もちろん、王女様にも同じものをご紹介するつもりです」
料理人は意味深な笑顔を浮かべ、どこから取り出したのか、白い粉の入った小瓶を作業台にコトリと置く。
「新しい『調味料』と言ったところでしょうか。料理の旨みを増す効果があります。もちろん、使い方次第……ですが。どうです、明日の料理に使ってみては」
料理の旨みを増す調味料など、世界中の料理人が喉から手が出るほど欲しい代物である。
しかし、彼の提案に少女は難色を示した。
「大切な勝負の一品に、未知の調味料を試せと? 料理人の貴方なら言うまでもなく分かるはずです。調味料は使い方を間違えると、雑味や異臭の原因になる。どのような調味料でも」
少女は彼女らしくない、突き放すような言葉遣いで言った。
白い粉は塩に近いようにも見えるが、どこか化学的な——喩えるなら、何かの薬品と言われても信じてしまいそうな風貌であった。
「それがこの調味料の面白いところで、味や香りをほとんど邪魔せず、旨みだけを増すのです。貴女がおっしゃるように全ての料理に合うわけではありませんが。——そうそう、肉との相性は良いようですよ」
少女は、この笑顔の料理人の、少女が目星をつける食材を見透かしたような口振りに、胸がざわついた。
「……使うかどうかは別として、ご紹介ありがとうございます。ですが、先ほど申しました理由で、これでお引き取り願いたいのですが」
「はい。では、失礼」
料理人は意外なほどあっさりと、勝手知ったる厨房を、スマートに出ていった。
少女は彼の意図をはかりかねて一瞬呆けたが、思い直して自らの両頬をパン、と叩き、思索にふけった。
「……それより今は明日の料理のこと。そうね、焼き菓子や乾燥果物やサンドウィッチがなぜ紅茶に合うのか考えよう。共通のする要素を持った料理を見つければいいのよ」
教養のある少女は、しかしどこか庶民的な表情で思考を巡らせる。
「メインディッシュでありながら、紅茶の香りを損ねないもの……。やっぱり、魚ではなく肉がベターね」
メインディッシュとなれば食べ応えが必要だ。野菜や果物や穀類のみでは力不足、となると選択肢はどうしても肉か魚になる。
魚はどうしても生臭い印象が拭えない。臭み消しに使うには紅茶の香りは繊細すぎる。肉ならば、茶葉を工夫すれば道はある。
「……ティーカップを扱いながら分厚い肉を一生懸命切るのは手間だから、あらかじめ細かくしたものの方がいい。ああ、お肉に合う茶葉も考えなくちゃ」
少女は作業台の上にティーセットと、皿とカトラリーを出して、まだ見ぬ料理を思い描く。
「やっぱり紅茶と合わさって、食べ物が舌の上で解ける食感は醍醐味よね」
単品では口が乾くような食べ物でも、飲み物と合わせれば魅力となる。
「そうね……うん、あれならお肉と上手く調和できるかも。元々お茶会で出てきても不思議じゃないもの。これで包めば違和感を消すこともできるはず」
——違和感。今のティー少女にとって、それはチクリと刺さる言葉だ。
異国、身分、文化。自分はこの国の調和を乱す存在なのではないか——。
「……でもこれだけだとありきたりだから、別の食感が欲しい。表面のパサつきを内側から補うような、しっとりとろけて柔らかい……。でも、紅茶を邪魔しないものとなると、そこもあまり強い味付けはできないわね。やっぱり味の
少女は想像上の肉の味を確かめるように、唇を指の腹で撫ぜ、そして唐突に笑った。
——私がお肉の種類や食感が分かるようになったなんて。
彼女は祖国では低いとまではいわないが、豊富な種類の肉の味を知れるほど高い身分ではなかった。
それが、今や一国の王女の友人として扱われ、招待されれば同じテーブルで食事を共にし、談笑できる立場になったのだ。
少女にとって、王女と過ごす時間ほど贅沢で幸せなものはなかった。
祖国では身分は絶対。どんなに容姿や能力が長けていても、友人になるどころか、気安く言葉を交わすことすら許されない。
この国は少女に才能を生かせる最高の活躍の場を与えてくれ、王女は夢のような好意を向けてくれた。しかし——。
「大事だからこそ、よね」
少女は何かを拒絶するようにかぶりを振る。そして、別のことを考えるために白い粉に目をやった。
——味や香りをほとんど邪魔せず、旨みだけを増すのです。
この国に来てからあの料理人には随分世話になってきたし、親密にしてもらった、と少女は思う。
しかし、王女付きの料理人が、その王女と距離のできた今の少女に抱く感情は分からなかった。
それでも、ティー少女は作り物の雪のように白い粉を指に取る。
——彼女の記憶には、雪にまつわる忘れられない光景があった。
磁器のように艶やかな黒い髪は、雪の色を反射して白い光を蓄えていた。そして、髪の持ち主の笑顔は縁取りに負けず美しく——。
「けどもう、どのみち、後には引けない」
金髪の少女は、それを口に運んだ。
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