deus ex machina または神々の加護

「セツゾクガカンリョウシタ」

 ――接続が完了した。


 と、おれの頭の中の声が言った。

 要は、おれの体の支配が終わったということだろう。

 今や、おれの感覚は、仮面の感覚とつながっていた。

 仮面の大きな耳、広く長い鼻から、たくさんの情報がおれに流れてくる。

 大きな耳はどんな音も聞き取れる。

 焦点をあわせれば、目の前のエミリアの、激しく拍っている心臓の鼓動も聞き取れた。

 そして鼻。

 狼は鼻がいいといういうが、俺の鼻もいまや狼以上だ。

 向こうにいるアマンダさんやアナベルさんの良い匂いや、ケイトリンさんの腰についた革袋のにおい、さらには、この場にいるみんなが発している、恐怖の汗においまでもありありと嗅ぎ取れる。

 まるで超人になったかのようだ。

 問題は、おれが超人になったのではなく、仮面がその手足を手に入れて超人になってしまったということなのだ。


「ソレデハテハジメニ」

 ――それでは、手始めに


 と、声が響き、その視覚がエミリアに焦点をあわせる。

 恐怖にひきつったエミリアの顔、しかし、その顔にはおれにたいする心配の気持ちもよみとれる。

 仮面によって拡大されたおれの感覚では、そこまで分かるのだ。

 すまん、エミリア……


「クククククク……」


 おれの頭の中で、仮面が、邪悪な笑いを上げた。


 むっ、こいつ、エミリアになにかしようとしているぞ!


 それが伝わってきた。


 しかも、このおれの体をつかって。

 だめだ、そんなことを許すわけにはいかない。

 エミリア、おれなんかどうでもいいから、身を護れ!

 だが、エミリアだって、おれの身体を攻撃なんてできないだろう。

 くそっ、最悪、おれの命がなくなるとしても、エミリアに手をださせるわけにはいかないじゃないか——。

 だが、今のおれになにができるのだろうか?

 仮面がおれの身体に命令を出すのが感じられた。

 おれの身体は、無防備なエミリアの首を狙い、勢いよく剣をもった右手をふりあげ――なかった!

 その後も、おれはそこに膝をついたままだった。


「っ……?! ナゼダ?!」


 予想外のことに、仮面の衝撃と、動揺が伝わってきた。

 たしかに、今、仮面は神経系に命令を送り、支配したおれの身体を動かそうとしたのだ。

 それがおれにもわかった。

 しかし、おれの身体は、その仮面の意思に反応しないのだった。


「バカナッ……ナゼダナゼダナゼダアーッ!!!!」


 仮面はうろたえて、必死でおれの身体を動かそうと命令を発する。

 しかし、おれの身体は動かない。


 どういうこと?


 不思議なのはおれも一緒だ。

 これ、ひょっとして、おれはまだ仮面に支配されてないのか?

 よし、ひとつ試してやれ。


 おれは、その場で、腕立て伏せをしてみた。


「いち、にい、さん!」


 なあんだ、できるじゃん!

 立ち上がり、右手をあげ、おろして、こんどは左手をあげ、おろして。

 続いて、スクワットだ。


「えい、えい、えい! にい、にっ、さん!」


 うん、できるできる。

 ぜんぜんできちゃうよ。

 これならどうだ!


 おれは、スクワットでしゃがんだ体勢のまま、


「はいっ、はいっ、はいっ!」


 膝を交互にけりだす。

 北方の民族に伝わる、伝統のゴザッグダンスだ。

 おお、完璧じゃん!

 そんなおれを、みんながぽかんとした顔でみていた。

 まあ、よく考えれば、そりゃそうだな……。

 おかしな仮面をつけた男がいきなり腕立て伏せをはじめたのだ。

 おれだって驚く。


「あの……アーネスト?」


 エミリアが唖然とした声でいう。


「まだ、あんた……アーネスト、なの?」

「これはたぶん、アーネストだ」


 と、パルノフ。


「この深刻な状況で、こんなふざけた動作をするバカは、アーネストしかありえない」

「そうだな!」


 ヌーナンも同意する。


「おいっ、お前ら、あいかわらずひどいな!」


 おれは思わず言い返した。


「ホラ、やっぱりアーネストだ」

「どうして……? そんなになってるのに、仮面に支配されてないの?」


 エミリアが不思議そうに言う。


「うーん……」


 おれは、首をひねりながら答えた。


「支配されてるような、されてないような……」

「なんだよそれは。しっかりしてくれ、アーネスト」

「だって、おれにもわからないんだよ。仮面の意思は、確かにおれの中にいて、さっきから騒いでるんだけど、おれの身体を動かすことはできないみたいなんだ……」

「そんなことって、あるのかなあ?」

「アーネスト、あんた……」


 と、声をかけてきたのはケイトリンさんだ。

 表情がかたい。


「あんた、とんでもないことになってるね」

「ひぇっ、どっ、どうなってるんですか?」


 おれはびびった。


「いや、悪いことではないんだ。加護だよ」

「へっ? 加護?」

「そうだよ、今『鑑定』で視たら、あんたには神々の、ものすごい加護がかかっている。いったいどうしたら、そんなたいへんな加護を授けられるのか、わからないよ」

「加護――ああっ、あれか?!」

「心当たりがあるんだね?」

「ルシアさまのところに時の鐘をとどけたときに、あのうさん臭いおっさん——」

「ゴッセンさんよ」


 とエミリア。


「そう、そのゴッセン」

「『時の監視者』か……」


 ケイトリンさんが身震いした。


「あの人はおそろしいな……どんな『暗殺者アサシン』も、ぜったいあの人には勝てない」

「うん、で、その胡散臭いゴッセンさんが言ってた。時の鐘を届けたから、おれには加護が与えられる、って。この世界で、与えられた役割があるとも言ってたな。なにがなんだか……でも、それじゃないか?」

「なるほど……そういうことか。それならな」


 うなずくケイトリンさん。

 おれはよくわからない。


「で、その加護っていったいどういう加護なんですか?」

「あんたに授けられている加護、それは——『絶対反呪術』の加護だ」


 とケイトリンさんが説明する。


「それも、とてつもなく強力なものだ。どんなのろいの力も、アーネスト、あんたに触れると無効になるんだよ」

「そうなのか?」

「「「それでかあー!」」」


 と、パルノフ、ヌーナン、そしてエミリアも叫んだ。


「それで、サバジオスの手も」

「古墳の黒い雲も」

「ランダウの呪い人形も」

「「「なあんだ、やっぱりねえ!!」」」


 おい、やっぱりねえってどういうことだよ?


「とにかく——」


 とケイトリンさん。


「そんなものが、この世に存在することが考えられないくらいの強力な加護だよ。呪いの蒼仮面の、この世界最悪最凶の呪いさえ、あんたに触れている以上、無効だ。あんたに害をなすことは一切できないのだ。それどころか、あんたに触れられていると、仮面は外部に呪いを発することさえできないようだ。その証拠に、この部屋に、もはや呪いはない」


 なんてこった……

 すごいじゃんおれ?!

 そんなことになってるって知ってたら、もっとやりようが——

 いや、これからでも、まだまだ大活躍できるぞ!

 スーパーのろいハンター、アーネスト! 

 どんな呪いでも、わたしにかかればイチコロです! なんてね。

 でも……やっぱり呪いは嫌だなあ、なんだかおっかないよ……。

 なんてことを考えていたら、


「ギ・ギ・ギイイイイイイイイイイイッ!」


 事態を悟った呪いの仮面が、叫びをあげて、おれから離れようとうごめく。


「逃がすなっ! おさえろ、アーネスト!!」

「へっ?」


 その瞬間、エミリアがおれに飛びついて、おれの両手をつかみ、ぐいっと仮面に押し当てた。


「うわっ、なにをするエミリア!」

「アーネスト、あんた、そうやって仮面をおさえてなさい! あんたの顔から逃げ出さないように」

「なっ?」

「あんたに張り付いている間は、その仮面は無力なの。いい? 絶対に放しちゃだめ!」

「いや、そんなこと言われても……これ、グネグネしてすごく気持ち悪いし」

「そんなこといってる場合じゃない!」


 エミリアに厳しく叱られた。


「よし、こうしておこう」


 ケイトリンさんが近づき、ミスリルの鎖で、仮面をおれの頭ごとぐるぐる巻きにして固定した。

 これはひどい。


「アーネスト、もし仮面が逃げそうになったら、とにかく顔に押し付けるのよ。いいね?」

「うーん、なんだかなあ……」


 おれはそこではっと気が付いた。


「ちょっと、みなさん! この仮面は、どう始末するんですかね。まさかこのまま……」


 一生仮面をつけてなきゃならないなんてことには。まさかね。


「そうだねえ……ヴァルサーの鍵もダメ、なまじっかな解呪の魔法でも通用しないだろうからねえ……あんたに張り付いてさえいれば無害なんだが」

「ええーっ? ちょっと勘弁してくださいよ!」

「たぶん……ルシアさまならなんとかなるんじゃない?」


 とエミリアが言う。


「ルシアさまと、アンバランサーさまなら……」

「そうだな。あの人たちならできるだろう」

「「「「「うんうん、まちがいない」」」」」


 みんながうなずく。


「よし、そうと決まったら、孤児院までアーネストを連行だ」

「おいっ、おれを連行ってなんだよ! 仮面を連行だろうが」

「けっきょくいっしょなんだよ、くっついてるんだから……」


 小声でヌーナンがつぶやくが、しっかり聞こえている。

 仮面をかぶったことで、仮面の聴覚がおれと接続され、聴力が増大したおれは、どんなひそひそ話もききのがさないのだ。

 ポーションにより傷も癒え、問題なく動けるようになったアマンダさんとアナベルさんがおれに近づくと、こんどは仮面の嗅覚がいかんなく発揮され、なんだかくらくらするようないい匂いが感じられた。


「うーん、これはヤバいな……」

「ん? なにがヤバいのアーネスト?」


 エミリアがまじめな顔でおれに聞いてきて、


「い、いや、なんでもないんだよ」


 おれは顔を赤らめるのだった。

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