黒き腐れの獣と、ヴァルサーの鍵


「行くぞッ!」


「黒き腐れの獣」が待つ、第五の塔の最深部(つまり、本来の最上階)。

 気合いとともに。飛びこむあたしたち。


 敵は、どこだ?!


 降り立った場所で円陣をくみ、油断なくあたりを見回す。

 この階も、壁と床は、これまでとかわらず、からっぽだ。

 なんの飾りもない、白い円筒形の空間。

 だが、


「みんな、あれを!」


 ケイトリンさんが天井を指さし、あたしたちは顔を上げる。

 あたしたちが見上げた天井部分(つまり、本来の、この階の床部分)は、これまでの階層とはまるでちがっていた。

 そこには、まるで井戸を思わせる穴が、五カ所開いていた。

 穴をとりまく、井戸であれば井筒にあたるところは、鋭角に刳り抜かれた、五角形の石である。

 その穴の奥は、深い闇がわだかまり、先がどうなっているのか判別がつかない。


「妙だな……あの穴はかなり深そうだが、上の階にはなにもなかったぞ……」


 アマンダさんがつぶやく。

 五角形の井筒をもつ井戸のような穴は、これも五芒星を描くように、床に配置されていた。

 どうみても、なんらかの呪術的な意味があるとしか思えない。

 そして、井戸をとりまくように、天井(床)一面に、タールでもぶちまけたように黒々と描かれた、異様な文様。

 ぐねぐねと波打つ、太さを変えたいくつもの点と線が組み合わされたものだが、見ているだけで吐き気がしてくるような、忌まわしい気配を、強烈に発していた。

 あれはただの模様じゃない。

 あたしは直感した。

 これは、文字だ!

 あたしたちの世界とは、おそらく別の世界の文字なのだ。

 なにを表しているというのか、この文字は?


「あれも、魔封じのための呪文なのだろうか……?」

「いや……違うぞ」


 ケイトリンさんが言う。


「わかるだろう、あれはこちら側のものじゃない」

「こちら側ではない……」

「この部屋で、おぞましい魔力と呪力を放出しているのは、あの文字だ。つまり、あの文字は――」


 ケイトリンさんが断言する。


「――てきだ」

「むっ?」


 ケイトリンさんの言葉に呼応するかのように、黒い文字が不気味に震え始めた。

 輪郭がじわじわと乱れ、そして、表面がむくむくと盛り上がる。

 泥のように波打つ黒い文字の表面で、膨れ上がった気泡が、ぱちんとはじけた。


「うええっ!」

「なに、この臭い」


 その途端、強烈な腐敗臭と、そして硫黄の臭いがあたしたちを襲う。

 そして、


  ボトッ!


「きゃっ!」


  ボトッ!

   ボトボトボトッ!

  ボトボトボトッ!


 天井の文字が黒い液体となって、部屋一面に、雨のように降り注ぎはじめた。


  触れるべからず


 警告の文句が頭に浮かぶ。


 まずいっ!


「風の精霊が土の精霊に告げて踊る、ここより、風の結界!」


 あたしは、とっさに風の結界を詠唱する。

 瞬時に生み出された結界が、あたしたち四人を丸く包みこむ。


  ボトボトボトッ!


 間一髪まにあった。


 降り注ぐ黒い泥が、結界の表面を流れ落ちる。

 泥が触れた表面は、ジュウジュウと音を立て浸食されるが、結界はなんとかもちこたえる。

 床に降り注いだ泥は、次第にずるずると流れて、一カ所に集まり、泡立つかたまりを作った。

 かたまりは、宙にのびあがり、いくつもの枝をつきだして、みるみる一つの形をつくると、ずるりと立ち上がった。

 それは、一匹の獣。


「?!」


 鼻面の突き出した、その貌のかたちは、狼に似ている。

 だが、その目は、両の瞳がまるで蟹の眼のように眼窩から飛び出し、縦に割れていた。

 毛に覆われ、いくつもの関節のある足は、六本あった。

 そして、蛇のようにくねる三本の尾

 汚泥が変じた、漆黒の獣。

 その表面からは、腐った泥が、ポタポタとしたたっている。


「これが……黒き腐れの獣……」

「ひいいいい!」


 まさに、その名にふさわしい、おぞましい魔物である。


  ゴアアアアアアアアッ!


 獣が咆吼した。


  ブワアッ


 獣から、硫黄の臭いとともに、おぞましくも甘い死臭がふきつける。

 霧のように発生した黒い霞が、獣を取り巻いて漂う。

 獣が発する呪いが、あまりに強いために、黒い雲となって目に見えているのだ。

 とんでもない化け物だ。

 魔力を消費したあたしの風の結界が、薄れていく。

 弱まる結界を見透かしたように、


  ビュルルッ!


 目にもとまらぬ速さで獣から撃ち出された、何本もの黒い触手が、あたしたちを襲う!


「「てええぃっ!」」


 アマンダさんとアナベルさんの白刃が閃き、触手を切り払った。


  ビシャッ!


 切り飛ばされた触手は、壁に叩きつけられて、真っ黒な染みとなった。


  ゴアアアアアアアアッ!


 しかし、触手を切られても獣はまったくこたえた様子はなく、さらなる咆吼をあげると、その背中から次々に触手を生やし


  ビュルルッ!

  ビュルルッ!


 アナベルさんに躱された触手は、床の石材を砕いて穴を開けた。

 あんなものに貫かれたら、ひとたまりもないだろう。


「ええぃ、テメエも、ワイトみたいにくたばれーっ!!」


 次の触手がアマンダとアナベルさんに切り飛ばされたタイミングで、天井を蹴ったケイトリンさんが、空中で反転し、両手で握りしめたヴァルサーの鍵を、渾身の力で獣に突き立てた!


「よし、やったか?!」


 だが――。

 なんと、獣の背中を破って突き出したもう一つの顔が、


  がちり!


 ヴァルサーの鍵を、鋭い牙の並んだ顎で受け止めた。

 そして、


  バリバリバリッ!


 一気に噛み砕いてしまったのだ。


「ヴ、ヴァルサーの鍵が?!」


 そのまま首がぐいっとふられ、ヴァルサーの鍵が破壊されたことに驚愕しているケイトリンさんは、受け身もとれないまま吹き飛ばされた。


「ぎゃぅっ!」


 壁に叩きつけられ、うずくまり、動かなくなる。


「ケイトリーンっ!!」


 呆然となるあたしたち。

 魔獣の猛攻は止まらない。


  ジャアッ!


 突き出された触手の刃が、アマンダさんをかすめた。


「ぐうっ!」


 腰甲の一部がぱっくりと裂かれ、むき出しになったアマンダさんの白い太股に、赤い筋が走る。


「アマンダっ!」


 叫んだアナベルさんに向かっても触手が振り下ろされ、


かわせ、アナベルっ!」


 膝をついたままのアマンダさんが叫ぶが、


「ゲフゥッ!」


 垂直から水平に方向を変え、横殴りに襲いかかった触手が、アナベルさんの腹部をなぎはらった。


「アナベルーっ!」


 ごろごろ転がって、倒れ伏すアナベルさんも、その手に剣をにぎったまま、動かなくなった。


「アナベルっ!」


 アマンダさんも、立てない。


「ひいいいい!」


 黒き腐れの獣はこれほどのものか!

 ヴァルサーの鍵も獣には効かず、あっというまに、手練れ三人が戦闘不能に。

 もはや、五体満足なのは、このへなちょこなあたしだけ。

 獣は、その縦に割れた目で、じっとあたしをみている。

 その目には、嘲りの色が。


 くそっ!


 でも、どうしたらいいの、これ。

 魔力も、もう残り少ないし。

 こんな少ない魔力では、ライラさまが教えてくれた最後の手段ローリングサンダーも、もう無理だし。

 今できること、今できることは。

 なにが残っている、あたしには?

 残りの魔力をカウントする。

 そして必死で考える。

 たとえだめかもしれなくても、なにもしないよりはまし。

 あきらめたらダメ――。


 そうだよね、みんな?!

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