誘い


「うん、ここが良さそうだ」


 アサシンの能力で、あたりを調べてまわったケイトリンさんが、最終的に決定したのは、四つある塔の遺構の一つだった。

 この塔は、いつか、その根元から折れて、倒れてしまったようだ。

 塔の中ほどから、折れた基部に向けての下半分は、もはや、完全に潰れて瓦礫の山になっていた。

 しかし、塔の上部は、いまだ原型をとどめたまま、横倒しになっている。

 本来は窓であったものが、内部への格好の入り口となっていた。

 あたしたちは、ケイトリンさんに続いて、中に入っていった。


「まるでホールみたいだな」


 窓から入ると、内部は、広々としていた。

 各階層の床は、塔が倒れたときの衝撃でほとんどが崩れて、塔の内部は、大きな洞窟のような、円筒状の吹き抜けとなっていたのだ。

 陽はすでに、傾きかけていたが、いくつかある窓から、かろうじて射しこむ日光が、光の筋となって、瓦礫の散らばる内部を照らしている。

 ここにも植物がその旺盛な生命力で侵入していた。

 しかし、すべてを覆い尽くすほどではなく、むきだしの石組みも残っている。

 そして、本来は危険と呪いが満ち満ちているはずの五芒星城塞なのだが、不思議なことに、この塔の内部には、嫌な雰囲気が感じられなかった。


「あたしの、アサシンとしての直感が、ここはとても安全といっているんだよな……」


 ケイトリンさんが言う。


「どうしてなのか……この塔だけ、よこしまなものが祓われているようなんだ」


 それで嫌な雰囲気がないのだろうか。

 ケイトリンさんが続ける。


「なにか、結界のようなものも感じるね。だから、魔物は、この内部には、かんたんには侵入できないだろう……」

「ふむ……ということは、だれかが、ここで魔を祓う技を使ったのか?」


 アマンダさんが尋ねる。


「わからない……」


 ケイトリンさんが首を振る。


「……もしそうだとしても、それはずいぶん前のことだとは思うが」

「ふうん……まあ、いずれにせよ、わたしたちにはありがたい話だ。よし、ここで野営の支度に取りかかろう」


 と、アマンダさん。


 場所を決め、じゃまな植物をきりはらい、床を平らにし、切り取った木の葉を敷いて寝床をつくる。

 かまどを設置して、火を起こす。

 万一にそなえて、建物の開口部に障害物を配置する、などなど。

 みな、こうしたことには手慣れているのだ。

 それぞれが、自分の仕事をわかっていて、何も言わずとも作業が進んでいく。

 あたしにできることはほとんどなく、みなさんがてきぱきと設営をこなしているのを、横でみているだけだ。


(うーん、一流の冒険者になるには、こういうことも、そつなくできるようにならないとな……)


 足手まといな自分を反省したのだった。


「おーい、アマンダ、ここを見てくれ」


 しばらくして、ケイトリンさんが、離れた場所から声をかける。

 なにか危険なものを見つけたのかと思ったが、そうでもないようだ。

 ケイトリンさんの声が楽しそうなのだ。


「なんだ、ケイトリン?」

「これだ」


 ケイトリンさんが指さしたのは、澄みきったきれいな水が、小さな泉のように溜まった一角だった。泉の形は、一辺だけが丸く曲がった、長方形をしていた。


「この形……もともとは、壁龕へきがんだったようだな」


 塔が直立していた時には、その部分は、壁をくりぬいてつくられた壁龕であり、おそらく武器などを収納するための隠し棚として機能していたのだろう。

 今、その壁龕は、塔が倒れたために、ちょうど、わたしたちにとっての床の部分に位置していた。

 そして、その中が、染み出てきたのか、流れこんできたのか、きれいな水でいっぱいに満たされていたのだ。

 水は透きとおっていて、濁り一つなかった。

 窓からの残光が、水面でキラキラゆれていた。


「どうだ、アマンダ、おあつらえ向きじゃないか。ちょうど、エミリアもいるし」

「そうだな……そうするか?」

「なんですか? どうするんですか?」


 あたしが戸惑っていると、


「うん、エミリア、お願いがあるんだけどさ」


 と、ケイトリンさんが、目を輝かせていった。

 そして、あたしは、すぐに、この『白銀の翼』の人たちの神経が普通じゃないことを、思い知らされたのだった。


「うーん、生き返るねえ、最高!」


 温かい、たっぷりのお湯につかって、気持ちよさそうなケイトリンさん。

 褐色の腕を頭のうしろで組み、胸をはる。

 かたちの良い胸のカーブが湯からのぞく。

 水面から湯気がたちのぼり、渦を巻いて、頭上の窓から出て行った。

 そう、これはお風呂である。

 あたしの火魔法で、壁龕に溜まった水を温めてお湯にし、あたしたちはのんびり湯浴みをしているのだった。

 あたしの横では、アマンダさんが、お湯に身体を沈め、その美しい肢体を、ゆったりとのばしていた。

 白銀の長い髪を頭上にまとめて、アマンダさんも、気持ちよさそうに目を閉じて、くつろいでいる。


「だ、大丈夫なんでしょうか、ここで、こんなことしてて」


 なにしろ、危険地帯の真っ只中で、はだかになってお湯につかっているのだ。

 無防備もはなはだしい気がするのだが……。

 湯につかりながらも、あたしがおどおどしながら言うと、


「ケイトリンが危険がないというのだから、心配はないよ」


 アマンダさんが、のんびりした声で答える。

 その度胸。

 そして、仲間の能力に対する信頼感。


「念のため、アナベルが見張っているし……アナベル、もう少ししたら代わるから」

「かまわない」


 近くの岩に腰をおろして、剣を膝の上にのせているアナベルさんが、うなずいて言った。


「ふあああああ……」


 お湯につかっているうちに、緊張がほぐれて、情けない声がもれた。

 ここまでの危険をくぐりぬけて疲れた身体と心には、たしかにお風呂はありがたい。

 アナベルさんが、静かに歌をうたいはじめた。


   翼は蒼穹を翔ける

   翼は大海原を。

   雪をいただく峻厳な山脈を。

   心のおもむくままに。

   なにものにもしばられぬ、その白銀の翼――。


 アナベルさんの、まるで楽器のような、繊細で澄んだ歌声が、塔の中にひびいた。

 あたしは、思わず聞き惚れた。

 そんなあたしに、アマンダさんが言う。


「エミリア……わたしたちは、いつもこんな感じなんだよ」

「なんだか……すてきですね……」


 あたしがそう答えると、


「うん、悪くはないだろう?」


 アマンダさんは、あたしの顔をじっとみて


「エミリアなら、オリザとも、きっとうまくやれると思う。もしエミリアさえ良かったら、今回のクエストが終わった後も、わたしたちと……」

「えっ?!」


 突然の、アマンダさんの言葉にあたしは驚いた。

 あたし、今、ひょっとして『白銀の翼』に勧誘されちゃってるの?


「あたし、ですか…?」


 こんなへなちょこだし。

 この人たちには遠くおよばないし。

 それは光栄な話だけれど。

 この人たちについて行けば、きっと、すごく修行になるだろうけれど。

 あたしには――。

 アーネストや、パルノフ、ヌーナンの顔が浮かんだ。

 あたしが戻ってくるのをまっている、あのへなちょこ仲間三人の。

 あたしが言葉につまり黙り込むと、


「いや、もちろん、今すぐに決めなくてもいい。でも、考えてみてほしいんだ」

「は、はい……」

「エミリアなら、いつでも大歓迎だよ。なあ、アナベル」


 ケイトリンさんが言い、アナベルさんも首を振るのだった。


「待たせたね、アナベル」


 そう言って、アマンダさんが立ち上がった。

 いつのまにか陽が落ちて、今、塔の中は、揺れるたき火の明かりだけになっている。

 アマンダさんの、均整のとれた裸身をお湯が流れ、たき火の明かりを反射してきらめいた。

 見とれてしまう美しさだ。


「あっ、あたしも……」


 あたしも、あわてて顔をお湯で流し、立ち上がろうとして、そして気づいた。


「あれっ、あんなところに」

「どうした、エミリア?」


 ケイトリンさんが言う。


「あそこ、見てください」


 あたしは指さす。

 明かりの届かない、その先、本来であれば塔の最上部であったあたりの壁で、なにかが、ぼうっと光っていた。


「なんだろう?」


 ケイトリンさんは、すばやくお湯から上がり、服を身につけると、調べに向かう。

 ケイトリンさんが、その場所に近づくにつれて、光が強くなるのが見てとれた。

 ケイトリンさんは、光っている部分の真下まで行って、するどい視線でじっと見上げている。


「ケイトリン。大丈夫か?」


 アマンダさんが声をかける。


「うん、危険ではない……なるほど、これは――」


 ケイトリンさんが、静かに答えた。


「以前、ここに来た者が残したメッセージのようだ……うん、最後に署名があるな……」


 そして、その名を読んだ。


「――グレアム・ハモンドここに記す、そう書いてある」


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