翼は石橋を越える

 五芒星城塞内部に入るための、唯一の通路である、半月堡のテラスからのびる石橋。

 城塞の攻防戦、そして城が陥落してからの長い歳月で、石橋は大きな損傷をうけていた。

 かろうじて崩落せずにはすんでいるものの、あちこちで床は崩れ落ち、大きな穴が開いている。

 ある部分に至っては、わずかに一列の石材のみが残り、まるで丸木橋のようなありさまになってしまっていた。


「さて、これが、あたしたちの体重を支えられるかどうか……」


 ケイトリンさんが斥候として、まず、橋を渡り始める。

 さすがアサシンだ。

 その足取りは軽く、危なげがない。

 ひょいひょいと、壊れかけた橋をわたっていく。


「どうだ、ケイトリン?」


 アマンダさんが、呼びかける。


「うん」


 ケイトリンさんは、わずか一列だけになってしまっている石材の上で立ち止まり、ふりかえった。

 とんとんとその場であしぶみをして、


「ひゃっ」


 あたしは思わず声をあげた。

 ケイトリンさんが、飛び上がり、くるっととんぼを切ったからだ。

 ケイトリンさんは、目を丸くするわたしに笑いかけると、


「アナベル、この橋は意外に堅牢だ。行けると思う」

「わかった。そのまま、進んでみてくれ」

「了解だ」


 ケイトリンさんは、その後も、すいすいと長い橋を渡りきった。

 向こう側から、手を振る。


「よし、わたしたちも行こう」


 アマンダさんが言い、無造作に歩き出す。

 そして、あたしに、ついてくるように手招きをした。


「は、はい」


 あたしもあわてて、アマンダさんの歩くとおりに、後についていこうとしたが、


「ううっ、これは……」


 さすがに、橋がもっとも狭くなっている場所の手前で、足がすくんでしまったのだ。

 中空に架けられた、人ひとり分の幅しかない石の道である。

 はるか下には、不気味に濁った沼が見える。

 沼には得体の知れないあぶくが沸き立っている。

 半月堡の石段では、まだ片側に壁があり、それが救いだったが、これは完全になんの支えもない状態だ。

 万一突風でも吹いて、身体が傾いたら、どうすることもできないまま、まちがいなく沼に転落だ。

 しかし、アマンダさんは、何の躊躇もなく、すたすたと、その一本道を歩いて行く。

 その度胸、平常心はすごいというほかない。

 でも、あたしには――。


 立ち尽くすあたしをみて、アマンダさんが戻ってきた。


「エミリア、わたしにおぶさって」


 そういって、背中を向ける。


「すみません……」

「気にする必要はない。わたしたちだって、エミリアに助けられたのだから」

「はい……」


 あたしは、アマンダさんにおぶさって、アマンダさんの首に回した手を、前でしっかり組んだ。

 アマンダさんの、柔らかでしなやかな筋肉が感じ取れた。

 そして、アマンダさんの白銀の髪からは、なにか甘い匂いがして、あたしはときめいてしまったのだ。

 そんなあたしにはかまわず、アマンダさんは


「いくぞ」

「うう……お願いします……」


 アマンダさんは、背負ったあたしの重さなどまるで感じないかのように、すくっと立ち上がる。

 そして、石材の上をすたすたと歩いて行く。

 あたしはじっと目を閉じていた。

 だって、こわいもん。

 と、突然の風が、横殴りにあたしたちに襲いかかった。


「ふゎあっ!」


 あたしは思わず身体を硬くして、しがみつく。

 だが、アマンダさんは揺るぎもしない。

 バランスの取り方が絶妙なのか、中心線がまったくぶれないのだ。


 (この人に任せていれば、心配ない)


 そんな安心感が湧いてきた。

 それで、あたしにも余裕ができたのか、おそるおそる目を開けてみた。

 ああ、絶景だ。

 目の前には五芒星城塞の威容。

 青い空。

 そこに浮かぶ、白い綿雲。

 こうしていると、まるで空中歩行をしているようだ。

 まあ、実際に歩いているのは、アマンダさんなんだけど。

 向こう岸では、ケイトリンさんが待っている。

 あたしはさらに調子に乗り、視線を下に向けた。

 目に映るのは、不気味な沼の――


(待って、あれは?!)


 あたしは見た。

 あたしたちの真下、濁った沼の水面にうつる、あたしたちの姿。

 そして、そのさらに下。浮かび上がるように、かすかに見えているのは。

 あたしたちをじっと見つめる一つの大きな目玉。


「下に、何かいる?!」

「危ないっ!」


 あたしの叫びと、ケイトリンさんの警告は同時だった。


  ガバッ!


 沼の奥から浮上したのは、魔獣ハーヴグーヴァ。

 クラーケンの亜種である、水棲の獰猛な魔物だ。


  ボシュッ! ボシュッ! ボシュッ!


 ハーヴグーヴァは、その八本の触手を使って、沼底の石塊を次々に打ち上げる。

 あたしたちを、沼にたたき落として、餌食にしようとしているのだ。


「問題ない」


 アマンダさんは、飛来する石塊を、軽々とよけながら、細い石列の上を疾走する。

 いけるか?

 だが、


  ズガン!


「むっ!」


 ハーヴグーヴァの投げた石塊が、橋に激突する。

 石材が一列しかない橋のその部分は、激突の衝撃には耐えられない。

 石がずれて、ぐらりと傾く。


  ズガン! ズガン! ズガン!


 ハーヴグーヴァは、倦むことなく石を投げ続ける。

 しつこいのだ。

 次々に打ち当たる石塊に、橋はぐらぐら揺れて――とうとう中央から分解した!


「うぁっ!」

「きゃっ!」


 あたしとアマンダさんは、足場を失い空中に放り出された。

 このままでは、口を開けて待ち構えるハーヴグーヴァへと、一直線に墜落だ。

 あたしは杖をななめに振り、


「風の精霊が、炎の精霊と出会い、回る木の葉は空へと昇る、風螺旋トルネード!」 


 とっさに魔法を詠唱。

 たちまち杖の先に発生した強力な風の渦。


「おっ?!」


 アマンダさんの声。

 これは、あたしたち「暁の刃」が、モウコジャコウソウを採取にいったとき、アーネストの身体を岩壁に持ち上げるのに使った風魔法だ。

 持ち上げるといっても、飛行魔法なんて立派なものでは全然なくて、ただ、風の勢いでふっとばすだけの一発魔法である。

 あたしはそれを、斜めに使った。

 あたしたちの身体は、ぐるぐる周りながら、発生した風の螺旋にふきとばされて飛んでいく。

 斜めに飛ばされるその先は、五芒星城塞の石垣。


「アマンダさん!」

「心得た!」


 アマンダさんは剣をふりかざし、


  ザグッ!


 石垣にあたしたちが激突する寸前、身体をひねって、両腕で剣を石垣に突き立てる。


「ううむっ!」


 アマンダさんの両腕の筋肉に力がこもる。

 アマンダさんはあたしを背負ったまま、剣一本で、石垣にとりついた。


  グゲーッ?!


 下では、当てが外れて、ハーヴグーヴァが怒りの声を上げた。


「アマンダ!」


 ケイトリンさんが、上からミスリルの鎖を放り、アマンダさんは左手でそれを、しっかりと受け止めた。

 ケイトリンさんが引くミスリルの鎖と、切れ味良く城壁に突き刺さる剣を使い、アマンダさんはするすると壁を登りだした。


「この剣はすごいね……。わたしの意志一つで、どこまで切り込むか、自由自在なんだ」


 アマンダさんは、剣を使いながらあたしに言う。


「抜くときも、そう思うだけですっと抜けてくる。ありえない神宝だ……」


 あたしを背負っているのに、息一つ切らさず、アマンダさんはケイトリンさんのところまで登り切った。


「はあああ……」


 アマンダさんの背中からおりて、あたしはその場に座り込む。


「アナベル! 来られるか?」


 アマンダさんが、まだ半月堡のテラスにいるアナベルさんに呼びかける。

 そうだ、向こうにはアナベルさんが――。

 取り残されてしまったとあたしは心配したが、


「行ける」


 アナベルさんは落ち着いた声で答えた。


「ケイトリーン!」


 一声叫ぶと、こちらに向かって駆けだした。

 石橋の石材が残っている部分まで疾走すると


「ダアッ!!」


 そこで大きく跳躍する。


「アナベル、受けとれ!」


 ケイトリンさんがミスリルの鎖を投げる。

 くるくると回転したアナベルさんは、空中で、ケイトリンさんの放った鎖の端を握ると、それをぐいっと引き、その反動でさらに勢いをつけて、崩れてしまった橋の切れ目を、鳥のように跳び越える。

 アナベルさんの銀髪が華麗になびき、宙を舞うその姿はまさに『白銀の翼』の名にふさわしい。

 そして、あたしたちのすぐ横に、アナベルさんは、ふわりと着地した。

 その後ろで、橋ががらがらと崩れ、さらに間隙が広がった。


 あたしたちはこうして、石橋を渡りきった。

 ここから先は、五芒星城塞。

 いよいよだ。

 橋は崩れちゃったけどね……。


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