エミリアがんばる

「これはまずいな……」


 と、ケイトリンさんがつぶやく。


「なんとか、脱出する方法を考えないと……」

「せっかく、ここまで来たのに……」


 あたしたちは、危険な状況においこまれていた。

 あたしたちの前には、巨大な魔物が立ちはだかっている。

 ひれのある、黒い鯨のような長大な胴体から延びた、九本の長い頸。

 頸の先には、それぞれ、禿頭の人間の顔がついている。

 その顔が、血走った目であたしたちをにらみつけながら、毒のある唾を吐きかけてくる。

 魔獣ヒュドラーである。


「「だああああっ!」」


 アマンダさんとアナベルさんが、剣を振るう。

 アンバランサーに調整され、異常な切れ味となった刃は、狙い通りヒュドラーの首を、すぱりと切り落とす。


 ギィヤッ!


 叫び声をあげて転がりおちるヒュドラーの首は、アマンダの刃で三つ、アナベルの刃でもう三つ。

 だが――


 ギアアアアアアッ!!


 ヒュドラーが胴体を反り返らせ、残りの首が大きく叫び声をあげると、まるで果実が実るかのように、首の切り口が膨れ上がり、そこにはたちまち新しい首が再生する。

 再生したそれぞれの首が、つぶっていた目をパチリとひらき、あたしたちをにらむと、


  ジュッ! ジュッ! ジュッ!


 ふたたび、牙の生えた口から、毒の唾をとばすのだ。

 底知れぬ再生力!

 これがヒュドラーのもっとも恐ろしいところだ。

 二人に切り落とされ地に落ちた首も、長い舌で地面をズルズルはっていって、いつの間にか本体に吸収されている。


「くそっ、これではきりがない!」


 アナベルさんが吐き捨てるように言う。

 いくら胴体を切りつけても、切ったそばから傷口が再生してしまう。

 アナベルさんも、アマンダさんも汗だくで、もはや疲労の色が濃い。

 あたしたちが今いるのは、五芒星城塞ペンタゴーノン近くの森の中だ。

 本来、五芒星城塞にむかうには、この危険な森は迂回していくのだが、それだとかなりの時間がかかる。

 クエストの期限に余裕がないなかで、なるべく五芒星城塞での探索に時間をふりわけたいため、あたしたちは相談の上、あえて森をつっきる経路を選んだのだった。

 最初は順調だった。

 魔獣の巣となっているルートである。

 当然のことながら、次々に襲いかかってくる魔物たち。

 しかし、アンバランサーが手を加えた、アマンダさんとアナベルさんの剣の切れ味は凄まじく、どのような硬い魔物も真っ二つに切り裂く。

 魔物が木立や岩の後ろに隠れても、障害物ごと一刀両断。

 物理的な存在で、この剣に切れないものはないといってよいだろう。

 まさに、これは神話級の宝剣だ。

 そして、ケイトリンさんの暗器も、アンバランサーの調整で、おかしなことになっていた。

 ケイトリンさんに投擲された暗器は、その鋭い先端で、これまたどんなものでも貫く。岩をも貫いて、その向こうの敵に突き刺さる。

 その上、どういう仕組みになっているのか、敵を仕留めたあと動きを逆転させて、ケイトリンさんの手元に、すっと戻ってくるのだ。

 ありえない。

 もともと手練れの三人が、この尋常でない武器を使うのだから、その猛威に抵抗できる魔物などそうそうあるものではなく、あたしたちは余裕で森の中を前進していった。

 この分なら、簡単に森を抜けられそうだ、そう思ったときに出現したのがヒュドラーだった。


 魔獣の集団を屠ってひと息ついたあたしたちの前に、木陰からのぞく、いくつもの不気味な顔。

 血走った目をして、あたしたちを見つめるその顔は、人間の貌をしているが、そこに表れている思考や感情は、明らかにヒトのものではない異質さをみせていた。

 その顔が、にやりと笑い、


  ジュッ! ジュッ!


 九つの顔が、いっせいに毒の唾を吐く。

 唾のかかった木の幹が、煙を立てて、ぐずぐずと腐る。


  ギアアアアアアッ!!


 叫び声を上げ、ひれ脚をばたつかせながら、木立をおしたおし、黒光りする長大な本体が現れる。 


「っ! こいつ、ヒュドラーか?!」


 アマンダさんが叫ぶ。


「危険だ。いったん、下がろう」

「だめだ、アマンダ、いつのまにか、胴体に囲まれてるぞ!」


 ケイトリンさんも叫ぶ。

 ヒュドラーは、あたしたちが魔物の群れとの戦闘に気をとられている隙に、その長い長い胴体でゆっくりと動き、あたしたちを囲いこんで、逃げ道をふさいでから、襲いかかってきたのだった。

 狡猾な魔獣である。


「いくら斬っても、致命傷を負わせることができないんだ」

「まいったな……」

「このままでは押し切られるぞ」

「なにか、倒す方法はないのですか?」


 あたしが聞くと、


「体内にある魔力の核を、一気に破壊することができれば、あるいは……」


 とケイトリンさん。


「ヒュドラーの身体の内部に、攻撃を、ですか」

「うん、それもかなり強烈なやつでないとだめだ。あたしの暗器をうちこんだくらいでは……」


 こうしている間にも、アマンダさんとアナベルさんは、次々と繰り出されるヒュドラーの攻撃を、絶え間なく防いでいる。

 牙を剝きだして飛びついてくる顔を切り落とすが、切るそばから次の首が生まれてくる。


(なにか、ないか……なにか手は……)


 こんなとき、雷の女帝のしもべあの人たちだったら、どうする。

 ライラさまだったらどうする?


 あたしは必死で考えた。


(そうだ!)


「エミリア……すまない。こうなったら、わたしたちが囮となるから、その間にあなたは」


 言いかけるアマンダさんに、あたしは


「ひとつ、思いついたことがあるんですけど」


 と提案する。


「だけど、わたしには一回だけしかできません、これは一発勝負です」

「ほう?」


 ケイトリンさんが聞く。


「どんな作戦だ? 言ってみてくれ、エミリア」


 わたしは、考えついた案を説明した。


 そして――


「よし、いくぞ! いいね、エミリア」

「はい、用意はできています!」


 アマンダさんとアナベルさんがとびかかり、


「「でやああああああ!」」


 一気に、ヒュドラーの首をすべて切り落とす。


 ゲアアアアア!


 身体を反り返らせ、伸び上がるヒュドラー。


「今だ!」


 ケイトリンさんが、暗器を放つ!

 一直線に飛んだ暗器は、


  ズブッ


 ヒュドラーの黒い胴体に突き刺さり、硬く厚い皮膚を抜けて、その体内に潜りこんだ。

 そして、この暗器には、細いが頑丈なミスリルの鎖が結びつけてあるのだ。

 ケイトリンさんが、鎖の端を近くの木の幹に、すばやく巻きつける。


「エミリアっ! やれっ!」

「はいっ!」


 あたしは、さきほどから詠唱を続けて準備していた、渾身の雷魔法、


「火と水と風の精霊が渦をなし天降りきたる、激甚の災厄、雷の咆哮ローリングサンダー!」


 そのすべてを、ミスリルの鎖に叩きこむ!


  バリバリバリバリバリ!!!!


 紫色の稲光が、大気を電離しながらミスリルの鎖を疾駆し、ヒュドラーの体内に潜りこんだ暗器に到達して、そこで爆発的に広がった。

 ヒュドラーの硬い外皮が、体内で荒れ狂う雷魔法の内圧により、ぶわっと膨れ上がる。

 広がった鱗の隙間から光がこぼれ、


  ドズウウウウンン!!


 次の瞬間、腐った果実がはじけるように、ヒュドラーのすべてが爆散した!


「や、やったあ!」


 はい、残りの魔力ゼロ。

 たった一発で、あたしの全魔力を根こそぎ消費する、乾坤一擲の雷魔法です。


「ふぁああ……」


 目の前が暗くなる。

 魔力を使い尽くしたあたしは失神し、ばったりと倒れたのだった。


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