竈(かまど)の奥

 扉をあけたとたんに、ぶわっと噴き出してきた黒い霧。

 パルノフとヌーナンのすばやい動きで、ばあさんはなんとか巻き込まれずにすんだが、おれはあっという間に、そのおどろおどろしい黒い霧に包まれてしまったのだ。

 おれを包んだ黒い霧は、すごい力でおれの身体を建物の中へとひっぱっていく。


「うわっ、うわっ、うわっ!」


 抵抗もできず、おれはたちまち中にひきずりこまれ、後ろでは扉がバタンとしまった。

 建物の中は暗く、ほとんど何も見えない。


「おい、アーネスト!」

「だいじょうぶかぁ、アーネスト!」


 扉を叩いて叫ぶ、パルノフとヌーナンの声が、小さく聞こえる。


「たっ、たすけてくれー!」


 おれは中から扉を押しながら、大声で呼びかけたが、その声は、二人にはきこえていないようだ。

 扉もまったく動かない。


「……だめだ、開かないぞ……」

「アーネスト、無事なら返事しろー!」


 二人は、心配そうに叫んでいる。


「ま、またかよ……」


 おれは、うめいた。

 なんでおればかりこうなる。

 へんな黒い霧に捕まるのは、これで何回目だよ。

 そもそもは、あの『白銀の翼』がもってきた、「サバジオスの手」とかいう、おっかない呪いの魔法具がはじまりだった。

 あの呪いの雲がおれを包んで――


「って、待てよ?!」


 ようやくおれは思い至った。

 あれとおんなじってことは……。

 つまり、これも、なにかの呪いってことじゃないのか?


「ひぇえええ!」


 なんてこった……。

 思えば、ばあさんの調子がひどく悪かったのもこのせいだな。

 たぶん、下見か準備かでやってきたときに、この建物にかかっていた呪いの毒気にやられて、あんなふうになっちゃったんだ……。

 なるほど、そういうことか!

 権利金が格安だったのも、それでうなずける。

 前の店主が誰かの恨みを買って、それで呪いを仕込まれたんだろうな……。

 それで、呪いにやられて、とうとう店を売る羽目になり……。

 ばあさんは何も知らず、呪われ物件を買ってしまったわけだな。

 うむ、スッキリ謎が解けたぞ!

 さすが明晰なおれの頭脳だ。天才というほかない。


「いやいや、そこで納得してる場合じゃない。どうすんだよこれ!」


 解呪の魔法が使えるエミリアは、ここにはいない。

 今は、自力でやるしかないんだ。

 とにかく、まずなんとかして、この建物から脱出しなくては!

 あたりを見回す。

 目が慣れてきたのか、おぼろげにだが、まわりの様子が見えてきた。


 そう広い建物ではない。

 前の店も、食べ物屋だったのだろう、処分されないままのテーブルや丸椅子が、部屋の隅に、らんざつに集められていた。

 配膳台のような一角もある。

 そして、部屋のいちばん奥には、かまどらしきものが二つ並んでいた。

 あれで煮炊きをしたようだ。

 だが……

 なんだかそのかまどから、いやーな感じが漂ってくる。

 まずいぞ、あれはなんだかヤバい。

 なんだかわからないが、あのかまどには近づかない方がいい。

 おれの直感がそう告げていた。

 そのとき、かすかな光が、どこかから差し込んでいるのに気がつく。

 あれは――そうだ、窓だ!

 よし、あそこだ。

 窓から脱出だ。

 おれは、窓にかけより、かんぬきの場所をさぐった。

 あった、これだ。

 かんぬきを外すべく、ガチャガチャうごかしたが、


  ゾワリ


 急に、背中に悪寒がはしった。


「な、なんだ?」


 おそるおそるふりかえる。


「うわあっ!」


 おれは悲鳴を上げた。

 やっぱり、あのかまどはまずいヤツだった。

 かまどの下の、焚き口から、モゾモゾ這い出てくるものがある。

 四つん這いで、はいでてくる、赤ん坊のような――。

 あれはまずい、まずいって。


「ひいっ」


 おれは必死で窓を動かすが、ガタガタいうだけで開こうとしない。

 焦って、ふりかえる。

 焚き口から這い出てきた、そのなにかは、かまどの前に、立ち上がっていた。

 全体は人の形をしているが、ずいぶん寸詰まりだ。

 ザマ葱のような、とがった頭が妙に大きい。

 三角形の目、大きな鼻と、横長の口。

 胴体は寸胴で。一面におかしな文様が書かれている。

 細い手足は、何かの茎を束ねて、何箇所かを縛って作られたようだ。

 そいつが、今は二本足で立ち、ユラユラ揺れている。

 ああ、間違いない、こいつが呪いの本体だ!


  シャアアアッ!


 人形が、獲物を狙う魔獣のように、いきなり床を走り、おれに飛びかかる!


「グゥッ!」


 とんがった人形の頭が、おれの胸に、どすんとぶつかった。


「やっ、やられたあー!」


 ああ、栄光の冒険者アーネストもこれまでか……。

 おれは覚悟した。

 だが――はね飛ばされて、床をゴロゴロころがったのは、おれにぶつかってきた人形の方だった。

 部屋の隅までころがっていき、そこでまたむくりと起き上がる。

 おれはといえば、


「あ、あれ?」


 おもわず声が出た。

 やられたと思ったんだが……?

 たしかに人形はおれに突撃し、そのとんがり頭もおれにぶつかったんだが、それでおれが致命傷を負ったかというと、それほどでもなかったのだ。

 せいぜいが子猫がぶつかったくらいの衝撃で、ぶつかったあたりをさわってみたが、とくに傷があるわけでもなく、痛みも無かった。


 ギョェェエ!!


 一声、怒りの叫びをあげて、また、人形が頭から飛びかかってくる。

 こんどは、おれの腹にぶつかったが、また、ぼんと跳ね返る。

 ふっとんで、壁にぶつかって落ちた。

 そこで、また起き上がる。


  ギョェッ?!


 三角の目が、怒りと当惑に燃えている。

 どうも、納得がいかないようだ。

 いや、そんなに怒っても、おれにも何がどうなっているのかよくわからないよ!

 そのあとも、人形はしつこく何度もとびかかってくるのだが、そのたびにはねかえされている。

 おれは、ノーダメージだ。

 ううむ。

 てことは、つまり?


「ひょっとして……こいつ、あんなおどろおどろしい格好なのに…実はショボいのか?」


 もしくはおれの実力が、あまりに凄いか、だ。

 まあ、その可能性はないではないな、確かに。

 いずれにしても、呪いの人形、恐るるに足らず!


「よおーし、そうとわかれば、このアーネストさまが退治してやる!」


 いきなり元気が湧いてきて、おれは腰の剣に手をやった。

 見てろ、一刀のもとに斬り捨ててやるぞ!

 だが――まさぐっても、腰に剣はなかった!


「ああ、そうだった。重いから、途中で外して、荷車に積んできたんだった、ハハハ、だめじゃんオレ」


 などと言っているうちに、


  ギョェエエエエエ!


 飛びかかってきた人形が、作戦を変えたようで、その細い手足でおれにがっしりしがみつき、そして、とんがった頭をおれのみぞおちにグリグリと押し当ててくる。


「こんどは何やってるんだ、こいつ? おれに懐いてんのか?」


 だが、そのとんがり頭がおれの服と触れているあたりで、何やらじわじわと服の布地が崩れ始めるのを見て、ようやく、おれは、この呪いの人形の意図を悟った。


「げっ、こいつ、おれの身体の中に潜り込もうとしているんだ!」


 これはまずい!

 こんなのに身体に入られたら最後、骨の髄まで呪われちまう。

 おれはあわてて、両手でその人形の胴体を掴んだ。


「ヒィイイイ、何だよこれは!」


 ねっとりとした、いやあな感触だ。

 胴体に書かれた怪しげな文様が、掴んだおれの手の中でもぞりもぞりと動くようだ。気持ち悪いったらない。


「くそっ、こいつ、くそぅ、離れろ!」


 力を入れると、


  ベリリ


 そいつは、気持ちの悪い糸をひきながら、あっさりおれから引き剥がされる。

 よおし、こいつを一刻も早く捨てなくちゃ。

 おれは両手を突き出し、そいつを体から離したまま、向きを変えて、扉に近づき、渾身の力で扉を蹴った。


「「うわあっ?!」」


 向こう側で、パルノフとヌーナンの叫び声がして、扉がばあんと開く。


「開いたっ!」


 おれが扉を蹴っ飛ばした時、パルノフとヌーナンは、まさに、反対側で扉を開けようと取っ手を引っ張っていたのだろう。三人の力がうまく噛み合ったようだ。

 しかし二人は、いきなり開いた扉に弾き飛ばされて、道路に尻餅をついている。


「ア、アーネスト、無事か?」

「おい、お前、その掴んでいるもの、いったい何だよ?!」


 二人が尻餅をついたまま聞いてくる。


「呪いの人形だよ!」


 おれは叫んだ。


「「ひぇええ、お前、とんでもないものを掴んでるなあ」」

「好きで持ってるんじゃないんだよ!」


 おれだって、こんな不気味な代物をこれ以上さわっていたくない。

 ぽいっと通りに放り投げる。

 人形は、べたっと地面に落ちる。

 だが、そこでまた、むくりと体を起こしてくる。


「くそっ、まだかよ」


 おれは身構えたが、偶然にも、そのとき通りを疾走してきた馬車馬が、前足の蹄鉄で人形を思いっきり踏んづけた。


  グェッ!


 踏み潰されて、カエルのような声を出したその人形を、今度は馬の後ろ足の蹄が蹴っ飛ばす。


  ギャッ!


 人形は飛ばされて、ポチャン、大通りのドブに落ちた。

 汚水にぷかっと浮かんだところに、その横の店からバケツをかかえた、恰幅のいいエプロンのおばちゃんが現れ、何も気づかなないまま、ざばっとバケツから水をドブに捨てた。

 呪いの人形は、もろにその水をかぶり、クルクル回りながら、汚水の中を流されていく。

 あっという間に、流れ去り、見えなくなった。

 見たか! われら、『暁の刃』の圧倒的な勝利である!



 呪いの人形が排除されて、ばあさんの店からは霧が晴れた。

 ばあさん自身も、嘘のように調子が良くなり、おれたちにあれこれ指図しながら、元気に荷物を運びこんだ。


「あんたたち、ありがとうね! 開店したら、絶対にきておくれよ! 腕によりをかけて、待ってるよ!」


 晴れやかな顔でいうのだった。

 ばあさんの店の、前途は明るそうだ。


「「「やったぜ、『暁の刃』おう、おう、おう!」」」


 おれたちは勝鬨をあげて、意気揚々と、報告のためにギルドに向かったのだ。


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