第28話

「夢」か…。

そうか、もしかするとあの「記憶」は…。


サッと視界が開けたような気分になっていたものの、そこでふと、前に「自分が知らないはずの記憶」が蘇ったことを思い出した。

あれはもしかしたら「夢」の方の俺の記憶だったのではないか。


俺達は今、本体のある「夢」の方で何らかの異常が発生し、これにより「現実」での記憶の書き換えが上手くされていないと考えている。

もちろん全員が必ずそうなるわけではないことは、校内でまったくと言っていいほど騒ぎになっていないことが証明しているのだが、少なくとも気づいている者は全員「本体」が所属しているグループに異常が発生していることが分かっている。

しかしそれでも記憶の大半はまだ戻っておらず、だからああいう形で部分的に思い出したのではないか。

実際俺達が今持っているのは「現実」の記憶ばかりで、「夢」側のものはない。


だがそれも、その管理者に聞けば分かるはずだ…!


突如見えてきた希望に、思わず身を乗り出す。


「ただ、問題はそれが誰なのかがまったく分からないことと、仮に分かったところで話を聞くことができるのかということなんだよな…」


けれど続けて一樹がため息交じりにそう言うの聞いて、たちまちガクリと肩が落ちた。

言われてみれば、まったくもってその通りである。

仮に学校の関係者のみを探すとしても、それだけでも何ヶ月かかるか分からないというのに、まして日本全国、場合によっては世界となれば、何の手がかりもない状態では恐らく生涯をかけても難しいだろう。


「あーねー…。そもそもこの『現実』の方にいるのかさえ分からないし、もしこっち側にいても管理者ってくらいだから偉い人っぽいし、なら普通に考えて会うとか無理みだよね~…」

「うぅ…、なんだか振り出しに戻ってしまった気分です…」


栗山もまたお手上げだと言うように机に突っ伏し、静音も同じく頭を抱える。

まさか片っ端から聞いて回るわけにもいかないし、身内といかないまでも、せめて知り合いに誰か手がかりになりそうな人がいれば大分違ってくるのだが。


家に帰って母さん達に聞いてみるか…?


別に俺の母はごく普通の主婦だし、父もやはりごく普通のサラリーマン。

姉もただの大学生であり、間違っても「管理者」と関係がありそうな人達ではないのだが、特に母と姉は何かとすごい人達だけに、どうしてももしかしたらと期待してしまうのである。

もちろん俺だっていきなり答えにたどり着けるとは思っていないが、何かヒントだけでも得られれば儲けものだろう。


と、俺は俺で考えを巡らせていたものの、


「……」


一方で、美弥子先輩は何やらとても真剣な表情で考え込んでいた。


「美弥子先輩?」


いつになく鋭い表情に思わず声をかければ、小さくハッとしたように顔を上げる。


「…もしかしたら、会えるかもしれません」

「え!?」


そしてとんでもない言葉が飛び出してきた。


「ど、どういうことです?」


理解が追いつかずに目を瞬く中、思いもよらない言葉だったのは一樹達も同じだったようで、視界の端でやはり驚いた表情を浮かべているのが見える。

そんな俺達を見て、美弥子先輩がクスリと小さく笑った。


「お忘れですか?私の母、君枝はここの高校の理事長ですが、都知事として東京の治政にも携わっているのですよ」

「あ!」


それを聞くなり、今度は俺達の方がハッとする。そういえば確かにそうだった。

少し前に教えてもらったことなのだが、戸叶君枝都知事と言えばメディアにもよく出てくる雲の上の存在なのである。

それだけに咄嗟には思い至らなかった。


「もちろん『管理者』とはまったく関係ないという可能性もありますが、もしかしたらそれに連なる人のことを知っているかもしれませんし、少なくとも話を聞いてみる価値はあるはずです」


先輩の言葉に全員で頷く。

確かにこれ以上可能性の高そうな人はいないだろう。


「さっそく今晩にでも話をしてみます。本当なら今すぐにでもお話ししたいところなのですが、お母様は普段もほとんど家に帰ってこないくらい忙しい人でして…」


ひとまず方針が決まってホッとした空気が広がる中、美弥子先輩が申し訳なさそうな顔になって一樹の方を向いた。


「いえいえ、とんでもない。むしろ先輩がいなければ詰みかかっていましたよ」


そんな美弥子先輩に一樹が笑いながら手を振り返す。


まあ、そうだよな…。


知事がどんな仕事をしているのか学生の俺には想像もつかないが、それでも忙しそうだということくらいは分かる。

きっと分刻みでスケジュールが組まれているような別次元の忙しさなのだろう。

ただそうして感心していたものの、不意に小さな不安が頭をもたげた。


そんなに忙しい人が、いくら娘の頼みだとはいえ、高校生と話すために時間を取ってくれるのだろうか…?


ましてこれから話そうとしているのは、荒唐無稽とも言える内容だ。

俺達には件の「夢」という、非常に生々しく説得力のある共通点があったからすんなり受け入れられたが、もし先方が夢のことを覚えていない、あるいは見ていない状態だったら、おそらくまともに取り合ってすらもらえないに違いない。


「ですが状況が状況ですし、今日中には必ず話をして何かしらの進展を得てみせます。なので大船に乗ったつもりで待っていて下さいね」


と、すかさず俺の不安を察してくれた美弥子先輩がにこりと殊更明るく微笑んで、可愛らしく自分の胸を叩いた。

先ほどから先輩が頼もし過ぎて、うっかり惚れてしまいそうである。

…大見得を切った身としては、情けない限りではあるのだが。


「てか、確か美弥子先輩のお父さんも、あの戸叶重工の会長でしょ?んで文武両道の上にこの容姿でしかも頼もしいとか、今更ながらにスペ高すぎて震えるわ~…」

「本当になぁ…」

「そ、そうですね…」


でも栗山達から思い思いの表情を向けられるなり、困ったように笑った。


「まあ、すごいのはお母様達であって、私ではありませんから…」

「…これを本気で思ってそうなところが、またヤバみが深いよね」

「うぅ…、そんな場合じゃないのに、ちょっと複雑な心境です…」


その反応に、栗山と静音の二人が何故か俺の方へとジトッとした目を向けてくる。

そして思わずビクリと怯む俺を見て案の定イケメン野郎がまた吹き出したので、二人の視線から逃げるようにして睨みつけておいた。


以後は時間いっぱいまで、話の切り出し方について全員で意見を出し合った。

先ほど不安に思ったように、もし戸叶都知事に信じてもらえないとなると途端に厳しくなってしまう。

だから話し合いにもかなり熱が入ったし、終わってからも祈るような気持ちで先輩からの連絡を待ち続けた。


するとそんな俺達の願いが通じたのか、なんと翌日、さっそく話を聞かせてもらえることになった。

美弥子先輩も詳細は教えてもらえなかったみたいだが、予想通り管理者と何か関係があったらしい。

約束の時間は学校が終わったあとの夕方で、場所は美弥子先輩の自宅。

三十分というごく短い時間だが、それでも向こうの忙しさを考えれば大分無理をしてくれたに違いない。


そんなわけでどうにも落ち着かない気持ちで翌日を迎え、やはり授業にもまったく集中できず、しかしなんだかんだと時間は過ぎていき、あっという間に放課後となった。

ホームルームが終わるなり、足早になっているのを自覚しつつまずは集合場所である生徒会室へと向かう。

これはバラバラに向かっても迷惑だからということもあるが、一番の理由は全員で一致団結して挑もうという意気込みである。

もちろんこれから俺達は話し合いにいくのであって戦いに赴くわけではないのだが、まあ気持ちの問題だ。

なにせ一樹の命と、俺達の未来がかかっているのだ。

気合いだって入ろうというものだろう。


だが運命という奴は何と残酷で意地が悪いのか。

約束の時間を過ぎても、一樹が姿を表すことはなかった。


「そっちはどうだった!?」

「だ、ダメ、やっぱり誰も『覚えてない』…!」


二年の廊下に、俺と栗山の悲鳴のような声が響き渡る。

それを何事かと周囲の生徒達が目を丸くしながら見ていたが、そのことを気にしている余裕は俺達にはなかった。


「こっちもです!…生徒名簿から名前が消えています」

「そ、そんな…!?」


学校のサーバーにアクセスしていた先輩が、痛みを堪えるような表情でスマホから顔を上げ、隣で静音も絶望の声を上げる。


そんな、噓だろう…!?


あのあと、まず連絡をしようとスマホを取り出したところで凍りついた。

登録が消えていたのだ。

まるで最初からなかったというかのように。

それがどういうことなのか、今の俺達には否応なく理解できてしまう。


何故だ…!?どうして今なんだ!?


これから話し合いに行くところなのに、もしかしたら何とかなったかもしれないのに、俺達の希望を嘲笑うかのようなタイミングで一樹が「消失」してしまったのだ。


「…こうなった以上は仕方がありません。私達だけでお母様の元に向かいましょう」


すると、自分を落ち着かせるように目を瞑っていた美弥子先輩が長く息を吐き、顔を上げてそう言った。


「ちょっと、そんな言い方ってないんじゃない!?もうあいつに関わる時間は無駄だって言うの!?」


即座にキッと栗山が鋭い眼差しを向ける。

それに対し、先輩が真剣な表情のまま小さく首を横に振る。


「いえ、どうか誤解しないで欲しいのですが、これが渡良瀬君のためにできる最善です。一刻も早く状況を理解し、『管理者』に掛け合う。そうすれば、もしかしたらまだ間に合うかもしれません」

「!」

「!そ、そうかっ、確かに…!」


美弥子先輩の言葉に、頬を張られたような気持ちになった。

諦めたら終わりだと言ったのは他ならない自分だというのに、一体俺は何をやっているのか。


何を勝手に諦めているんだ、この愚か者が…!


バシンと自分の両の頬を叩く。

確かに昨日みんなで話し合った通り、状況を考えれば事態は深刻だろう。

だが自分の目で確かめるまで諦めるつもりはない。


「ご、ごめん…、アタシ…」

「いいんですよ。私だって極力冷静でいようと努めていますが、気持ちは同じですから」


同じく目を見開いていた栗山が狼狽えながら謝ると、先輩が少し表情を緩めて頷き返す。


「急ごう!」

「はい…!」


そして逸る気持ちに突き動かされるがまま、みんなで美弥子先輩の自宅へと駆け出した。


「初めまして、皆さん。美弥子の母…いえ、東京都知事の戸叶君枝です」


部屋に入ってきた戸叶都知事が、そう言って綺麗な仕草でお辞儀をする。

約束していた時間ぴったりである。

それを見て慌てて俺達もお辞儀を返す。


都知事には何というか、オーラのようなものがあった。

容姿はネットやテレビでもよく目にしていたし、もちろん実際その通りの姿をしている。

だがこうして直に会ってみると明らかに常人とは違う雰囲気を纏っており、なにやら圧倒されてしまう。


「さて、時間もあまりありませんので、前置きはなしでお話ししましょう」


ともあれ簡単な自己紹介を終えたあとは、さっそく本題に入ってくれた。

こちらとしても時間的な猶予はないのでありがたい。


「まず、昨日美弥子から聞いた話ですが、概ねはその通りです。我々の本体は今もコールドスリープ状態にあり、そこからこの『仮想世界』に意識を移してコミュニティーを築いています。つまりこの『現実』は仮初めのものであり、『夢』の方が現実だという貴方達の考察は、まさに的を射たものだと言えるでしょう」

「!」


ただ、そう切り出した話は本当に核心を突いており、何の建前もない内容に全員で思わず息をのんだ。


「正直驚きましたよ。確かに近頃、システムの異常により記憶矯正が正しく行われない事例について報告は受けていましたが、それでも大半の記憶はこちら側には持ち込めない状態であるというのに、ここまで正確に考察できる者がいるとは思いませんでした。…本来でしたら本校の理事長として、皆さんのように優秀な生徒がいることを喜ばしく思うところなのですが、皮肉なものですね」


話しながら、どこか自分を責めるように苦笑いを浮かべる。

しかしそれを気にする余裕は今の俺達にはなかった。

何故なら今、戸叶都知事は「報告を受けた」と言ったのだ。


ということは、まさか…。

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