第22話
なんなんだ、これは…。
何かおかしい…。
何かも何もおかしいことしかないのだが、俺が現在感じている恐怖にも似た不安は、ただ猟奇的で理解しがたい現象を見たから、というだけではすでに説明ができないほど大きく膨らんでいた。
人や物が消えることよりもさらに根源的な異常。
これはその先触れなのではないか。
何故こんなことを思うのか自分でもまったく分からないものの、現に今、まるで俺の知っている世界が壊れていく音を聞いているかのような、言いようのない不安が胸中に渦巻いているのを感じる。
俺達は何か、決定的なものを見落としているんじゃないか…?
だがそれが何かは、さっぱりと分からないのだ。
「……」
周りが騒然となる中で、さっきまでの盛り上がりが噓だったかのように、俺達を取り巻く空気はすっかりと静まり返っていた。
この言いようのない不安を感じているのはみんなも同じなのかもしれない。
「…にわかには理解しがたい状況ではありますが」
そんな中、美弥子先輩が気を取り直すようにして口を開いた。
俺も含めて一斉に視線を向ければ、先輩自身も表情こそ強ばってはいるものの、それでも安心させるように俺達を見渡して頷きを返してくれる。
「とはいえ状況はまだまだ不透明ですから、今は無用に不安を感じる必要はないでしょう。もっとも、アメリカにご家族やご友人がいらっしゃるというのでしたら、さぞやご不安かと思いますが…」
そのまま今度はちらりと俺達の顔を窺うも、全員が首を横に振ると、ホッとしたように小さく微笑んだ。
「…どうにも、買い物を続けるような雰囲気ではなくなってしまいましたね。残念ですが、今日はこの辺りでお開きにしましょうか」
「だね…」
「……」
そうして先輩の言葉を皮切りに、俺達は帰路につくことにした。
しかし案の定と言うべきか帰り道でも会話はなく、駅に着いても「また明日」と短い言葉を交わしただけで銘々の電車へと別れていく。
さもありなん。
美弥子先輩は先ほど、今は不安を感じるべきではないと言っていたし、俺自身もまったくその通りだと思うのだが、気持ちというのはそう簡単に割り切れるものではないのだ。
もしかしたら美弥子先輩も、自分に言い聞かせるためにああ言ったのかもしれない。
結局家に帰ったあとも食事もそこそこに部屋に籠もり、調べられる限り調べてみた。
だが予想していた通り得られたのは同じような動画と、憶測の域を出ない不確かな考察ばかり。
この前の謎の記憶の件と同じく、答えらしき片鱗すら見つからず、不安は一層強まるばかりであった。
ただ答えは出なかったが、どうやら俺の予感の方は捨てたものではなかったらしい。
というのもこの事件ですら、ただの始まりに過ぎなかったのだ。
……。
…………。
コォォォー…。
ふと気が付くと、俺はまたあの夢の中にいた。
コォォォー…。
相変わらず聞こえてくるのは呼吸音ばかりであり、夢なのに連続しているのか前回と同様チカチカと赤い光が見えるも、アラーム音は聞こえてこない。
もはや見慣れた夢。
ただ前回とは違い、無機質なアナウンスの声は聞こえてこなかった。
…いや、これは、本当に…「夢」なの、か…?
ただそこでふと疑問が浮かんでくる。
相変わらず身体はピクリとも動かせず、瞼もごくわずかにしか開けないが、今回は前回よりもさらに思考が明晰になっている。
だからなのかずいぶんと感覚が現実的というか、五感で感じているあらゆるものに質量を感じた。
それに、寒…い…?
夢でも寒さを感じるものなのだろうか。
次々と疑問が出てくる。
だがそこでまた強烈な眠気が襲ってきて俺の意識は滲んでいき、やがて落ちていった。
……。
…………。
「…也、恭也!ええい、起きろ恭也ぁぁーー!!」
ふと声が聞こえた。しかし言葉の意味を認識するよりも早く、
「ぐぼぁ!?」
続けてズゥン!とヘビー級ボクサーのストマックブローをもらったかのような衝撃が腹に落ちてきて(いや、もちろん実際にくらったことはないが)、即座に意識が覚醒する。
「な、なななな何事だっ!?」
慌てて目を開くと、そこには見慣れた天井があった。
そのまま視線を横へとずらせば、やはり見慣れた部屋が映る。
改めて確認するまでもない、俺の部屋だ。
そして俺が今いるのも、もちろん自分のベッドの上である。
そのことに思わずホッと息をつく。
…いや、俺は今、何故ホッとしたんだ?
昨日ベッドで寝たのだから、今朝もベッドで目を覚ますのは当然であり、妙な感覚に首を傾げてしまう。
「はー、ようやく起きたわね~」
と、不意に俺の上から声が降ってきた。
目を向ければ、何故か姉が横向きに俺の上に座っていて、やれやれと呆れ顔でこちらを見下ろしながら両足をぷらぷらさせている。
「…ええと、それで、俺は何故起こされたのでしょうか?」
「ん?いや、部屋の前通ったら何かすごくうなされたから、起こしにきてあげたのよ?」
よく分からない状況につい敬語になって尋ねると、当たり前だと言わんばかりの顔でそんな答えが返ってきた。
なるほど、確かに何か夢見が悪かったような気はするが、どうやらうなされるほどだったらしい。
それならこの状況にも納得できるし、感謝もすべきなのだろう。
だがそれでも素直にお礼を言えないのは、現在の体勢。
察するに、恐らく姉は寝ている俺の腹へと何の遠慮もなく、それこそプロレスラーの如く飛び乗ってきたわけで、つまり夢見が悪かったのは姉も原因なのではないだろうか。
なのでここは感謝すべきなのか文句を言うべきなのか、なんだか複雑な気持ちになりつつも、ともあれ大変重たいので速やかに退いていただくべく口を開きかける。
だがそれよりも先に、姉がふっと優しい顔になった。
「ま、男ってのは失恋を通して磨かれていくもんよ。うなされるくらい盛大にフラれても、きっとすぐに次の恋がやって…」
「違うっ!」
そのまま何やら盛大に勘違いしたことを言ってきたため、即座に否定する。
姉は結構思い込みが激しいので勘違いすることはよくあるのだが、俺がうなされていたのはあくまで夢見が悪かったからであって、紳士としてこんな不名誉なことを勘違いされたまま黙っているわけにはいかない。
はぁ…。
本当に我が姉は、黙ってさえいれば美弥子先輩にも負けず劣らずの大和撫子に見えるというのに…。
「ひぎぃ!?」
しかし内心で思わずため息をついていると、突然脇腹をつねられた。
なんだ昨日から!?
俺の脇腹に何の恨みがあるんだ!
「何をする!?」
「…今あんた、失礼なこと考えてたでしょ?」
すかさずキッと睨みつけるも、逆にジトッとした目を向けられてギクリとする。
相変わらず鋭い。
なお、俺の方は現在進行形で失礼な事を言われているのだが(しかも勘違いで)、それに関しては特に言及はないらしい。
世の中は今日も理不尽であった。
「と、とにかく、俺は振られてなどいないからな!」
ともあれこのままでは何をされるか分かったものではないので、慌てて話題を変えるべくもう一度しっかり否定しておく。
「いやだってあんた、昨日は帰って来るなり部屋に閉じこもって、夕飯もろくに食べないで寝ちゃったじゃない。デートのあとでそうなったら普通はフラれたと思うでしょうが」
「うっ…」
すると間髪を入れず、何言ってんの?という顔が返ってきてまた怯む。
言われてみれば確かにごもっともである。
「そ、そもそも、昨日はで、デ、デー…トじゃないと…」
「はいはい。まあそれはいいとして、あんたはさっさと起きて準備した方がいいわよ?」
ところが再び訂正するよりも先に、肩をすくめて今度はそんなことを言い出した。
「へ?」
咄嗟に首を傾げる俺に、ちょいちょいと枕元の時計を指さす。
なのでつられて目を向ければ、そこにはいつもならもうとっくに家を出ている時間が表示されていた。
瞬間、クワッと目を見開く。
「う、うおお!?ち、遅刻じゃないか!?」
そのままガバッと跳ね起きると、同時にひょいっと身軽に姉がベッドから飛び退いた。
姉は俺とは違い、運動神経もいいのである。
だが今はそのことに感心している余裕はない。
何故だ!?いつもならアラームが…。
ただそこまで考えたところで、そういえば前に姉からアラームがうるさいと言われて切ったままだということに気づいた。
「そうよ?だからわざわざ起こしに来てあげた、とってもお優しいお姉様に感謝しなさい?もちろん、感謝の気持ちはちゃんと伝わる形でよろしくね?」
思わず目を向ければ、とってもお優しいお姉様がしたり顔で胸を張っている。
いや、それならまず真っ先に教えて欲しかったのだが…。
そもそも俺がこうなっている一因は他ならない姉にあるというのに、その上何やら返礼を要求されるとは、これが世に聞くマッチポンプというものに違いない。
と、そんなこんなで今朝は大いにドタバタしつつ、朝食もそこそこに大慌てで家を出た。
その甲斐もあり、なんとか遅刻しない時間に学校最寄りの駅へと到着。
周りにも制服を着た生徒が歩いているのが見えて、ホッと息をつく。
真の紳士を目指す男として、遅刻などするわけにはいかない。
「……?」
しかし安堵したのもつかの間のことで、今度は妙な違和感を覚えた。
なので思わず周囲を見回すも、目に映るのは休み明け特有の気怠そうな顔で歩く生徒や、友人と賑やかにお喋りをする生徒など、ごくいつも通りの風景ばかりであり、何もおかしいものなどない。
…いや待て。
どうして「いつも通り」なんだ…?
だが一間遅れてハッとした。
そうなのだ。
なにせ昨日はあれだけのことがあったのである。
だというのに、まったくいつも通りなどということがあり得るのだろうか。
い、いや、もしかしたら、ここにいるみんなはまだ知らないだけなのかもしれない。
ヒヤッと何やら背筋が冷たくなってくるも、無理矢理そう自分を納得させる。
何故かは分からないが、これ以上は考えてはいけない気がする。
だが学校に着き、教室に入ったところで、そんな淡い期待にも似た考えはたちどころに吹き飛んだ。
「昨日のサッカー見た?」
「見た見た。あそこで失点は痛すぎるよな~」
「ねえねえ、ちょっと聞いてよ、大ニュース!昨日服見に行ったんだけどさ、そしたらなんと、ルノワールが新作出してた!」
「うそっ!?え、それホントに!?」
そこにも先ほどと同じく、何の変哲も無い日常的な景色が広がっていた。
でももう一度言うが、そんなことはあり得ないのだ。
何故ならアメリカが消えたのである。
なのにそれがまったく話題になっていないばかりか、アメリカという言葉すら聞こえてこない。
…まるでそのような事件など、始めから「なかった」とでも言うかのように。
「……」
思いもよらない事態に、入り口近くで呆然と立ち尽くしてしまう。
けれどすぐに後ろから生徒がやって来たため我に返り、ともあれ自分の席へと向かう。
「でさ~、その後マジで連絡来たんだけど、姫良瑠のことめっちゃ根掘り葉掘り聞いてくんの」
「うわぁ…、つかあの時も姫良瑠のことガン見してたよね?」
「してたしてた、ガチでキモかった~」
「顔は良いけど、あれはないわ…」
「ちょっとシメとく?」
するとその先では、普段通り隣の栗山の席周りにクリヤマーズが座っており、わいわいと話に盛り上がっていた。
「……」
だが俺の姿に気づくなりピタリとお喋りを止め、ギロリと親の仇を見るかの如く鋭い目を向けてくる。
もはや質量さえ感じさせる眼差しに、一瞬戸惑いも忘れてビクリと怯むも、
そういえば今日はなんだか静かだな…。
いつもならこの辺りで聞こえてくるかしましい声が飛んでこないことに気づいた。
改めて視線を向ければやはり中心の席には誰も座っておらず、珍しい光景に目を瞬く。
昨日も言ったが、栗山は真面目な性格であり、遅刻はもちろん欠席だって少なくとも同じクラスになってからはしたのを見たことがない。
しかし首を傾げて間もなく「あ?何見てんだよ?」「人の顔はガン見すんなって教わんなかったのかよ」「このエセ紳士(笑)野郎が」と地獄の門番すら逃げ出しそうな恐ろしい形相で声をかけられたので、光の速さで顔を戻した。
相変わらず俺は大層嫌われているらしい。
ただそのまま席に着いて急ぎ本の世界に逃げ込もうとしたものの、ふと思い立ち、勇気を振り絞ってまた彼女達の方に向き直った。
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