第18話

朝は浮き足立ちすぎて少々不安だったが、この調子なら大丈夫だろう。

というわけで晴れやかな気持ちで美弥子先輩と談笑しつつ、喫茶店のある裏路地へと足を踏み入れたのだが、しかし天あるいは運命という奴は本当に俺のことがお嫌いらしい。


「あっれ~?秋月じゃん~!」

「ぶーーー!?」「きゃっ、恭也君!?」


突如背中から再び聞こえるはずのない声…というかこの状況ではあまり聞きたくなかった声が聞こえてきたため、口からエアーブラストが飛び出した。


「く、栗山!?な、なぜここにっ!?」


先輩を驚かせてしまったことを申し訳なく思いつつも、ギュンッと音のしそうな勢いで振り向けば、残念ながら思った通り、そこにはついサングラスをかけたくなるくらいキラキラとした存在感を纏うかしましいクラスメイトがいて、思わず一歩後ずさる。


なにせここは閑散とした裏路地。

駅に近いとはいえ、喫茶店の他には店らしい店もなく、しかもその喫茶店自体も栗山のような人間とは縁のなさそうな、流行とはほど遠い装いなのだから、俺の疑問ももっともなことだろう。


「え~、別にアタシらが休日にどこにいようと勝手じゃん~?ねえ?」


そんな俺の反応に、栗山が口を尖らせて後ろを振り返る。

なのでつられるようにして目を向ければ、


「こ、こんにちは、先輩…」

「え!?静音!?」


そこにはなんと、いつも昼を一緒する後輩の女の子の姿があった。


え、この二人って面識があったのか…!?


前に裏庭での一件を見られたときには静音のことを知らないみたいだったのだが、あのあと知り合いになったのだろうか。

珍しいというか、あり得ない組み合わせというか、あまりにもタイプが違いすぎて、気分は太陽と月を同時に見たかのようである。


「アタシ達はただなんとな~く今日はここら辺で遊びたいカンジで、んでなんとな~くこっちの方が気になったから来ただけだし?なのに『偶然』こうしてばったり会っちゃうとかヤバくない?ね~、静音ちゃん」


思わずまじまじと見つめる中、そう言って栗山がまた静音の方を向いてウィンクする。こいつはこういう仕草が妙に似合う。


「そ、ソウデスネ…、グウゼンデスネ…」


しかし同意を求められた静音の方は、まるで後ろめたいことでもあるかのようにぎくしゃくと答えて、ススーッと目を逸らしてしまった。


おい、静音の目がものすごく泳いでいるぞ…。


相変わらずの素直な様子に、それだけで大まかな事情を察する。

きっと二人も駅前で待ち合わせをしていて、ただそこで俺達の姿を見つけたので後をこっそり付けてきたのだろう。

店が開くにはまだ少し時間があると思うのだが、ずいぶんと早い時間に集まっていたらしい。

…もっとも俺達も人のことは言えないのだが。


「まあ二人はともかくとしてだ。それで、なんでお前までいるんだ…」


ため息を吐きつつ続けて視線を静音達の後ろへとずらせば、そこには今日も憎らしいくらい爽やかな顔でニコニコと微笑むイケメン野郎がいた。

それが誰であるかなど改めて言うまでもない。

我が悪友、渡良瀬一樹である。


「いやあ、俺も偶然…」

「ええい、そんな偶然があって堪るかっ!?」


そのまま特に悪びれるでもなくそんなことを言い出したので、思わずクワッと目を見開く。

こんな裏路地で俺達が本当に偶然ばったり出くわすなど、十回連続でアイスの当たりくじを引く以上の天文学的な確率である。

一樹が栗山達と約束をしていたのかは定かではないが、どうせこいつも面白がって後を付けてきた口だろう。


まったく、あまりいい趣味をしているとは言えないぞ、お前達…。


そもそも何故よりにもよってこんな時に、知人ばかりが同じ駅に集まっているのか。


まさか俺が今日先輩と会うからって、合わせてきたんじゃないだろうな…。


なので先輩と二人きりの姿を見られたという気恥ずかしさも手伝って、若干疑心暗鬼になりながら諸々の思いも込めて視線を向けたのだが、


「「ぶはっ!?」」


案の定と言うべきか、目を向けた先の一樹ばかりか、栗山にも吹き出されてしまった。


やれやれ…。


予想通りの反応に軽く肩をすくめる。

なにせこの二人にはこれまでにも散々笑われているのだ。

もう慣れたものである。

もっとも二人同時に笑われるのは初めてであり、疲労感はいつもの倍だったが。

はぁ…、と再びため息が出てくる。


「…まあいい。それじゃ、俺は美弥子先輩の買い物に付き合うから…」


何やら膨大な疲労感を覚えつつも、ともあれ早々にそう断って三人に背を向ける。

というのもわいわいと話しているのは俺達だけで、美弥子先輩の方は先ほどから目を瞬いているばかりだったからだ。

さもありなん。

今のは完全に内輪話であり、先輩からしたら入るに入れなかったに違いない。

なんとも申し訳ない限りである。


しかし、なんということだろうか。


「あ、んじゃアタシらも行く~!」

「!?」


さっそく美弥子先輩に謝ろうとした矢先に、あろうことか栗山がそんなことを言い出したため、ぎょっとまた身体を戻してしまう。


「戸叶先輩とは…あ、アタシも美弥子先輩って呼んでいいですか?」


そんな俺を余所に、栗山がにっこりと人好きのする笑みを浮かべて、今度は美弥子先輩に声をかけた。


「え?え、ええ…」


突然ぐいぐいと声をかけられて、少ししどろもどろになる美弥子先輩。

前に人見知りと言っていたが、もしかしたら本当だったのかもしれない。

もっともこの勢いでぐいぐい来られたら、誰だって怯むような気もするが。


「実はアタシ、美弥子先輩とは前からずっと喋ってみたいって思ってまして~…あ!」


ところが、そこで急に栗山がハッとした顔になって口元に手を当てた。


こ、今度は何だ…!?


いつものことだとはいえ、台風さながらの目まぐるしい変化に、つい心の中で件のファイティングポーズを取って身構える。

ただ何故だろうか。

今日の栗山は普段とは違ってなんだか妙に白々しい気がする。


「も、もしかして、その、お二人って今、デートの最中、でしたか…?」「「え!?」」


しかし内心で首を傾げていたものの、そのままとんでもないことを言い出したので、美弥子先輩と一緒になってギクリとしてしまう。


な、ななな何を言い出すんだ、こいつは…!


「い、いえ、これはその、恭也君にお買い物の付き添いをお願いしただけでして…!」


直ちに美弥子先輩が慌ててパタパタと手を振る。


「…はっ!?そ、そうだぞ!だから決して、で、で、デー……トなどではないんだ!」


なので俺もすぐに同意する。

下手な勘違いをされてまたいつぞやのように根も葉もない話を拡散されても困るし、何より美弥子先輩にまで迷惑をかけるわけにはいかない。


なお、俺がデートという言葉を口にした際には再びイケメン野郎と栗山が吹き出していたが、見なかったことにしておいた。


ともあれ、そういった理由からキッパリと否定したのだが、


「……」


すると何故か、美弥子先輩が少し複雑そうな表情になって俺を見ていた。


…あれ?


その様子に一瞬何か答えを間違えたのかと首を傾げるも、しかし考えを巡らせるよりも先に栗山がパァッと顔を輝かせた。


「あ、そうなんですか、よかったぁ~!いや~、デートだったらマジぴえんってカンジだったんですけど、それならアタシらもご一緒させてもらってもいいですか?あ、ええと、もちろんもしよければ、ですケド…」


でもすぐにまたしおらしくなり、上目遣いに美弥子先輩を見つめる。


ええい白々しい…!


ここまで来れば流石の俺でも、栗山が猫を被っていることは分かった。

大体、栗山は「もしよければ~」なんて言うような殊勝な性格はしていない。

むしろ「え~、いいじゃん、みんなの方が絶対楽しいし、行こーよ!」と笑顔で押し切るタイプだ。

何というか、背中がむずむずしてくるくらいまったく似合っていない。


なのに何故、追い詰められているような気分になっているんだ…!?


なんだか外堀をどんどん埋められていっているような、妙な焦りがじりじりと俺の胸を焦がしていく。


「え、ええと、それは、その…」


一方の美弥子先輩は大いに狼狽えながら返事に窮していた。

無理もない。

なにせ、俺と違って美弥子先輩は普段の栗山を知らないのだ。

しかも最初に栗山は「美弥子先輩とはずっと話をしたいと思っていた」と言っており、さらに先ほど俺達はデートではないと自ら否定したばかり。

だから一見するとこの状況は、ただ栗山が気になっていた先輩を「偶然」見つけて一緒に買い物に行きたいとお願いしているだけのようであり、つまり断るに断れない状況なのであった。

恐らく栗山もそれを分かっているからこそ、こうしてぐいぐい来ているのだろう。

どうやら栗山は意外と戦略的というか、計算高いところがあるらしい。

今感じている焦燥の理由が分かってすっきりすると同時に、その山猫のような狡猾さには思わず感心してしまう。


「おい、栗山」


とそれはさておき、先輩が助けを求めるようにチラチラとこちらを見てくるのが分かったので、急ぎ声をかける。

先輩は普段の栗山を知らないが、無論俺はそうではないので、このまま指をくわえて見ているわけにはいかない。


なかなかの妙策であったが、残念ながらこの俺、軍師秋月恭也がこの場にいたことが貴様の敗因よ。


俺の好きな戦国物語のワンシーンを思い出して、少し盛り上がりながら言葉を続ける。


「美弥子先輩が困っているだろう。強引なのはあまり…」

「アンタは黙ってて」


しかしそれよりも先に鋭い眼差しが飛んできたため、軍師恭也は直ちに押し黙ってファイティングポーズを取るしかなかった。

なるほど、アナコンダに睨まれたカエルというのはきっとこんな気持ちに違いない。

かくも強力な眼光を持っているとは、流石はクリヤマーズのボスである。

もちろんこれは俺がビビりだからではない。


「……」


その隙に栗山がまたコロリと表情を変えて、ふてぶてしくも「お願いです、先輩…」とでも言いたげな、うるうると訴えかける無言の視線を美弥子先輩へと向ける。

猫を被っていることが分かっているのに、それでもなお無邪気にお願いしているだけの後輩に見えてしまうところがなんとも憎らしい。


「も、もちろんお邪魔なんてことはないですよ…?」


そうして少しの間見つめ合っていたものの、結局は押し切られる形で美弥子先輩が若干視線を泳がせつつ頷いた。


「ホントですか、やった~!」

「うぅ…」


たちまち笑顔になる栗山の一方で、ガックリと肩を落とす俺と美弥子先輩。

軍師栗山の圧勝であった。

燃えゆく本丸の中で高笑いするかの悪魔の姿が見えるかのようである。


ああ…、俺達の梁山泊が燃えている…。


なおこの間、静音は目を白黒させながらあわあわと慌てふためいており、一方の一樹は「おお、これが修羅場って奴かぁ~、初めて見たなぁ~!」などとキラキラと目を輝かせてずいぶんと楽しそうにしていた。

静音はともかく、一樹にはきっと赤ではないサイケデリックな感じの血が流れているのだろう。

次の休日の昼はドリンクバーを存分に活用し、奴の飲み物をサイケデリックカラーに仕上げてやることを固く心に誓っておく。


「ってそれよりも、お、おい、栗山…!」


ともあれ、いつまでも戦国の世界に浸っているわけにもいかず、流石に見かねてもう一度声をかける。


「それはいくらなんでも強引だろう。先輩にだって都合というものが…」

「…何?それ、アタシが邪魔だってこと?」


と、再びギロリと先ほど以上に鋭い眼差しが飛んできて、直ちに木に刺さった槍の如く直立不動になった。

気分はもはや蛇に睨まれた蛙を通り越して、ヒドラに睨まれたオタマジャクシ、あるいはメデューサにつるし上げられたカエルの着ぐるみ恭也である。

うむ、恐怖のあまり全然頭が働いていない。

とはいえ今度ばかりは引くわけにはいかない。


「い、いいいや、べ、べべ別にそこまでは思わないが、し、しししかし先輩にも都合というものがありましてですね…」


なけなしの勇気を振り絞り、俺の好きな某歌手のようなリズムを刻みながら抗議する。

情けないと言うなかれ。

恐怖することは決して恥ずべきことではなく、本当に恥ずべきは恐怖に己が心が負けることなのだ。

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