第16話
「ち、違うぞ!確かに俺は次の日曜日に美弥子先輩と会う約束はしたが、別に買い物に付き合うだけで、断じてデ、デー……トなどではない!」
だから仕方なく覚悟を決め、正直に答えた。
ああ、さらばだ、俺の平穏な日々よ…。
これからはひたすらからかわれ続けるという、道化師としての日々が続くのか…。
「…二人きりで?」
しかし予想に反して栗山がからかってくるようなことはなく、真剣な表情のままさらに尋ねてきた。
「え?ま、まあ、そうなんじゃないか?」
思わぬ反応に目を瞬きつつ再び正直に答える。
特に誰が来るとは言っていなかったから、きっとそうだろう。
それにしても二人きり、か…。
……。
改めて考えたら、な、なんだか緊張してきたな…。
「…それをデートって言うんだっての。しかもホントに下の名前で呼んでるし…」
何やら急に照れくさくなってきて後ろ頭をかく俺を余所に、ぼそりと栗山が何事かを呟き深刻そうに考え込む。
「あ~ごめん、アタシちょっと化粧直してくる~」
「いってら~」
「りょ」
でもすぐにまた普段通りの雰囲気に戻ると、そう言ってさっさと教室を出て行った。
…行ってしまった。
うーむ…、本当になんなんだ、いったい…。
相変わらず言動が突飛すぎてわけが分からない。
だが少なくとも、どうやら俺は道化師にジョブチェンジしなくてもよくなったらしい。
なのでともあれホッと息をつくも、ところが天はよほど俺のことが嫌いなのだろう。
残念ながらそれで終わりとはならなかった。
「つーかさ、アンタ、何?」
安堵しすぎて椅子からずり落ちそうになる俺の前へとクリヤマーズの一人がズイッと歩み出てきたので、即座にビクリと背筋が伸びた。
な、な、なんだ今度は…!?
というのもいつもなら冷気を感じさせるその目には、今は逆に燃えるような怒りが灯っていたのである。
いずれにしても好意的な視線ではないというのが何とも悲しい話だが、これが蛇に睨まれた蛙という奴なのか、為す術もなくそのまま固まってしまう。
「確かにちょっとは可愛い顔してるかもだけどさ、姫良瑠のアピもガン無視で、この上別の女に浮気とかガチで何様?」
「マジ調子乗ってない?」
「そも姫良瑠のどこに不満があんだよ」
「な。めっちゃ可愛いし、性格も可愛いし、くっそ友達思いだし。マジで意味分からんわ」
その上あろうことか他の面々も続々とやってきて、俺は完全に囲まれる形となった。
こ、こここ怖い…っ!
なにせいつものキラキラしたご様子から一転、今は全員が全員ドスの利いたお声をしており、同じく俺に向けられた眼光も、これからどうやって臓器を売りさばこうか考えている借金取りの如く大変人相がお悪いのだ。
気分はさながらタランチュラとオオムカデ、サソリ、スズメバチの入ったケースの中に放り込まれたカナブンのようであり、争いを好まず平和を愛する紳士の俺は、ただ超音波洗浄機の如く震え続けることしかできない。
こ、こここ怖すぎる…っ!
これには思わず、助けを求めてちらりと他のクラスメイト達へと視線を彷徨わせるも、
「……」
しかし俺と目が合うなり光の速さで逸らされてしまった。
それはそうだ。
進んで猛獣の群れに関わろうとする酔狂な者などいるはずがない。
そして周囲からの援護を期待できない以上は、自分で何とかするしかない。
「さ、ささささっきから、な、ななな何の話だ!俺は何もしししていないぞ!?」
しかも浮気ってなんだ!
先ほども言ったが、俺は未だかつてただの一人だって女性とお付き合いしたことはないんだぞ!?
…なんだか言っていて悲しくなってきたが。
なのでもはや無意識で出てくるようになった例のファイティングポーズを取りながら、なけなしの勇気を振り絞って若干スキャット気味に釈明をする。
「そ、それに、別に栗山にも不満なんてないぞ!」
確かに毎回台風のようなペースで話しかけられるし、今し方のようにわざわざ誤解を招くような言い方をしてからかってくることもしばしばだったりと、正直物申したいことは多々あるが、栗山自身に不満などない。
それどころかあの行動力やコミュニケーション力は俺には到底真似できるものではなく尊敬すらしているし、昨日のようにスムージーを選ぶのに困っていたら分けてくれたこと然り、抜かりなくきちんと友人達のフォローを入れるところ然り、人間的な魅力は十分に持っていると思う。
しかしそんな俺の必死の申し開きも空しく、
「はあ?今そんなことは聞いてねーんだよ」
「オメーの感想なんて心底どうでもいいわ」
「このエセ紳士(笑)野郎が」
返ってきたのは般若も無条件降伏しかねない、それは恐ろしい眼差しの数々であった。
え、えぇ…。
先ほど「何?」と尋ねられたから答えたのだが、どうやら何かを間違えたらしい。
というか、エセ紳士(笑)好きだな!?
「とにかくこれ以上姫良瑠傷つけたりしたら、マジで…本気で許さないから」
「…その時は社会的に葬る」
「あとこの話は絶対姫良瑠にはすんなよ?」
「したら秒で『社会』が『物理』に変わるかんね?」
そして再び盛大に怯む俺にそう言い残すと、もう興味はなくなったようで、栗山の席周辺に戻って談笑し始めた。
なお、そこは別に彼女達の席ではないのだが、このクラスでクリヤマーズに意見できる者は誰もいないのだ。
お、俺は一体どうすればいいんだ…!
結局クリヤマーズが何に怒っているのか分からなかった上に、いつの間にか俺が栗山を傷つけたことになってしまった。
むしろ現在進行形で俺の心の方が傷つけられている気がするのだが(エセ紳士とか葬るとか言われたし…)、もちろん彼女達に聞き直す勇気はない。
ただ、ともかくクリヤマーズがものすごくお怒りなことと、栗山のことをとても大切に思っていることだけは伝わってきたので、これからはより一層彼女との会話に気をつけようと固く心に誓っておく。
社会的にも物理的にも、俺はまだ葬られたくはない。
と、朝から膨大なエネルギーを消費して早くも家に帰りたくなってきたのだが、当然そういうわけにもいかず、しばらくしてまたいつもの雰囲気になって戻ってきた栗山と、同じく普段通りの連動ミサイルモードとなったクリヤマーズ(威力八割増し)により、以降も順調に俺のライフポイントは削られていった。
しかもそれだけに留まらず、満身創痍となった俺が命からがら裏庭に逃げ込めば、
「せ、先輩っ!に、日曜日に生徒会長さんとデートされるって本当なんですかっ!?」
まさかの静音からも朝の件について尋ねられ(しかも答えたら何故か絶望した表情をされてしまった)、帰り道も帰り道で、
「聞いたぞ、恭也!今度はあの生徒会長とデートするんだって?いやあ、本当にお前ってすごい奴だよなぁ、くくく!」
相変わらず憎らしいくらいの爽やかな顔で一樹に笑われるといった具合に、一日中この話題に付きまとわれるような始末であった。
本当にどれだけ広まっているんだ…。
ただ買い物に行く約束をしただけだというのに、ここまでくるといっそ感心すらしてくる。
先輩の方にまで迷惑が及んでいないことを願うばかりである。
ともあれそんな風にして一日をドタバタと終え、翌日以降も同じように忙しなく過ごしていけば、件の日曜日はすぐにやってきた。
……。
…………。
コォォォー…。
不意に意識が浮かび上がってくる。
コォォォー…。
聞こえてくるのはもはや耳慣れた音。
改めて確認するまでもない、件の夢だ。
コォォォー…。
……。
コォォォー…。
……。
……?
ただ規則正しい音を何回か聞いたところで、ふと前には聞こえていたはずのアラーム音が聞こえないことに気づいた。
渾身の力を込めてもう少し瞼を開けば、相変わらずチカチカと点滅する赤い光は見える。
だがやはり音は聞こえてこない。
それに、心なしかその光も前よりも弱くなっている気がする。
__………ム…電……………に……な………が……ています。管理…およ
び………………は、優先……クラスの……………に沿って至急………
き……取って…さい。…り返します、…ス……の…………系統に……
…エラー……__
しかしそのことに疑問を感じる間もなく、アラーム音の代わりに別の音が聞こえてきた。
な…んだ?
甲高いアラーム音とは違う、けれど同様に無機的な声が耳に入ってくる。
もっともそれもあくまで音として耳に届くばかりで、何を言っているのかは全然理解ができない。
まずい…。
なのに焦りは前回にも増してますます強まっていく。
このままでは本当に取り返しのつかないことになってしまう。
だが身体を動かそうにも、指一本ピクリとも動かない。
できるのはせいぜい瞼をごくわずかに開くことくらいだ。
う…く…。
そのことに怒りを覚え、でもすぐに今度は怒りを覚えていることに驚いた。
頭が…覚醒…して、きて…いる…?
夢の中で覚醒というのもおかしな話だが、そういえば前よりも幾分まともに思考できている気がする。
といってもそれでもせいぜい少しはマシという程度で、相変わらず頭は霞がかかったようにぼんやりとしており、
__システムの電源供給系統に深刻なエラーが発生しています。管理者およ
びサービスマンは、優先度Sクラスのマニュアルに沿って至急然るべき
対応を取って下さい。繰り返します、システムの電源供給系統に深刻な
エラーが…__
…く……また…眠、く………。
だから何度も耳に入ってくるその言葉の意味もやはり理解するにまでは至らず、いつものようにやってきた強烈な眠気と共に、俺の意識はまた闇の中へと霧散していった。
……。
…………。
…ハンカチよし、うん、忘れ物はないな。完璧だ。
今、自室の机の上に順番に並べたものを確認して頷く男がいた。
寝癖の方も……ふむ、大丈夫そうだな。
………。
…でも念のため、もう一度だけ忘れ物の確認をしておくか。まだ時間もあるしな。
えー、ハンカチよし…。
そしてこれでもう何度目になるか、男が再び忘れ物チェックを始める。
まあ俺なんだが。
今日は美弥子先輩と約束した日曜日。
朝、太陽が顔を出す前にパチリと目を覚まし、いそいそとひとしきり準備を整えたあと、この通り俺は確認の鬼と化していた。
なおこれは、俺がすぐに忘れ物をするようなうっかりさんだからではない。
まだ出発予定の時間までは大分あるのだが、こうでもしないと落ち着かないのだ。
前に自分でも言った通り、今日はただ先輩の買い物に付き合うだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない。
だが栗山が「二人きり」だなんだとおかしなことを聞いてきたものだからなんだか妙に意識してしまい、結果こんな風にまるで初めてのデートを前にした男子高校生のようになっていた。
もっとも俺は間違いなく男子高校生で、デートも今までしたことがないから、まるでも何もまさにその通りなのだが。
い、いや、違うぞ!?
これは断じて、で、デー……トゥなどではない…!
しかしそこまで考えたところで慌てて頭を振る。
同時に、いつの間にか自然とデートなどと考えていたことに愕然とした。
今日はただの買い物なんだ!
きっと先輩が一人では荷物を運ぶのが大変そうだと判断して、お呼びがかかっただけの付き添いなのだ!
だから早々に鎮まるんだ、俺のハートよ!
けれど何度そう言い聞かせようとも我がハートが鎮まる気配は一向になく、それどころか頬はニマニマと緩み、足は自然とスキップを始めるような有様であった。
だって仕方がないじゃないか。
今日ご一緒するのはあの美弥子先輩なのである。
十人に聞けばいつの間にか二十人が口を揃えて美人と言うであろう、もはや理想的とすら言える大和撫子であって、そんな人と一緒に歩けて嬉しくない男子などいようはずがない。
というわけで不審者さながらにそわそわしつつも、このことを間違っても家族に、特に姉に悟られるわけにはいかず、鏡の前で何回か何食わぬ顔の練習をしたあと、朝ご飯を食べに階段を降りる(我が家はごくありきたりな一戸建てである)。
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