第15話
「あ、あの男、ま、まさか、まさか…、あろうことか姫と他の女性とで二股を…!?う、うウウウ、ウラメシ…ウラヤマシィィーー!!」
「ああ、天は何故あのような下衆を生かしておくのか…。どうか天罰を、天罰を天罰を天罰を天罰をテンバツォォォ!!」
「離して…!あの外道を殺して私も死ぬんだから…っ!ハナシテェェェーーッ!!」
それを一言で言い表すのなら、阿鼻叫喚。
激情に支配され、本能を剥き出しにした彼らの目にはもはや理性などひとかけらも残っておらず、全員が全員バフォメットのような目で青筋を立て、邪神に祈りを捧げ、怨嗟の呪文を唱えながら俺の方へと手を伸ばしてくる。
恐らく魔界を現世に具現化したのならこんな風になるのだろう。
まさに地獄絵図さながらの光景を前に、咄嗟にまた仔ヤギのフットワークでファイティングポーズを取ってしまうも、しかし俺は真の紳士、侍を目指す男。
心の中で片方の恭也が満身創痍になりつつもエアー眼鏡をクイッと上げ、勝ち鬨を上げるのを聞きながら、帰りにさっそく護身グッズを買いに行くことを決意して先輩へと改めて向き直る。
「よ、よろこんでお供させていただきます…」
そして全身の勇気をかき集めて、その一言を絞り出した。
何故買い物のお誘いに頷くだけで、これほどの覚悟とエネルギーが必要なのか。
これがもしシミュレーションゲームだったなら、プレイヤーは常にエネルギー残量との戦いになるに違いない。
__目の前を歩いているのは…美弥子先輩だ!声をかけますか?__
__はい__
__しかしガッツが足りない!__
某名作サッカーゲームならともかく、日常パートでエネルギー不足により選択肢を選べなくなるような作品など、発売日の翌日にはワゴン行き決定である。
「本当ですかっ。わぁ、嬉しいです」
と、現実逃避気味にそんな下らないことを考える俺を余所に、パァッと美弥子先輩が顔をほころばせた。
それは相変わらずとても素敵な笑顔で、直前までの葛藤や苦悩もたちどころに吹き飛び、俺の方も自然と頬が緩んでくる。
やっぱり受けてよかった…。
ありがとう、エアー眼鏡の俺。
当然のように周囲はまた大変なことになっていたが、もう気にしないことにした。
「ところで、その…、どうして先輩が昨日のことを…?」
ともあれ、これでようやく晴れて先輩との会話に集中できるようになったわけなのだが、そのことにホッと息をついて間もなく、再び疑問が心に戻ってきたので改めて尋ねてみた。
なにせ先ほどの美弥子先輩の口振りは、まるであの現場を見ていたかのようだったのである。
もちろんあの時先輩はいなかったし、もし静音と接点があったのだとしても彼女の性格を考えればやはり疑問は残る。
というわけで質問したのだが、すると先輩が困ったように笑った。
「先日は私もあの図書館にいまして、勉強をしていたんです。あんなにも賑やかにお喋りをしていれば会話の内容はすべて筒抜けですよ」
そのまま、図書館ではあまり騒いではいけませんよ、とやんわり窘められる。
なるほど、実にごもっともな話である。
昨日の状況を思い出してたちまち恥ずかしくなってきた。
「す、すみません…」
「なんて、冗談です。そこまで大きな声ではありませんでしたし、微笑ましいやり取りでしたのでそんなに気にすることはないですよ。お二人があまりにも仲が良さそうでしたから、ちょっと意地悪をしてしまいました。ごめんなさい、ふふふ」
でも小さくなりながら謝ると、そう言ってペロッと悪戯っぽく舌を出したあと、品のいい仕草で口に手を当ててクスクスと笑った。
「……」
その姿に、咄嗟にばつの悪さも忘れて見惚れてしまう。
何というか、美弥子先輩は可愛らしい人なんだなぁ…。
完璧な大和撫子かと思いきや無邪気なところもあり、こうしてお茶目なところもある。
初めて会ったときこそそのギャップに戸惑ってしまったが、美弥子先輩は気品と可愛らしさを兼ね備えたとても親しみやすい人だった。
「URYAAAAAAAAAMMMーー!ッ!?!?」「TEEEEMBAAAAAーー!!」
「NASSSSSSHITEEEEEEEEEEEEEEーーーッ!!!」
そんな俺達を余所に、周囲ではもはや声にならない絶叫を上げてクリーチャー達が元気に狂乱のビートを刻んでいる。
なんとも賑やかな朝であった。
そうして笑顔の先輩と別れたあとは、おぞましきクリーチャー達の視線から逃れるようにして教室へと向かう。
彼らも流石に校内では仕掛けてくるつもりはないようで、無事教室の入り口が見えた時には思わずホッと息が出てきた。
まさか教室に着いて安堵する日が来るとは、人生何があるか分からないものである。
ともあれ、これで少なくとも下校するまでは平穏な時を過ごすことができるはず。
なんだかここ最近は怒濤の勢いで色々な出来事があったが、元々俺は平穏と静寂を愛するクールガイなのだ。
というわけで菩薩さながらに穏やかに微笑みながら戸をくぐるも、瞬間、そんな俺の思いとは裏腹にざわっと教室がざわついた。
な、なんだ…!?
「あ、生徒会長とイチャイチャしながら登校してきた、二股野郎の秋月じゃん~!おっはろ~!」
「ぶーーーっ!?」
しかし何事かと状況を確認する間もなく、俺の姿を見つけた栗山がとんでもないことを言ってきたため、口からエアーを飛ばしてしまう。
「何でお前がそのことを知ってるんだ!?」
そして直ちに事の真偽を問い質す。
なにせついさっきの出来事を教室にいたはずの栗山がすでに知っているのだ。
誰だって疑問に思うだろう。
それにそもそも俺達は普通に談笑していただけで、イチャイチャなどしていない。
お前は何だ。
俺をリアルタイムで監視でもしているのか。
……。
え、なにそれ怖い。
「ぶふっ!?その顔マジウーパー…」
「ええい、それはもういいわ!」
ふと浮かんできた言葉に自身で一瞬怯んだものの、またケタケタと笑い出した栗山を見てクワッと目を見開く。
まったく、こいつはどうしていつも俺を見て笑うんだ。
そのまま抗議の思いを込めて鋭い視線を向けるも、案の定伝わらなかったようでむしろますます楽しそうに笑い転げる。
それを見てがっくりと肩が落ちてきた。
はぁ…。まあ楽しいのならいいんだけどな、やれやれ…。
「はー、笑った笑った~!いやだってあの生徒会長じゃん?超絶美人で、性格もいいって評判の」
ともあれ、ひとしきり笑ったあとは栗山が質問に答えてくれる。
「そうそう、んで頭もよくて、常に学年トップっしょ?」
するとすぐにクリヤマーズも話に交ざってきた。
反射的に昨日のことを思い出してビクッとなったが、やはりそんな俺のことなどまったく気にせず、それどころか目を向けることすらなくわいわいと盛り上がり始める。
「……」
ヒュゥ…、と心に隙間風が吹く。
笑われるのも困るが、これはこれで寂しいものがある。面倒くさいと言うなかれ。男子高校生とは繊細な生き物なのだ。
「しかもケンドーだかアイキドーだかで全国大会とかも優勝したらしいし?」
「あー、親もなんかリジチョーとかシャチョーとかって聞いたわ~」
「え!?そうなの?」
「らしいよ~?」
「つーかマジ何星人なの、それ」
「ヤバない?」
という俺のことはさておき、話を始めてまもなく栗山も交ざって一様に驚いた…というのを超えて半ば呆れた顔になった(ちなみに美弥子先輩が大会で優勝したのは剣道と合気道と空手だ)。
さもありなん。
こうして改めて聞くと、本人と話したことのある俺ですらどんな完璧超人かとため息が出てくるほどなのだ。
まあいざ話をしてみると、意外と隙だらけというか、無防備すぎて少し心配になるくらいの人なんだけどな…。
今朝の子供みたいにむくれた顔を見たら、栗山達はどんな反応をするのだろうか。
そのときのことを想像して思わず小さく笑みを零してしまう。
と同時に、そんな先輩の一面を知っていることが少し誇らしいというか、嬉しくもなってくる。
「で、んな人とイチャイチャしてたら…って、何か嬉しそうじゃん?何かあった?」
すると突如こちらを向いた栗山が、珍しいものでも見たかのように目を見張ったあと、何故か嬉しそうな顔になってまた話を戻してきた。
「え!?い、いや、別に何でもないぞ?」
なので慌てて手を振って誤魔化しておく。
いかんいかん、顔に出ていたか…。
流石に何を考えていたのかまでは分からないとは思うが、時々妙な鋭さを見せる栗山だけに悟られないとも言いきれない。
そしてもし悟られようものならなんと言ってからかわれるか、想像しただけで胃が痛くなってくる。
「そ?ま、そんな生徒会長さんと一緒にいたら、そりゃあ一瞬で広まるっしょ。つーかアタシらも拡散したし。逆にアンタはなんで何もないと思ったわけ?」
ともあれ肩をすくめてそう締めくくった栗山の言葉を聞いて、ようやく状況を理解した。
なるほど、イチャイチャしていたかはさておき、言われてみれば確かにあれほど目立つ容姿をしている上に人望もある人なのだから、一緒にいれば噂くらいにはなるかもしれない。
ただ、そのことに内心で手を打ったのもつかの間のこと。
「というかお前も拡散したんかいっ」
サラリと聞こえてきた聞き捨てならない言葉に、再びクワッと目を見開く。
昨日は栗山のことを少し見直したとはいえ、やはりトラブルメーカーという認識は間違いではなかったらしい。
あとさっきはあえて流したが、二股ってなんだ!?
大変遺憾ながら、俺にはお付き合いしている女性なんて一人もいないんだぞ!?そのことを知っての狼藉か!
「え?そんなん拡散するに決まってんじゃん?あっははは、何言ってんの~?」
しかしそんな我が抗議の視線などまるで意に介さず、ケタケタと楽しそうに栗山が笑う。
…あれ、これって俺がおかしいのか?
「ま、どうせアンタのことだから、ちょっと声かけられて、んでキョドりまくって、それを見て笑った会長の姿を周囲が勘違いしたってとこっしょ?」
「あ~、それな~」
「めっちゃありそうで笑えるわ」
そのあまりにも堂々とした様子に咄嗟に首を傾げていたものの、さっそく栗山がいつもの通りニヤニヤし出し、クリヤマーズも乗っかってきて俺をからかい始めたので、あえなくまた怯んでしまう。
クリヤマーズは自らは話しかけては来ないが、栗山がからかうとこんな風に一緒になってからかってくるという性質を持っているのだ。
何というか、連動ミサイルのような連中である。
「なのになんかお互い下の名前呼びで?デートの約束までしたとかなってて?マジ受けるんだけど~!どんだけ話が大きくなってんのって感じ」
ただ、そう続けた栗山の言葉を聞くなり今度はギクリとした。
別に俺達がお互いをどう呼んでいるかなんて知られて困るようなことではないし、それにそもそもがデ、デ、デー……トなどではなくただの買い物の約束なのであって狼狽える理由などどこにもない。
だがどうにも気恥ずかしいというか、こういうことは軽々と他人に口にすべきではないような気がするし、何より栗山達にからかわれようものなら、俺のハートはズタズタのボロボロになり紙吹雪となって風に消えてしまうに違いない。
何度も言うが、男子高校生というのは繊細な生き物なのだ。
「あははは!天変地異の前触れかよ~」
「こんなエセ紳士(笑)野郎にそれはあり得ないっしょ」
「ね~、超チキンだし~」
「無駄に理論派ぶっててマジウザいし」
「……」
そんなわけで内心で大いに狼狽えつつ、もはやただの悪口大会となっているクリヤマーズの言葉に早くもライフポイントが赤く点滅し始めていたものの、するとケタケタと笑っていた栗山がピシリと笑顔を固まらせた。
「…え?ちょ、な、何その反応?え、まさかマジなの?」
そのままさっきまでの悪戯っぽい雰囲気から打って変わり焦ったように詰め寄ってきたので、むしろ俺の方が戸惑ってしまう。
相変わらず妙なところで鋭い奴である。
「あ、いや、それは、何というかだな…」
突如として紙吹雪となって消えゆく我が未来像が鮮明になっていき、ダラダラと冷や汗を流す中、答えに窮する俺を見る栗山の目がスッと細くなる。
「……どうなの?」
そして大真面目な顔で、真っ正面から俺の目を見据えてきた。
うぐっ…!
こいつはどうしていつもこう、急に真剣な表情になるのか。
ただでさえ存在感のある栗山だけにその迫力はかなりのものであり、たちまち審判台にでも立たされているような気分になってくる。
と同時に、もう恥ずかしいからと誤魔化せるような雰囲気ではないことも悟って、心の中で天を仰ぐ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます