第13話

「それじゃ、ありがたく…」


今まで少し苦手に思っていたことを申し訳なく思いつつも、ともあれ感謝して遠慮なく受け取る。

一瞬餌付けされた野良犬の姿が頭に浮かんできたが、地球人認定にすら関わってくる未知の飲み物を前にした期待と興奮により、それもすぐに霧散する。


というか、何故わざわざキュウリを入れるんだ。

マンゴーとメロンだけなら間違いなく美味しいだろうに…。

まあスムージー自体がそもそもそういうものなのかもしれないが。


そしてわくわくしているのを悟られないよう、あえてクールにそんなことを考えながら、受け取ったスムージーのストローに口を付ける。


「!」


瞬間、目を見開いた。


おお、これがスムージーか…!


キュウリと聞いて少し警戒していたんだが、意外にも青臭さはまったくなく、咄嗟にはキュウリが入っているとは分からない。

それになんだかどろどろとしていそうだという予想とは裏腹に、食感もシャリシャリと爽やかで、冷たさも相まってなんとも心地が良い。

夏なんかには最高だろう。

なるほど、確かに結構美味しいかもしれない。

まあ値段が値段なので、やはりそう気軽には買えそうにないが。


「…あ」


ただそんな風に新しい食感と味に感動していたものの、不意に栗山が何かに気づいたようにハッと息をのむ気配がした。


ん?


なので思わず顔を向けるも、


「……」


しかし連動するようにそっぽを向かれてしまう。


な、なんだ…?


栗山の突発的かつ予測不能な言動はよくあることだとはいえ、慣れたかどうかはまた別の話であり、いつも通り戸惑いながら目を瞬く中、顔を背けたまま手を差し出してくる。


「…飲んだら返して」

「あ、ああ、すまん…」


反射的に謝りつつその手にスムージーを返す。


「その、うまかった。ありがとう」

「…そ」


続けて礼を言うも、さっきまでのかしましさはなんだったのか、返ってきたのはそんな一言だけであった。

何というか、ものすごく素っ気ない。


な、なんだ!?

俺は何か怒らせるようなことをしてしまったのか!?


ますます狼狽えて内心で頭を抱える。

といってもくれると言うから飲んだだけであり、まったく心当たりはないのだが。


………はっ!?

まさか、これはあれか!?

俗に言う「言わずとも察せよ」という女子特有のあれか!?


しかしすぐにそのことに思い至り、愕然となった。


言わずとも察せよ。


これは今言った通り女子特有の習慣であり、不文律でありながらも古今東西において観測され続ける純然たる事実である。

だがそれは同時に、男子にとっては鬼門とすら呼べる未知のフィールドにして、誰もが少なくとも一度はぶつかる難問でもあるのだ(恭也調べ)。

幸い我が家には姉という、口を開かずに静かに微笑んでさえいれば立派に女子と分類される者がいるため、そういう特異点が存在することは知っていた。

まあ、このことを教えてくれた当の本人は非常に分かりやすいので、察するのは容易いのだが。


けれど世間の女子の胸中を察するのは間違っても簡単ではなく、まして相手は笑いのツボすら分からない栗山なのだ。

なんならツチノコの生態系を想像する方がまだ簡単かもしれない。


と、そんなわけで大いに慌てていたものの、


「おやおやぁ~?どうしたのかなぁ~、姫良瑠さん~?」

「今度はプチじゃなくてガチで顔が赤くないですかぁ~?」


対照的にクリヤマーズの方はまたニヤニヤとし出した。

つられるようにして改めて目を向ければ、相変わらず顔を背けたままだから表情は分からないものの、確かに心無しか耳が赤いような気もする。


「はぁ!?だから赤くないっての!暑いからっしょ!」


すぐさま先ほどと同じく栗山が猛然と抗議し始める。

たださっきよりも声に余裕がないというか、何やら切羽詰まった感じが伝わってきて、何故か俺の方がハラハラしてしまう。


「あ~ね~。めっちゃお熱~いスムージーだもんね~?」

「今時、たかが間接でこの反応…っ」

「ヤバい…、姫良瑠が可愛すぎてガチのマでキュン過ぎる…!」


しかし案の定というべきかクリヤマーズに気にした様子はなく、むしろぐいぐいと踏み込んでいくような有様であった。


勇者か。

彼女達は皆、恐れを知らない戦士なのか…。


女性というのはとても繊細な、男が守るべきか弱い存在であって、まあ時には我が家の母と姉のような人達もいるとはいえ、それはあくまで例外なのだと思っていたんだが、どうやら考えを改めた方がよさそうである。


「あ、ええと、栗山…?その、なんだ…」


ともあれ状況が分からないなりにも、少なくとも今栗山が困っている一因が俺にあることだけは分かったので、正直何を言うべきなのか見当も付いていないのだが、兎にも角にも勇気を出して声をかける。


「は?何、アンタまだいたの?」


すると今度は栗山ではなく、クリヤマーズの一人が反応した。

だがその眼差しは栗山に向けていた愛情に満ちたものから一転して、さながら台所に出現した黒いアレを見るかのように冷え切っており、俺の勇気は光の速さでまた寝込んでしまった。


しかも、


「つかここで話しかけるとかマジ何」

「空気読めよ」

「このエセ紳士(笑)野郎が」


続けて他のメンバーからも畳みかけるようにして言葉という名の刃が次々と飛んできて、心無きオーバーキルにより、繊細な俺の心はもはやシュレッダーにかけられた書類の如くズタズタのボロボロであった。


な、なんだ…!?

これはいったいどんな状況なんだ…!?

あと俺は断じてエセ紳士(笑)などではないぞ!

よく分からない誹謗中傷はやめるんだ!


俺はただ栗山から一口スムージーを味見させてもらっただけだというのに、何という理不尽、何という横暴。

この先進的な日本という国において、こんなことがまかり通っていいのだろうか。

いや、いいはずがない。

俺は真の紳士である侍を目指す男、秋月恭也。

このような不条理には断固として抗戦する構えである。


「……」


もっとも勇ましい覚悟とは裏腹に、俺の膝は生まれたての仔ヤギ、あるいはキレのいいフックを顎にもらったあとのボクサーのように、ぷるぷると懸命に大地を踏みしめていた。

だって怖いものは怖いのだ。


「それよりさ、新しくできたパンケーキの店行かん?姫良瑠、前食べてみたいって言ってたっしょ?」

「え?あ、うん…」

「いいじゃんいいじゃん!いこいこ~!」


しかしぷるぷるする俺にはすぐに興味をなくしたらしく、また視線を栗山へと戻してわいわいと盛り上がり始める。

その際、栗山が何か言いたげな目を向けてきたが、結局クリヤマーズの勢いに押されるようにして共に別口の方へと去っていった。

何というか、台風のような連中である。


「……」


そうして雑踏の中、ファイティングポーズを取りながらぽつねんと残されていたのだが、


…もしかして俺、クリヤマーズから嫌われてる?


ふとそんな考えが頭をよぎった。


そういえば学校でも栗山にはよく話しかけられるが、クリヤマーズから話しかけられたことはほとんどなかった気がする。

それどころか道ですれ違ったときなどは、まるで威嚇する猫…を超えて、もはや虎の如き鋭い眼差しを向けてくるような有様であったことを今更ながらに思い出した。


ま、まあここで考えていても仕方がないか。


それ以上はなんだか考えるのが怖くなってきたので、慌てて頭を振り、気を取り直して改札へと足を進める。


なおスムージーに関しては、すでに栗山に一口もらったのでもう満足である。

明日からは堂々と地球人であることを主張して生きていきたいと思う。


お、ちょうど電車も来るな。


なんだかドッと疲れてしまったが、改札をくぐれば少し元気が戻ってくる。

というのも俺は、電車というものが結構好きなのである。

ほぼ毎日のように乗っているし、通勤ラッシュ時はサラリーマンとOLによる突き上げ+ハイヒールのコンボをくらってライフポイントの八割方を持っていかれるし、この前のような事件に巻き込まれることもあるのだが、それでも何故か乗る度にわくわくとしてくるのだ。

俺には鉄道マニア達のような深い知識はないから正直構造なんかはさっぱりなのだが、きっと電車には男の本能をくすぐるロマンが詰まっているのだろう。


ところが、そんな風に少しうきうきしつつホームへと一歩を踏み出した時のことだった。


__電車か…。一度くらい乗ってみたかったな…__


不意にまた何かの記憶がフラッシュバックし、思わず立ち止まってしまった。


__そうですね…。ただ、これだけ膨大な電気と長大な設備が必要となると、

  正直運用されている風景は想像もつきませんね…__


く…!?


突然立ち止まったことで、後ろを歩いていた誰かに突き飛ばされるようにぶつかられたが、謝る余裕もなく、よろよろと道脇に退いて壁に手をつく。


「……」


それは先ほどと同じ、俺の知らない記憶だった。なのにやはりこれは「俺」の記憶なのだと確信する。


本当に…、いったい何なんだ…?


もし喫茶店での一件だけだったならば、少し疲れが溜まっていたのかもしれないという結論に落ち着いて、きっと明日にはもう完全に忘れていただろう。

だが流石に二度も続くとなるともはや気にしない方が難しい。


「……」


とはいえ考えても答えが出るはずもなく、悶々としながらも電車に乗って家へと帰る。


結局謎の記憶が蘇ったのはその一瞬だけで、家に帰る道中では特に何も起きなかった。

当たり前だが、こんなことをネットで調べても怪しげなサイトに行き着くだけで答えなんて出てくることはなく、かといって誰かに相談しようにもどう話せばいいのか見当もつかない。

なので相変わらず美味しい母さんのご飯をいただき、いつもなら長過ぎると姉に怒られるくらい好きな風呂に浸かっても気分が晴れることはなく、むしろ時間が経つにつれて疑問は不安へと変化してますます鬱屈とした気持ちになるような始末であった。


ちなみにその夜、栗山から連絡がきた(連絡先は前に半強制的に交換させられた)。

内容は今日の一件についてのお詫びと、クリヤマーズも決して悪い奴らではないのだという彼女達のフォロー。

意外とまめというか、律儀な奴である。

まあだからこそ、あれだけ友人達からも愛されているのだろう。


ともあれ気にしていないと返信をし、どさりと倒れるようにして布団に包まれれば、どうやらそれなりに疲れていたらしい。

予想に反して再び悶々と頭を悩ませるようなことはなく、俺の意識はすぐに夢の中へと吸い込まれていった。


……。

…………。


コォォォー…。


ピーッ、ピーッ、ピーッ。


コォォォー…。


ピーッ、ピーッ、ピーッ。


またあの夢の続きだ。


直感的にそのことを理解する。

今回は前よりもほんの少しだけ頭がはっきりとしており、状況をいち早く把握することができた。


ただ、だからなのか、


……ま、ず…い。


今はこの上ない焦燥感が全身を駆け巡っていた。

このままでは決定的によくないことが起きてしまう。

何が起こるのかはやはりまだよく分からなかったが、何故かそのことだけは強く確信することができた。


どう…、すれ、ば……。


しかしひどく重たい頭をのろのろと回して考えようとするも、間髪を入れずこの前と同じく猛烈な眠気が襲ってくる。


……。


そして為す術もなく、俺の意識は闇の中へと消えていった。


……。

…………。


「……?」


ちゅんちゅん、と小鳥のさえずり声に目を開ければ、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいるのが見えた。


朝、か…。


ぐぐっと伸びをしてサッとカーテンを開ければ、快晴の青空の下で輝く街並みが目に飛び込んでくると共に、爽やかな風が部屋を通り抜けていく。


うーん…、また何か夢を見ていたような…?


前日にあんなことがあったからなのか、どうにも夢見がよくなかったような気がする。


とはいえ顔を洗い、当たり前のように美味しい朝食をいただけば、もやもやとした気持ちも瞬く間に霧散した。

昨日の後ろ向きな気持ちは今日に引きずらない。

常に前を向いて未来に生きる男、それが秋月恭也である。

だからこれは決して俺が単純な男だからではないのだとここに略。


そんなわけでいつも通り身支度を済ませて家を発ち、駅から学校に続く通学路をのびのびとした気持ちで歩いていると、ふと知っている後ろ姿が目に映った。


あれは…、美弥子先輩か?

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