第11話

「わ、私も、うぅ…、ご一緒しても、いい、ですか…?」


そんな俺達を余所に、静音が潤んだ瞳でもう一度そう訴えかけてきた。

その姿からはやはり子犬を連想させられて、何故かこちらがものすごく悪いことをしてしまったかのような気分になってくる。


「あ、ああ、構わないが…」


だからというわけではないが二つ返事で頷き返した。

元々大した予定でもないし、静音達と本の話で盛り上がるのも悪くない。


…まあ、田村とはいささかジャンルが合わないかもしれないが。


「ほ、本当ですかっ。あ、ありがとうございます!」


すると泣きそうだった顔から一転、パァッとたちまち笑顔になった。

そのことにひとまずホッと胸をなで下ろす。

なんだか、初めてお使いに出かけた我が子を影からこっそり見守る親の気持ちが分かったような気がする。


「うん、よかったよかった。あ、ちなみに私は喫茶店アレルギーなので、すみませんが遠慮させていただきます」


その様子を満足そうに眺めていた田村がふと思い出したようにこちらを向き、ピッと小さく手を上げて断りを入れてきた。

どうやら笑いの発作は治まったらしい。


「お、おお、そうか…」


再びコクコクと頷く俺。


喫茶店アレルギーってなんだろう…。


厚切りトーストとかを見て目が痒くなったりするのだろうか。


__うぅ、目が、目が~…!私、五枚切以上の厚みがあるパンは

  駄目なんです…。ああっ、こっちにはイチゴサンデーが!?

  は、ハックショーン!__


なるほど、田村ならあり得るかもしれない。

読んでいる本を見たときから薄々察してはいたが、どうやら田村はそこそこ変わった子らしい。


「…秋月先輩?今、すごく失礼なことを考えていませんでしたか?」

「そ、そんなことはないぞ?」


そしてとても勘のいい子でもあった。


と、そんなわけで図書館を出て、静音と共に駅の近くにある喫茶店へと向った。


この喫茶店は奥まった裏路地にひっそりと佇んでいて、駅からそれなりに近い場所にあるにも関わらず、ちょっとした隠れ家のようになっている。

図書館の帰りに何気なく散策していたときに見つけた、俺のお気に入りの喫茶店だ。

カラン、と控えめなベルの音と共に中に入れば、まず包まれるのはコーヒーの香ばしい香り。

図書館の匂いも俺は好きだが、この香りもまた心を落ち着かせてくれる。


店内は、小洒落た…というにはいささか古めかしい内装で、特に何か目を引くようなものもなく、うっすらと流れている曲もごく当たり障りのない、いわゆる喫茶店らしい喫茶店である。

人によっては古くささや退屈さを感じるかもしれないが、俺のような人間にはあまり小洒落たところは気後れしてしまうし、こういう時代に取り残されたと言っては失礼かもしれないが、不変という言葉が思わず頭に浮かんでくるような場所はとても落ち着くのだ。

きっと図書館が好きなのも同じ理由なんだと思う。

…まあこういったこと口にする度に「あんたには若さが足りない」と姉にはため息をつかれてしまうのだが、世界は広いのだから、たまにはこんな人間がいてもいいのではないだろうか。


「…いらっしゃい」


客が入ってきても席に案内をするでもなく、カウンターからちらりと一瞥だけして、店主がまたコーヒーの準備に取りかかる。

この店は店主が一人で切り盛りしているらしく、もう結構な頻度で通っているものの、今まで他に人を見たことがなかった。

これだけ無愛想でよく接客業が務まるものだと思うが、俺のようにあまり話しかけられない方が好きだという人間にとっては、この方がむしろありがたい。

それにその分というのもおかしな話だが、コーヒーはとても美味いし、現に店内は混雑とはいかないまでもいつも人がそれなりにいて閑古鳥の声は聞いたことがなかったから、きっと同じように思っている人はそれなりにいるのだろう。


「わぁ、素敵な雰囲気の喫茶店ですね」


俺がいつも座るカウンター席を勧めてその隣へと座ると、キョロキョロと物珍しげに店内の様子を眺めていた静音が、ほわぁとため息をついた。

どうやら静音もここを気に入ってくれたらしい。


「はは、だろう?」


本もそうだが、自分の好きなものに共感してもらえるというのは嬉しい。


「先輩はいつもここで本を読んでいるんですか?」

「そうだな。小遣いが許す限り、休みはここに立ち寄るかな」


なんともほっこりとした気持ちになりながら、さっそくメニューを手渡す。

なお俺がメニューを見ないのは、ここには何度も通い詰めているからであって、もちろん後輩の前で常連風を吹かせて格好をつけているわけではないのである。本当である。


「す、すごいです…!恭也先輩とは一年しか違わないはずなのに、なんだかすごく大人っぽいです…!」


そんな邪なことを考える俺の傍ら、静音がキラキラと尊敬の眼差しを向けてきた。

それはまさに期待通りの反応で、混じり気のない真っ直ぐな気持ちが何というか実に心地いい。

格好をつけた甲斐があったというもの…ごほごほん!ではなく、是非今後ともその純真さを失わないで欲しいものである。


「私なんて、未だに中学生に間違われるのに…」


などと勝手なことを思ってじーんと感動していたものの、たちまち今度は落ち込んでしまった。

こうしてコロコロと表情が変わるのも彼女の素直さの表れだろう。


「まあ、まだ高校一年生で、しかも入学したばかりなんだし、中学生に間違われるのは仕方がないんじゃないか?」


再び微笑ましさを感じつつ、ともあれ自分なりの見解を述べる。

中学三年生と高校一年生の違いなど、制服を着ていなければ他人からは分からない。

これは別に静音に限った話ではなく、多かれ少なかれ誰しもが経験することだと思う。


しかし思っていたよりも事態は深刻だったようで、ふと静音の目から光が消えた。


「…噓です。今見栄張りました…。この間は小学生に間違われました…」「……」


そのまま続けられた言葉に、思わず絶句してしまう。


し、小学生…。


流石に小学生ともなると咄嗟にフォローも思いつかない。

実際、静音は同学年の中でも小さい方だし、顔にもまだあどけなさが残っており、正直に言えば俺自身静音を初めて見たときは、制服を着ているにも関わらず、どこからか迷い込んだ生徒の弟妹かと思ったくらいなのだ。

今だってもしかしたら、周囲からは兄妹が話しているように見られているかもしれない。

いや十中八九見られているだろう。


こ、この場合はどう声をかけるべきなんだ…!?


静音の表情からして相当気にしていることは間違いなく、下手なことは言えない。

普通に雑談をしていたはずなんだが、急に薄氷の上を歩いているかのような気分になってきた。


「え、ええと、その、まあ、なんだ。人が纏う雰囲気は、ほら、気持ちや環境に応じて変化すると言うし、そのうちにきっと相応の外見になるんじゃないか?」


そうして内心で冷や汗を流していたものの、結局出てきたのはそんな言葉だった。


といっても今の言葉も決して場当たり的なものではなく、紛れもない俺の本心である。

事実、俺も侍という真の紳士を目指すようになってから言動や身だしなみにも注意を払うようになったし、この言葉を教えてくれた母自身もやはりそうだったと言っていた。

なお、紳士を気取るならば何故お付き合いしている女性の一人もいないのか、という質問は受け付けていない。

世の中には縁という言葉があるのだ。


「だからそんなに気にすることはないと思うぞ。それに少し話せば、静音が幼い子供などではなく、とても魅力的な女の子だということはすぐに分かるしな」

「えひゃぃ!?」


なので心のままに言葉を続けたのだが、するとどんよりしていた静音がまた素っ頓狂な声を上げた。

毎度のことながら面白い声を出す子である。


「み、みみみみみ魅力的って…!?」

「ん?いや、確かに静音は自分から積極的に話をするタイプではないが、こちらが何か話せばいつも楽しそうに聞いてくれるし、例えば本に対してもそうだが、自分なりの見解もしっかりと持っているから話を聞くのも実に有意義で面白い。その上、弁当も毎回自分で作るような家庭的な面もあるんだ。むしろ魅力的に思わない人間の方が少ないんじゃないか?」

「~~っ!?!?」


しかし話せば話すほど静音の顔は赤くなっていく。

そのことに一瞬首を傾げるも、


おお、もしかして照れているのか?


すぐに納得した。

別に俺はごく客観的な、ありのままの感想を述べただけで、そこまで照れるようなことではないと思うんだが、静音は思っていた以上に謙虚な子だったらしい。


うんうん、静音は立派な大和撫子になりそうだな。


しかし感激する俺の一方、当の本人からは何故か少し恨めしげな目が返ってきた。


「先輩のサラッとそういうこと言っちゃうところ、ずるいと思います…」

「?」

「うぅ…、きっとこうやってライバルがどんどん増えていくんだ…」


かと思えば首を傾げる俺を見て、今度はガックリと肩を落とした。

乙女心というのは想像以上に複雑なものだったらしい。

俺が真の紳士となる日は、まだまだ先のことになりそうである。


と、そんなこともあったものの、何はともあれ注文をしてしまおうということで、再び静音の視線はメニューへと移った。

そのまましばらくの間メニューとにらめっこしていた静音だったが、結局俺と同じものに決めたようでブレンドを二つ注文する。

喫茶店を始め、飲食店というのはオーダーをしないとどうにも落ち着かないというか、オーダーをして初めて一息ついた気分になるのだ。

それはやはり静音も同じだったようで、オーダーした後は先ほどよりも幾分くつろいだ表情をしており、お互いが今まで読んできた本について意見を交わし合いながら、ゆったりとコーヒーが来るのを待つことにした。


「…と、あの場面について俺なりに考えたんだが、静音はどう感じた?」

「うーん、そうですね…。確かにそれもあるとは思いますが、ですがあのときの主人公の気持ちはもう少し複雑だったんじゃないかな、なんて私は思いました。ほら、元々主人公は農村の出で、馬達とは家族のように育ったわけですから…」

「…む、なるほど。言われてみれば、確かにそうかもしれないな…。ああ、だから後のシーンで……うん?」


そうして本の話に花を咲かせていたものの、不意にコトリ、とソーサーを置く控えめな音で我に返った。


「……」


と、いつの間にかコーヒーが出来上がっていたようで、続けてカチャリと、やはり静かに湯気立つカップが置かれる。


「あ、ああ、ありがとうございます」


なので少し慌てつつお礼を言って受け取った。

どうやら思っていた以上に、話に夢中になっていたらしい。


ぜ、全然気が付かなかったぞ…。


静音も同じく、隣で大きな目をパチパチと瞬いている。


「…ごゆっくり」


そんな俺達を余所に、そう一言だけ残して店主はまた別のオーダーの準備に取りかかった。

相変わらず無口な店主だが、俺は決して嫌いじゃない。

喫茶店とは俗世から離れた落ち着いた空間であるべきであり、そこの店主は無口であるべきなのだ。

…まあ完全な俺の独断と偏見ではあるが。


ともあれ、コーヒーがきたらやることは一つだ。


…うむ。相変わらずいい香りだ…。


さっそくカップを軽く持ち上げると、途端にふわりと香ばしさを主体としたえも言われぬ香りが鼻を通り抜けていった。

思わずため息が出てくる。


コーヒーの香りというのは、何故こうも落ち着くのか。

一説には、人の気持ちを静めるアロマが含まれているからだと言われているが、きっとそれだけでなく、コーヒーにはもっと精神的、あるいは魂的な何かが含まれているからなのだと俺はずっと思っている。

こうMP回復のような感じで。


そんなわけでなんとも幸せな気持ちになりながら続けてカップに口をつけて傾ければ、まずやってくるのは苦み。

しかし決して不快なものではなく、続けて広がっていく香ばしさを引き立てつつ鼻へと抜けていき、そして後を引く若干の酸味が爽やかな余韻となって飲んだ後も舌を楽しませてくれる。

この酸味は好き嫌いがあるとは思うが、個人的にはあった方が断然好きだ。

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