第10話

そして俺達に気づくと本から顔を上げ、クイッと指で眼鏡を持ち上げながらそう言った。


それはなんだか妙に様になっていて、内心でちょっと感動する。

もし眼鏡をしていたら一度はやってみたいポーズである。

どうやら本好きなのは間違いないらしく、彼女の机には様々な本が積まれているのが見えた。


なになに…「脳科学の発展を妨げる最大の敵、それは基本的人権である」「詐欺師の手口から学ぶ、人の心を操る八つの方法」「人体実験はどこまでが『合法』か」…?


しかしそこまで確認したところで思わず一歩後ずさった。

どことなく犯罪の香りが、それも結構大がかりなものを感じるのだが、俺の気のせいだろうか。


ま、まあ何を好むのかは人の自由だからな…。


何やら見てはいけないものを見てしまったような気分だったが、慌ててそう思い直し、気のせいだということにしておく。


というか、そもそもどうしてそんな本が図書館に置いあるんだ…。


「静音のことだから、てっきり迷子になって泣いているのかと思って心配で心配で…。ページをめくる手が、人差し指から中指へと変わってしまったよ」「ま、迷子になんてならないもん!私もう高校生なんだからね…って、それ全然心配してないよね!?」


そんな俺を余所に、さっそく二人が賑やかにお喋りを始める。


お、おお、静音が突っ込みを入れているぞ…。


珍しい光景につい目を瞬く。

だが確かにこの友人なら、静音も突っ込みを入れざるを得ないだろう。

なんだか面白い組み合わせだった。


「おや、そちらの殿方は?」


などと感心していると、眼鏡の友人がこちらを向いた。


「え、あ、うん。この人は秋月先輩だよ。さっき偶然会ったんだ、えへへ」

「ほほぅ…。この人が…」


そして静音が嬉しそうに顔をほころばせるなり、キランと眼鏡を光らせた。

その姿に何故かビクリとしてしまう。


「あ、この子は田村三春ちゃん、私の友達です」

「初めまして、秋月先輩。お目にかかれて嬉しいです」

「あ、ああ、これはどうも…」


そのまま何を言い出すのかと身構えていたものの、予想に反して眼鏡の友人改め田村は俺へと向き直ると、きちんと頭を下げてきた。

本のチョイスを始めとして、なかなかパンチの効いた印象を受けたためつい警戒してしまったが、意外と礼儀正しい子であるらしい。


そうだよな、静音の友人だもんな…。ふむ、少し偏見が過ぎたか。


「とは言っても先輩のことは静音から耳にたこができ、目にも物貰いができた上に胸焼けしそうなくらい、それはもうじっとりねっとりと聞いていますので、もはや初めましてという言葉に違和感を覚えるくらいで…」

「わ、わわ、ちょ、ちょっと、三春ちゃん!?」


しかし反省する間もなく、すぐにそう続けて静音がまたわたわたと慌て始めた。


…あれ?


「うん?ああ、ごめんごめん。そういえば静音が、秋月先輩に名前で呼んでもらえたことが嬉しくて嬉しくて、浮かれるあまりシュウマイ用に用意していた醤油を大好物のイチゴにかけてしまってちょっと泣きそうになった、なんてことは内緒だったね」

「わぁ!?な、なな何言い出すのっ」


顎に手を当てながら何食わぬ顔で、だが実に滑舌よく早口で話す田村の言葉に、ボンッと音が聞こえそうな勢いで顔を赤らめ、ぶんぶんと激しく手を振る静音。


ま、まあ、特に偏見というわけでもなさそうだな。


それを見てなんとなく田村がどういう子なのか理解しつつ、同時に二人はとても仲がいいらしいことも分かって、少しほっこりしてくる。


…ただそれはそれとして、だ。


「…コホン。二人とも仲がいいのは結構だが、ここは図書館だ。もう少し声を抑えた方がいいんじゃないだろうか」


いくら大声で叫んでいるわけではないとは言っても、ここは静謐を尊ぶ場所。

流石にそろそろ周囲からの視線が気になり始めたので、控えめに注意をしておく。


「あっ、す、すみません…!」

「おっと、私としたことが。申し訳ありませんでした」


と、慌てて二人が俺に謝り、周囲へも頭を下げた(もっとも慌てていたのは静音だけで田村の方は堂々としていたが)。

素直ないい子達である。


「…なるほど。確かに静音が言っていた通り、秋月先輩は真面目な方のようですね」


そうして少し落ち着くと、不意に田村がそんなことを言い出した。

いきなり何を言い出すのかと目を向ければ、うんうんと何やら納得している。


「それならば、私が静音をそそのかし…こほん、アドバイスをした例のアピール作戦が失敗したのも頷けます」

「み、三春ちゃん!?」


だが相変わらず発言は予想出来ないというか、またもや出てきた斜め上の言葉に、静音がぎょっとしたように振り向く。

けれどすぐに自分の声に気づいたようで、慌てて口を押さえた。

正直もう口にしてしまった以上は押さえても何の意味もない気がするのだが、その仕草にもやはり子犬のような微笑ましさを感じてなんだかほっこりしてくる。


「そ、その話はもうしないって約束だったでしょ!?あんな風に、じ、自分から、お、お、おっぱ…~~っ」

「胸と言えばそんなに恥ずかしくないんじゃないかな?」

「あぅ…、って、そ、そんなことはいいの!あれ、ものすごく恥ずかしかったんだからねっ!結局先輩にもお説教されちゃったし…」

「いやあ、正直まさか本当に実行に移すとは思わなくてね…。静音は人一倍恥ずかしがり屋だから絶対無理だと思ったのに。うーん…、これがまさに愛故の行動というものなんだなぁ…。報告してくれた時にも言ったけれど、私はとても感動したよ」

「あ、ああああ愛って!?」


そんな中、今度はちゃんと声を抑えつつも、それでも賑やかに二人が盛り上がる。

ただ一方で俺は、それを聞いてようやく二人が何を話しているのかに気づいた。


…「例のアピール作戦」って、もしかして裏庭での一件のことか?


俺が静音に説教めいたことを言ったのは一度だけだし、間違いないだろう。

あの時は、大人しい静音が何をとんでもないことを言い出すのかと仰天したものだったが、なるほど、どうやらこの友人の入れ知恵だったらしい。

道理で本人も混乱していたわけである。


…静音。友人は選んだ方がいいかもしれないぞ…。


まあ、素直に実行に移す静音も静音だと思うが。


「とはいえ年下、一途、小動物に豊胸と、これだけ男性の本能をくすぐる要素を備えた静音に迫られて断れるとは、もはや真面目だけでは説明が…。ああ、もしかして先輩って、あっち系の人ですか?」

「三春ちゃん!?さっきから本当に遠慮がなさ過ぎだよ!?」


心の中でため息をつく俺を余所に、再び田村が何やらよく分からないことを言い出し、静音がぎょっとした顔になる。


「もうっ、いい加減にしないと、私怒るからねっ」

「はいはい、分かったよ。静音に嫌われたくはないからね。それでは先輩、連絡先を教えていただけますか?後ほど質問をまとめて送りたいので」

「本当に分かってくれたの!?」


そしてまたきゃあきゃあと盛り上がりながら、もう三春ちゃんなんて知らないもんっ、と静音が膨れると、ごめんごめん、とやはりまったくそうは思っていなさそうな顔で田村が謝った。

ものすごくでこぼこな二人だが、こういう友情の形もあるらしい。

今日はなんだか驚いてばかりいる気がする。


……。

…………。


「…さて、それでは俺はこの辺で失礼させてもらうよ」


そうしてしばらく賑やかにしていたものの、二人の会話が一区切りしたタイミングで暇を告げることにした。

幸い俺も、先ほどいくつか面白そうな本を見つけたのである。


「え!?」


ただ、お宝候補達の重さにほくほくした気持ちとなる俺とは対照的に、静音の方はびっくりしたように目を見開くと、すぐにガックリと肩を落とした。


「あ、そ、そうですよね…、結構時間経っちゃいましたもんね…」


その姿があまりにもしょんぼりとしていたので一瞬思い直しそうにもなったが、いくら声を抑えているとはいえ、このまま賑やかにし続けては流石に問題があるだろう(といっても俺自身はほとんど喋っていないのだが)。

だから悪いとは思いつつも、開きかけた口を再び閉じる。


「せっかくの休日でしたのに、騒々しくしてしまって申し訳ありませんでした、秋月先輩。気を悪くされていないといいのですが」


するとそんな俺の気持ちを鋭く見抜いたのか、田村が何やら殊勝なことを言い出した。

なので何事かと一瞬ぎょっとするも、そういえば彼女は意外と礼儀正しい性格をしていることを思い出して納得する。

…いや、意外なんて言っては失礼なのだが。

豪快に周りを振り回したかと思えば、こうしてきめ細やかに相手のことを慮ったりもする。どうにもつかみ所のない子であった。

もっとも静音も静音で「ど、どうしたの、三春ちゃん!?そんなしおらしいことを言うなんて、もしかしてどこか具合が悪いの…!?」などと驚きを通り越して、もはや心配そうな顔を向けていたが。


君の友人じゃないのか、静音…。


でこぼこかと思いきや、二人は意外と似たもの同士なのかもしれない。


「いや、こういう時間も新鮮で楽しかった。それに、静音の新たな一面も知ることができたしな」

「あ、あうぅ…」


それがなんだか可笑しくて少し笑いながら答えると、静音がまた赤くなった。


「…なるほど。こういうことをサラリと言えてしまう人なんですね、秋月先輩は。しかも無意識みたいですし。男慣れしていない静音がパクリと食べられてしまったのも道理というわけですか」


そんな俺達を見て、田村が何やら訳知り顔で頷く。


「な、ななな何言ってるの!?わ、私、まだ食べられてないもん!」

「ほほぅ…?『まだ』と?」

「あ……」

「では今後食べられる予定、あるいは願望がある、と?」


しかし静音がぎょっと本日一番の大きさに目を見開いて狼狽えるなり、直ちに顔を戻し、滔々と問い詰め始めた。

田村は感情が表に出ない方らしく、その顔はさながら弁護士のように冷静で思慮深そうに見える。

だが生き生きと輝く目までは隠し切れておらず、実に楽しそうであった。


「あ、え、う…、うぅ…~~っ」


対する静音の方は、もう耳まで真っ赤という状態で、田村が何か話す度に目を白黒させて言葉にならないうめき声を上げている。


う、うーむ…。


正直展開が早すぎて、俺の方は何がなんだか状況がよく分かっていないのだが、少なくとも静音が大変な状態となっていることだけは分かる。

なのでともあれフォローするべく口を開きかけるも、


「さて、これ以上は本当に静音に嫌われてしまいかねないので、この辺りにしておくとして…。先輩、この後はどのようなご予定ですか?」


その前に他ならない田村自身がさっさと話題を切り上げ、こちらへと向き直ってそう尋ねてきた。

何というか、栗山以上に会話のペースがまったく掴めない。


「え、あ、ああ。俺はいつも、ここで借りた本を近くの喫茶店で読むんだが…」

「ほほぅ…、それはまた素敵な休日の過ごし方ですね。…だそうだよ、静音?」


若干狼狽えつつも答える俺に、田村が感心したように微笑み、再び静音に目を向ける。


「へみゃ!?」


と、硬直していた静音が、尻尾を踏まれた子猫みたいな声を上げた。

毎度のことながら、不思議な声を出す子である。


「え?え?」


突然話を振られて、少しの間静音が大きな目をパチパチと瞬く。

しかし、意味ありげに目配せする田村を見て何かに気づいたらしい。

間もなくしてハッとした顔になり、慌てて俺の方に向き直った。


「あ、あの、恭也先輩っ」


そのままギュッと両の手で握り拳をつくって、真剣な表情で見つめてくる。


「な、なんでしょうかっ」


なんとなく勢いに押されて、俺も敬語で返す。


な、なんだ、いったい何が始まるんだ…?


「も、もしよければ、わ、わた、わたちもっ」


…あ、嚙んだ。


しかし意気込みすぎたのか、途中で盛大に言葉を詰まらせてしまった。


「~~~っ」


途端にかぁっとまた顔が赤くなるも、ついには恥ずかしさが限界を超えたのか、続けてじわぁとその目が潤み始める。

一方で田村は、表情こそ変えないものの何やらぷるぷると震えており、胸中で友情と衝動が激しくせめぎ合っているのが分かった。

なのでここは紳士らしく、何も見なかったことにしておく。

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