第5話

そういえば、そろそろ新作のゲームが発売するんだったな。


今日ではソシャゲ、いわゆる「基本プレイ無料で課金していく」タイプのゲームが世間では流行っているが、俺は昔から変わらずコンシューマー、いわゆる買い切り型のゲームを好んで遊んでいた。

これは単純に金銭的なものもあるが、買い切り型のゲームは時間などでプレイが制限されることはないし、ソシャゲにはない深さがあるのだ(まあゲームにもよるんだが…)。

ゲームは日本が誇る立派な文化である。


ただそんな風に、俺がウキウキとスキップしながら歩き出して間もなくのことだった。


「お、よっす~!後輩のおっぱい触ろうとしてた秋月じゃん!」「ぶーーっ!?」


弾んでいた気持ちが一瞬で凍り付くような、とんでもない言葉が俺の後ろから飛んできた。

何故ならここはまだ職員室前なのである。

そんな場所で、そんな公序良俗に反することを、そんな大声で口にすればどうなるか。


「……」


思った通り、近くにいた教師が何事かと目を剝いてこちらを見てきた。

当然である。

何度も言うが俺は遅刻や欠席をせず、こうしてクラス委員としての仕事もコツコツとこなす、品行方正かつ善良な模範的学生なのだ。

なのにそんな俺のイメージを一撃で粉砕するような、しかも事実無根の言葉をかけてくるなど、いったい俺に何の恨みがあるというのか。


もはや目を向けるまでもなく誰かは分かっていたが、ギロリと思わず振り返れば、


「ぶはっ!?何その顔!?あはは、めっちゃウケる~!マジ芸人~!」


案の定、その先では栗山がケタケタと笑っていた。

あまりにも楽しそうな笑顔に、咄嗟に毒気を抜かれてガックリと肩が落ちる。


「この阿呆!いいからちょっとこっちに来い!」


とはいえこのままでは、いかなる言われなき誹謗中傷を受けるか分かったものではなかったので、すぐに近くの教室へと引っ張っていく。


「や~ん!アタシもおっぱい触られちゃ~う」

「触るかっ!」


幸いすでに下校時間は過ぎていたので、教室には誰もいなかった。


「なになに~、こんな人気のないとこに連れ込んで…え、まさかマジでアタシのおっぱいを…」

「ええい、それはもういいというに!」


なおも戯けたことを口にする栗山に思わずため息をつく。

と、何がおかしいのか、また吹き出されてしまった。


「はぁ…。いいか、まず彼女の名誉のために言っておくが、俺は天野の胸を触ったりなどしていない。そして彼女はお前と違ってとても内気な子なんだ。どういう形で耳に入るか分からないのだから、言動には注意してくれ」

「…ふ~ん、あの子、天野って言うんだ?一年だよね?」


しかしさっそく俺が正しく現状を説明してやると、腹を抱えていた栗山がピタリと笑うのをやめた。

同時にスッと目が細くなる。


な、なんだなんだ…!?


静音も笑ったり恥ずかしがったりと表情がコロコロとよく動くが、栗山の場合は時々こんな風に急に真面目な顔になるので、その度に怯んでしまう。


「そ、それよりも、どうしてお前があの会話の内容を知っているんだ!」


ともあれ気を取り直して、先ほどから気になっていたことを問い詰める。


何故なら裏庭は人目に付かない場所だからこそ、安息の地として選んだのである。

なのにあんな出来事を、よりにもよって一番知られてはいけない人間に知られてしまったのだから、問い質さずにはいられない。


「え?知らないけど?」

「え?」


しかし焦る俺の一方、何故か首を傾げられてしまった。

何言ってんの?と言わんばかりの顔をしているが、それは俺の台詞である。


「い、いや、だってさっき、お、お、お…コホン、胸がどうとか言っていたじゃないか」


話を聞いていたからこそ、あんな声をかけたのではないのか。

…もっとも話を聞いていれば、俺が無実だということも分かったはずなのだが。

どうにも話がかみ合っていない。


「ぶふっ!あ、アンタって絶対彼女いない歴=年齢でしょ?くぷぷっ」

「うるさい!それよりも質問に答えなさい!」


吹き出す栗山に、クワッと目を見開く俺。


は、話が一向に進まない…!


さながら糠に釘を打っているかのような感覚につい説教口調になるも、それを聞いて栗山がまたもや爆笑する。


もう好きなように笑ってくれ…。


「は~、アンタってホント面白いね~。

 つかアタシらは近くを通りかかっただけだよ?あそこってほら、木だらけで全然中の様子見えないじゃん?

 けどちょうど見えるトコがあって、そしたら何かアンタ達が抱き合ってたから、『先輩、私のおっぱい触って下さい!』『ああいいとも!』みたいな感じで適当な台詞を当てて楽しんでたってわけ」


若干投げやりな気持ちになっていたものの、するとようやくそんな答えが返ってきた。


「いや、ちょっと待て!?」


しかしそのことに安堵する間もなく、再び目を見開く。


「ああいいとも!」ってなんだ!?それではただの変態じゃないか!?俺を何だと思っているんだ!


どうやら会話の内容自体は聞かれなかったものの、しっかり見られてはいたらしい。

裏庭の様子は校舎側からは完全に見えないと思っていたのに、まさかそのようなポイントがあったとは。

寝耳に水とはまさにこのことである。


しかも栗山だけでなく、あろうことか彼女の愉快な仲間達にも見られてしまったという。

それはすなわち、明日からしばらくの間はこの話題で散々からかわれるということに他ならず、我が精神の減衰率はより激化、針のむしろと化すに違いない。


く…っ、もっと入念に裏庭のセキュリティをチェックしておけばよかった…!


連続する想定外かつショッキングな事態の数々に、後悔やら絶望やら、胸中に世紀末の風が吹き荒れ始める。


「…で、あのままヤったの、アンタ達」

「ぶーーーーーーっ!!??」


ところが、そんな俺に追い討ちをかけるかのようにまたとんでもないことを言い出したので、思わず口の中のエアーを吹き出してしまった。


なんなんだ!?先ほどの静音といい、日本女子はいつから慎みを忘れてしまったんだ!?


確かに先ほどの一件も、端から見たら抱き合っているようにも見えたかもしれないが、すぐに離れたし、そもそも俺達がいたのは裏庭である。

事実無根も甚だしく、本来ならまともに取り合う話ではない。


しかし噂というのは厄介なことに事実かどうかはほとんど重視されず、無責任に広がっていくのだ。

もしこんな噂が広まりでもしたら、俺はともかく内気な静音は深く傷ついてしまうだろう。

下手をすれば不登校にもなりかねない。


「……」


戯けた言葉の内容とは裏腹に、栗山は何故かこの上なく真剣な表情をこちらへと向けていたが、これには流石に黙っているわけにはいかず、後悔や明日への恐怖も忘れてキッとその目を見返す。


「栗山、いいか…」

「なんてね~!ま、ビビりのアンタに、あんな可愛い子押し倒す勇気なんてあるわけないか!」


でも口を開くよりも先に、ニヤニヤとまたいつもの調子に戻って肩をすくめてきた。


「……」


思わぬ反応に目を瞬くも、間もなくしてからかわれていたのだと理解する。

真面目な顔をしていたから深刻に捉えたというのに、こいつの言動は本当に予測ができない。


なんなんだ、いったい…。


相変わらずの奔放さにガックリと肩が落ちそうになるも、ともあれ静音にまで影響が及ぶことはなさそうだと分かって内心でホッと息をつく。


そして安堵すれば、たちまち今度は今の発言に聞き逃せない単語があったことに思い至り、なのでコホンと咳払いをし、一言ものを申すべくキリッと表情を改めた。


「…そもそも俺は別にビビりじゃないが?」


なにせ俺が目指しているのは、いかなる困難にも怯むことなく立ち向かう男の中の漢、侍なのだ。

間違ってもビビりなどと評されることをよしとするわけにはいかない。

だからこれは決して女子の前で無駄に見栄を張りたがるという、男子高校生が持つ謎の特性によるものではないのだと改めてここに強調しておく。


ただそういうわけで毅然と訂正申し上げたのだが、対照的に栗山の方はますます悪戯っぽい表情になった。


「え~?だって、痴漢からアタシを助けてくれたときだって、めちゃくちゃ声裏返ってたじゃん~?あれ、めっちゃウケたし」

「うぐっ!?」


そのまま痛いところを突かれてあえなく怯む。


確かにあの時は予想もしない事態に少しだけ、そう、ほんの少しだけ緊張して、声も本当にごくわずかに裏返っていたかもしれない。

だがあれは電車の中という静寂を正とする空間において、しかも周囲にはたくさんの人間がいるという状況であったために、その和を乱すことに一抹の罪悪感を覚えて、結果それが動揺という形で表れてしまっただけであり、もしサバンナの真ん中であったならばきっとあんなには緊張しなかったに違いない。

うむ、そうに違いない。異論は聞こえない。


「…ま、かっこよかったけどね」

「ん?なんだ?」


というわけで内心で慌てふためきながら必死に言い訳をしていたものの、するとぼそりと何事かを呟いたので、再び意識を目の前へと戻して聞き返す。


「……」


とその先では、栗山が今まで見たこともないような優しい目をしていた。

思いもよらない柔らかい表情に、不覚にもドキリとしてしまう。


「べっつにぃ~?」


しかしそれもつかの間のことで、すぐにまたニヤニヤとした顔に戻り、


「てかあれだけ可愛い子に抱きつかれて何もないとか、アンタってまさかあっち系?」


かと思えばハッとしたように口に手を当てて一歩後ずさった。

忙しい奴である。


「まあ、アンタけっこー可愛い顔してるし、渡良瀬ともよく一緒にいるし、正直そうなんじゃないかな~とは思ってたけど、いや~まさかホントだったとはねぇ~」

「おい待て、どうしてここで一樹の名前が出てくるんだ」


続けて何やら訳知り顔でうんうんと頷き始めたので、思わずジトッとした目を向ける。

なんだかよく分からないがひどい中傷を受けている気がする。


「とにかくだ、俺と静音…天野は、友人…に近しい間柄であって、そんな深い関係ではないし、それにそもそもそういうものはきちんと段階を踏み、確かな信頼関係を築いてからの話だろう。今の俺達の関係を鑑みれば、そうだな…、まずはお互いの考えや趣味などを理解し合うところから始めるべきだろうな」

「……」

「おい、何だその目は。どうしてそんなに引いているんだ」


しかし続けて日本男女の正しいお付き合いの方法について意見を述べた途端、何故かお爺ちゃんの家で和式便所を見たときのような表情になった。


「ま、アンタの時代遅れな価値観は置いといて、一応女にはちゃんと興味はあるんだ?」


若干怯む俺にため息を吐きつつ栗山が肩をすくめてくる。


「無論だ」


興味はあるどころか、女子に対しては視野百八十度を超えて二百七十度くらいの索敵範囲を持ち、対象が一瞬でもそこに立ち入れば即座に全意識はそちらへと向き、何なら集中しすぎて電柱に顔面からぶつかるくらいだ。

あと俺は決して時代遅れなどではない。


「…ふぅん」


胸を張って答える俺に、少し考えるような表情になる。


それを見て今度は何を言い出すのかと身構えるも、


「……。…それじゃ、アタシがスカートの下見せてあげるって言ったら、アンタ見」「もちろんだともっ!」


そう続けるのを聞いた瞬間、カッと目を見開いて全力で返事をした。

その速度たるや、駆け抜ける一陣の風の如し。


…はっ!?し、しまった、つい本音が…!?


でもポカンとした栗山の顔を見て即座に我に返った。


先ほど静音に偉そうに説教を垂れていたのはなんだったのか。

これでは紛うことなき服を着た野獣そのものである。

普段ならもっと紳士的に回答するのだが、どうやらここまで散々翻弄されて、思っていた以上に疲れていたらしい。


く、なんなんだ、今日は…!?

試練とは言ったって、いくらなんでも連続過ぎないか!?RPGでもそうだが、こういうのは普通もっと段階というものを踏んでだな…。


そんなわけで頭を抱えていたものの、


「ぶ…っ!あっはははははは!く、食い気味に即答とか、マジウケるんですけど!アンタ真面目そうな顔してめっちゃむっつりじゃん!や~い、秋月のすけべぇ~!」


呆然と目を瞬いていた栗山が、やがて弾かれたように笑い出した。


「ば、馬鹿なことを言うな!俺は断じてむっつりでも、ましてすけべでもない!紳士なだけだ!」

「あはははは!とんだ変態紳士だわ~!」

「だから違う!」


そうして笑われ続けること十数分。

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