第4話

男子高校生。

それは、今にも全身から溢れんばかりに荒れ狂うマグマのようなエネルギーを内に秘めた、まさに獣の如き存在である。

俺の目指す忠と義を重んじ、そのためならば己が身すら投げ打つ紳士の中の紳士「侍」からはほど遠い存在であり、本来ならば相容れるはずもないもの。


しかし星の巡り合わせというのはなんと残酷なのだろうか。

真の紳士を目指すこの俺、秋月恭也は、日本で生まれ、日本社会に生きる善良な一般市民なのである。


つまり俺は紳士であると同時に、男子高校生という業からも逃れることはできなかったのだ。

何という因果、何という悲劇。

このような星の下に生まれてしまうとは、俺は前世で一体どれほどの悪行を積んだろうか。


…いや、違う。


嘆きのあまり(視線は動かさないまま)膝から崩れ落ちそうになるも、その時、まるで天啓を得たかのようにふと一つの考えが浮かんできた。


そうか、これは罰ではなく、試練なのだ…。


俺が理想に近づくため、天が定めた試練。輝かしい実績と共に現世に名を残す数多の英雄達とて、試練なくしては事を成せず。

すなわちこの状況を突破してこそ俺が目指す先、真の紳士である侍への道が開かれるに違いない。


…ふっ、分かったぞ。なら、俺のやるべきことは一つだ…!


今や悟りを開いたと言っても過言ではない俺の心は、穏やかなること菩薩の如し。

よって今度こそ渾身の力で視線を静音の胸から引き剥がし、己を静めることに専念した。


しかし。


「わ、私の…」

「?」

「わ、私の、胸…、その、せ、先輩もやっぱり…気になりますか…?」


どうやら天は俺に更なる試練を与えたもうおつもりらしい。

俺の視線に気づいたのだろう(あれだけ凝視すれば当たり前だが)、もはやちょっと泣きそうなくらい真っ赤な顔のまま静音がさらに突っ込んできた。


とはいえ、別にそれだけなら今の俺が動揺することはない。

問題なのはきっと本人は無自覚なのだろうが、胸を隠そうと両腕で押さえたことで逆にたわわな膨らみが強調されているという点で、しかも背丈の都合から上目遣いになった眼差しがそれらを数段階凶悪なものへと昇華させているのだ。

言わば、すわ青銅武器かっ、鉄の武器かっ、と言っている時代に、突如弾道ミサイルが飛んでくるようなものである。


「うむ、気になる!」


というわけで一片も残さず心の城壁が粉々となった俺は、心の声に従って迷わず即答した。

紳士という名の理性が、男子高校生という名の本能に負けた瞬間であった。


って、何を素直に答えているんだ、俺は!?


とはいえ防御力は低くとも、我が理性の再生能力は植物性プランクトンをも上回るのであり、すぐさま正気に戻って頭を抱えてしまう。

今回に限っては、素直な性格にすくすくと育った自分が恨めしい。


「あ、う、うぅ…」


直球すぎる俺の言葉に、ボンッと音の出そうな勢いでまたもや静音が真っ赤になる。


「あ、あのだな、静音、今のは…」

「そ、そ、それじゃあ…!」


しかし俺が慌てて弁明するよりも早く、ぎゅっと胸を抱く腕に力を込めると、意を決したように口を開いた。


「え、えっとその、~~っ、さ、触って、みますか…?」

「!?」


そのままさらにとんでもないことを言い出す静音さん。


「あ、いえ、そ、その、せ、先輩さえ良ければですけどっ!ぶ、ブレザーもちゃんとクリーニングしてありますからっ!」


もっともそう話す本人も相当混乱しているようで、続けてわたわたとちょっとズレたフォローをしてきた。


俺もこんな状況は初めてだが、少なくとも今はブレザーがクリーニングしてあるかどうかよりも、もっと他に気にするべきことがあるのではないだろうか。

これが漫画なら、きっと今の静音の目はぐるぐると渦潮のようになっているに違いない。


ただそんな静音とは対照的に、俺の方はその一言でストンと気持ちが落ち着いた。


「静音」

「は、はははい…っ!?」


そのままおもむろに静音に向き直り声をかければ、ビクリと肩が跳ね、素っ頓狂な声が返ってくる。

その凄まじい動揺ぶりには少し可哀想な気持ちにもなってきたが、しかし俺は真面目な表情を崩さないままその大きな瞳を真っ正面から見据える。


「せ、先、輩…」


とろんと熱に浮かされたような瞳に、俺の真面目な顔が映る。そして二人の顔は段々と近づいていき…なんてことはもちろんなく、


「そこに直りなさい」


続けてビシッと、俺はベンチ脇の地面を指さした。


「……え?」


たちまち静音がパチパチと大きな目を瞬く。


おっと、いけないな。


でもすぐに紳士にあるまじき失態に気づき、相変わらず目を瞬く静音からいったん視線を外し、草の上にそっとハンカチを敷いた。

俺としたことが、危うく女子をそのまま地面に座らせてしまうところだった。

もしこれが土の上なら小石などがないかチェックをするところだが、草が絨毯となっているので大丈夫だろう。


「これでよし、と。さあ、そこに直りなさい」

「え、えっと、は、はい…」


安堵の息を吐きつつもう一度その場所を指さすと、静音が戸惑いながらもちょこんと俺の敷いたハンカチの上に正座する。

素直ないい子である。


「こほん。いいか、静音。どうも自覚が薄いようだから改めて言うが、君は自分で思っている以上に魅力的で可愛らしい女の子だ」

「え……ええええ!?」


ただ、同じく俺もその対面に正座をしてそう言った途端、静音が再び素っ頓狂な声を上げて目を白黒させた。


「か、可愛い、なんて、そんな…え、えへへ」


でもすぐに今度は嬉しそうに頬を緩めてしまう。


むぅ、俺は今大事な話をしているのだが…。


それは相変わらずほんわかと和んでしまいそうな笑顔だったが、今後のことも考えれば真剣に聞いてもらわなければ困る。

なので務めて真面目な表情を装いコホンと咳払いをすると、ハッと我に返り、慌てて表情を引き締め直した。

素直ないい子である。


「そして君が今いるここは、男子高校生という名の獣がひしめく場所なのだ。いいか、男子高生というのはな、人型をしているが人ではない。制服を着た獣だ。しかもとびきり馬鹿な、という枕詞が付くような救いようのない獣なんだ。だから静音にどういう意図があったのかは分からないが、もし奴らのいる場所で不用意にあのようなことを口にすれば、たちまち周囲の男達は勘違いをし、それこそ飢えた野獣さながらに君に襲いかかってくることは、太陽が東から昇って西へと沈むのと同じくらい明らかなことなのだ」

「や、野獣…?」


母親と姉にそれはもう厳しく、何なら少々トラウマになりかねないほど徹底的に躾けられたこの俺ですら、先の言葉には桃太郎よろしく男子高校生としての本能が産声を上げてしまいそうになったのだ。

それをやれ合コンだ、やれエロ本だなんだと、目を血張らせて涎をまき散らしながら連呼している奴らの前で口にするなど、飢えたライオンがいる檻に可愛い兎を放り込むようなものだろう。


「君も日の本に生まれた大和撫子なのだから、普段の発言にはもっと注意をしなさい。それで万が一間違いが起これば、自身が深く傷ついてしまうばかりか、ご両親を始め、君を大切に思っている人達の心にも同じく深い傷を負わせてしまうのだからな」


俺だって、例えば姉が事件に巻き込まれて何か傷を負ってしまったら、こんな風に平穏な日常生活を送ることはできなくなるに違いない。

…まああの姉なら、傷を負うどころかむしろさっくりと解決して帰ってきそうな気もするが。


ともあれそんなわけであまりにも無防備だったため、つい説教じみたことを口にしたわけなのだが、するとしばらくの間きょとんとした顔で目を瞬いていた静音が、クスリと吹き出した。


「…ふふ。やっぱり先輩は優しいですね」


クスクスと笑い続ける静音に、今度は俺の方が目を瞬く。


「でも不思議ですね。大和撫子なんて口にしてお説教するのは先輩くらいなのに…。私、昔にも誰かから同じような内容でお説教された気がするんです」


そんな中、大切なものをしまい込むかのように、大事そうに両手を胸に当てながら静音が小首を傾げる。


「あ…!な、なんか変なこと言っちゃってすみません…!」


でもすぐにまたハッと我に返ると、慌てて謝ってきた。


「ん?ああ、いや…」


ただ一方で俺も、そういえば昔、誰かに同じような説教をした覚えがあることに気づいた。

確かあの時も、菓子をもらえば誰にでもついていってしまいそうなすごく無防備な誰かにハラハラして、「菓子をあげる」という言葉は「菓子の代わりにお前を攫っていく」という意味なのだと大嘘を教えて、後で両親にこっぴどく叱られたのだ。


まさか、静音に言ったのか…?

…いや、静音と出会ったのはこの高校でだし、あれは俺がもっと小さい頃の話だから違うよな。うーん…?


そのままつい考え込んでしまう。


別に、思い出せそうで思い出せないということ自体はさして珍しくもない。

だがこんな風に、説教をしたこと自体やその内容はハッキリと思い出せるのに、その相手の顔だけが靄がかかったように不鮮明だというのは初めてで、なんだか妙に引っかかった。


「それにさっきのは、た、確かに、その、は、はしたなかったですよね…。すみません…。私、緊張でちょっとわけが分からなくなってました…。あ、で、でも!」


ただそうして記憶の糸をたぐり寄せていたものの、恥ずかしそうに俯いていた静音がそう言って勢いよく顔を上げたので、思い出の中の姿は再び遠のいていき、内へと沈みかけていた意識もたちまちそちらへと向いた。


「わ、私、あんなことを言ったのは、もちろん先輩が初めてですから!それに、先輩以外の人に触らせたりも絶対にしませんから!もしそんなことされたら舌をかみ切る覚悟だってあります!だから大丈夫です!」


目を瞬く俺へと、静音が大真面目な顔で一生懸命そんなことを言ってくる。


「お、おお、それなら安心…だな?」


その迫力に押されて思わず頷き返すも、しかし一間遅れてまた首を傾げてしまう。


…いや、まったく安心できない気がするんだが?


でもなんだかこれ以上はやぶ蛇になりそうな気がしたので、深くは考えないようにしておいた。

静音は大人しい子だと思っていたんだが、意外と過激というか、思い込みの強いところがあるのかもしれない。


と、なんだかドッと疲れを感じる昼食を終えたあとは、睡魔が最も活発になると評判の午後一の授業を逆にカッと目を見開き、黒板と教師を刮目することで難なく切り抜けて(栗山にはまた爆笑されたが)、今日も平穏に一日の授業を終えた。


そして放課後。


「これが進路調査表です」

「おお、いつもありがとうな、秋月」

「いえ。それでは失礼します」


頼まれていたクラス全員分の進路調査表を担任に渡し、一礼して職員室を出る。

というのもこう見えて俺はクラス委員長なのだ。

やはりこのにじみ出る紳士オーラは、自然と相応の役職を引き寄せてしまうのだろう。

…と言いたいところなのだが、実際は、


__クラス委員は…おっ、秋月は眼鏡が似合いそうだな~。

  じゃ、お前に任せよう__

__!?__


という謎の決め方で決まってしまったのだった。


何故眼鏡が似合いそうならクラス委員長なのか。

眼鏡と委員長にはなんの因果関係があるというのか。

そもそも他に眼鏡をしている者は数多くいるというのに、何故眼鏡をしていない俺なのか。

我々学生の模範たるべき教師が、そんな偏執的な決め方をしていいのか。

これでは今後の日本はどうなってしまうのか。

我々の明日は…。


そのまま思わず日本の将来について考えてしまったのも、仕方のないことだと言えよう。

世界とはかくも理不尽で溢れかえっているものらしい。


ともあれクラス委員長としての仕事を終えれば、もう俺を縛るものは何もない。

何か部活動をしているわけでもないのであとは家に帰るだけだ。

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