第3話

話が次々と飛ぶのでその情報量の多さには度々目が回りそうになるが、それはさておき、俺はぶれない男、秋月恭也である。


「いや、話の腰を折ってすまんが、そもそもスムージーとはなんだ?」


普通なら口にするのを躊躇ってしまうような場面でも、疑問を覚えれば知ったかぶりをせずにきちんと尋ねる。

まあ見方を変えれば空気を読めない奴だと言えないこともないのだが、人間というのは得てして都合のいい面しか見ない生き物なのである。

今朝のように大勢の前でとなると緊張してソウルワードが出たりもするが、それでも俺が己の主義主張を曲げることはない。


「え、うそっ!?アンタ、スムージー知らないの!?え?マジ何星人?」


しかしそんな壮大な前置きは何だったのか、俺の疑問を聞くなり、栗山が子供用のプールで溺れるライフセーバーを見るかのようなあり得ないものを見る目を向けてきたので、あえなく怯んでしまった。

どうやらスムージーとやらを知らないと日本人はおろか、地球人かどうかも怪しくなるらしい。

一体スムージーというのはどれだけ重要なものなのだろうか。そんなものが駅の中に何気なくあっていいのだろうか。


スムージー。

名前からしてなんだかこう要領の良さそうな雰囲気が伝わってくるが、いったいどんな奴なのか、謎は深まるばかりである。


「姫良瑠~、ほらぁ、さっき話した男の写真~」

「あ、見る見る!」


しかし考え込む俺を余所に、栗山と同じく直視するにはサングラスが欲しくなるような女子グループの友人に呼ばれると、あっさり離れて自分の席(と言ってもすぐ隣なのだが)へと戻っていた。


うむ、会話のペースがまったく掴めない。


最近はずっとこんな調子で栗山が話しかけてくるのである。

紳士たる同志諸君には、俺の苦労がよく分かっていただけることかと思う。


やれやれだな…。


そうして今日も今日とて休み時間の度に栗山に話しかけられ、精神ポイントをごりごりと削られるも、昼休みの鐘が鳴った瞬間、駆ける風の如き素早さでいったん男子便所へと身を隠し、周囲の気配を探りつつ抜き足差し足で移動するという過程を経て、なんとかこれ以上俺のハートが衰弱する前にお気に入りの裏庭へと移動することに成功した。


はぁ…。何故毎回こんな警察に怯える盗人みたいにこそこそしなくてはならないんだ…。


やるせない思いを抱えて天に向かって問いかけるも、キラリと太陽が目に眩しかったのですぐに顔を戻し、確かに現状は遺憾だがこうでもしなければ後をつけられる可能性があり、そうなれば俺はいずれ打ち上げられたナマコのようになってしまうに違いないわけで、それを回避するためには致し方ない、今の我が身は梁山泊に籠もるかの英雄達の如き身分なのだと、残像の残る目をしぱしぱさせながら自分を慰める。

同時に栗山と愉快な仲間達に囲まれ、楽しげな笑い声が響き渡る中で投げられ続けるナマコの姿が頭に浮かんできたため、慌てて首を振って打ち消しておく。


ナマコだって一生懸命生きているんだ!ナマコを投げるのはやめるんだ!


「まったく…ん?」


そんなわけで義憤に駆られながら、今や唯一の安息地となりつつある裏庭にやってきたわけなのだが、するとそこには先客がいた。


なお俺が一人で昼を食べているのは、決して友人と呼べる人間がいないからではない。

俺には一樹という友人がちゃんといるし、そして奴と一緒だと、女子がひっきりなしに寄ってきて落ち着いて食べられないという純然たる事実があるため、あえて一人になっているのである。

そう、俺は昼を共にする友人がいないのではない。

進んで一人を選んでいるのだ。

ちなみに、一樹以外に友達はいないのかという質問は一切受け付けていない。


それはともかく、この場所は人気がほとんどなく、辺りにも木や草が生い茂っていて校舎からも死角となっている場所。

それだけに先客がいたことにまず驚いたのだが、続けてスカートにブレザーという服装が目に映ったのでぎょっとする。


「あっ、秋月先輩…!」

「あ、ああ、天野か…」


しかしそれも知り合いだと分かると、思わずホッと安堵の息が出た。


一瞬、栗山に回り込まれたのかと思ってヒヤッとしたな…。


近頃はもはや若干のトラウマになりつつある栗山であった。


と、栗山のことはさておき、先客の彼女は天野静音(しずね)。

一つ後輩の一年生である。


「天野も昼か?」

「は、はい、あの…、今日も、ご一緒してもいいですか?」


気を取り直して声をかける俺に、上目遣いにおどおどと尋ねてくる。

元々ここは俺だけの秘密の場所だったのだが、偶然彼女もここを見つけたらしく、少し前からこうして昼を一緒するようになった。

といっても当然この場は俺の所有地でも何でもないし、そもそも許可なんていらない。

だが律儀な彼女はこうして毎回尋ねてくるのだ。


「もちろんだとも。はは、天野は遠慮深いな」


このことからも分かる通り、天野は先の栗山やその仲間達とは正反対に位置する、物静かで慎ましい性格をしていた。

本人は内気で口下手な自分のことがあまり好きではないみたいだが、同様に話すのがあまり得意ではな…ごほゴホン!静寂を好むクールガイの俺としてはむしろ居心地がいい。

それに、わざわざこんな人目の付かない場所を見つけたということにも、親近感を覚えざるを得ない。


「わぁ、ありがとうございます!」


俺が頷くと、パァッと顔を輝かせた。


見よ、この健気さを。


思慮深さも含め、その爪の垢を栗山の奴に煎じて飲ませてやりたいくらいである。


「あ、でもあの、せ、先輩、私のことは天野じゃなくて、その…」


ただそうしてしみじみとしていたものの、一方の天野は不意に笑顔を引っ込めてまたおどおどと声をかけてきた。


「ん?」


その様子に一瞬首を傾げるも、すぐにポンッと心の中で手を打つ。


「ああ、そういえば昨日、下の名前で呼んで欲しいと言っていたな。ふむ…、では静音」


改まるとなんだか照れくさかったが、コホンと咳払いをしたあと、もう一度言い直す。


「は、はい…、ありがとうございます…!えへへ」


すると、はにかみながらも再び笑顔になった。


ふーむ、静音を見ていると、なんだか子犬を眺めているような気持ちになってくるな…。


ニコニコと笑顔のまま相対的に大きく見えるベンチにちょこんと腰掛ける姿を見て、改めて心の中でしみじみとする。


静音は同学年の女子の中でも小さい方だし、次々と表情が変わる姿もまさに言い得て妙。

今も、パタパタと見えない尻尾を揺らせる姿さえ見えるような気がする。


うっかりすると頭を撫でてしまいそうだなぁ…。


何とも微笑ましさを覚えつつ、ともあれ俺も静音の隣へと一人分のスペースを空けて座る。

もうすでに何度も昼を一緒している仲だが、親しき仲にも礼儀あり。

知り合いと友人の中間のような関係にある俺達にとっては、この距離感が最も適切だろう。


「ああ、そうだ。ならば俺のことも、親しみを込めて恭也と呼んでくれ」


そして和んだ気持ちのままに、冗談めかして俺からも提案してみた。

お互いに名前で呼び合うようになれば、それはもう友人と言ってもいいのではないか。

いやもちろんこれは別に一樹以外の友人ができるかもしれないと胸を躍らせているのではなく、あくまで向こうの提案に対してフェアな返答をしているだけであって、何度も言うが決して俺は友人が少ないというわけでは略。


とまあそういった意図はともかくとして、ほぼ無意識に出てきた言葉だったのだが、


「ひゃぇ!?」


途端にいったい身体のどこから出てきたのか、口を閉め忘れた風船のような声を上げ、静音がただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。

その様子に一瞬もしかして嫌がられているのかと心に隙間風が吹きかけるも、身動ぎした拍子に静音の膝から色とりどりの美味しそうな弁当がポロリと転げ落ちるのを見て、即座にそんな悠長な気持ちは霧散する。


「あ…っ!?」「うおっ!?」


だが幸い反射的に手を伸ばした甲斐もあり、弁当を地球にご馳走してやることなく空中でキャッチすることができた。

我ながらファインプレーである。


ふう…、危ないところだったな……ん?


そのままメジャーリーグを目指すべきか頭を悩ませていたものの、不意に胸に先ほどまでにはなかった感触とぬくもりを感じて、たちまち意識はそちらへと向いた。


「……」

「……」


と、息のかかりそうな距離で、静音の大きな瞳と目が合った。

直前までは一人分空けて座っていたはずなのだが、どうやら一間遅れて静音も弁当に手を伸ばしていたらしい。

今の俺達は手を伸ばしたまま、ちょうどお互い抱き合うような姿勢になっていた。


お互い弁当箱に手を伸ばしたのなら、何故こんな姿勢に…?


手が触れ合うとか、頭がぶつかるとかなら分かるんだが(もちろんぶつからなくて良かったが)、何故か静音が手を伸ばしている先は、こんな姿勢になっていることからも分かる通り、弁当箱からは二つ分ほど横にずれた位置であった。

大人しい静音は見るからに運動が得意ではなさそうだとはいえ、もしかしたら想像以上に苦手なのかもしれない。


…とそれはいいのだが。


……ふむ、大きい、な。


先ほどからあえて意識しないように頑張っていたのだが、そんな俺の努力を嘲笑うかのようにそれは先ほどから強烈な感触を胸へと伝え続けていた。

それがいったい何なのかなど、改めて説明するまでもないだろう。


そう、まったく自慢にならないひょろひょろの俺の胸とは対照的な、凄まじい質量を持ったとても柔らかくて温かいものが当たっているのである。

一見するとマシュマロのような恐るべき柔らかさを秘めたそれは、しかし確かな重量感と熱量をもって俺の胸を余すことなく包み込み、まるで母の胸に抱かれて眠る赤子のような深い安心感のある心地良さで…。


いや落ち着けっ!そんなことは冷静にレビューしなくていい!


幼少の頃に体験して以来久しくなかった未知の感覚に、うっかり意識が天に昇り詰めてしまいそうになったが、理性を総動員してなんとか我に返る。


「す、すすすまん!」


そして身体のコントロールが戻ってくると同時に、弾かれるようにして慌てて身体を離した。

事故とはいえ、家族でも恋人でも、まして友人とすら呼べないような男に抱きしめられるなど、相当ショックな出来事であるに違いない。


「あ、え、う…」


案の定、対する静音の方はもはや真っ赤という言葉を超え、燃えているかのような顔色で俺を見たまま口をパクパクさせるばかりであった。


「す、すまん!本当に今のは故意ではなくて偶然の事故なんだが、ともかくすまん!」


今自分でも言った通り、これは事故以外の何ものでもないのだが、重要なのはその事実ではなく、相手はこちら以上に恥ずかしい思いをしているということである。

従ってこういうときに男ができるのは、一刻も早く気持ちを静めてもらえるよう、ひたすら謝ることだけであった。


だが悲しいかな。

母親と姉に散々しごかれて、紳士を自称できる程度には慎みを身に備えた俺も、健全な男子高校生なのである。


…ふぅむ、それにしても凄まじい質量だった。


俺の意志とは無関係にまた先ほどの感触が蘇ってくる。


静音は俺よりも頭二つ分近く小さいし、性格も控え目で物静か。

だというのに、いやだからこそ、対照的に凄まじい存在感を放つ胸はもはや凶器さながらに目を引いてしまい、現に今もブレザーごしにもハッキリと分かるくらい激しく自己を主張する山々に、俺の目は完全に釘付けとなっていた。


いや釘付けになっちゃ駄目だろうがっ!この痴れ者がっ!


なのですぐさま己を叱りつける。


俺は侍を目指す男、秋月恭也。

校内に蔓延る男子高校生という名の獣達とは違う、紳士なのだ。

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