第2話
とはいえこのまま黙っていては、現状を認めていると公言しているようなもの。
だから何か良い手はないかと悩んでいるわけなのだが、そうこうしている間にも駅員と鉄道警察と思わしき人達がやってきてしまった。
「はい、通して、道を開けて」
つかの間、どんどん大事になっていく状況に怯むも、でもすぐにちょうどいいと思い直す。
駅員や警察ならきちんと話を聞いてくれるだろうし、すでに出来上がった空気を変えるのは難しくとも、目の前の人間に真実を伝えることくらいなら造作もない。
ただどんなに後ろ暗いことがなかろうとも、パトカーや警察官を見ると何故か緊張してしまうわけで(俺だけ?)、
「それでは、向こうで話を聞かせてもらえますか」
「え、あ、い、いや、しかし、お、俺は、その、け、決して…」
「はい」か「YES」かで答えるだけなのに、口から出てきたのはそんな言葉だった。
OH、なんてSHYBOYなんだ、俺は。
これでは不審者そのものである。
「はいはい、申し開きは向こうで聞くから。ああ、申し訳ありませんが、お二方にもお話を伺いたいのでご同行いただけますか」
案の定俺に話しかけて来た鉄道警察の人の目は、すでに俺が犯人だと完全に確信したものへと変わってしまった。
何故だ。
それを見て、冷静さに定評のある俺も(自称)、流石に悔しくなってくる。
何故こうも事態が悪い方へ悪い方へと進んで行くんだ…。
確かに俺は少し…そう、ほんの少しだけコミュニケーションが苦手なSHYBOYだが、だからといって困っていた女性を助けようとしたのに、いつの間にか逆に犯罪者に仕立て上げられているという現状には遺憾の意を表さざるを得ない。この社会はSHYBOYにかくも厳しいものなのか。
なんという非情、なんという理不尽か。
こんな経済が最優先で人情を忘れてしまった血も涙もない社会を作った内閣総理大臣には、この現状をどう思っているのか是非とも尋ねてみたい。
いや、元を辿れば文明開化を行った明治時代の人間が、いや、さらに辿れば江戸幕府を開いた徳川家康が…。
ところが、そうしてこの世の理不尽に心の中で苦言を申し上げていたときのことだった。
「ああ、駅員さん、ちょっといいですか?」
不意に、殺伐とした場の雰囲気に似合わない涼しげな声が聞こえてきた。
思わず振り向けば、声の通り涼しげな風体をした男子学生が、やはり場にそぐわない爽やかな笑顔を浮かべながら、俺の腕を掴んでいる人とは別の女性鉄道警察へと話しかける。
「あら、何か気になることでも?」
「ええ、実は僕、一連の出来事をずっと見ていまして。今犯人扱いされているそこの彼は、痴漢から女性を助けようとしただけです。むしろ痴漢をしていたのは、彼を押さえていたそちらのサラリーマンの男性でした」
「え!?なんですって!?」
突然のイケメンの登場により場には妙な空白が広がっていたものの、その一言で再び時間が動き出した。
「で、でたらめなことを言うな!」
ぎょっと目を見開く女性警察官に顔を向けられ、真犯人の男が慌てたように怒鳴る。
「お前達、同じ高校か!駅員さん、きっとこいつらはグルだったんですよ!だからそのガキもしょっ引いて…」
「一応、念のためにと動画も撮ってありますよ。あ、もちろん『女性の方の』顔は映していませんし、このお話が終わった後できちんと削除しますので、その点はご心配なく」
しかしみなまで言わせず、イケメンがスマートフォンを片手にニッコリと笑った。
イケメンは鼻水を垂らしながらあくびをしていてもイケメンだというのに、まして自分の魅力を十分に把握し、どうすればより魅力的に見えるか計算し尽くされた仕草で柔らかく微笑みかければどうなるか。
「……」
むべなるかな。
さっきまで俺を、道端にある犬の排泄物を見るかのような目で見ていた女学生やOL達が、たちまちうっとりとした表情になってその笑顔の虜になっていた。
それどころか、被害者の女性や女性警察官までうっとりとしている。
なんだなんだ、みんなして。
そもそも排泄物だってちゃんと肥やしになるのであって、本来なら冷たい目で見られるようなものじゃないんだぞ…!
悪いのは排泄物じゃない。
もちろん犬でもない。
ちゃんと処理をしない飼い主なのだ。
だから世の飼い主はその事実をしっかりと胸に刻み、排泄物に大してもっと真摯に向き合って…いや、俺はいったい何の話をしているんだ。
きっと俺が同じことをしても、けっ、と道端に唾を吐きかけられるだけだろうに、どうやら別の意味で理不尽な光景を前にして混乱していたらしい。
「では、改めてご同行願えますか?」
「……」
ともあれイケメンの言葉により場の雰囲気は一気に逆転し、流石の男も今度ばかりは難癖もつけられないようで、顔を青ざめさせながら黙ってその言葉に従った。
先ほどまで俺を睨んでいた人達も、さも「最初から私は分かっていました」と言わんばかりの切り替えの早さで、今は真犯人の男へと嫌悪の視線を向けている。
助かったとはいえ、人の評価というのは怖いものだな…。
もはやただの排泄物ですらなく、長年の時を経て風化したものを見るような眼差しを一身に受ける真犯人の男に流石に少し同情を覚えつつも、俺達は鉄道警察の後ろに続いて歩いて行った。
「それにしても、まさかまた痴漢扱いされるとはなぁ…。いやあ、お前といると本当に飽きないな、くくく…!」
そうして駅員達にひとしきり説明をし、やはりこの爽やかなイケメンが撮っていた動画が決め手となってめでたく俺達は無罪放免。
被害者の女の人にこっちが恐縮するくらい謝られたあと、いつもなら学生で溢れかえっている校舎へと続く道を、俺達はのんびりと歩いていた。
本来なら完璧に遅刻の時間なのだが、駅員が学校に連絡をして事情を説明してくれたため遅刻の心配はない。
品行方正だと専ら評判の俺(自称)にとってはとても重要なことなので、兎にも角にもホッと息をつく。
ただ、それはそれとしてだ。
「見ていたのなら、早く助けてあげれば良かったんじゃないか」
先ほどからずっと笑いっぱなしの爽やかなイケメン野郎へと、ジトッとした目を向ける。
こいつはいつまで笑っているんだ。
いったい何がそんなにおかしいんだ。
俺が痴漢扱いされたことがそんなに可笑しいのか。
それともまさか、さっきうっかり出てしまった俺の侍口調がウケているのではなかろうな。
と思わず主君を馬鹿にされた侍のような眼差し(自称)になるも、するとそんな俺の熱いメッセージが伝わったのか、目に涙を浮かべていたイケメン野郎がようやく笑うのをやめて(本当にどれだけ可笑しかったんだ…)、パタパタと顔前で手を振った。
「いやいや、助けようとはもちろん思ったよ。でも俺が動くよりも先にお前が動いたから、なら任せようと思ってね。で、前回と同じ轍を踏まないようにと動画を撮っておくことにしたってわけさ」
「…まあ、お陰で助かったが」
実際、あそこでこのイケメンが出てこなかったら、今ここに俺はいなかっただろう。
もちろん警察だって馬鹿じゃない。
流石にちゃんと調べたら俺が犯人ではないことは分かっただろうが、少なくともこんなに早く解決とはならなかったに違いない。
いかに冤罪だとしても、風評により少なからず被害を受けることはある。家族に迷惑がかかるようなことにならなくて良かったと、内心でまた息をついた。
「それにしても、開口一番の文句が被害者の女性の心配とはねぇ。いやはや恭也、お前って本当にいい奴だよなぁ」
「うるさい」
しかし再びニヤニヤし出したため、ふん、と侍っぽく顔を背ける(自称)。
面と向かっていい奴だなどと言われても、一体どう反応すればいいのか。
何というかこう全身がむずむずして困るので、是非とも止めていただきたい。
さて、紹介が遅れてしまったが、この無駄に爽やかなイケメン野郎は、もちろんさっき初めて会ったわけではなく、俺の親…友人にして、同じ戸叶(とがのう)第一高校に通う、二年生の渡良瀬一樹である。
先ほどの通り、場の空気を一変させるくらいのイケメンな上、機転が利き、口が達者で、勉強もできて、スポーツも万能という(ちなみに背も俺より高い)、意味の分からない生物だ。
普通ならこんな完璧超人など鼻につくばかりで、同性からは蛇蝎の如く嫌われそうなものだが、天はきっと最初のステータス割り振りをうっかり間違えてしまったに違いない。
挙げ句には性格までいいとあって、老若男女問わず人気があった。その人気ぶりたるや、商店街を歩けばもらい物で両手一杯になり、運動部からは絶えず助っ人を頼まれ、二月になれば糖尿病の心配をしなくてはならないほどなのである。
ともあれそんなわけで肩を並べつつ静かな道を歩いていき、きっと体育の授業なのだろう「うおおお!俺はこのドリブルで世界を取るぜぇ!」「オフサイドです」という元気な声や笛の音を除けばやはり静かな学校の敷地内を悠々と進んで行った。
そうして免罪符を得てもなおドキドキしながら教室に入り、一限目の授業が終わって、ようやくまた穏やかな日常が戻ってきたと安堵したのもつかの間のこと。
「おっはろ~!秋月!てか聞いたよ~?アンタまた痴漢したんだって?」
聞いただけで性格が伝わってくるかのようなかしましい声をかけられて、俺はいそいそと開きかけていた愛読書「本好きな俺が転生したら幕末でロックをしていた件」をバタンと閉じ、クワッと目を見開いた。
「違う!俺は助けた方だ!誤解を招くような言い方をするな!というかそのことはお前も知っているだろうが!」
「あっははは!相変わらずいいリアクションすんね~!アンタ芸人でも目指したら?絶対ウケるって!ぶふっ」
しかし俺の大事な読書時間を邪魔した声の主は、これで申し訳なさそうな顔をするのならまだ可愛げがあったというのに、むしろ爆笑し出す始末であった。
今のやり取りにまったく笑う要素はなかったはずなのだが、あの爽やかなイケメン野郎といい、みんな何故俺の顔を見て笑うのか。
俺の顔には「笑うべし」とでも書いてあるのか。
だが改めて目に遺憾の意を込めるも残念ながらまったく気づく気配はなく、それどころか「ぷふぁ!?ま、マジ顔がウーパールーパーなんですけど!?あははは!ちょーウケる~!ね~、アップしていい?絶対バズるから!」などと訳の分からないことを言いながらさらに笑い転げるような有様であった。
やれやれ…。
いつものことだとはいえ、思わずため息が出てくる。
このかしましい女子は、同じクラスの栗山姫良瑠(きらる)。
何というか名は体を表すとはよく言ったもので、髪を金に染め、魔女の如く伸ばした爪は怪しく煌めき(曰くつけ爪らしい)、耳にはピアス、鞄やスマホにも不気味としか言いようのないキャラクター(曰く「キモカワ」とか言うらしい)がじゃらじゃらとつけられており、全体からキラキラネームに負けないくらいの存在感を漂わせている。
ちなみに少し前に今朝の出来事と同じような光景に出くわしたと言ったが、その被害者となったのがこの栗山で、あの一件以来、何故かよく話しかけてくるようになったのだった。
だが生憎と、俺は静寂と平穏をこよなく愛するクールガイなのである。
栗山のような、ともすれば圧さえ感じるくらいキラキラしたタイプの人間は、正直ちょっと苦手であった。
なお件の爽やかなイケメン野郎は別のクラスな上、常に女子に囲まれているという、俺も含めた大半の男子高校生にとって異次元とも呼べる別の世界に生きているため、校内で話すことはほとんどない。
べ、別にちょっと寂しいとかそんなことは思っていないからな…!
「あ、そうそう、それよりも聞いてよ~。ほら、昨日新しく駅中にスムージー飲めるとこできたじゃん?だからアタシら、みんなで行ったんだけどさ~」
と、誰にするでもなく心の中で言い訳をしていたものの、すると当たり前のように話が飛んだ。
まず、まだ話は終わっていないし、そもそも、俺は駅内にスムージーとやらが飲める店ができたことを知らないわけなのだが、奴の中では二つともすでにクリアされた状態となっているのだろう。
これもまたいつものことだった。
本当に女子というのはどれだけ話が好きなんだ…。
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