旅立ちの刻(一)

朝芽あさめ―っ!」

 身支度みじたくを整えるため、しばし凌介りょうすけ様と別れて部屋に戻ってきた私を迎えたのは、顔をゆがめた水杖みなづえの姿だった。

「ど、どうしたの、水杖!?」

「私のあるじの君が……っ」

 半泣きで口走るのをなだめつつ、ようやく話を聞き出すと、しくも彼女の主の君は、凌介様と共にいた、あの華やかな武将に決まったらしい。

 名前は真咲まさきかげよし。派手やかないでたちや猛々たけだけしいしゃべり方から推し量られるように、性格も剛胆ごうたんで荒々しく、陣屋じんやでは“烈火将れっかしょう”の異名を持つと言う。

「朝芽の主様は“流水りゅうすい出石いづし”と呼ばれているんですって。出石様は冷静沈着、反対に影芳さまは大胆豪放で、部下にもかなり容赦ようしゃのないお方ですって。どうしよう朝芽、私毎日怒鳴り飛ばされちゃう!」

 目にも鮮やかな胴巻姿どうまきすがたで堂々と現れた真咲影芳は、まるで百花の王のように見えたと言う。しかし、この君ならとときめいた水杖の期待を思い切り裏切って、初対面からビシバシしごかれたそうだ。

 足は速そうだが細すぎる。声が小さい! 女だからって特別視はしねぇ。心してついて来いや!

 一人二役の迫真の演技で、対面の模様を再現する水杖に、思わず私は笑ってしまった。

「もう、人が真剣に困ってるのにっ」

 そう言ってふくれた水杖だったが、本心では真咲様にかれているのが見て取れた。顔色で解る。悩んでいると言いながらも、紅潮したほおや、生き生きと主の君についてしゃべる口元が隠し切れない喜びを証明している。

 私たち、良い主に巡り合えたのね。

 私は心の中でそっとその思いを抱きしめた。

 真咲様は長柄足軽ながえあしがる二番隊長を務めている。凌介様とは同じ軍務にくため、私と水杖も同じ足軽長屋に詰めることになる。一度は別れを覚悟した親友と、これからも行動を共に出来る予感が、嬉しかった。



 ひとしきり愚痴ぐちってさが晴れたのか、水杖は私が荷物をまとめるのを手伝いはじめた。

「本は置いていくわね。これはどうする?」

 翡翠ひすい色の単衣ひとえも、私は迷わず荷の中に入れた。それはしくも、主の君から初めていただいた衣服になったから。

 つづらの中身をまとめていた水杖の手が止まった。

 高揚していた気持ちに、すっと冷たい空気が落ちる。

 視線の先には、美しい螺鈿らでん蒔絵まきえ箱。中では血のように赤い紅玉が、まるで意志を持つ者のように妖しく輝いている。

「朝芽、これ……」

 それは力の証。はるか古より連綿れんめんと伝えられた、私の唯一の血脈の証。

「持ってきたのね。故郷から……」

 水杖も、その紅玉が意味するところをよく知っていた。

 ふと、不安が胸をよぎる。

 凌介様に、いつか、この紅玉をお見せする日が来るのだろうか。

 私の……いや、お旗女すべてのともいえるある宿命について、語る日が来るのだろうか。

 しかし、私は瞬時にその思いを打ち消した。箱から玉を取り出すと、そっとたもとに落とし込む。

 今はまだ、それを想う時ではない。



 山上の月が辺りをこうこうと照らす中、私と水杖は三年みとせを過ごした社殿しゃでんを後にした。

 聖殿にぬかづいた後、社殿奥の老師の居室に向かって拝礼する。老師の部屋には、まだ灯がともっていた。そこから無言で見送る目があることを、私も水杖も良く解っていた。

 社殿の門を出る直前に、もう一度私たちは立ち止まった。この門をくぐれば、二度とここへは帰れない。しかしもうためらいはなかった。

 行ってまいります。

 別れの言葉の代わりに、決意をこめて。

 深く頭を下げた私たちは、門の外へ、新しい運命に向かって、迷わずその一歩を踏み出した。



 凌介様との待ち合わせ場所は、たき社殿しゃでんの東門だった。天槻城あまつきじょうには真咲様と連れ立って帰ると言う。水杖と共に出発できるのは、とても心強い。約束の場所で月明かりの中に浮かぶ幻想的な山々を眺めながら、私たちは何か荘厳そうごんな気持ちで、それぞれの主が来てくれるのを待っていた。

 門から一人の武人が出てきたのは、その時だった。

 私たちには、初めて見る顔だった。しかし今日、お旗女を迎えに訪れた四人の武将の一人であることは、容易に想像がつく。

「俺は足軽歩兵第六番隊隊長、磐見いわみ尽四郎じんしろうだ。お前ら、お旗女の女どもか?」

 野卑やひな声で武将が名乗る。黒い鎧が近づいてくる。嫌な予感がした。


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