お旗女選別(三)

 沈黙の部屋を、ゆうガラスの鳴き声が鋭く渡って行った。

 呆然ぼうぜんと見つめあう二人の影が、長く微動びどうだにせず伸びている。

 泉で私の心に鮮烈せんれつな印象を残して去った、黄金鎧のたくましい若武者。

 もう、二度と会うことはないと思っていた。

 それが今、お仕えすべきあるじとして目の前に立っている。

 向こうも仰天ぎょうてんしたようだ。軽快に話しかけてきたのが一転、口を開いたまま絶句ぜっくしている。

 しかし、その沈黙は長くは続かなかった。

 相手の顔があまりに驚いていたので、私は思わず吹き出してしまったのだ。

『そなたの相手は、わしが選んだ』

 老師の声がよみがえる。

 運命。数奇な運命。

 はじけるように、相手からも笑みがこぼれた。



「君だったのか」

 ひとしきり明るい笑い声が響いた後、青年は屈託くったくなく話しかけてきた。あの魅力的な笑顔がまた現れて、心が温かく解きほぐされていく。

朝芽あさめと申します。以後、よしなにお導きを」

「いい名だな、朝芽。俺は出石いづしりょうすけ長濱軍長柄ながはまぐんながえ足軽一番隊隊長だ。高砂たかさご備中びっちゅうのかみさま差配下さはいかにいる。普段は天槻あまつきじょうで、長柄隊の調練を担当している。よろしく頼むよ。」

 長柄隊は、長槍部隊だ。守攻の中核を担う強力な中堅軍である。天槻城あまつきじょうは、領主様のいる長濱本城ながはまほんじょうから南東五里のところにある平山城ひらやまじろで、御城下を見下ろす小高い丘の上にあり、一のとりでとも言われている。

 何度も頭に叩き込んだ情報を引き出す。私の仕事は、すでに始まっていた。

「はは、最初からそんなに飛ばすなって。俺もお旗女はためさんを置くのは初めてなんだ。お互い、ゆっくり慣れていこう」

「かしこまりました、出石いづし様」

「俺のことは凌介りょうすけと呼んでくれ。だが目付めつけの前では『隊長』で頼む」

「はい」

 落ち着いた声音。良く透る低い声だった。浮き足立っていた私の心が、ようやくこの現実に追い付いてきた。

「凌介様」

「ん?」

「あの時、どうして泉にいらっしゃったのですか?」

 厚意こういに満ちたまなざしに、思い切って尋ねてみる。出会いのきっかけに感謝しつつも、疑問だけがずっと残っていたのだ。

「ああ、あれは……」

 凌介様は恥ずかしそうに口元をほころばせると、ちょっと下を向いていたが、

「……落としちまってさ」

「えっ」

「俺たちの上役、高砂備中様の御免状ごめんじょう……社殿に入る許可証みたいなものだけど、かげよしの奴が見せろって言うから、くらの上から投げたんだよ。それが手元が狂ってあの泉にどぼん、って落ちた。」

 ああ、それであんなに深刻な顔で泉の中を見つめていたのか。

「参ったぜ。なんせこっちは初参者だ。追い返されてはと真っ青になってね。幸い、老師殿が俺たちのことを覚えていてくれて……特に影芳かげよしはあんな派手な風体だからな……それで無事社殿に入れたんだ。」

 御免状は結局見つからなかったわけだが、結果良しと言うことさ、と凌介様は明るく笑った。

「朝芽が飛び込んできたときは、本当に驚いたよ。叫び声と共に姿が見えなくなって、あっ、まずいおぼれたかッて、夢中で引き揚げたんだ。まさか俺の入水を心配していたとはね。……あれから大丈夫だったのか? 俺も急いでいたとはいえ、一人残して、すまなかったな。」

 いたわるようなまなざしに、思わず目を伏せる。きっと、ずっと心配してくださっていたのだろう。

 初めて抱いた印象は間違いではなかった。優しく、たくましい武人。私にとって、これ以上の主の君があるだろうか。老師様は私にとって最高の主を選んでくださったのだ。少々内気で、思い悩むことも多い私が、委縮いしゅくすることなく全力で勤めを果たせるようにと、きっとおもんばかって下さったのだ。

「さてと!」

 何か張り詰めていたものを吐き出すようにして、凌介様は私を見つめた。

「行こうか、朝芽。」

 私はしっかりと視線を返し、大きく頷いたのだった。


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