お旗女選別(二)

 七十畳ななじゅうじょうはあろうかと思われる大広間が、水を打ったように静まり返っていた。

 五十名を超える、お旗女候補はためこうほの女人たちが、美しくそろって叩頭こうとうしている。私も水杖みなづえも、緊張した面持おももちのまま、低く頭を畳に下げて、運命が決まる瞬間を今か今かと待ち続けていた。

 辺りはしわぶき一つ、衣擦きぬずれの音ひとつ聞こえない。ぴたり、と固まった静寂が、あたりを支配している。

 庭でさえずる小鳥の声が、まるで切り離された世界から聞こえてくるようだ。

 またひとつ、澄んだ音で鐘が鳴った。

 その瞬間、ふすまが開いて、私たちの老師を先頭に、鎧姿よろいすがたの武人が四人そろって入ってきた。もちろん顔を上げるわけにはいかないので、経験からの推察だったが……。

 着座ちゃくざの気配。部屋の空気が、ピーンと張り詰める。

 おごそかな間を置いて、老師の、穏やかだがよく通る声がした。

此度このたび守護しゅごしょく土岐とき定照さだてるさまのお名により、武人お旗女はため選別の運びと相成あいなった。ただいまより四名の名を申す。呼ばれた者は、く、隣室へまいりませい。」

 すぐ隣で、水杖がかすかに身じろぎをした。彼女の緊張も最高潮に達している。

「水杖」

「はいッ」

 親友の絞り出すような声が答えた。

 選ばれた。すごい。良かったね、水杖……!

 思わずこみ上げるものを噛みしめた時、老師の声が厳しく呼んだ。

朝芽あさめ

 はいッ、と、反射的に声が出た。修練のたまものだ。しかし私の魂は衝撃で消えそうになっていた。

 選ばれた……? 私が……!?

「……以上四名。速やかに参れ」

 老師の姿が消えると同時に、広間中にざわめきがわきおこった。緊張が一度に緩む中、私はうつむいたまま汗だくになって固まっていた。後の二人がだれだったのか、それすら頭に残っていない。

「行こう、朝芽!」

 水杖が私の腕をつかむ。はしゃいでいるのかと思いきや、その顔は意外にも厳粛だった。いざ呼ばれ、任の重さを改めて実感したのかもしれない。私は茫然ぼうぜんと、されるがままに立ち上がった。



「朝芽でございます。まかり越しました」

 挨拶に、老師の声がこたえた。私はこわばる手を励ましながら、ふすまを開けた。作法さほう通りに、下座に控える。水杖も、別の部屋でどきどきしながら待っているはずだ。これから各々の部屋で、新しい主との対面が行われる。

 老師は、窓辺にたたずんでいた。逆光で表情はよく見えない。しかし、いつもと変わらぬ穏やかなその姿が、私の緊張を解きほぐし、心の震えを止めてくれた。

 部屋には西日が差しこみ、窓の外には鮮やかな山の夕暮れが見えた。残照を受けて、山々が黄金色に燃えている。それは、昼間の青年の鎧から散った、金色のしずくを思い出させた。からすがねぐらに帰っていく。奥の深い谷ではすでに、夜のとばりを迎えていた。

 三年をかけて見慣れてきたこの奥山の美しい景観も、今日が見おさめになる。お旗女に選ばれた者は、その主と共に速やかに社殿を出なければならない。これはもう、例外のない掟であった。

「朝芽。泉からは無事戻ったか。」

 老師の声に私は小さく頭を下げた。親とも思いお仕えしてきたこの恩師とも、別れの時が近づいて来たのだ。不意に寂しさがこみあげて来る。

「今日まで、良く励んでくれた。此度の選では、真っ先にそなたの顔が浮かんでおった。そなたの主は、わしが選んだ。良き運命の出会いとならんことを祈っておる。……健やかにな。」

「お師様も……どうか、おからだ大事に……」

 不意に感情があふれ出し、視界が涙でかすむ。老師は少し頷き、すっと姿勢をただすと静かに部屋を出て行った。

 この瞬間、私は老師の元を離れ、長濱ながはま軍武将専属の正式なお旗女となったのである。



 自分のあるじがどのような武人なのか、それは今は問題ではなかった。

 どんな未来が待っていようと、命をかけてお仕えする。それが私の運命なのだ。

 心が引き締まる。今までの不安がうそのように消えていく。

 私は新しい未来へ踏み出すその瞬間を、ただひたすら待ちうけていた。

 ふすまが開いた。

 いよいよ対面の時が来たのだ。

 私はその場にひざをつき、主を迎える礼をとった。

「やあ、君が新しい侍女頭だね。よろしく頼む……」

 声を聞いた瞬間、私は愕然がくぜんと目を見開いた。

 そこには、同じく目を丸くして絶句ぜっくする、あの黄金色の鎧の青年が立っていたのだった。

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