濁人

 自分のことを異常だと、私は認識しています。

 と、そのようなことを臆面もなく話すと、今の世の中言論統制に遭うこと間違いはありません。

 ですので、濁った人間――と、表記することに致します。

 濁り。

 良い言葉ではありませんが、悪い言葉でもありますまい。

 お前は濁っている――と直面して言われたところで、その暗喩的意味を考察するのに時間を要し、それを誹謗中傷だと断じることの方が難しいでしょう。

 私は、濁った人間だと思っています。

 より正確に言うのなら、そうですね、自分の中にもう一つ、濁った自分がいる、とでもいいましょうか。

 幼い頃より、己の中に、非人間性があることを自覚して、生きておりました。

 「普通」ではない自分。

 「当たり前」ではない私。

 どすぐろい何かが、「普通」という名の分厚い皮の中に、渦巻いております。

 液体、いえ半液体に近いものです。

 「普通の私」が動くたびに、不定形のそれも――どろりと動くのです。

 ずっと、非人間性を抑圧し、抑え込んで生きておりました。

 おかしな自分を、己の中に留めて生きておりました。

 何故なぜかと問われると、返答に困るものです。

 えて答えを出すのなら、そう――、という他ありません。

 そういう私が受け入れられるはずがないから、でございます。

 普通や当たり前――当然、などという言葉の利便性の裏には、窮屈さもございます。誰かの行動を抑制し支配し、きちんとさせるために、親が子にかける言葉の代表格でしょう。

 ただ――それでもやはり。

 世の中には、言語化できぬ普通があります。

 当たり前があります。

 当然があります。

 暗黙の了解がございます。

 二十年程、この世の中で己と周囲を騙しながら生きてきた私だからこそ、これは言えることだと思います。

 そしてこれは間違いなく――私の中の濁った私は、その範疇から脱していました。

 例えば、人の愛し方。

 私の愛し方は、歪曲しています。

 これの元凶は、両親仲にあると考察しております。

 父も母も、感情の一方通行な人間でございました。

 お互いがお互いの言いたいことだけを言い合い、相手の話を聞かない。自分の殻の中から、言葉という砲撃を交わし合い、耳を塞ぎ合う。それは子どもである私に対しても動揺でした。家では私は、自己主張は許されませんでした。

 私に求められていたのは本心の発露ではなく、都合の良い機嫌を取る模範解答でした。

 幼い頃からそんな姿を見てきた私は、こうはなるまいと、ずっと念じて生きておりました。

 学生の頃、恋人ができた際――しかしその念は無意味だったと知りました。

 私は、親のようになっていました。

 相手の言葉を上手く聞けず、自己の主張ばかりをし、自分の機嫌で相手を制御しようとする。

 自らが苦しみ、嫌い、ああはなるまいと誓ったものに、いつの間にか私はなっていなのです。

 当時の恋人から別れを告げられた時に、衝撃であると同時に、どこか納得もしておりました。

 あんな環境で育った自分が、普通になることができるはずはなかったのだ、と。

 それを契機にか否か、私の中の違和が、次第に浮き彫りとなってまいりました。

 同時進行で物事を考えることが出来ない。

 手に持っているものがいつの間にかぐしゃぐしゃになっている。

 自分の中で言葉を選ぶことができない。

 異常に思い込みが激しい。

 他人の自我を当たり前のように否定する。

 そして、自分の感情を制御することができないという――致命的な欠陥があることが分かりました。

 一つの感情に支配されて、予期せぬ行動をとってしまう。

 長く私と共にいる方なら、一度は見たことがあるでしょう。

 怒号を発して、物に当たって、顔を真っ赤にして、怒る私を。

 それこそ、抑えて、留めていた本来の私の片鱗でございます。

 正体、とでも言いましょう。

 子どもらしく泣くことも、寄り掛かることも、頼ることもできなかった――私自身が生んだ、濁った人間。

 何より私にとって苦痛だったのは、そのような過程は、他の「普通で」「ちゃんとした」「当然」のことのできる人々は既に履修し終えているということでした。

 周囲の方々は、衝動を、怒りを、感情を抑える方法を、当然のように知っておりました。

 二十年かけても私ができなかったことを、当たり前のように会得していました。

 無意味だったのです。

 二十年、抑圧し、留めてきた私の人生は、何も意味がなかったのです。

 どころがその間に精神は変質し、もう不可逆なまでに曲がり、他人と相容れないまでに成ってしまったのです。

 私の二十年は、無駄だったのです。

 言葉を失う。

 その表現が慣用句でないことを、私はこの時初めて知りました。

 二十歳です。

 成人でございます。

 それを認識した瞬間、私は己の人生を諦めました。

 幸せになることも、家族を作ることも、恋人を作ることも、仕事をすることも、ちゃんとすることも、全て諦めました。

 自分がそうなる未来は、たとえ空想であっても想像することができませんでした。

 だったら。

 ――死んでしまおう。

 故に、そう思い至るのは、自然でしょう。

 全てを諦めた先にあるものは、死、でございます。

 年間自殺者数は把握してはいませんが、千や万の中のたった一人が増えるだけという話です。

 このまま生きて、甘えと誹られ、気狂いと罵られ、無能と嘲られて不幸に生きるより、幸せに死ぬ方が――私にとっては幸せなのです。

 ――私のような人間が、人に迷惑をかけてはいけない。

 ――誰にも見つからないところで、誰にも迷惑を掛けぬよう死ななければ。

 鞄に包丁を入れて、家を出ました。

 電車に乗り、遠くの地へ行くために――駅へと向かいました。

 夕暮れ時でしたので、仕事から家に帰る人々で、駅周辺は多くの人がいました。

 波より遅く流れていく雑踏のなかで。

 ふと。

 私は。


「あ」


 馬鹿みたいな小さな声が、自分の頭に響き渡ったのを自覚したのは、少し後のことでした。

 見たのです。

 何を――と言うと、これもまた表現することが難しいです。

 ただ――道行く人たちのいびつさを、濁りを、見たのです。

 仕事から帰る人々、駅に向かう人々、これから仕事に向かう人々、多種多様の有象無象が、人の波を作っております。

 その中には、一人として、「普通」で「ちゃんと」していて「当たり前」の人など、いなかったのです。

 濁っていました。

 全員が、濁って、見えました。

 それぞれがそれぞれの濁り方をし、同じものなど一つもありません。

 かつて両親や周囲の人々が私に求めたような「完璧」で「ちゃんとした」「普通」の人間など、どこにも居ませんでした。

 当たり前のようにズレていながらも、当たり前のように笑顔をしていて。

 当たり前のように、幸せそうでした。

 私が捨て、諦めたはずのものを。

 皆は当たり前に、持っていました。

 ――この感情は。

 ――駄目だ。

 たった一瞬でした。

 ――私は、ここまで抑圧してきたのに。

 ――私は、ここまで、留めてきたのに。

 ――それで不幸になったというのに。

 ――幸せなど、諦めたというのに。

 ――どうして。

 ――どうして貴方たちは。

 ――どうして、貴様等は。

 ――幸せになっている。

 ――

 ――

 そして、私を覆っていたぶ厚い皮は、弾けました。

 私であった何かは、爆発しました。

「■■■■■!」

 泥よりも汚いその黒い濁りは、一瞬で私の人たらしめているものに憑りつき、汚染し、そして支配しました。

 思考も、心も、身体も、全てが黒く汚く濁りました

 そして無造作に勝手に身体を動かし、勝手に口を動かし続けました。

 私はその濁りに、身を任せていました。

 もう何も抑えず、生きていて良いというのは、とても心地よい気分でした。

 ふと気づくと、私は包丁を握っていて。

 通行人の一人の胸のあたりに、それを突き刺していました。

 引き抜き――鮮血の付いた包丁を見ました。

 刃に映った私の顔は、笑っていました。

 幸せそうな笑顔で、こう言いました。

「■■■■■■■■■■■■■■■」



 こうして私は、人を辞めました。


(了)

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