第三四話 宮島パラダイス 四 厳島神社



 私たち四人は、きれいに整備された海沿いの道を、のんびり潮の匂いを嗅ぎながら歩いていた。お父さんいわく、旅館から厳島神社までの所要時間は、徒歩でほんの数分ほどなんだそうな。


「フェリーターミナルにいた時より、かなり大鳥居が大きく見えてきたんじゃない?」

「うん」


 ――などと、海上に立つ大鳥居を右前方に眺めながら歩いていると、ほどなくして、その大鳥居とは別の、陸上にある石造りの鳥居のところまでやってきた。

 私たちの歩いて来た道と商店街からの道が合流するここが、最大の難関だ――。


「真綾ちゃん、ほら、石の鳥居だよ!」

「うん」


 私がなんとか注意を逸らそうとするけど、野生の勘が働くのか、真綾ちゃんは返事をしてもすぐに後ろを振り返ろうとする。あ、そっち見たらダメ!


「真綾ちゃん、ほら、鹿さんが寝そべっているよ! 可愛いよ――」

「『六時方向に、もみじまんじゅう屋さんを発見しました』」


 振り返ろうとする真綾ちゃんの顔を私が両手でガッシリ挟み、ダラーンと寝そべっている鹿のほうへ向けていると、真綾ちゃんの口から熊野さんっぽい声が出た、なんか、カーナビっぽい感じで……。

 むう、抜かったわ、【見張り】で見つかったか。


「もみじまんじゅう……」


 真綾ちゃんはひとことつぶやくと、ギギギと後ろを振り返った。

 あぁ、そっちには、お土産物屋さんと飲食店が軒を連ねているんだよね。これ絶対に神社の閉門に間に合わないよ、だって、これから始まるのは――。


「もみまん地獄は嫌ぁぁ!」

「そ、そうだ真綾ちゃん、おじさんいいこと思いついたよ、明日は出発を遅らせて、たっぷり食べ歩きの時間を取ろう」

「もみまん地獄は嫌ぁぁぁ!」

「よく考えなさい真綾、ここの商店街は店じまいが早いから、今から行ってもあまり楽しめないよ、今日は神社に行って、そのぶん明日楽しみなさい」


「…………わかりました」


 ふう、三人総がかりの説得が通じたのか、真綾ちゃんは渋々といった感じで諦めてくれたよ……あれ? 数時間前にも同じようなことが……。

 デジャヴュ? などと考えつつ、道の左側にある丘を回り込んでいくと、いよいよ厳島神社の社殿が姿を現した。

 今が満潮に近いため海上に浮かんでいるように見える朱塗りの社殿は、オレンジ色の西陽に照らされていてどこか神々しい。そういえば、修学旅行で伏見稲荷大社に行ったのも夕暮れ時だったなー。


 社殿入り口へ向かい、てくてく歩いていた私は、それぞれ鴉の像を上に載せた左右一対の石燈籠を見つけた。片方の鴉像は口を開け、もう片方は閉じている。――なんか狛犬みたいだな、狛鴉?


「真綾ちゃん、あれ、なんかクロみたいだよね」

「クロより品がある」


 そんなことを言いながら石燈籠の間を抜けた私たちは、入り口のところで昇殿初穂料を払ってから社殿の中に入った。


 途中にあった摂社にお参りしたり、社殿の下まで水が来ている様子に感心したりしながら、朱塗りの柱が連なる長い回廊を進んだ私たちは、やがて、厳島神社の主祭神を祀る御本社にたどり着いた。……うむ、私にはわかる。ここはとてもスピリチュアルな波動に満ち溢れた場所だね。神聖なパワー的アレをヒシヒシと感じるよ、うん……。

 さっそく私たちは、奥に見える御本殿を拝殿からお参りすることにした。

 まずはお賽銭だね、どれどれ――。


「あった、お賽銭といえば、やっぱりこれでしょう。――ほいっと」


 おサイフの中をジャラジャラと探していた私は、やっと見つけた五円玉をお賽銭箱に放り込んだ――。


『みみっちいやつじゃのう』

『しょっぱいのう』

『小さい』


「誰が小さいだ!」


 五円玉が賽銭箱に消えたとたん、ヒソヒソとバカにするような子供の声をデビルイヤーで拾い、私は思わず叫んでしまった。

 いかんいかん、周りのみんながキョトンとした顔で私を見ているよ、ちょっと恥ずかしいな。


「花ぁ、こんなところで大声なんか出しちゃだめじゃないか」

「ごめんなさい。……でも、誰か、小さいとかなんとか言わなかった?」


 お父さんに注意されちゃったよ、反省だよ。……でも、たしかに子供の声が聞こえたんだけど、私の問いかけにお父さんは首を横に振っているね。


「気のせいか……」


 私は気を取り直して、お参りを続けることにした。

 まずは二拝、ペコリペコリ、次に二拍手して、パンパンっと、――えっと、神様お願いします、これからもずっと、真綾ちゃんと楽しくやっていけますように――。


『願いと賽銭が釣り合わんのう』

『しょっぱいのう』

『小さい』


「誰が――」

「花ぁ……」


 また聞こえた子供の声に突っ込もうとしたら、お父さんに止められた。

 お父さんは、ヤレヤレといった感じで首を振っている。……なんか腹立つ。


「ホントに聞こえたのに……」

「花ちゃんは、ひょっとしたら精霊の声を聞いたのかもしれないね」


 私が口を尖らせていたら、おじいちゃんが助け舟を出してくれた。


「精霊?」

「そう、ぼちぼち黄昏時なうえに、ここは特別な場所だからね、何か不思議なことが起こったとしてもおかしくはない。――ひょっとしたら、可愛い花ちゃんを見た精霊が、ちょっとからかってみたくなったのかもしれないよ」


 聞き返す私に、おじいちゃんは優しく説明してくれた。

 そうか、鴉と話ができるおじいちゃんの言葉だ、きっとそうなのかもしれないね。さっき聞こえた声も、イタズラ好きな精霊さんのものだと思ったら、なんか私、楽しくなってきたよ。思えば、修学旅行の時に聞こえていたのも、精霊さんの声だったのかもしれない。


 御本社のお参りを終えた私たちは、社殿の海側にある広大な木製テラス、平舞台の、真ん中あたりが海にピョコンと突き出しているところに向かった。


「ほえ~、絶景だ……」


 自分の真正面に広がる光景を見た私は、それだけ口にするのがやっとだった。

 茜色に染まった世界の中に、まるで影絵のような大鳥居が立っていた。

 口をポカンと開けて突っ立っている私の目の前で、やがて空は幻想的なグラデーションへと色を変えていく。

 いにしえ人の手による建造物と大自然が織りなすこの光景を、なんと表現すればいいだろう……。


「…………」


 となりを見れば、口こそ閉まっているものの、真綾ちゃんも私と同じく目の前の光景に言葉を忘れていた。


「ね、この時間に来てよかったでしょ? もみじまんじゅうもいいけど、私はこの景色を真綾ちゃんに見せたかったんだよね」

「……うん、来てよかった」


 刻々と色を変えていく空の下、影絵のような大鳥居に重なって微笑み合う大小ふたつの影を、見た人はなんと表現してくれるだろうか…………誰が小さいだ!


 こうして厳島神社参拝を終えた私たちは、今日の夕食に思いを馳せつつ、黄昏時の道をたどって旅館まで帰ったのだった――。


      ◇      ◇      ◇


「もう食べられないよー、ゲプ」

「……天国」


 牡蠣に穴子に広島牛、エトセトラ、エトセトラ……。旅館の豪華な夕食をたいらげた私と真綾ちゃんは、お布団の上に外着のまま寝転んで、ポッコリ膨らんだお腹をさすっていた。ここは私たちふたりが泊まっている和室の中だ。


「なんで旅館の料理って、食べきれないほど出てくるんだろね」

「ちょうどいいよ?」


 私のとなりのお布団で、仰向けのまま真綾ちゃんは、え? 何言ってるの? ってくらいの感じで言うけど――。


「…………ちょうどいいって真綾ちゃん、私が食べきれなかったぶんも喜んで食べてくれてたよね」

「ごちそうさまでした」


 さっき食堂では、家族旅行した時みたいにハイエナのごとく私の食べ残しを狙っていたお父さんが、私から真綾ちゃんに手渡されては次々とお口の中に消えていく料理の数々を、たいそう寂しそうな目で見ていたよ。

 いつも思うけど、いくら長身とはいえ、そのスリムな体のどこにあれだけの量が消えていくというのか……。


 夕食時の様子を思い出して、真綾ちゃんのスラリとした体をジッと見つめていたら、ドアをノックする音が聞こえた。たぶん、となりの部屋に泊まっているおじいちゃんかお父さんだろう。


 ――商店街が福引きの景品として用意していた宿泊券は、当然二部屋ぶんだったので、当初は羅城門家、斎藤家で、それぞれの部屋に分かれる予定だったんだけど、私がお父さんと同室になることを嫌がるそぶりを見せたら、気を利かせたおじいちゃんが私と代わってくれたんだよね。

 もちろん、それじゃ申しわけないと私は言ったんだけど、船の話を酒の肴に盛り上がりたいからと、おじいちゃんは笑いながら言ってくれた。最初は私から邪険にされてヘコんでいたお父さんも、おじいちゃんの提案を聞いてすぐに復活してたよ――。


「花ちゃんはゆっくりしてて」

「ありがとね」


 まだちょっとお腹が苦しい私のことを気遣って、真綾ちゃんが襖の向こうにあるこの部屋の玄関に消えていく。真綾ちゃんのこういうところが好き。

 それからしばらく、襖の向こうで何やら話す声がしていたと思ったら、襖を開けて真綾ちゃんが帰ってきた。


「お帰りー。なんだって?」

「これから大浴場に行って、そのあと下で飲むんだって」

「ホント仲いいよね、大人チーム」

「うん、あんなおじいちゃん初めて見た」


 この旅をエンジョイしまくっている大人チームの様子を聞いて、ゴロンとお布団に転がったまま私が呆れていると、珍しく真綾ちゃんがニッコリ微笑んだ。うわ、ウルトラレアだよ、眩しいよ! この旅を心から楽しんでくれているおじいちゃんの様子が、おじいちゃん子の彼女にはよほど嬉しいんだろうね。

 破壊力抜群の笑顔に私が見惚れていると、真綾ちゃんは大人チームからの言葉を伝えてくれた。


「あと、気をつけて行ってらっしゃいって」


 ――そう、なんで私たちが浴衣に着替えず外着のままでいたのかというと、夜の宮島を散歩がてら、ライトアップされた厳島神社の社殿と大鳥居を見に行くためなんだよね。


 しばらく目を閉じて自分のお腹と相談した私は、カッと目を見開くと、シュバッと俊敏な動作で起き上がった。


「それじゃ、お腹も落ち着いてきたことだし、私たちもぼちぼち出るとしよっか」

「おー」


      ◇      ◇      ◇


 潮風に頬を撫でられながら、私たちは月の無い夜の道を並んで歩いていた。

 つっても、道沿いにズラッと並んだ石燈籠や街灯のおかげで、思ったより明々としてるんだけどね。


「やっぱ夜になると、それなりに冷えるね」

「浴衣にしなくて正解」

「ハハ……」


 実は、熊野さんから貰った浴衣を着てみたくてしょうがない私が、浴衣で散歩に出ると言ったら、真綾ちゃんと熊野さんふたりがかりで止められたんだよね。絹勾配は風をよく通すから、さすがにこの時期の夜に着て出られるものではないのだそうな。たしかに真綾ちゃんの言ったとおり、浴衣にしなくて正解だったよ。


 石鳥居のところまでやってきた私たちは、なんとなく立ち止まって、商店街のほうを振り返った。

 おじいちゃんが言っていたように、この時間はもうほとんどのお店が閉店しているね。夕方にはまだそこそこ観光客がいたのが嘘だったみたいにガランとしいて、すごく寂しい雰囲気だよ。

 営業を終えたもみじまんじゅう屋さんをジットリ見つめる真綾ちゃんも、どこか寂しげだね……。


「明日になったらちゃんと営業中に来るから、そんな目で見ない」

「わかった……」


 前に向き直ってふたたび歩き出した私たちは、虫の音が響く夜空の下で静かに立っている石鳥居を、くぐり抜けた――。


「あれ? 今、なんか変な感じしなかった?」

「した」


 石鳥居をくぐり抜ける瞬間、かすかに、薄い膜でも突き抜けているような奇妙な感覚を覚え、私は思わずその場に立ち止まってしまった。となりで足を止めた真綾ちゃんに確かめてみると、私同様に何かを感じたらしい彼女は真剣な表情で頷く……。

 どうやら、気のせいではなかったみたいだね。


「どう? 真綾ちゃん」

「悪いものじゃないと思う」


 しばらく顔を見合わせていた私たちは、真顔で頷き合ってから先に進んだ。ここは真綾ちゃんの野生の勘を信じよう。いざというときは、きっと熊野さんの加護の力で何とかなるよ、うん。


 夕方と同じように、大鳥居を右前方に見ながら左側の丘を回り込んでいくと、厳島神社の社殿が姿を現した。

 しんと静まり返るなか、大鳥居と同様にライトアップされた朱塗りの社殿は、西陽に照らされていた姿とはまた違って、何やら妖しい雰囲気がある。

 回廊に下げられた吊り燈籠が、風も無いのにかすかに揺らめいて……あれ? これだけ距離があるのに、吊り燈籠の模様まではっきり見えているのはなんでだろう? 虫の音が聞こえなくなったのは、いつからだろう……。


「誰もいないね……」


 ライトアップを見に来ている観光客がひとりもいないことに異様な何かを感じ、ちょっと怖くなった私は、真綾ちゃんにくっつきながら話しかけた。すると、私の顔を見て頷いた彼女の右手が、ゆっくり上がっていく――。


「鴉もいない」


 そう言いながら真綾ちゃんが指差したのは、社殿の入り口近くに立っている左右一対の石燈籠。ユラユラと妖しく揺れる明かりが灯った石燈籠の上には、本来ならあるべきはずの狛鴉が……消えていた。


「ホントに、消えてる……」


 狛鴉のいなくなった石燈籠を呆然と見ていた私は、自分たちの立っている場所を覆うようにして夜霧が立ち込め始めていることに、ふと気がついた。


「霧だ……」

「花ちゃん、離れないで」


 真綾ちゃんにしては珍しく、少し緊張したような声を私にかけてきた。

 言われたとおり彼女への密着度を上げた私の前で、どんどんその濃さを増していった霧は、やがて、すっぽりと私たちを包み込んだ。

 濃密な霧に覆われてしまった世界の中で、なぜだか厳島神社の社殿だけが、妖しく輝きながら浮かんでいる。

 今、高舞台の上で音も無く舞っているあの舞楽面の人は、社殿の中にゆらゆらと見えているいくつもの人影は、……本当に人間なんだろうか。


「何じゃ、お前か」

「しょっぱいのう」

「小さい」


「誰が小さ…………ぎゃー!」


 いきなり近くで聞こえた失礼な声に、もはや条件反射となったツッコミを入れようとした私は、その途中で悲鳴を上げながらピョコンと跳び上がった。

 だってね、いつの間に現れたのか、私たちの前には、鹿に乗った三歳くらいの女の子が三人、いたんだよ……。



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