第三五話 宮島パラダイス 五 霧の島のマイ鹿


 女の子たちの唐突な出現に驚いていた私は、なんとか落ち着きを取り戻すと、彼女たちのことをジックリねっとり観察した。


 彼女たちはみんな、奉納舞する巫女さんのものに似ているような、ちょっと違うような感じのきれいな衣装を着て、頭にはきらびやかな冠を被っている。修学旅行の時に出会った紅ちゃんが着ていた衣装を、さらにグレードアップした感じかな?

 三つ子なのか三人とも同じ顔なんだけれど、目鼻立ちの整った可愛らしいお顔をしていてたいへんよろしい、このまま成長したら間違いなく絶世の美女になるだろうね。それに、それぞれがマイカーならぬマイ鹿の背にチョコンと跨がっていて、その姿がこれまた可愛い。……ブラボー、あなたたち最高だよ。


「何やら鴉どもが騒いでいると思えば」

「いずこかの神のかんなぎであったか」

「小さい」


 プリチーな三つ子たちは、お人形さんのように可愛らしい口を開いた。そこから流れ出てきたのも、鈴が転げるような可愛い声なんだけど、あれ? どっかで聞いたことのある声だな……。

 あと、三番目にしゃべった子、誰が小さいって?


「あれは、そなたらが仕えし神の眷属かえ? 我が鴉どもの神気に怯えもせず、こちらを睨んでおるわ」

「さぞかし名のある神の眷属じゃろう」

「大きい」


 三つ子たちは濃密な霧に覆われた夜空を小さく白い顔で見上げ、何やらわけのわからないことを言い出した。私には霧と混じったような暗闇しか見えないんだけど、あそこに何がいるというのか……。


「あなたたちはいったい……」


 この子たちはたぶん、人間じゃないよね、なんか全身が薄く発光してるし。

 恐る恐る聞く私の顔を黒曜石のような瞳で捉えた三つ子たちは、クスクスと笑い合ってから答えた。


「たった五円で願いごととは恐れ入る……。みみっちいのう」

「子供は昇殿初穂料を割引価格にしてやっとるというのに……。しょっぱいのう」

「………………小さい」


「…………」


 うん、間違いない、私が御本社をお参りした時に聞こえた精霊さんの声だ……。でもそれ以上言われたら、たぶん私、泣いちゃうよ。特に、思いっきりためてから小さいって言った、三番目にしゃべる子!


 涙目でプルプルと震えている私をよそに、三つ子たちの顔はピタリと揃った動きで真綾ちゃんのほうを向いた。


「さて、大きいかんなぎよ」

「大きい」

「大きい」


「…………」


 あ、ヘコんだ……。

 大きいを連発されてヘコんでいる真綾ちゃんに構わず、三つ子たちはさらに言葉を続けるようだ。


 あれ? なぜだろう、真綾ちゃんを見るその顔はとても悲しそうだよ? 私の体に纏わりついている霧を通して、彼女たちの深い憐れみのような感情が伝わってくる……。


「いずこかの力ある神によって、そなたには強い〈カシリ〉がかけられておるのう」

「もはや、ことわりと化しておる、これでは解けぬ……」

「あと一年、かわいそう……」


 え? 何が真綾ちゃんにかかってるって? あと一年ってどういうことだよ!


「ちょっと待っ――」


 私が慌てて質問しようとした時、私と真綾ちゃんの胸元にあるお揃いの勾玉ネックレスが、いきなり青く輝き出した!

 その美しい紺碧の光を目にしたとたん、三つ子たちの顔が驚きの色に染まる。


「…………なんということじゃ、あのお方の冥護を受けておったか」

「日の御子になるはずであった、貴き御子……」

「かわいそうな、あのお方……」


 何やら口々に言いながら、私たちの胸元で輝く青い光を見つめていた彼女たちは、しばらく真剣な顔をして黙り込んでいたかと思ったら、意を決したように頷き合った。

 すると今度は、まるで花が開くように、見る見る明るい顔になっていく。――あ、可愛い、ちょっと紅ちゃんを思い出したよ。


「あのお方の冥護を受けた者ならば、我らも放ってはおけぬ」

「我らが手を貸さぬわけにはいかぬ」

「いかぬ」


 ハツラツとした声で口々に宣言した三つ子たちが、胸の前でちっちゃい両手をギュッと握りしめた。ホント可愛い。

 すると、彼女たちの全身から発される光が急速に強くなり――。


「それっ!」


 ――ピタリと揃った高らかなかけ声とともに、彼女たちが元気よくバンザイすると、それを合図に、今まで妖しく輝きながら霧の中に浮かんでいた厳島神社の社殿が、無数に煌めく光の粒子に変わった!

 ほどなくして、光の粒子と混じり合った霧が、私と真綾ちゃんを中心にして渦を巻き始める。


「あばばば……」

「大丈夫だよ」


 目の前のファンタジーな光景にビビってしまい、真綾ちゃんにくっついてアバアバ言っているだけの私の頭に、彼女はそっと手を置いてくれた。その大きな手のぬくもりに、私を覆っていた不安が消えていく……。


 私たちがそうしている間にも速度を上げて渦巻いていた光る霧は、今度は、私と真綾ちゃんの胸元で輝き続けている青い光に吸い込まれ始めた。


『〈カシリ〉を解くことは叶わぬが、これでもう大丈夫、あのお方の冥護に我らの冥護が加われば』

『海を統べるお方と道を統べる我らの力が合わされば』

『交通安全、間違いなし』


 どこからともなく響いてきた三つ子の明るい声が消えると同時に、最後の光る霧がひときわまばゆい輝きを放ちながら、青い光に吸い込まれていった。


 ――気がつけば、私たちの胸元で輝いていた勾玉の光は消え、寄り添って立つ私たちふたりの前には、ライトアップされた厳島神社の社殿が、何ごともなかったようにたたずんでいた。


 私はキョロキョロとあたりを見回してみたけど、石燈籠の上に狛鴉が帰ってきていた代わりに、あの可愛らしい三つ子の姿はもう、どこにもなかったんだよ――。


      ◇      ◇      ◇


「眠れない……」


 暗い部屋のお布団の中で、私はボソリとつぶやいた。


 あのあとすぐ旅館に帰った私と真綾ちゃんは、狐にでもつままれていたような不思議な感覚のまま、大浴場でお湯に浸かったあと、大人しくお布団に入ったんだけど、いろいろ気になった私は全然眠れなかったんだよね。

 胆力がハンパないうえ、早寝早起きが身についている健康優良児の真綾ちゃんは、となりでギンギンに目を開けている私の心配をよそに、すでにスヤスヤと夢の国でいらっしゃる…………。

 ご理解いただけるだろうか? この時、私に去来した感情を。


 真綾ちゃんのきれいな寝顔をジト~ッと見つめていた私は、ムックリ起き上がると、彼女の耳元に顔を寄せた。


「生牡蠣、焼き牡蠣、牡蠣フライ、穴子めし、焼きたてのもみじまんじゅう……」

「うーん……」


 あれ? 私は宮島名物の名をボソボソとささやいていただけなのに、真綾ちゃんがうなされ始めたよ? 不思議だね~。


「揚げもみじ……。もみじまんじゅうを油で揚げたそれは、外はカリッと、中はフワフワで、中身は、こしあん、クリーム、チ――」

「『何をなさってるんですか?』」

「ぎょ!」


 私が宮島の新定番名物をボソボソと解説していたら、スヤスヤ眠っていたはずの真綾ちゃんが、唐突に口だけ動かしてヒソヒソと話しかけてきたもんだから、小さな悲鳴とともに私の体は一瞬で凍りついてしまった。


「『あ、申しわけございません。驚かせてしまったようですね』」

「あれ? この口調は…………ひょっとして、熊野さん?」

「『はい、正解です~』」


 眠ったままの姿でヒソヒソと謝ってくる真綾ちゃんの、いつもと違う口調にピンときて、私が恐る恐る尋ねてみると、やっぱり声の主は熊野さんだった。

 これって、どういうこと?


「じゃあ今、真綾ちゃんの意識は?」

「『夢の中で宮島名物に埋もれていらっしゃいます。それはもう、お幸せそうに……』」

「あ、そう……」


 まあ、幸せそうならいいか。でも、ちゃんと説明はしてもらわないとね。


「熊野さん、説明シルブプレ」

「『ウィ、マドモアゼル。どうやら真綾様がお眠りのときなどは、こうして、わたくしの意思でお体をお借りすることも可能なようなのです』」


 熊野さんがそう言うと、眠っている真綾ちゃんの右手が動き出し、グッとサムズアップした。


「…………なるほど。でも、やたら真綾ちゃんが声真似スキル上げているから、また真似してるのかと思いましたよ」

「『あの……わたくし、人が聞くとあんな感じなのでしょうか?』」

「はい、すこぶる似てます」

「『そうなんですか~。自分の声真似を聞くというのは、なんとも恥ずかしいものでございますねぇ。――ですが花様、お気づきでしょうか? 真綾様がわたくしの声真似をされる本当の理由を』」


 本当の理由? 気まぐれでやってみたら意外と好評だったから? じゃなかったんだね、やっぱり……。


「ひょっとして……熊野さんと脳内会話できない私が、寂しがってたから?」

「『はい、さすがは花様、サスハナです。――ここだけのお話でございますが、花様に初めて声真似をご披露された時などは、真綾様には珍しく、心拍数が大きく上昇しておいででしたよ』」

「そうですか……」


 熊野さんが真綾ちゃんの口を借りて語る優しい暴露話に、思わず私の頬はゆるんでしまった。一見、取っつきにくそうに見える真綾ちゃんだけど、中身はホントに優しい子なんだよね。

 ――この優しい親友の未来が、ずっと幸せなものでありますように――。

 私は心から願った。


「ところで熊野さん、アレ、なんだったと思います?」


 アレとはもちろん、私たちが厳島神社のライトアップを見に行った時の、あの不思議な体験のことだ。ぜひとも熊野さんの意見を聞いてみたくて単刀直入に切り出してみたら、短い沈黙のあと、熊野さんが真綾ちゃんの口を動かした。


「『…………そうですね、科学文明の申し子であるこのわたくしとしては、とても認めたくはございませんが、――』」


 いやいやいや! 今やガッツリ超常現象であるあなたがそれを言いますか!?

 私は喉まで出かかったツッコミをなんとか飲み込んで、熊野さんの続ける言葉に耳を傾けた。


「『――鹿に乗っていらした愛らしいお子様方は、やはり、名のある御神霊かと』」

「ですよね~、現代テクノロジーでもアレは無理ですから」


 そりゃもちろん、霧を発生させる装置やプロジェクション・マッピングなんかの技術を使えば、現代テクノロジーでもある程度のことは可能だろうけど、あそこまでリアルで完璧なものは絶対に無理だ。


「『あとは、……何者かによって、真綾様に〈カシリ〉というものがかけられているそうですが、おそらくは漢字で呪いの呪と書いてこう読むのでしょう。これは、かつて羅城門家当主ご夫妻が予見された何かと、関係があるのではないでしょうか』」

「呪い……」


 私の心に、熊野さんの『呪い』という言葉と、可愛い神様が言った『あと一年』という言葉が、重くのしかかってくる。

 どうしよう、真綾ちゃんが、私の大切な親友が…………。


「『元気をお出しくださいませ花様。お忘れですか? あの愛らしい神様方が最後におっしゃったことを』」

「あ……」


 今にも泣き出しそうな私を励ましてくれる熊野さんの言葉に、私はあの時のことを思い出した。

 鹿に乗った可愛らしい神様たちの、『これでもう大丈夫』『交通安全、間違いなし』と言う明るく元気な声が、暗い霧に覆われてしまいそうになっていた私の心に響き渡る。


「……そうだ、『あと一年』の〈カシリ〉が『解けぬ』のに、あの神様たちは『もう大丈夫』って言ってくれた……。ひょっとして、真綾ちゃんにかけられている〈カシリ〉って、生命を直接害するものじゃ――」

「『はい、そもそも〈カシリ〉というものは、よこしまな呪詛のことだけを指すのではなく、もっと広い意味なのかも知れません。きっと神様方は、〈カシリ〉によって真綾様の身に何が起こったとしても、より良い方向へと導いていただけるような、そんな冥護を授けてくださったのでしょう」』


 よかった、ホントによかった……。一年後に何が起きるのかはわからないけど、直接生命を奪われる、とかじゃないのなら、何が起きても対処できるように準備することも可能だろう――。


「だったら、私もできる限りのことをしなきゃ!」

「『はい、この熊野も、何があろうと真綾様の御身をお守りいたします! わたくしはきっと、そのために造られたのですから』」


 熊野さんの明るく力強い言葉とともに、真綾ちゃんの右手がふたたび、グッとサムズアップした。

 真綾ちゃんの契約相手が熊野さんで、本当によかった。


 すっかり安心して眠くなった私は、熊野さんとしばらく会話してから夢の国へと旅立っていった。宮島名物に埋もれるのも楽しそうだね……。



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