第二九話 おじいちゃんと熊野さん 一



 夏休みが終わり、九月も半ばに差しかかったころ、私と真綾ちゃんの通っている中学校では、とある噂話がささやかれていた。


「なあ花、知っとるか? 羅城門家の裏山あるやろ、最近あの向こう側が不気味に光ることがあるんやて。……あの向こう側ってたしか民家も道路もない山ん中のはずやん、せやのに結構明るく光るらしいで。こないだ、うちのオカンも見たっちゅうとったわ」

「へ、へぇーそうなんだー」


 剣道部の一件で前にも増して仲良くなった火野さんが、一時限目が終わるなり私の机の前にやってくると、勝ち気な目を輝かせながら噂話を始めた。

 噂話の真相に心当たり大ありの私が、キョロキョロと目を泳がせつつもしらばっくれていると――。

 私の真横に、長い黒髪を前に垂らした女の顔が、突如として出現した! 

 髪の隙間からギョロリと恨めしそうな目で私を見ながら、女はすこぶる血色の悪い唇を開く――。


「私、見たのよ…………」

「ぎゃぁぁぁ!」


 怨念のこもった声に、思わず私は大声で悲鳴を上げてしまった。


「落ち着け花! よう見てみい、ムーや」

「あ…………」


 火野さんの言うとおり、その怨霊をよく見たら、オカルトと都市伝説が三度の飯より好きな少女、ムーちゃんだった。

 中学生になってからというもの、なんか、この子のオカルト好きも重症化している気がする……。少なくとも、私を驚かす腕には磨きがかかっているよね、さすがは百年にひとりの逸材。


「ムーちゃん、やめてよ~、また寿命が縮んだ気がするよ~」

「ごめん花ちゃん……。リアクションがおもしろいから、つい……」


 私の抗議に、ムーちゃんは前に垂らしていた髪を戻しながら謝った。そうやって普通にしてたら悪くないお顔してるのにな……。あ、でも、ちゃんと栄養は摂ったほうがいいかも、相変わらず顔色が悪いよ。


「ええやん、背ぇが縮まんかったんやから。それよりムー、何見たん?」

「もちろん、あの光。――先週の金曜日、学校が終わってから……私、噂の真相をたしかめようとして、噂の山のふもとまで行ったの……。超常現象を扱った海外ドラマに出てきた、あの捜査官のように……」

「アクティブやなー、ほんで?」

「そしたら……。逢魔ヶ刻……古来より、この世ならざるモノと出逢うとされている時間帯になるころ……。ディアトロフ峠のような禍々しさすら感じる山の向こう側で……たしかに何かが光ったの……」


 陽の火野さんと陰のムーちゃん、対照的なふたりの会話を、私はダラダラと冷や汗をかきながら、黙って聞いているしかなかった。


「おお! ホンマかいな?」

「うん……。だから私、ドローンを飛ばしたの……。世界中を呑み込んだ大洪水のあと、ノアが鴉や鳩を飛ばしたように……」


 え? ムーちゃん、今なんて――。


「ムー、むっちゃアクティブやん! ほんで?」

「ドローンが山の上まで上昇した時には……もう、メアリー・セレスト号の船員みたいに跡形もなく、光は消えていたんだけど……そのまま山の向こうに移動させたの……」


 ア、アカン、これアカンやつや……。バレたか?

 私の全身を伝っていた冷や汗が、滝のように激しく流れ出した。


「そしたら……急に映像が途切れて、私のドローンは二度と帰らなかったの……。アイリーンモアの灯台守のように……」

「あちゃー、ナンボしたんか知らんけど、ご愁傷さま。――うわっ! なんや花、汗びっしょやで! 机の上に水溜まりできてんで」


 セーフ……。大量の汗を見てドン引きしている火野さんをよそに、私は胸を撫で下ろした。

 いつもなら夕方に光っているのは召喚解除の魔法陣だから、それが消えたあとなら別に見られても問題ないんだけど、先週の金曜日だけは違ったんだよね。……マジで危なかった。


「私が思うに、あの光はきっと……未確認飛行物体が原因よ……。たぶん、地球外知的生命体が、この町で何かをしようとしてるんじゃないかな……たとえば、キャトル・ミューティレーションとか、アブダクトとかを、……ニューハンプシャーで、あの夫妻にしたように……」

「ええ~、どうしよう~、俺、宇宙人に連れ去られたらどうしよう~。――あ、でも、姫様にならアブダクトされても――」

「黙れ木下!」


 いつの間にか来ていた木下が、ムーちゃんの話にマジで怯えたかと思ったら、ほんのり頬を染めて気持ち悪いことを言い出したから、私と火野さんで同時に罵倒した。

 中学生になってから持病が重症化してしまったのは、どうやらムーちゃんだけじゃなかったようだね。……私はコイツの将来がホント心配だよ。


「地球外知的生命体? きみたちは本当にそんなものが地球に来ているなんて思っているのかい? 非科学的だな~。その光だって、自動車のヘッドライトや町の光が霧や雲に反射しているとか、たまたま条件が揃って遠くの光が近くに見えているとか、プラズマが発生したとか、どうせそんなところだよ」


 頭のいい出喜多君がきっちり締めたところで、タイミング良く授業開始のチャイムが鳴ると、集まっていたみんなはそれぞれの席へと戻っていった……。デジャヴュ?

 ……まぁ、こんな田舎じゃあ、中学校に上がったといっても、小学校にいたころとクラスの面子がほぼ変わらないからね。いつもこんな感じだよ、うちのクラス。


 真綾ちゃんの様子をチラリと窺うと、窓際一番後ろの席で、彼女は今日も物憂げに窓の外を眺めていた。青空にポッカリ浮かんでいるクロワッサンのような雲を……。


      ◇      ◇      ◇


 ついに、この日が来た――。

 火野さんたちに噂話を聞いてから数日後の日曜日、秘密の湾を見下ろすいつもの場所で私はちょっぴり緊張していた。となりにいる真綾ちゃんもいつもと雰囲気が少し違う。


 先月あれだけ騒々しかったクマゼミだかミンミンゼミだかが、ヒグラシに選手交替したこの場所には、現在、私たちの他に、もうひとりの姿がある。

 私はその人に声をかけた。


「疲れてませんか?」

「うん、ありがとう花ちゃん、山歩きは山菜採りで慣れているからね、このくらい平気だよ。――それより、これからふたりが私に何を見せてくれるのか、とても楽しみだよ」


 少し山道を歩いたというのに疲れた様子をまったく見せず、おじいちゃんは深い皺をさらに深くして、いたずらっ子のように笑った。


 ――そう、今日は、真綾ちゃんがおじいちゃんに秘密を打ち明ける日。そして、子供のころ熊野丸に乗って家族旅行した経験のあるおじいちゃんと、熊野さんが久しぶりに再会する日でもあるんだよ。――これが緊張せずにいられるかってんでぃ!


「おじいちゃん、聞いてほしい話がある」


 私に打ち明けた時とまったく同じ話を、真綾ちゃんは唐突に始めた――。


      ◇      ◇      ◇


「なるほど、食べ物に釣られて怪しげな契約を結んでしまった、と……」

「ごめんなさい……」


 思ったとおり、真綾ちゃんの残念な行動にショックを受けて、おじいちゃんがこめかみ押さえちゃったよ。……心中お察しします。

 真綾ちゃん、しおらしく謝ったけど、ホントに反省してる?


「……で、特に異常は無いんだね?」

「うん」

「あ、そこは大丈夫そうです。今のところ、身体機能、記憶、精神状態、いずれも異常ありません」

「ありがとう花ちゃん、きみがこの子の友達で本当によかったよ」


 おじいちゃんが以前の私と同じように心配し始めたので、軽く説明したら、おじいちゃんは安心したようで、私にしみじみとお礼を言ってくれたよ。


「魔法少女にはなれなかったけど……」

「え? 真綾ちゃん、今、これっぽちも魔法少女なんてワード出なかったよね? まさかのセリフ使い回し?」


 私のツッコミをよそに、マイペース真綾ちゃんは私の時とまったく同じルーティーンをこなしていった……。

 彼女が指差した海の中に、輝く巨大な魔法陣が現れ、それがグルグルと回転しながら上昇していくと、その下から徐々に熊野さんの本体が姿を現し始め、船体が完全に召喚されたところで空中の魔法陣は消える。……うん、私の時と完全に同じだね。


 でも、ここからが違った。

 ここで、私は口からエクトプラズムを出して呆然としていたんだけど……あれ? おじいちゃん全然驚いてないよ。もちろん視線は熊野さんの本体に釘付けなんだけど、目の中にあるのは、懐かしさと喜びと悲しみがゴチャ交ぜになったような複雑な色ではあっても、そこに驚きはカケラも感じられない……。なんで?


「うん? 花ちゃんどうしたんだね? そんな顔をして」


 私の視線に気づいたおじいちゃんが、こちらを向いた。


「いやぁ……おじいちゃん、驚かないんだなって……」

「ああ、……やはり花ちゃんは鋭いね。実は、すでに聞いていたからね」


 私の疑問に答えるように、おじいちゃんはチョイチョイと上を指差す。

 その方向を私が見上げると、刷毛で刷いたような薄い雲が浮かぶ空を悠々と舞う一羽の鴉、クロの姿があった。

 ……あー、なるほど。全部、巡回中のクロに見られていたんだね。


「サプライズ失敗……」


 あ、真綾ちゃんが落ち込んだ。おじいちゃんをビックリさせるって、前から意気込んでいたもんね……。


「クロめ、あとで成敗――」

「やめたげてよお!」


 真綾ちゃんが空を見上げ、荒ぶる心の捌け口をクロに求めようとしたので、動物保護の観点から私は慌てて止めた。――あ、物騒な気配に気づいたのか、クロがスーッと飛んで行ったぞ。


「おや?」


 おじいちゃんが何か見つけたような声を上げたので、飛び去るクロを見ていた私と真綾ちゃんは、おじいちゃんの視線を追った。

 私たちの注目を浴びつつ、ブリッジの中からフワフワと出てきた紅白二本の旗が、ピタリと空中で静止した……。熊野さん、おじいちゃんと再会できる喜びのあまり、またフライングしちゃったようだね。


 私が生温かい目で見守っていると、停止していた旗は、バッ、バッと、キレのある動きで手旗信号を送り始める……。うん、やっぱりわかんないや。


「私も嬉しいよ、熊野丸」

「え? おじいちゃん、あれ解読できるんですか?」

「ああ、もちろん」


 もちろんだって……。さすが私の師匠だよ。

 おお! おじいちゃんが手旗信号を解読できるって知った熊野さんが、ますますキレのある動きで手旗信号を送り始めたよ! う~ん、熊野さん張りきってるね~、アレよっぽど嬉しいんだね~。


      ◇      ◇      ◇


「お久しゅうございます義継坊ちゃま、熊野は感無量でございます! ああ、なんとご立派になられて……。坊ちゃまは覚えておいででしょうか? あれは昭和十二年十月、横浜で盛大に行われた、わたくしのお披露目式典のこと――」


 なかなか熊野さんの手旗信号が終わりそうもなかったので、私が「中でゆっくり話しませんか?」と提案して、みんなで熊野丸一等エントランスホールに瞬間移動して来たところなんだけど……。私たちが到着したとたん、こうして熊野さんが、おじいちゃんにすごい勢いで挨拶を始めたんだよね。嬉しいんだろうな~、長くなりそうだな~。


「――それがこうして、ふたたびお乗せすることが叶うとは……夢のようでございます」

「ああ、私もだよ……」


 おじいちゃんは熊野さんの長かった挨拶に短く返したけど、その目はちょっぴり涙で潤んでいた。

 九十歳を超えているおじいちゃんは、今までたくさんの大切な人たちを見送ってきたんだと思う。そんなおじいちゃんにとって、こうして、幼いころの思い出深い熊野さんと再会できるということは、どれほど嬉しいことなんだろうか……。


「さて、義継坊ちゃま――」

「あー、熊野丸、さすがに坊ちゃまは勘弁してくれないかね? 今はこのとおり、ただの爺さんだからね」

「これは失礼いたしました。……それではわたくしも、こうして人格を得た今は熊野とお呼びいただけると幸いです。――それでは義継様、船内でどこか行きたい場所などはございませんか?」


 お互いの呼び名が決まったところで、熊野さんがおじいちゃんに尋ねると――。


「行きたい場所か……。うん、それなら――」


 ――おじいちゃんは少し考えてから、少年の眼差しに戻って答えた。





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