第三〇話 おじいちゃんと熊野さん 二


 船内での行きたい場所を尋ねる熊野さんに、おじいちゃんが顔を輝かせて答えたのは、「全部見たい」だった。……うん、知ってた。そんなことを船大好き星人のおじいちゃんに聞いたら、そりゃそう答えるよね。

 そんなわけで、下は機関室から上は一等展望浴場まで、私たちは午前中みっちりと熊野丸見学ツアーをしたのであった。

 まあ、でっかいボイラーや豪華貨客船の厨房なんか、そうそう見る機会もないから、実は私も楽しかったんだけどね、ヘトヘトになったけど……。


      ◇      ◇      ◇


「うん、いい仕事だ、実にうまかったよ」

「ありがとうございます!」


 一等大食堂での豪華な昼食を終え、おじいちゃんが満足そうに感想を述べると、私たちの食事中ずっと緊張気味だった熊野さんが、心底嬉しそうな声でお礼を言った。


 その声を聞いた私と真綾ちゃんは、顔を見合わせてグッと拳を握る。

 ホントによかったね熊野さん。おじいちゃんの好物や嫌いなものを私たちに聞いて、すっごく悩んで、試行錯誤して今日のメニューを考えてたもんね。私たち(主に真綾ちゃんだけど)がいっぱい試食した甲斐があったよ。


 ちなみに、デザートはアプフェルシュトゥルーデルだった。デザートは絶対これにするって、熊野さんは最初から決めていたんだよね。幼いころのおじいちゃんが嬉しそうに食べていたのを、彼女は覚えていたんだって。

 私も見てみたいな、嬉しそうにアプフェルシュトゥルーデルを食べる、エンジェル時代のおじいちゃん。


「それでは義継様、ここでおくつろぎいただいたあとは、どうぞ大劇場までお越しくださいませ。ぜひともご覧に入れたいものがございます」

「ほう、楽しみだね」


 熊野さんとおじいちゃんの会話を聞きながら、私と真綾ちゃんは頷き合った。


「おじいちゃん、私たち、お花摘みに行ってくるから、大劇場で待っててくださいね。かなり気合い入れてお花摘むから、時間かかっちゃうと思いますけど……」

「ああ、うん、花ちゃん苦労してるんだね……。私に構わずゆっくりしておいで」


 なんか、ひとり納得した感じで、おじいちゃんが私を同情の目で見てるのは、ちょっと気になるけど……よし、計画どおりだよ!


「え、お花摘み?」

「トイレのこと! ――オホホホ、それでは失礼~」


 さすがに真綾ちゃんが聞き返してきた時はヒヤリとしたけど、私はなんとかその場をごまかすと、真綾ちゃんの手を引いて大食堂を離れた。向かうはトイレ……ではなく、熊野丸大劇場の楽屋だ――。


      ◇      ◇      ◇


 時は遡り、夏休みが終わる直前――。


 おじいちゃんに熊野さんのことを打ち明けることに決めた私と真綾ちゃんは、熊野丸一等展望喫茶室で考えていた。


 おじいちゃんと熊野さんが再会を果たす特別な日。熊野さんはその日のため、一生懸命に準備している……。

 それを私たちが、ただ指を咥えて見ているだけでいいのだろうか? 否! 断じて否である! と、いうわけで、私たちは熊野さん特製の絶品プリンを食べながら、おじいちゃんたちの再会を祝って自分たちに何ができるのか、真剣に考えていたんだよ。

 大食い対決という真綾ちゃんの案は早々に却下し、ムムムと悩んだ末、私の脳内で電球がピカリと光った。

 たしか、一等エントランスホールから船首方向へ行ったところに、劇場があったよね、パリやウィーンのオペラ座を小さくしたような超豪華なやつが……。


「そうだ真綾ちゃん! 劇、ふたりで劇やろうよ! おじいちゃんが思いっきり楽しめそうなやつを。長いのは無理だけど、あまりセリフのない短めの劇だったらさ、今から練習してもできるんじゃない?」

「賛成」

「賛成~」


 こうして、話を聞いてノリノリに乗ってきた熊野さんを含めた私たち三人は、ささやかな劇をおじいちゃんに披露することにしたんだよ。


 話し合いの結果、真綾ちゃんの意見も聞きながら私が脚本を書いて、大道具小道具や衣装は熊野さんが全部用意してくれることになった。かつて大劇場で使用した諸々が召喚できるうえに、欧州航路で現役だったころ、洋装和装を問わず船内で仕立て上げる〈オーダーメイドサービス〉というのが評判だったようで、衣装を新調することも可能なんだって。


「それじゃ、そっちは熊野さんにお願いしますね」

「お任せあれ!」


 熊野さんは非常に頼もしい言葉で頼まれてくれた。よーし、こうなりゃチャッチャと脚本仕上げて、練習頑張るよー! 


      ◇      ◇      ◇


 それから少しだけ時が流れ、ムーちゃんがドローンを飛ばしたその日――。


 私と真綾ちゃんは料理の試食会と劇の練習をするため、学校が終わってから熊野さんの本体に泊まり込んでいたんだよね。……ホントにヤバかった、ムーちゃんに見つからなくてよかったよ。

 ――言っとくけど、熊野さんのことをムーちゃんたちにも内緒にしてるのは、別に意地悪してるわけじゃないよ、秘密が漏れる確率を少しでも低くしておかないと、冗談抜きで、悪い大人たち……それこそ国家レベルの組織が真綾ちゃんを狙うだろうし、そうなったとき秘密を知ってると、ムーちゃんたちにどんな災難が降りかかるか想像もつかないからね。


「もう一度!」

「はい、監督!」


 熊野丸大劇場の舞台上に、真綾ちゃんの厳しい声が響く。

 すぐに熊野さんが真剣な返事をすると、舞台上に倒れていた等身大の人形たちがムクリと立ち上がった。


「アクション!」


 真綾ちゃんが合図した瞬間、剣を手にした五体の人形が彼女に斬りかかった!

 それをものともせず、真綾ちゃんは舞台の上を舞うように、手にした剣で人形たちをザッパザッパと斬り倒し――。


「カット!」


 ――厳しい声を響かせるとともに動きを止めた。それと同時に人形たちもピタリと止まる。


「……殺陣がわかってない」

「はい、サーセン!」

「本当の斬り合いと殺陣は違う……その意味、考えて……」

「はい!」

「もう一度!」

「はい、監督!」


 さっきからずっと、何度も同じようなことが繰り返されていた。


「…………」


 私はその様子を、ずっと無言で眺めている…………。


 私が書き上げた脚本は、わかりやすく言えば勧善懲悪の時代劇だ。これは真綾ちゃんの強い希望でもあるし、おじいちゃんが時代劇好きなことも大きい。ただ私としては、普通の時代劇にしちゃうのもアレだったので、舞台を江戸時代の日本ではなく、中世ヨーロッパ風の異世界、いわゆるナーロッパにして、魔法なんかもブチ込んでみた。

 ストーリーは簡単だ、悪徳商人と結託した悪代官から小国のお姫様を守るため、ニヒルな流浪の剣士が大立ち回りを繰り広げる、というものだ。主人公である剣士の正体は皇帝の弟であった、という深い設定なのだ。

 我ながら、なかなかいい脚本が書けたんじゃないかと思う、ウン。真綾ちゃんと熊野さんからの反応もよかったし……自分の才能が怖いよ。


 真綾ちゃんはアクション監督兼殺陣師として殺陣指導をしているんだけど、あの子、マジだ……。熊野さん相手にも容赦なく、ビシビシと鬼のように指導しているんだよね。


 あの人形を動かしているのはもちろん熊野さんだ。自分の船体から数メートル以内と船内なら、熊野さんはポルターガイストみたいに物質を動かせるからね、私と真綾ちゃん以外の役をお任せしたんだよ。ノリがいい熊野さんは鬼監督の厳しい指導にもめげず、とても真剣にやってくれている。


 それにくらべて、私は主人公に守ってもらうお姫様役だから、殺陣指導中は特にすることがないんだよね。ヒマだなー。


「花ちゃん」

「はえ?」


 いきなり真綾ちゃんが話しかけてくるもんだから、なんか変な声が出ちゃったよ。

 キョトンとしている私にスタスタと近づき、彼女はすごく真剣な様子で問いかけてきた。


「斬り合いの場所にお姫様が立っているって、どう?」

「え? あ、うん、……危ない、かな? 普通に考えて……」

「だよね、だから、これに乗って」


 私の答えに頷いた真綾ちゃんがそう言うと、私の後ろから、ガラガラという音が近づいてきた、うん? なんだ――。


「なん、…………だと……」


 後ろを振り返った私は、冷凍マグロのごとく凍りついたのだった――。


      ◇      ◇      ◇


 そしてさらに時は流れ、おじいちゃんと熊野さんが再会する今日を迎えた、というわけである。


 一等大食堂での昼食後、お花摘みに行くと言って私たちがおじいちゃんと離れてから、かれこれ半時間ほどが過ぎていた――。


 大急ぎで準備を終えた私が舞台袖からコッソリと覗くと、熊野丸大劇場のガランとした客席の真ん中に、ポツンとひとりで座っているおじいちゃんの姿が見えた。お待たせしちゃってごめんね。


「ターゲット確認、異常なし! 真綾ちゃん、いよいよだね、頑張ろう!」

「うん」


 私と真綾ちゃんはニヤリと笑うと、お互いの拳をコツンと合わせた。

 ふたりとも、衣装もメイクもバッチリだ。


 私は今、「育ち盛りの花様にコルセットなど言語道断です!」と熊野さんが仕立ててくれた、淡いピンクのプリンセス風ドレスを着ている。このドレス、コルセットで体を締め付けたり、クリノリンやファージンゲールでスカートを膨らませたりしていないから、着ていてとても楽なんだよね。

 よくウェディングドレスのベールなんかに使われる六角形の網目生地、チュールをスカート部分に何枚も重ねることでボリュームを出していて、なんだか妖精さんみたいで可愛い。うん、熊野さんが張りきってくれたおかげで、かなり華やかな仕上がりになっているね。


 一方で真綾ちゃんは、ナポレオン時代の高級将校風衣装にビシッと身を包んでいる。金モールやら何やらで飾られた紺の上衣に白いボトムス……うん、ベル○ラのオ○カル様が着てる感じって言ったほうがイメージしやすいね。腰に下げているサーベルが日本刀ベースなのは、時代劇をこよなく愛する真綾ちゃんのこだわりらしい。

 私たちの舞台衣装は、どちらも中世ヨーロッパではありえない服装なんだけど、それが許されるのがナーロッパ世界だからね、問題なし!

 ……それにしても、長身で手足のとても長い真綾ちゃんが着ると、こういう衣装は怖いくらいよく似合うね、ホントにオ○カル様みたいで眩しいよ。

 劇が終わったらスマホでいっぱい写真撮るぞー!


『紳士淑女の皆様方、たいへんお待たせいたしました。これよりご覧に入れますは――』


 スピーカーから、熊野さんの前口上が流れ出した。さすがは熊野さん、よく通るきれいな声で朗々と口上を述べていく。

 それに比べ、私は緊張しすぎて今にも心臓が張り裂けそうだよ……。


『――それではご覧ください、〈荒野の暴れん坊剣士! 木枯し狂二郎、血煙屋敷の死闘〉、開幕です!』


 熊野さんの口上が終わった瞬間、舞台前にあるオーケストラピットでフワフワと浮いていた楽器たち、熊野丸楽団が一斉に音楽を奏で始め、舞台の幕が開いた――。


      ◇      ◇      ◇


 ――わずかな護衛を連れて森を散歩していた、私扮するお姫様が、突如現れた覆面の男たちに取り囲まれ、あわや、というところで、くたびれたマントに身を包んだ、真綾ちゃん扮する流浪の剣士が登場。

 剣士が口に咥えていた長~い楊枝をプッと吹き出すと、剣を振り上げた覆面男の手に突き刺さり、最初のアクションシーンが始まる――。


「お助けいただきありがとうございました、わたくしはこの国の王女、ハナーリエと申します。あなた様のお名前は?」

「……名乗るほどのモンじゃござんせん」


 ヨシ、噛まずに言えた! 覆面男たちを見事追い払った剣士にお姫様が礼を言うと、剣士はニヒルに返す。真綾ちゃん、ノッてるね!


「旅のお方、ぜひとも城までお越しくださいませ。……実はわたくし、近ごろ悪い輩に狙われているのですが、恥ずかしながら当家には、あなた様のように腕の立つ者がおりません。……父にはわたくしが話しますので、よろしければ当家に仕官していただけないでしょうか?」

「……あっしにゃあ、関わりのねぇこって」


 剣士はニヒルに仕官の誘いを断ってその場を去る。


「ああ、なんて素敵なお方……」


 頬を染めてそれを見送るお姫様――。

 よっしゃ~! 無事に最初の山を越えたぞ!


 こうして劇は順調に進んでいき、あれやこれやがあって、なんだかんだで――。


「お代官様、黄金色の菓子にございます」

「ギュスターヴ、お主もワルよのう」

「何をおっしゃいます、お代官様のほうこそ……」

「ヌハ」

「ヌハ」

「ヌハハハハ」


 熊野さんもノリノリだ! 見事に声音を変えて悪徳商人や悪代官を演じている。プロの声優さんみたいだよ!

 ちなみに、人形を作ったのは熊野さんだけど、その顔を描いたのは真綾ちゃんだから、悪代官たちの顔が可愛らしい感じになっちゃってるんだよね。……ウン、これはこれで、アリだ!


 貴族館の金ピカ広間で悪代官たちが悪巧みしていると、広間の扉がギィィと開く……。いよいよ、この劇最大の見せ場が始まるよっ!


 開いた扉から姿を現したのは、くたびれたマントに身を包んだひとりの剣士。

 般若の面で顔を隠した彼は、木製の手押し車をガラガラと押している。

 その粗末な手押し車からチョコンと出ているのは、お姫様の顔……。


 ……そう、劇の練習中に私の背後から現れたのは、この手押し車だったんだよ……。

 私はその時、真綾ちゃんがサブちゃんから大二郎を借りてきたのかと思ったけど、違った。どうやら劇のためだけに、真綾ちゃんにお願いされた熊野さんが船内工作室で作ったらしい。もちろん、大二郎みたいなハイテク機能はないよ。

 鬼監督真綾ちゃんは、リアリティを出すためにお姫様はこの中に入るようにとおっしゃった……。リアリティって、何? ……全然意味わかんないよ、自分がやりたかっただけだよね、絶対……。

 当然私は拒否したんだけどね、それでもまあ、結局最後には私が折れて、こうなっているというわけなんだよ。


 ――私はチラリと、おじいちゃんの反応を窺った。

 あ、おじいちゃん、口を押さえて笑ってるよ。…………まあ、おじいちゃんに喜んでいただけたんなら、いいか……。


「な、何やつ!」


 悪代官が誰何したとたん、剣士は般若の面とマントをバッと外した。するとその下から現れたのは、きらびやかな紺色の軍服を身に纏った麗しい剣士の姿であった!

 ちなみに、外した般若の面とマントは、熊野さんがフワフワと安全なところに移動させてくれたよ。


「俺の顔を見忘れたか……」


 剣士の艷やかな唇から流れ出た言葉を聞き、悪代官が目を凝らして剣士の顔を見つめると、ほどなく、その顔は驚愕の色に彩られた。――人形だから表情変わんないけど、そこはそういう感じってことで。


「はっ! そのお顔、あ、あなたは……あなた様は、もしや!」

「てめえらの悪事は、この桜吹雪がまるっとお見通しでぃ!」


 伝法な口調で剣士がビシッと言いながら、うろたえている悪代官になぜか軍服の背中を見せる。――入れ墨なんかないけど、イメージってことで。……真綾ちゃんがやりたいって言ったんだよ……。


「くっ、……いや、……いやいや! あのお方がこのような場所におられるはずはない、……ええい、曲者じゃ! 出あえ出あえ、皆の者、出あえいぃ!」


 悪代官のセリフとともに、その手勢が舞台に現れる! 様式美というやつだね。

 それにしても熊野さん、迫真の演技だね。


「てめぇら人間じゃねぇ、たたぁっ斬ってやる!」


 剣士が鋭い目で悪代官たちを見据え、私にとっては忘れられないセリフを叫ぶと、熊野丸楽団がハイテンションな曲を奏で始め、それと同時に大立ち回りが始まった。

 剣士はお姫様を守りながらも、群がる敵をザッパザッパと斬り倒す。金ピカの舞台背景に、真綾ちゃんの黒髪と紺の軍服が映えること映えること。

 殺陣の練習をみっちりやったおかげで、熊野さん操る人形たちの斬られっぷりも魅せてくれるね。


「ヒィィ、せ、先生、お願いします!」


 旗色悪しと見た悪徳商人が大声で呼ぶと、暗灰色のローブに身を包んだ人物がゆっくりと姿を現した。熊野さんの人形繰りが上手いから大物感がムッチャ出てるよ。熊野丸楽団も重々しい曲を奏でているね。


「や、やいサンピン! この先生はなあ、異国で闇の魔導を極めてきたってぇ大魔導師様だ、てめぇはもうおしめぇだっ!」

「エコエコアザラク……エコエコザメラク……イア! イア! ナンターラカンターラ、ウラウラウラウラベッカン……」


 悪徳商人からの紹介を待っていたかのごときタイミングで、大魔導師が長い呪文を唱え始める。


「……禍津神来たりて我が敵を滅せよ! 究極暗黒魔法――」


 今まさに大魔導師が術を完成させようとした、その時――。


 ジャキン!


 ――お姫様が手押し車の手すりの端を捻ると、その先端から槍の穂先が飛び出した。

 剣士は槍になった手すりを外すと、目にも留まらぬ早業で大魔導師に放った!


 ズドッ!


「ぐ、は……。我が人生に、一片の、悔い……なし……」


 空を切り裂いて飛んだ槍が深々と胸に突き刺さると、大魔導師は糸の切れた操り人形のごとく崩折れた……もともと人形だけど。

 残るは、あとふたり……。


「グハァッ! む、無念ん~。……あぁ……母さん、マリア……やっとそばに……」

「お、お、おたおたお助け――グベラッ……」


 最後に悪代官たちを呆気なく討ち取り、剣士はゆっくりと剣を鞘に納めた。悪は潰えたのだ――。


 暗転して場面は草原に変わった。剣士とお姫様、別れの場面である。


「どうしても、行ってしまわれるのですね」

「ああ」

「わたくしを連れていってください。まだ剣は使えないけど、きっと覚えます……」

「やっとお天道さんの下に出られたんだ、暗いところに戻っちゃいけねぇよ。……達者でな」


 そう言うと、剣士は背を向けて去っていった、草原を吹き抜ける風のように――。


「狂二郎、カムバック! ……狂二郎!」


 舞台にひとり残されたお姫様は、いつまでもいつまでも、剣士の名を呼び続けるのであった…………。


      ◇      ◇      ◇


 劇が終わったあと、ふたたび私と真綾ちゃんは舞台の上に現れて、一緒に歌った。

 シャンシャンを両手に持って大階段を下りながら、すっかり気分は歌劇団のトップスターだ。

 最後に私たちが客席に向かって挨拶すると、満面の笑みを浮かべたおじいちゃんがスタンディングオベーションしてくれた。あれ? おじいちゃん、涙を流しているよ、そんなに喜んでもらえたら、私も……。

 目を潤ませ始めた私の手を、真綾ちゃんが大きな手でギュッと握ってきた。私がチラッと横を見上げたら、彼女も大きな目を潤ませていた。

 やってよかったね、真綾ちゃん。


 こうして、おじいちゃんと熊野さんが再会した特別な日は無事終わった。

 真綾ちゃんからの情報によると、今では時々、彼女があらかじめ召喚しておいた熊野さんの本体に、おじいちゃんがひとりで遊びに行くこともあるんだって。――よきかな、よきかな。



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