第二八話 召喚 六 ふたりだけの秘密にしよう


「オイッチニー、サンシ」

「ニーニー、サンシ」


 ジリジリと陽光に肌を焼かれるのを感じながら、私たちは今、ブリッジデッキにある屋外プールの前に仲良く並んで準備運動をしている。

 私が召喚について熊野さんにひと通り質問したあと、とにかく思いついたことはなんでもやってみよー、ということになったのだ。


 ちなみに私は、熊野さんが用意してくれた囚人服みたいな色気のない水着に着替えているけど、真綾ちゃんは『海が好き』シャツとデニムパンツのままである。


「よーし、準備運動終わり! 花、行きまぁーす!」


 いい加減肌が痛くなった私は、真っ先にプールに飛び込んだ。

 ザブンという音のあと、一瞬だけ冷たかったけど、ほどよくぬるまった水が焼けた肌に気持ちいい――と、思ったのもつかの間。

 あ、あれ? 足が着かない!?

 思ったよりも深かったプールにすっかりパニックになった私は、ジタバタもがきながら水中に沈んでいく。

 いやぁ、私、自慢じゃないけど泳げないんだよね……。

 溺れる! これまでの人生が走馬燈のように流れ始めた瞬間、ザブンという音がしたかと思うと、私の体は急速に浮上した。


「大丈夫?」


 目の前に、ものすごく真剣な真綾ちゃんの顔があった。どうやら彼女がプールへ飛び込み、私の両脇に手を入れて持ち上げてくれたみたいだ。

 前へ倣えみたいな姿勢で私をぶらーんと持ち上げたまま、彼女はプールの外に連れ出してくれた。……持つべきものは力持ちの親友である。


「あ、ありがと、……でも、成功みたいだね」

「うん」


 ぶらーんとなったまま真綾ちゃんにお礼を言った私は、彼女の首から下へ視線を落とすと、予想通りの結果に満足した。

 彼女が着ているものからは、一滴の水すら落ちていなかったのだ――。


 熊野さん情報によると、【強化】によって真綾ちゃんの体を覆う結界は、もうちょっとだけ範囲を広げることができるんだそうな。それで私は、水を遮断する結界を広めに張ったままプールに入ったらどうなるか、ちょっと気になったんだよ。

 だから、プールから出てきたばかりにもかかわらず、彼女の服が全然濡れていないってのは、結界が有効に働いた証拠だね。


「真綾様、このままでは花様がおかわいそうですので、子供用デッキのほうへお連れしては?」

「はい」

「ん、子供用デッキ?」


      ◇      ◇      ◇


 熊野さんの提案で真綾ちゃんが私を連れてきてくれたのは、さっき紅茶を飲んだ展望喫茶室の反対、左舷側にある、子供室という部屋だった。

 学校の教室よりも広そうな子供室の内装は、上品ながらもファンシーな感じで、絵本がたくさん並んだ本棚や、可愛いぬいぐるみなんかが置いてある。

 小さなメリーゴーラウンドまで置かれていたのには驚いたよ。


 気になるのか横目でチラチラぬいぐるみを見ながらも、真綾ちゃんは部屋の中ほどまで歩いて行くと、子供室左側にある扉をガチャリと開いた。

 そこには、子供室と展望喫茶室に挟まれる形で、子供室専用らしき屋外デッキが広がって……あ、なんか嫌な予感が……。


「さあ花様、こちらで思う存分お楽しみください」


 私が案内された屋外デッキの真ん中には、直径三メートルくらいの丸い子供用プールがポツンと設置してあった……。


「……」


 せっかく案内してもらったので、いちおうチャプンとプールに入ってみたんだけど、私のスネくらいまでしか水がない……。


「…………」

「…………」


 子供用プールの真ん中に立ち尽くす私のことを、真綾ちゃんはプールの外から、ひとことも発さずにただじっと見つめている……。


「花様、いかがですか?」

「却下!」


      ◇      ◇      ◇


 そういうわけで、プリプリしながら大人用プールに戻った私は、紅白に塗られた固形の浮き輪に嵌まりプカプカ水面に浮いているところだ。……浮き輪を常備してんなら最初から出しといてよ熊野さん! わざとやってない?

 で、真綾ちゃんはというと――。


 ザブザブザブ……。


 黙々とプールの中を歩いていた。

 これまた熊野さん情報によると、真綾ちゃんは体重を熊野さんレベルまで増加することが可能、とのことだったので、現在、浮き上がらないように体重を五〇〇キロくらいにしたうえで、【強化】された力を使っての水中歩行実験をしているところなんだけど……これが速い!

 あ、来た来た、……ザッパーン。


「キャ~」


 真綾ちゃんが猛スピードで通り抜けるたびに発生する波が、浮き輪に嵌まった私を翻弄するんだけど、結構これが楽しいんだよ。文字どおり人工波プールだね。


「……花ちゃん、代わって」

「ダメだよ真綾ちゃん、私じゃあんな波出せないよ? ごめんね~」

「……」


 あ、イジケた。


 あれ? 真綾ちゃんが前傾姿勢になったような……。

 そして、私の視界から彼女の姿が消えたと思った直後!


「ぎゃ~!!」


 とてつもない大波が私を襲うのだった……。


      ◇      ◇      ◇


 そんなこんなで、そのあともいくつか水中実験をやったんだけど、【船内空間】内の空気を使うことで、真綾ちゃんは水中でも問題なく呼吸可能なことがわかった。コレ、【船内空間】の容量を考えると、何日でも水中生活がエンジョイできそうだよ真綾ちゃん。姫様が人魚姫様になっちゃったね。

 ちなみに、最後は真綾ちゃんも水着に着替えて、ふたりで楽しく遊んだよ。


「そろそろ、おふたりともお疲れでございましょう? 特等和室のほうでお休みになってはいかがです?」


 ――との、熊野さんの勧めで、服に着替えた私たちは、同じデッキにあるという特等和室とやらに向かっているところだ。


 うーん、それにしても、なんでプールのあとってこんなに疲れるんだろう? 学校でも、プール授業やったあとって、すっごい眠いんだよね。プール授業のあと、きれいな姿勢で目を開けたまま真綾ちゃんが寝てるのを、私は知っているよ。器用だね。


 窓から見えるヨーロピアンな中庭の横を通り過ぎ、そのまましばらく通路を歩いていると、通路左側にある引き違い戸の前に着いた。きれいな字で『特等和室』と書いてある表札がかかっていて、ここだけなんだか和風テイストだ。

 その引き違い戸が目の前でガラガラと開いたので、そのまま中に入ると、純和風の空間が私の目に飛び込んできた。真新しい家の木の香りと磨き上げられた黒御影石の土間、花器にはあざやかな青紫の桔梗とリンドウ、ヤマゴボウやその他の草花が絶妙なバランスで生けてある。

 どこかで小さく、チリン、と風鈴が鳴った……。


「ここって……」


 狐につままれたような顔をしている私にコクリと頷いてから、真綾ちゃんが靴を脱いで式台に上がったので、私も慌ててあとに続くと、玄関正面にある繊細な組子細工の入った板戸が、自動扉のようにスッと開いた。時代的に自動扉ってことはないはずだから、これはたぶん熊野さんが開けてくれたんだろう。


 招かれたようにして中に入ると、そこは六畳の和室。

 真新しい畳の匂い……。正面には、障子を開け放った外に広がる日本庭園。

 入って左側の襖と、さらにその奥にある襖が開け放たれていて、となりの部屋とその奥にある部屋が見える。

 ――私の記憶が正しければ、各部屋の広さは、それぞれ九畳と十畳のはずだ。

 真綾ちゃんは一番奥に当たる十畳の間まで進むと、部屋の真ん中にある卓の横に置かれた座布団に座った。

 キョロキョロしながらその部屋にたどり着いた私も、彼女の向かいの座布団に腰を下ろす。


 皮付きの丸太を床柱に使った床の間に、品良く仕上げられた欄間らんまと襖。薄い木の板で編まれた天井の仕上げを網代あじろというのだと、優しく私に教えてくれたのは、真綾ちゃんのおじいちゃんだ。

 ――私は、ここを知っている。


 私の目を見て、真綾ちゃんがもう一度頷いた。

 私は思わず声に出した。


「ここって、真綾ちゃんちじゃん!」


 ……そう、知ってるも何も、特等和室の玄関からここまでに見えたものはすべて、真新しいことを除けば、おじいちゃんと真綾ちゃんが住んでいるあの家、そのものだったんだよ。


「驚かれましたか?」

「そりゃ驚きましたよ。どういうことなんですか?」

「私も最初びっくりした」


 フルーツの埋め込まれたカキ氷をフワフワと運びつつ話しかけてきた熊野さんに、私は事情を聞いてみた。さすがの真綾ちゃんも最初は驚いたみたいだ、そりゃ驚くよね。


「わたくしが竣工して数年で、このデッキにあったものはすべて撤去されたのですが、この特等和室は、たいへん良い材料を使って当時の名工が腕を振るったものでしたから、廃棄はされず、どこかに移築されるとは聞いておりました。――さ、どうぞ、溶けないうちに」

「いただきま~す」

「いただきます」


 私たちがカキ氷を食べ始めると、熊野さんは言葉を続けた。


「――まさかそれが義継坊ちゃまと真綾様のお住まいに使われていたとは……。わたくしも召喚契約後にそれを知った時は本当に驚きました。でも、……この部屋で真綾様がお育ちになったかと思うと、これほど嬉しいことはございません。わたくしも本望でございます」


 そう言った熊野さんの声は本当に幸せそうで、温かくて、……亡くなってしまった人の、遺した人を想う真心に触れたような気がした私は、じんわり滲んで見えてきたカキ氷を慌てて口に放り込んだ。


 熊野さんは、昭和十二年に生まれて七年ちょっとで沈んだって言っていたから、彼女の身に何があったかは、私でもだいたい想像がつく……。

 でも、それを聞いちゃったら、きっと熊野さんはつらい過去を思い出すことになるに違いない……。誰かを想ってあんなに優しい声の出せる人を、興味本位なんかで悲しませるのは、絶対に嫌だ。

 だから、私は聞かないことに決めた。


「花ちゃん……」


 やわらかい声で私にそっとハンカチを差し出した真綾ちゃんの目も、ちょっとだけ潤んでいる。


「まぁ、花様、涙が。――氷を一気にお口に入れたものだから、頭が痛くなったんでしょう。今、熱いお茶をお持ちしますね」

「ヴわ~ん、ぐばどざ~ん、やざじ~」


 両目にたまってるものが溢れ出さないようにグッと我慢してたのに、熊野さんの優しい声を聞いたとたん、私のダムは決壊したのだった。


      ◇      ◇      ◇


 畳の上でまったりしているうちに眠ってしまったらしく、私が目を覚ました時にはもう夕方だったため、本日はこれで解散することになった。


 目が覚めた時、畳の上で大の字になってヨダレを垂らしている私と、おとぎ話のお姫様みたいに眠る真綾ちゃんのお腹の上に、タオルケットがかかっていると気づいて、私の心はホワっと温かくなった。

 ――本当に、真綾ちゃんの契約相手が熊野さんでよかった。


 そうそう、熊野さんの本体を召喚解除する前、予定どおり売店のお菓子を大量に【船内空間】へ収納したんだけど、この時、思わぬ発見があったんだよ――。


 最初はひとつひとつ触って収納していた真綾ちゃんだったけど、そのうちに、ここにあるお菓子、まとめて全部収納したい! って思っちゃったらしいんだよね。

 そしたらなんと、彼女が触っていないにもかかわらず、売店中のお菓子が全部、一瞬で姿を消してしまった! これには私も熊野さんもビックリだよ。

 それからいろいろ試したんだけど、どうやら召喚物に限って、離れていても、また、見えていなくても収納できるってことがわかった。最後に、食料や燃料からカッターボートまで、搭載しているものすべて、手も触れずに念じるだけで収納してみたら……できちゃったんだよね、これが。


 ――そんなこんなで、私たちは【船内空間】から取り出したお菓子をお腹いっぱい食べたあと、元の崖に瞬間移動した。


      ◇      ◇      ◇


「熊野さん、また明日~」

「ごちそうさまでした」


 バイバイと手を振る私と真綾ちゃんの前で、空中にでっかい魔法陣が出現すると、召喚された時の映像を逆再生したように、熊野さんの本体は消えていった。

 消えていく熊野さんの本体を眺めながら、私はちょっぴり寂しかった。真綾ちゃんは脳内での会話が可能みたいだけど、私は明日まで、熊野さんのあの優しい声が聞こえないんだよね……。


 完全に熊野さんの姿が消えて寂しくなった湾を、しばらくボーッと眺めていた私は、となりで同じようにたたずんでいる真綾ちゃんの顔を見上げた。


「どう? お腹すいた?」

「今日は大丈夫。花ちゃんありがとう」

「どういたしまして。試しにちょっと、おまんじゅう出してみて」

「うん」


 私の言葉に真綾ちゃんが頷くや否や、彼女の広げている手のひらに、熊野さん謹製の銘菓〈旅鴉〉が二個出現した。……成功だね。


 私が予想したとおり、いったん【船内空間】に収納された召喚物は、熊野さんの本体を召喚解除したあとも消えずに残ったみたいで、真綾ちゃんが急激な空腹感に襲われることもなかったし、おまんじゅうも問題なく取り出せた。――よしよし、真綾ちゃんも嬉しそうで何よりだよ。


「はい」

「あ、お腹いっぱいだから、真綾ちゃんが食べて」

「うん」


 真綾ちゃんが旅鴉をひとつ私にくれようとしたけど、お気持ちだけありがたく頂いた。さっき限界までお菓子を詰め込んじゃったから、もう私のお腹にはこれ以上何も入らないんだよね、今日の晩ごはんが心配だよ。

 ポッコリしたお腹をさすっている私の横で、ちょっと幸せそうな真綾ちゃんのお口の中へ二羽の旅鴉が旅立っていった……。真綾ちゃん、さっきカステラやらおまんじゅうやら何やら、私の倍以上食べてたよね……。


 さて、と……。

 熊野さん情報によると、召喚物が現世でどうなっても、それこそ熊野さんの本体が大破してしまっても、謎のデータベースとは無関係だから、一定の時間が経過すれば万全な状態での再召喚が可能みたいなんだよね。

 ということは、だよ、たとえば、羅城門百貨店熊野丸支店に飾ってあるダイヤの指輪を【船内空間】へ収納してから、いったん熊野さんの本体を召喚解除して再召喚。これを繰り返せばあら不思議、無限ダイヤモンド鉱山のできあがり…………。


「……真綾ちゃん、話があるんだけど」


 私が急に真剣な顔をしたもんだから、真綾ちゃんも口に入れようとしていた旅鴉を止めて、真剣な表情で私の顔を見た。あれ? その旅鴉って三羽目……。


「……真綾ちゃんは、すごい能力を手に入れちゃったんだけど、そのことは、あんまり人に知られちゃいけないような気がする。だから、私たちふたりだけの秘密にしよう」

「おじいちゃんもダメ?」

「おじいちゃんは、もちろんオッケーだよ」

「うん、わかった」


 おじいちゃんに黙ってなくてもいいと知り、少しほっとしたように頷く真綾ちゃん。……でもね、私の話はまだ続きがあるんだよ。


「それと、真綾ちゃんは熊野さんに積んでいるものならなんでも、おそらく無限に出せるようになったんだけど、出すときの状況や出すものの量や種類なんかは、よく考えて出すこと」

「なんで?」

「場合によったら、人の恨みを買ったり命を狙われたりするかもしれないし、貴重なものが短期間で大量に市場に出ちゃったら、その価値が急落して、連鎖的に悪影響が出て経済が……う~ん、困る人がすごくたくさん出るかもしんないんだよ」

「わかった」


 ちゃんと理由を話したら真綾ちゃんは頷いてくれた。勉強が苦手な彼女は、学校の成績こそお世辞にも褒められたものじゃないけど、決して頭が悪いわけじゃない。だから、ちゃんと説明すれば理解してくれるんだよ。

 良かった、彼女が世界経済を大混乱に陥れるような事態は、これでなんとか回避できそうだ。人の恨みなんか買って嬉しいもんじゃないよね。


「あ、熊野さんが――」

「なんだって?」


 私がほっとしてたら、真綾ちゃんに熊野さんから念話が入ったみたい。


「『さすがは花様、サスハナです!』だって」

「いやぁ~、それほどでも~」


 こうして、私たちの非常に濃い一日は終わった。


      ◇      ◇      ◇


 次の日から学校が始まるまでの数日間、私たちは毎日あの場所で、熊野さんと一緒に血の滲むような厳しい修行の日々を送った。


 午前中には、思いついたことをいろいろ試したり能力を使いこなすための練習をして、お昼になったら、熊野さんの作ってくれたおいしい豪華料理に舌鼓を打ち、そのあとはプールでキャッキャと遊んだり、プールサイドでデッキチェアにゴロンと横になって、熊野さん特製の冷たいジュースを日替わりで飲んだり、バドミントンを楽しんだあと展望大浴場で汗を流したり、三時のおやつに、熊野さん特製のほっぺたが落ちそうなくらいおいしいデザートを日替わりで頂いたり、和室でゴロゴロしたり…………。


 そんな感じで、あっという間に、ホントあっという間に夏休みは終わり、学校が始まったその日、宿題のことをきれいサッパリ忘れていた私と真綾ちゃんは、仲良く並んで先生の大目玉を喰らったのであった……トホホ。

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