第二一話 不動の剣


 うちん名前は立花八千代たちばなやちよ、福岡静林館学園中等部ん三年生や。

 うちが主将ば務める女子剣道部は、強豪ひしめく九州で常に上位に君臨し続け、今回の全国大会でも優勝候補筆頭と言われとぉ。

 うち自身、去年の大会では個人戦で全国ん頂点に立った。


 あれから一年間、さらに練り上げられたうちん剣は、出場した大会すべてで無敗ば誇っとぉし、今大会も誰にも負けんはず、やったのに――。


「こいつ、なんや?」


 うちが中堅で出た今大会、今日はその二日目。団体戦決勝トーナメント一回戦の対戦相手は、聞いたことなか学校で、先鋒、次鋒ともに良か試合ばしとったばってん、うちん学校が取らせてもろうた。

 こんままうちが相手ん中堅ば破ったらうちん学校の勝利確定、ちゅうところで出てきた相手は、――ちかっぱ大きかヤツやった。

 向こうで並んで座っとる時も大きかとは思うとったばってん、まあ、それだけやったらうち自身も長身やけん、たいしたことなかろうと思うちょった。


 ばってん、蹲踞そんきょん姿勢から立ち上がって向かい合うた瞬間、相手ん体が何倍にも膨れ上がって見えた! まるで修学旅行で行った東大寺の金剛力士像んごたぁ。


 そのうえ、相手ん中段の構えにはわずかな隙もなか。波ひとつなか湖んごと静かで、まるで写真で見たウユニ塩湖んごたぁ。


 やったら――崩すだけったい!

 うちは得意の足ば使うて相手ん体、崩すことにした。

 日本中の剣士たちが生涯かけて極めていくんが剣道ったい、大人んなかにも完璧な剣士なんかおらん。まして、中学生ん構え、崩しぇんはずなか!


 うちは時に大きく、時に細かく、緩急つけながら前後左右に動いて揺さぶりをかけた。


 ――だめや、崩れん。見事な足捌きとしっかりした体幹ばしとる。


 それやったら、と、わざと隙ば作ってみたばってん乗ってこん。クソ、目もよかね。

 それに大した度胸や、何ばしてみたっちゃ、まるっきし動じる気配がなか。アンタ、ほんなこつ中学生?


 なしてこげんヤツが今まで無名で――っ!?


 唐突に、相手ん竹刀ん先が上がり始めた。

 ゆっくりと、ウユニ塩湖んごと静かやった中段ん構えが、桜島ん火口んごと激しさば秘めた上段ん構えに変わった。


 敵さい自分の腹も喉もさらして、攻撃のみに特化した上段ん構えは、〈火の位〉っち呼ばれとる、よほどん胆力がなかと使えん構えで、大人でもほんなこつ使いこなせとぉモンは少なか。

 やのに、コイツん構えはどうよ? つやつけて型ば真似ただけんエセ上段やなか。前におるだけで焼き尽くされそうな気迫が吹きつけてくる、見事な〈火の位〉ったい!

 うちには見える、コイツん後ろにおる、不動明王が!


 ばってん……。

 アンタ、頭おかしっちゃないとや? 中学で上段は実質禁止されとっとよ……。


「おもしろかね……」


 うちは思わず面の中でつぶやいた。やってコイツ、ちかっぱおもしろかもん! ――ああ、そうか、同世代に敵がおらんかったけん、うちはしまえとったんやね。

 ありがとう、アンタんおかげでうち、今、ちかっぱ楽しか!


 ――今や!


 相手ん左拳に剣先ばピタリと合わせて、中段の構えのまま右へ右へと回り込んどったうちは、全身全霊ば込めて、前に出た――。


      ◇      ◇      ◇


「うちも、まだまだやなあ~」

「そのわりには、なんか嬉しそうね」


 試合会場んだだっ広かロビーん片隅で、うちが自販機んサイダーば一気飲みしたあとで試合ん余韻に浸っとると、副主将で同級ん京子が声ばかけてきた。


 剣道ひとすじのうちと違うて女子力が高かコイツは、よく学校に手作りの菓子ば持ってくるし、肌や髪ん手入れに余念がなか。休みん日に、今泉や薬院あたりで洒落とうカフェや雑貨屋巡りするタイプったい。


「まあ、楽しみが増えたけんね」


 サイダーん空き缶ばグシャリと潰しながら、うちはニヤリと笑うた。


 結局うちん学校はあの試合には勝った。ばってん、うちは負けてしもうた――。


      ◇      ◇      ◇


 ――ずっと左小手狙いん構え見せとったうちは、中学では禁じ手ん突きば放ってやった!

 突きに反応してヤツん小手が動く。――よし、かかった! 

 内側に入った左小手は無視して、うちは渾身の一撃をヤツん右小手に打ち込んだ!

 最高んタイミング、最高ん速度やったと、ばってん――次ん瞬間、うちん脳天にはヤツん稲妻んごたる片手面が叩き込まれとった……。

 完全にやられた。ヤツが左小手ば内側に入れたんは、うちに右小手を打たせるためやったとね。……それにしても、えずか速度ったい。


 まあ、上段も片手技も中学では実質禁止やけん、当然無効になったけど、真剣やったら今ごろ、うちん頭は真っ二つったい。――あれはそげん一撃やった。


 そんあと、上段が禁じ手と思い出したんか、ゆっくり中段に戻したヤツは本気ば出してきた。――そう、今までんヤツは、アレで全力やなかったとよ。

 そん剣は、激しか気迫やった上段ときとは打って変わって、玄人好みん精妙な剣で、うちが打つところが最初から見えとるっちゅうか、打たされたっちゅうか、気がついた時にはもう、小手、面と、二本取られとった――。


      ◇      ◇      ◇


 ――うちの完敗やった。

 ばってん、ここ数年で初めてん敗北は、うちにとってむしろ気持ちよかもんやった。


「八千代にそういう趣味があったとはね、キモいわー」

「しぇからしか、うちは高か目標ができたんが嬉しかだけったい」


 うちは大会初日ん個人戦は興味がなかったけん、他人の試合ばまったく見とらんやったけど、まあ、ヤツん実力なら確実に明日ん準々決勝には残っとるやろ。

 いやー、明日ん個人戦んこと考えるとワクワクが止まらんったい。

 驚くことに、京子ん話ではヤツはあれでまだ一年げな。ばってん、すでに全中どころかインハイでも優勝狙える実力があっとやろ。えずか一年もおったもんやねぇ。

 ヤツは、これからまだまだ強くなるに違いなか。……うちはやっと、生涯んライバルば見つけたんかもしれんね。

 それはそうと……。


「京子」

「ん?」

「そげんしゃれとう標準語ばしゃべらんでもよかろうもん、つやぁ~にしてからに」

「せからしか! 今どきアンタみたいな博多弁、うちのばあちゃんでもしゃべらんわ!」


 お、京子が男鹿半島名物〈なまはげ〉んごたぁ顔になった。――ばってんアンタ、中学入るまでバリ博多弁だったっちゃろうもん。


「あれ?」


 空き缶ばゴミ箱に放って、うちがロビーん向こうに目ばやると、見たこつある集団が姿ば現した。

 そんなかに、ひとり飛び抜けて背の高か女がおる。――ヤツや!


「ちょっと挨拶するっちゃ」

「ちょ、八千代――」


 慌て出した京子ば無視して、うちは大声でおらんだったい。


「羅城門真綾ぁ!」


 稽古で鍛えたうちの声はバリ通るばい。ロビーにおる人間が全員、びっくりしたような顔でこっち見るが構わん。

 ――あ、京子、他人のフリしとっと?


「今日はうちの完敗ったい。ほんなこつ見事な剣やった」


 うちん顔ば静かに見つめとう羅城門真綾のきれか顔に、うちはビシッと指差した。


「ばってん、明日ん個人戦は絶対に負けんけん、首ば洗って待っとってゲップフゥゥ……」


 うちはそいだけ言うとそん場あとにした。

 サイダー、飲まんかったらよかった……。


 顔ば隠しながら逃げるように去っていった京子に、羅城門真綾が個人戦に出とらんこつ聞いたんは、もうちょっとあとんことや…………。


      ◇      ◇      ◇


「嵐のような人だったね……」


 いきなり真綾ちゃんに大声でライバル宣言っぽいことを言ったかと思うと、見事なゲップを残して去っていった人の背中を、呆然と見送りながら私はつぶやいた。

 あれってたしか、真綾ちゃんに頭カチ割られてた人だね。


「今のはさっきの試合で姫様の相手をした福岡静林館の立花さんですね。去年の個人戦で優勝した人で、今大会の優勝候補筆頭です」

「強かったです。全然隙がなかった……」


 女子剣道部主将である碧川みどりかわ先輩の説明に、真綾ちゃんがウンウンと頷いている。


 碧川先輩は女子剣道部唯一の三年生で、真綾ちゃんほどじゃないけど背が高く、キリッとした印象のサムライガールだ。

 誠実な人柄で面倒見もよくて、とても頼りになる先輩なんだけど、真綾ちゃんに対しては、なんというか、こう、……忠犬っぽい感じで接するんだよね。なんか頭のポニーテールが犬のシッポに見えるような気がするよ。


 それにしても、真綾ちゃんが言うくらいだから、あのゲップの人って相当強かったんだね。うーん、強者は強者を知るってとこか。


「それにしても、真綾ちゃんが上段に構えた時は、心臓止まるかと思ったよー」

「さらに、まさかの片手面やもんなー、ホンマ、びっくりしたわ」


 真綾ちゃんのまさかの禁じ手破りを思い出して私が胸を押さえてたら、先鋒をやってた火野ひのさんが苦笑いしながら追い打ちをかけた。


 ご存じ、ショートカットが似合うボーイッシュな火野さんは、私と真綾ちゃんのクラスメイトでもある。

 サバサバした明るい性格の子で、小学六年生の時に大阪から引っ越してきたツッコミのプロだ。小学校の修学旅行では同じ班〈チーム姫様〉で一緒に楽しい時間を過ごしたもんだよ。

 彼女の母方の実家であるラーメン屋さん〈赤龍軒せきりゅうけん〉には、たまに私と真綾ちゃんも食べに行っているんだよね。

 ちなみに、真綾ちゃんがいつも注文するのは〈アルティメットジャンボ豚骨醤油の全部マシマシ〉である。


「……忘れてた、ごめんなさい」

「姫様、気にしないでね~。あの立花さんに完勝したんだから、すごいことなのよ~」


 頭を下げて謝った真綾ちゃんをなぐさめている、中学生らしからぬ包容力に満ちたこの人が、二年の百園ももぞの先輩。今大会では次鋒だった。

 ゆるふわヘアの百園先輩は全然太ってないのだけど、白くてやわらかそうな肌がどこか羽二重もちを連想させる。

 たま~に真綾ちゃんが百園先輩をジッと見て、つばをゴックンしていることは、まだ本人に話していない。


「あらためて、――本当にありがとうございました。おかげ様でこの子たちとの夢が叶いました」

「ありがとうございました!」


 碧川先輩が真綾ちゃんに深々と頭を下げると、火野さんと百園先輩も声を揃えて頭を下げた。


 どうしてこうなったか、というと――。


 我が中学の女子剣道部は、年々部員が減少していくなか、それでも主将の碧川先輩のもと、入学早々に入部した火野さんを含む四人で全国を目指して頑張っていたんだけど、二年生の部員がひとり、家の都合で泣く泣く東京に引っ越していったんだって。


 大会規定では、選手が三人以上いればいちおうは参加できるんだけど、さすがに三人で県大会を突破できるほど現実は甘くない。

 どうするべぇ、となっていたところに、その話を聞きつけた真綾ちゃんがババンと登場した、というわけなんだよ。


 実は、碧川先輩の家は羅城門家の重臣という家系で、先輩のおじいさんは〈羅城門家家臣の会〉の会長をしているらしい。碧川先輩が後輩である真綾ちゃんに敬語なのは、そこらへんの事情らしいのだけど、――とにかく、小さいころによく遊んでくれた優しいお姉さんのことを、あの真綾ちゃんが放っておけるはずもなく、今から二か月ちょっと前に緊急入部した、というわけだね。


「ここまで来られたのは、みんなが頑張ったから」


 ふるふると首を横に振って真綾ちゃんが言ったのは本当のことだ。彼女ひとりがいくら強くても団体戦で全国には来られなかったよ。

 大会中、先鋒の火野さんは果敢に攻め続け、次鋒の百園先輩は粘り強く戦った。ふたりのうち、どちらかが負けてしまったとしても、中堅に控える真綾ちゃんと、続く副将の碧川先輩が確実に勝った。

 結局のところ最後の試合まで、先鋒、次鋒の両方が負けた試合は一度もなかった。火野さん、百園先輩、これってすごいことだよ!

 気がついたら県大会突破どころか、全国大会の予選リーグまで突破してたんだから大したもんだよ。


 みんな、本当によく頑張ったね、私も大将として鼻が高いよ…………。


 ……そう、何を隠そうこの斎藤花、県大会からず~っと、不動の大将としてみんなとともに戦っていたのだよ、ふはははは。

 結局、みんなが健闘してくれたおかげで、私は一度の出番も無く全国大会の予選リーグ突破しちゃったよ。我が秘剣、〈満月殺法〉を披露できなかったのが残念だよ。


 予選リーグ突破まで一度も試合することなく、ひたすら置物のごとく座り続けた謎のちっちゃい大将のことは、大会中ちょっとした噂になっていたらしいけどね。……誰がちっちゃいだ!

 あと、〈ステダイショウ〉って声を私のデビルイヤーがが拾ったんだけど、なんだろうね?


「花ちゃんもありがとう、頭痛くない?」

「そうね~。最後のアレ、つらかったでしょう?」

「アレはなぁ、ホンマ大人げないよなぁ……」

「花ちゃん……」


 あ、あれ? 碧川先輩、百園先輩、火野さん、そんな、かわいそうなもの見る目でこっち見るの、やめてくれません? 真綾ちゃんも、こんな時だけ表情豊かに感情表現するのって、どうかと思うよ。

 うーん、そういえば、ずっと頭がズキズキしてるんだよね。記憶もあいまいなところがあるし……。


「ハッ!?」


 その時、私の封印されし記憶がよみがえった。


 ――そう、最後の試合、先鋒の火野さん、次鋒の百園先輩が負けちゃって、真綾ちゃんがゲップの人の頭カチ割って、そのあと、副将の碧川先輩が…………勝ったんだよ!


 そして……。不動の大将が、山が動く時が来た!


 私は、チョコチョコと歩いて行って、ペコリとお辞儀したあと三歩進んで、竹刀を構えながらチョコンと蹲踞そんきょして、ピョコンと立ち上がって……〈なまはげ〉を見た!


 相手の大将は、最初に向こうで座ってるのを見た時は、たしか、女子力高そうな優しいお姉さんって感じの人だった、はずなんだけど……。

 うん、別人だ。だって、面金越しに見えるの、秋田名物〈なまはげ〉だもん……。


 そこから先は記憶がない――。


「まあ、絶対女王の静林館としては、一回戦でうちみたいな無名のチームに負けるわけにはいかないでしょうから……」


 碧川先輩が真綾ちゃんにそう言うと、みんな揃って頷いている。仲いいね、みんな。


「せやなあ……。それにしても秒殺かー。花、一本目貰ったあと、ひょっとしたら意識なかったんちゃう? あんな状態の花みたいなちっちゃい子に、あの大将、秒で二本目入れよったからなー、鬼やで」

「意識がないのによく立ったわね、花ちゃん偉いわ~」


 そっか、やっぱり私……負けたんだね、火野さん。

 みんなが、あんなに頑張ってたのに……ごめんね、百園先輩。あ、なんか、鼻の奥がツンとしてきた……。

 私がもっと強かったら、みんなもっと先へ進めたのに、本当に……。


「ご、ごべんで、びんだぁぁ~」


 みんなの努力をだいなしにしてしまったのが申しわけなくって、自分の非力さが悔しくって、不覚にも私の目からドバッと涙が溢れ出した。

 すると、涙と鼻水で顔がグチャグチャになった私に、みんなも泣きながら抱きついてきてくれた。もちろん、真綾ちゃんも。

 それからしばらく、広いロビーの片隅で私たちは一緒に泣いたんだ。

 ――仲いいね、私たち。


      ◇      ◇      ◇


 翌日の個人戦準決勝で惜しくも碧川先輩は敗れ、私たちの熱い夏は終わった。

 みんなの戦う姿を見て心を動かされた生徒が、女子剣道部にいっぱい入ってくれたら嬉しいな。


 そうそう、蛇足ではあるけど、私たち四人は大会終了の翌日、女子剣道部顧問の先生のおごりで打ち上げ会を楽しんだ。

 わざわざ大きな町まで先生の車に乗せていってもらい、フードメニュー豊富なカラオケで行われた打ち上げ会は、それはもう、抱腹絶倒のひとときだったよ。

 碧川先輩と真綾ちゃんによる時代劇主題歌の完璧なデュエットと、お会計した時に先生の顔に浮かんだ死相が、生涯、私の頭から離れることはないだろうね……。




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