第一九話 サブロウと大二郎 一


「花ちゃん、真綾ちゃん、またの」

「サブちゃん、またね~」

「またね」


 ときおり鳥の鳴き声が響く静かな鎮守の杜で、車椅子の上からニコニコと天使のような笑顔で見送ってくれるサブちゃんに、私と真綾ちゃんは手を振っていた。

 すると、サブちゃんを迎えに来ていた巫女さんが深々と頭を下げてくれたので、私たちはペコリとお辞儀してから神社の大鳥居を出た――。


 なぜかいつも神主さんみたいな衣装を着ているサブちゃんは、私と真綾ちゃんが仲良くなったあの日、ジンベイザメのぬいぐるみを川に落っことして泣いていた子だ。

 私はあの時、サブちゃんのことを女の子だとばかり思っていたけど、あとで名前を聞いたらサブロウだと言った。――ごめんね、あんまり可愛かったから勘違いしちゃったよ。


 あの日以来、私たちは、下校中に神社の大鳥居前でよく姿を見かけるサブちゃんと、こうして一緒に遊ぶようになっていたのだ。


 サブちゃんは生まれつき足が不自由で体も弱く、ずっと自分ちである神社で車椅子生活をしているから、友達もいないんだって……。

 だからきっと寂しいんだろう、私たちと一緒に遊んでいる時は本当に楽しそうにするんだよね。


「今日のサブちゃんも可愛かったね」

「うん、ごちそうさまでした」


 私が笑顔で話しかけると、真綾ちゃんも満足そうに頷いた。ちっちゃくて天使のような笑顔のサブちゃんと遊べるというのは、可愛いものが大好物な私たちにとっても、最上級の喜びなんだよね、ごはん何杯でもイケるよ!

 いつもは無表情な真綾ちゃんも、サブちゃんと遊んでる時はすっごくやわらかい表情になるから、それも見られる私としては一粒で二度おいしい気分だよ。


「中学生になっても、あんまり変わんないね」

「小学校のとなりだから」


「ずっと、こんな毎日が続いたらいいのにね」

「うん、このままがいい」


 川面をゆっくりと流れる花筏を眺めながら、私が思ったことを口にすれば、真綾ちゃんは短くそれに答える。

 ほとんど葉桜になってしまった川沿いの桜並木の下を、いつもと同じように私たちは歩いた。


 ――私たちは先日、中学一年生になっていた。

 中学校は私たちが通っていた小学校のとなりに建っているから、登下校にかかる時間もルートもほぼ今までどおり。おかげで私たちは、こうしていつもと変わらずサブちゃんとも遊べている。

 変わったことといえば、ランドセルから斜めがけのカバンになったこと、セーラー服の色が紺から黒になったこと、それから――。


「真綾ちゃん、また伸びた?」

「…………」

「身体測定の結果、そろそろ教えてよ」

「…………」


 おや? 私が真綾ちゃんの頭を見上げながら話しかけても、真綾ちゃんからは沈黙が返ってくるだけだ……。

 実はね、入学早々にあった身体測定の結果、絶賛成長中である私の身長は、この一年でなんと六センチも伸びて、一三三センチになっていたんだよ! 

 いや~、毎日頑張って牛乳飲んだ甲斐があったってもんよ、いや、ひょっとしたら、動画サイトで見つけた伸長エクササイズを、両親からの憐れみの視線にもめげず、家のリビングで毎日欠かさずやっていたおかげかもしれないね~。

 だけど、私が真綾ちゃんを見上げるときの角度、全然変わってない気がするんだよね、それって、彼女も六センチくらい伸びたってことじゃない?

 私がいくら聞いても、彼女は身体測定結果の開示をかたくなに拒み続けるし……。


「……教えてくれたら、今度駄菓子屋さんでブギースターラーメンおごるよ」


 ピク、真綾ちゃんの耳が動いたよ。


「じゃあ、うみゃあ棒も付けるよ」


 ピクピク、また動いた。あとひと押しか……。


「よ~し、持ってけ泥棒! ゴリゴリ君も付けよう!」

「…………一七八」


 真綾ちゃんがボソッと吐いた、……チョロい。

 へーそうなんだー、小学校卒業したばかりで、そんなにあるのかー。


「年内には、一八〇の大台に乗りそうだね」

「……大きいことは、いいことだ」


 私が笑顔で言った言葉に、真綾ちゃんはとても遠い目をして答えた。

 でもね、そんなこと言ってるけど、自分の体が大きいことをいいことだなんてホントは思っていないのを、私は知っているんだよね。

 真綾ちゃんのスラリと高い身長も、驚くほど長い手足も、何を着たってチンチクリンの私なんかから見たら羨ましい限りなんだけど、彼女は可愛らしい服が似合う小柄な子になりたかったって言うんだから、ホント世の中ってままならないよね。


「真綾ちゃんは今日も帰ってから買い出し?」


 我が家のすぐ近くに差しかかったあたりで、私は何げなく聞いてみた。真綾ちゃんは学校から家にいったん帰ったあとで、晩ごはんの買い出しに商店街まで戻ることが多いからね。ホントに偉いよね、この姫様は。


「ううん、今日はおじいちゃんが晩のおかずを釣りに行ってる」


 彼女は首を横に振ると鼻息も荒くグッと拳を握った。これはかなり期待しているようだよ、おじいちゃん、ボウズだったら大変だね。


「今から迎えに行くけど、花ちゃんも行く?」

「うん、行く~」


 真綾ちゃんからのお誘いを私が断るはずないじゃん。もちろん、ふたつ返事でオーケーしたよ。


      ◇      ◇      ◇


 私の家の辺りからしばらく歩くと、だんだん潮の匂いが強くなってくる。そのまま進んで何回か角を曲がったら、目の前にコンクリート製の防波堤が灰色の姿を現した。

 あらら、残念だけど私の身長じゃ防波堤で隠れて海が見えないよ――。


「はい」

「ひゃー!」


 真綾ちゃんが突然私の両脇に手を入れて、ヒョイと防波堤の上に持ち上げてくれた。


 ――私の前に、穏やかな瀬戸内海が広がっていた。止まっているように見える遠くの船が、少し西に傾いた春の陽射しに照らされている。


「――真綾ちゃんは、この景色を見て育ったんだね」

「うん、大好き」


 私のあとから防波堤に上ってきた真綾ちゃんは、海を眺めながら優しく微笑んだ。

 海からの風に濡羽色の髪を流されている彼女は、女の私がドキッとするくらいきれいだった。その横顔を呆けたように見上げながら、私はいつの間にかこの町のことを好きになっていた自分に気がついた。

 ――この景色、私も大好きだよ。


 しばらく海を眺めていた私たちは、ここに来た目的を思い出すと、おじいちゃんの姿を探し始めたんだけど、意外と呆気なく、向こうのほうで防波堤の上に座って糸を垂らしている大柄な人物を見つけた。


「あ、いるいる、おじいちゃんだ」

「うん」

「お~い、おじいちゃ~ん」


 私が大声で叫びながら大きく手を振ると、真綾ちゃんも一緒になって手を振り始めた。

 すると、こちらに気づいたおじいちゃんが大きく手を振り返してくれたので、私たちは落っこちないように気をつけながら、防波堤の上をおじいちゃんに向かって駆け出した。


「花ちゃんも来てくれたんだね、ありがとう」


 到着した私たちを、おじいちゃんはニッコリ笑って迎えてくれたよ、相変わらず優しい眼差しだね。


「いえいえ、――で、今日の戦果はどうです?」

「ああ、大漁だよ、見るかい?」

「どれどれ――」


 おじいちゃんの開けてくれたクーラーボックスを、私と真綾ちゃんが仲良く頭を並べて覗き込めば、なんとその中には、立派なカレイが何尾も重なり合って入っているではないか!


「おお、すごい!」

「今夜はカレイ尽くし!」


 おじいちゃんの大戦果に目を丸くしている私の横で、真綾ちゃんが目を輝かせながら拳をグッと握った。きっと彼女の頭の中には、煮つけや唐揚げになったカレイたちが華麗に泳いでいることだろう。


「たくさん釣れたから、花ちゃんにもお裾分けしよう」

「いいんですか? やった~!」


 おじいちゃんの太っ腹な言葉と同時に、頭の中をカレイの煮つけが泳ぎ出した私は、防波堤の上で小躍りして喜んだ。

 お父さんにはあげないぞ、これは私の獲物だ! ――などと、私のおこぼれを狙うハイエナの顔を思い浮かべているうちに、おじいちゃんが帰り支度を始めると、向こうのほうから、見覚えのある黒塗り高級車と知らない中型トラックが、防波堤沿いのさほど広くない道路をこっちにやってくるのが見えた。


 やがて、先行していた高級車が私たちのいる防波堤の下に止まると、中から出てきたゴツい運転手さんが、まずこちらに向かって深々と頭を下げたあと、後部座席のドアをガチャリと開けた。


「花ちゃん!」

「ぎゃー!」


 ドアが開くとともに車の中から飛び出してきたでっかいおじさんが、私の名前をでっかい声で叫びながら軽々と防波堤に跳び上がってきた! なんて跳躍力だ!


      ◇      ◇      ◇


「ごめんなさい……」


 ちんまりと私の足元で土下座をして、でっかい仁志おじさんが謝っている……。


 防波堤に飛び上がったところを、真綾ちゃんとおじいちゃんに取り押さえられた仁志おじさんは、おじいちゃんにコッテリ絞られたあと、こうして私にごめんなさいしているというわけなんだよね……。

 いや、高級そうなスーツを着た世界的大企業のトップに土下座されるのって、かえって心臓に悪いんですけど……。


「あの、わかりましたから、ホントお願いですからやめてください」


 私が心からお願いしたら、やっと立ち上がってくれた仁志おじさんは、私の顔を見てニヤッと笑うと口を開いた。……この人、絶対楽しんでやってるよね。


「いやー、家が留守だったからね、どうせここだろうと思って来てみたら、なんと! 花ちゃんまで一緒にいるじゃないか。それでつい、嬉し――」

「やりすぎ」

「はい……」


 しゃべっている途中で、真綾ちゃんとおじいちゃんに声をピッタリ揃えて叱られた仁志おじさんは、一九〇センチ以上ありそうな巨体を小さく縮めた。……最近私は、この人の立派な肩書きを、ちょっと疑い始めている。


「それはそうと、真綾、頼まれていたアレ、ついに完成したぞ」

「おー」


 通常モードに復帰した仁志おじさんの言葉を聞いて、真綾ちゃんがパチパチと手を叩いて喜んでいる。相変わらず無表情だけど。……アレって、なんじゃろ?


「こっちだ、ついておいで」


 私たちは仁志おじさんに連れられて、高級車の後ろに止まっている中型トラックの脇を抜けていく。――これ、トラックの側面に描かれているのは、三本足の鴉マークと羅城門重工のロゴだよね……。

 やがて、トラックの後ろに回り込んだところで、仁志おじさんが足を止めた。

 トラックのリアゲート横には、前に見たことがある眼鏡の秘書さんがすでにスタンバイしていて、到着した私たちに深々と頭を下げる。

 秘書さんは三十代後半くらいの男性なんだけど、世界的大企業トップの秘書をしているだけあって見るからに仕事ができそうな人で、その知的な雰囲気に眼鏡がよく似合ってらっしゃる。


「見て驚くなよ、――小野、開けてくれ」

「はい」


 私たちを見てニヤリと笑った仁志おじさんが合図すると、小野と呼ばれた眼鏡の秘書さんが手にしたリモコンを操作し始めた。

 すると、ロックが外れるような音がしたあと、リアゲートがウィィンとゆっくり開き始め、それが完全に開ききると、今度は中からスロープがせり出してきた。

 ここらへん、全部手動でいいんじゃない? と一瞬思ったけど、これはこれでアニメでありそうな演出でなんかカッコいい。私的にはアリだ!


 スロープが地面に着くと同時に、小野さんは私たちに一礼してからそれを上ってトラックの中へ消え、やがて、自走式の大きな台車を操作しながら帰ってきた。

 台車の上にはシートをかけられた何かが載っている。……なんか知んないけど私、ワクワクしてきたよ。


「さてお立ち会い、これこそが、羅城門グループの総力を挙げて開発した――」


 仁志おじさんはそう言いながら、私たちの目の前に到着した何かに掛けられたシートをグッと握った。

 世界の羅城門グループが総力を挙げて開発したって、いったい何!? 私のワクワクは最高潮に達した。


「二三式特殊機動車輌だっ!」


 仁志おじさんは、じらすように間を取ったあとで、アツく叫びながらシートを剥ぎ取った!


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