第一八話 修学旅行 一一
現在、奉行所のセット内にあるお白洲(お奉行様の前で犯人が座らされる場所ね)の上では、ひっ捕らえられた下手人……じゃなかった、火野パパと謎おじさんが並んで正座している。真綾ちゃんに捕まったあと、ふたりはここまで大人しく連行されてきたのだ。
野球帽やマスク、サングラスを外した火野パパは、無精ヒゲを生やして髪の毛をボサボサに伸ばした、とても疲れた感じのおじさんだった。
「……いや、せめて立ってくださいよ」
「お嬢ちゃんありがとうな。けど、これでええんや、今のワシにはこのほうがシックリくるんや」
火野パパは私のほうを見ると力なく苦笑した。ここに着くなりペタンと正座したのは彼自身の意志だったんだよ……。いくら私だって、さすがに友達のお父さんを地べたに正座させるほど鬼じゃないからね!
「……落ち着かないんだけどな……しょうがないか……。ところで、大阪城からずっと私たちを尾行してましたよね、理由はなんとなくわかるけど、一応、聞かせてもらってもいいですか?」
「…………見たかったんや……。照子が元気にしとるとこ……」
やわらかな声で私にそう返すと、彼はポツリポツリと話し始めた――。
「……漫画喫茶に泊まっとった時、特にな~んも考えんと、照子の転校先のことパソコンで検索しとったら、修学旅行で六年生がこっちに来るってブログに書いてあってな、昨日また見たら詳しい日程も載っとるし、丁寧に通過ポイントごとに更新してくれるし……ほんで、照子がこっちに向こて来とる思たらもう、ひと目だけでええから見となって、辛抱でけんかったんや……」
ブログの更新って……青島先生か! あの人無邪気だからな~。……部外者に情報ダダ漏れだよ!
「……ほんで大阪城に先回りして待っとったら、照子が楽しそうに友達と歩きながら話しとるやろ? ああ、もう友達できたんや、ホンマによかったなあ思たら、もうちょっとだけ照子の顔が見となって、もうちょっとだけ、もうちょっとだけぇ思てる間に気がついたら今に至る……。スンマセンでした」
火野パパはそう言って土下座した……。今に至るって……この人、ちょっとおもしろいな……。
などと私が妙なことに感心していると、今まで黙っていた火野さんが――。
「ほんで、これからどうする気ぃや?」
――震える声でそう問いかけた。
それを聞いた彼は、また力なく微笑みながら、でも、どこか温かい声で答えた。
「照子の元気そうな顔見て安心したわ、これでもう帰るから――」
「そんなん聞いとんやない! ウチら家族のことや!」
火野パパの言葉を遮って、火野さんの声がお白洲に響いた。すると彼は、自分の膝の上に置いた拳をジッと見つめて、弱々しく、今にも泣きそうな声を出す。
「……家族って……。こんな、何やってもあかん、借金まみれでビンボなワシに愛想尽かして、お母ちゃん出ていってしもたんや。……もう、どないしょもないやんか……」
「ちゃうわどアホ! ……お母ちゃん言うとったわ、ビンボなんか平気や、ふたりで力合わせたらそのうちどうにかなる、つらいんは、お父ちゃんが全部諦めて酒とバクチに逃げたことや、家族の顔を全然見んようになったことやって……」
自分の父親をものすごい剣幕で罵倒した火野さんの声は、最後には泣き声に変わっていた。
「……お母ちゃん、そんなこと言うとったんか……」
「せや。……お父ちゃん、ウチにいつも言うとったやろ、『諦めたらアカン、諦めたらそこで試合終了やで』て……。自分が諦めてどないすんねんな……」
「…………」
火野ママの本当の気持ちを知って呆然と顔を上げる火野パパに、火野さんは鼻をグスグスいわせながら言葉を続けた。
すると彼は、深く何かを考えるように真剣な表情で下を向く。……関係ないけど、火野パパが言ってたのって、どっかで聞いたようなセリフだね。
「……お父ちゃん、ウチの目ぇ、ちゃんと見てや……」
火野さんの切実な願いがこもったその言葉が、トドメだった。
自分の拳を見つめて黙り込んでいた火野パパが、ハッとしたように顔を上げると、火野さんのほうをゆっくり向き、真っ赤になった目で彼女の視線を受け止めたのだ。
この親子が最後に見つめ合ったのは、どれくらい前なのだろう? ふたりの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出す。……ついでに私も。
「……照子、堪忍な…………。照子が赤ん坊の時に、この子のお日ぃさんみたいな笑顔は何があってもワシが守るんや! って誓うたはずやのに、お父ちゃん、ヘタレてもうとったわ。……お父ちゃんな、性根入れ替えて働くわ、ほんでキレイサッパリ借金返し終わったら、絶対にふたりのこと迎えに行く! せやから、お母ちゃんにそない言うとってくれるか?」
最後には力強い眼差しで、しっかりと火野さんの目を見てそう言った火野パパは、さっきまでただ力なく笑うだけだった疲れ果てた雰囲気の人とは、まったく別人のようだ。
すると火野さんは、ゴシゴシ涙を拭うと――。
「アホか! 電話でええから、そんなん自分の口から言うもんや」
――そう言って、太陽みたいにニカッと笑った。
……よかった、ホンマええ話や。…………さて、と……。
「……はい、言質、頂きました~! それじゃ真綾ちゃん、や~っておしまい!」
「アラホラサッサ」
私の合図に謎の言葉で返した真綾ちゃんは、着物の袂からゴソゴソと小さな物体を取り出した。それはあの、北野天満宮で紅パパに貰った焼き味噌入りお香袋である。
「!」
そのとたん、今まで火野パパのとなりでずっと大人しく正座していた、ボロボロの謎おじさんが、クワッと目を見開いて真綾ちゃんの手元を凝視した! ……やっぱりね。
――ムーちゃんいわく、この謎おじさんは貧乏神なのだそうな。……いや、もちろん私だって、火野さんの話を聞いてなかったら信じなかったよ、そんな荒唐無稽な話。だけどね、謎おじさんが現れてからの火野家の不幸っぷりが不自然すぎるし、そもそも、このおじさんの姿って、私たちにしか見えてないんだよ? それに今考えたら、人外だって紅ちゃんも言っていたし……。
そこで私たちは考えたんだよ、この貧乏神を引っ剥がしたら、あとは火野パパのやる気次第でなんとかなるんじゃない? ってね。それで、貧乏神だってわかったら、私とムーちゃんは簡単に引っ剥がす方法を思いついたんだよね。たしかに、仮にも神様だから倒すことは難しい、でもね、私たちでも追い払うことはできるんだよ。
貧乏神の好物は、焼き味噌だ――。
お香袋を見せつけるように突き出していた真綾ちゃんは、ヨダレをダラダラ垂らした貧乏神がユラリと立ち上がり、フラフラと吸い寄せられるように近づくのを見計らうと、空に向かってお香袋を思いっきりぶん投げた!
いや~さすが真綾ちゃんだね、一瞬でお香袋が見えなくなったよ。……などと感心している間もなく、なんと驚くべきことに、空中を飛んで行くお香袋を追いかけて貧乏神が空を飛んだのだ!
「何このファンタジー……」
「花ちゃん、あれ」
見る見る小さくなっていく貧乏神の姿を、私が呆然と見上げていると、真綾ちゃんが空の一角を指差した。
「え……」
「なんやアレ!」
「どうやら……来たみたい……。お迎えが……」
私が絶句するのも当然だろう。距離がありすぎてよく見えないけど、北東の空から、たくさんの人影らしきものが、ワラワラと貧乏神のほうへ向かって飛んで来ているのだ。
「あ、捕まった」
「なんや、憐れやな……」
私たちが見守るなか、謎の集団は貧乏神をサクッと引っ捕らえると、北東の空へと帰っていった。……その集団の中に、天満宮にいた眼光鋭いおじいさんと、私たちに小さく手を振る紅ちゃんの姿を見たような気がしたけど、おそらく睡眠不足のせいだろう……。
「これにて、一件落着!」
「ヘヘー」
いつの間にかお奉行様ポジションに座っていた真綾ちゃんが、おそらく言ってみたくてウズウズしてたであろう何かの時代劇の決めゼリフで締めると、なぜか全員がその場にひれ伏したのだった。
蛇足ではあるけど、あとから聞いたところによると、ムーちゃんのことを最後まで本物だと思っていた火野パパは、彼女と目を合わせないようにするのがたいへんだったそうだよ。さすがは百年にひとりの逸材だね。
◇ ◇ ◇
あのあと、完全にやる気を取り戻した火野パパを見送り、出発時間ギリギリまで映画村を堪能した私たちは、修学旅行最後の訪問先である清水寺へと続く石畳の道を、お土産物屋さんを覗いたりしながら歩いていた。
八坂神社から清水寺まで歩くこのイイ感じなルートも、どうやら白井先生のセレクトらしい。……さすが神、わかってらっしゃる。
「このルート、いかにも京都って感じがしていいよね~。さっき通ったのが二年坂だったから、これはもう産寧坂なのかな?」
「そう……。花ちゃん、知ってる? ここにまつわる伝説……」
私のとなりを歩いているムーちゃんが、前髪の隙間からギョロリと目を覗かせながら聞いてきた。でも、さすがにそれは知ってるよ、有名だからね。
「もちろん知ってるよ~。ここの別名は三年坂、つまり、ここで転んだら三年以内に死んでしまうっていう、アレでしょ? ……しばらくみんな私に話しかけないでね、転ばないように真剣に歩くから」
いささか頭と体のバランスがアレな私は昔からよく転ぶため、この若さで死んでなるものかと、歩くことに全神経を傾け始める。
しかし、そんな私にムーちゃんはこう言った。
「それとは違うほう……。〈鵺〉の伝説……」
「ぬえ~っ!」
ムーちゃんの口から出た予想外の言葉に思わず叫びながら転びかけた私を、真綾ちゃんがしっかり抱きとめてくれた。……危うく三年以内に死ぬところだったよ。
「……ありがとね、真綾ちゃんは命の恩人だよ。――で、ムーちゃん、鵺って源頼政に退治されたあと、死骸は鴨川に流されたんじゃなかったっけ?」
「それが……鴨川には流されなかったという説もあって……。その死骸を埋めたとされるのが……ここ……産寧坂……」
「え? じゃあ……」
「そう……。フルコンプ……」
ムーちゃんがサムズアップしてニタリと笑うと、私の心の奥底から喜びが込み上げてきた。平安時代の有名な妖怪が関連している場所を、私はこれでひと通り訪れたことになるんだよ! これが興奮せずにいられるかってんでぃ!
ムーちゃんとハイタッチして喜びを分かち合った私は、この坂道のどこかに眠っているという鵺にも、感謝の気持ちを込めて手を合わせることにした。
「ごめんね、ちょっとストップ。せっかくだから私、鵺にも手を合わせとくよ、どこに埋められたのか知んないけど」
えー鵺さん、おかげ様で妖怪スポットのフルコンプを達成できました、ありがとうございました。夜鳴きしただけで退治されたのはとんだ災難だったと思います、どうか安らかに眠ってくださいね。なむなむ――。
『……アリガトウ……スコシダケ、シカノニオイ、マトイシヒト……』
「…………」
「どしたん花? なんや、名状しがたい顔になっとるで」
「……なんでもない」
またもや聞こえた幻聴を無視して、私はふたたび清水寺へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
有名な清水寺の舞台は、まるで真っ赤な紅葉の海に浮かんでいるようだった。
私たちはその上から、紅葉越しに見える京都市街を眺めているところだ。
「あっという間だったけど、やたら濃い二日間だったね」
「うん」
「せやなあ、たしかに濃かったなあ」
「うん……。とても充実した……修学旅行だった……」
この二日間に体験した諸々を思い出して何げなく言った私の言葉に、班のみんなが揃って頷いた。たぶん今、みんな同じような気持ちなんだろうと思う。
「火野さんもお父さんと会えたし、よかったね」
「うん、みんなホンマにありがとう、今日は最高の日ぃや。……今ごろは紅ちゃんも、お父ちゃんと仲良うしとるやろか? 旅館に泊まっとった時みたいにニコニコして……」
「うん……」
「そうね……きっとそう……。もう寂しい思いをすることはないと思う……あ……」
旅館で楽しそうにしていた紅ちゃんの花のような笑顔を思い出して、私たちがちょっぴり切ないような気分になっていると、ムーちゃんが何か思い出したようだ。
「旅館といえば……。どうやら木下くんたち……姫様が出てくるのを、鼻息荒くして女風呂の前で待っていたら……修学旅行で泊まっていた、別の学校の女子に……成敗されてたらしいよ……」
「別の学校っていうとたしか……福岡の中学だったよね。アイツらホント、バカだね~」
「ウチらに成敗される前から青タンこさえとったんは、そのせいか……アホやな」
湯上がり真綾ちゃんの匂いを嗅ごうと出待ちしていた木下たちの、青アザつけた嬉しそうな顔を思い出して、私たちはひとしきり笑うと、しばらく黙って京の町並みを眺めた。
「……もう終わりか~。なんか、ちょっと寂しいね」
晩秋の風に紅葉が立てるサラサラという音を聞いているうちに、ちょっぴり寂しいような、帰ってしまうのが勿体ないような気持ちになった私が、京都市街を見つめたままそう言うと、私の右斜め上から真綾ちゃんの声が聞こえた――。
「またみんなで来る?」
弾かれたように見上げると、ちょっぴり優しい表情の真綾ちゃんが私を見下ろしていた。
「うん! 賛成賛成、大賛成だよ!」
「そらええわ! ちょっと先やけど、たぶん高校生になったら……いやいや、中学生になったら、ウチらだけで来ても問題ないやろ、そん時は紅ちゃんも呼んで〈チーム姫様〉再結成や!」
「そうね……楽しそう。……京都には行ってみたいところが……まだまだあるし……」
そうだ、私たちには、未来という名の海がどこまでも広がっているんだ!
こうして、清水の舞台を囲む燃えるような紅葉の海に、未来を語る私たちの弾んだ声が響き渡るのだった。どこまでも、どこまでも――。
◇ ◇ ◇
私たちの修学旅行が終わってから数日経ったころ――。
教室で火野さんがやけに上機嫌だったから、何かいいことでもあったのかと私が尋ねたら、あの火野パパがこっちに来ていることを、彼女はものすごく嬉しそうに教えてくれた。
火野パパはあらためて、迷惑を掛けてしまった火野ママとそのご両親(赤龍軒の店主夫妻ね)に頭を下げるため、恥を忍んで大阪から来たんだそうな。
その結果、火野パパの誠実な様子を見た火野さんのおじいちゃんが、なんと、借金をすべて立て替えると言い出したため、火野パパは大阪で身辺整理を済ませたあと、赤龍軒で修行することになったんだって。
「まあ、ウチの見立てやと、このまま赤龍軒を継ぐことになるんちゃうかなあ」
「え? それじゃ、火野さん」
「せや、また家族一緒や」
私にそう言うと、火野さんは太陽のように顔を輝かせて笑った。……おおう、今日はまた一段と眩しいよ。目が潰れそうだよ。
「あ、せやせや。――なあ姫様!」
「?」
「今度、店に新メニューできる思うから、また花と食べに来ぃや。――その名も〈焼き味噌ラーメン〉や!」
ふたたび火野さんがニカッと笑うと、窓際一番後ろの席からこちらを見つめる真綾ちゃんの目が、鷹の目のようにキラリと輝いたのだった……。
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