第一七話 修学旅行 一〇
よっしゃ! 今日はこれぐらいにしといたるわ。――という感じで、お化け屋敷をあとにした私たちは、江戸の町のオープンセットがあるほうへと、のっしのっしと肩で風を切りながら歩いていた。
するとどうしたことか、映画村のスタッフらしきおばさんが、息を切らせながら私たちを追いかけてきたんだよ。
「……ハア、ハア……」
「大丈夫ですか?」
「オバちゃん、顔色悪いで」
やっと私たちに追いついたおばさんは肩で息をしながら、私たちがかける心配の言葉にコクコクと頷く。……チアノーゼ出てないよね?
そして彼女は、やっと呼吸が落ち着いたかと思うと、突然ムーちゃんのか細い両肩をムンズと掴んだ!
「あなた! 来てっ!」
興奮した様子で意味のわからないことを口にしたおばさんは、ポカンとしている私たちの前で、ムーちゃんに向かってペラペラとしゃべり続ける。
「――プロであるウチの役者たちをあれほどまで恐怖させ、あまつさえ最後には失神にまで追い込んだ、とても生者とは思えない恨めしそうなその顔、そして陰々滅々としたそのオーラ! あなたはお化け屋敷業界にとって十年に……いえ、百年にひとりの逸材よ! もし時間があるんなら、どーかお願いだからウチの宣伝用に写真を撮らせてちょうだい!」
あーなるほど、そういうことね。お化け屋敷のポスターだかホームページだか用に、ナチュラルボーン幽霊であるムーちゃんの写真を使わせてほしいと……。
「あのー、見てのとおり私たち修学旅行中でして、時間的にもあと二時間ほどで出発なので、そういうことは――」
「一時間、いえ、四十分もあればいいわ、着替えもメイクも撮影も全部、できるだけ手早く済ませるから! お願いっ!」
おやおや? 私がやんわりと断ろうとしたら、おばさんが前のめりに喰らいついてきたぞ。……フム……。
「……そう言われてもなー。修学旅行中の中学生が現金でギャラを貰うわけにもいかないしなー。まさか天下の映画村さんが、ノーギャラで仕事させようとは考えていないだろうけど……」
「せやなあ、現金は貰えんよなあ。まあそれに班行動やから、メイクやら撮影やらをムーがしとる間、ウチらボーッと待っとくいうのんもなあ……。まあ、ウチらも別に鬼ちゃうから、天下の映画村さんにご協力して差しあげたいんは、山々なんやけどなあ……」
そうやって、私と火野さんが横目でチラチラと見ながら話していると、おばさんは少しだけ考え込んでからこう言った。
「わかった! この子が撮影している間に、あなたたちには時代衣装体験を無料でさせてあげる! もちろん、この子の撮影後は衣装を着たままでの散策もオッケーよ」
おお! 時代衣装体験って、あの、カツラやメイクまで入れたら一万円以上するやつじゃん! 修学旅行のお小遣い五千円をはるかにオーバーしてるから、最初から諦めてたんだよ~。
私の心がグラリと揺れたその時、それまで沈黙していた真綾ちゃんが、その艷やかな唇を開いた。
「お腹すいた……」
――こうして、映画村内にある飲食店で使える優待券までゲットした私たちは、無事にムーちゃんの写真撮影を終えると、それぞれが好きな時代衣装に身を包み、ホクホク顔でオープンセットへと繰り出したのだった。
あ、そうそう、着物が汚れるといけないから扮装中は飲食禁止ってことで、真綾ちゃんは着替え前にいっぱいお菓子を頂いていたよ。……映画村さん、なんか、ごめんなさい。
◇ ◇ ◇
オープンセットの江戸の町をてくてく歩きながら、私はムーちゃんへのオファーに乗っかる形になったことを謝った。
「ごめんねムーちゃん、なんか便乗しちゃって」
「全然いいよ……。みんなに待ってもらうだけなのは悪いし……。それに、衣装さんやメイクさんたちから……いい話も聞けたから……」
「いい話?」
「撮影所に伝わる……幽霊の話とか……。歴史が長いだけあって、興味深い話がたくさんあったの……。聞く? 花ちゃんも……」
「……いや、やめとく」
私が辞退すると、ムーちゃんは端から血を垂らしている口でニヤリとした。怖いよムーちゃんっ!
ムーちゃんがしているのは、メイクといっても、口の端にタラリと流れた血を描いているくらいである。普段から異常に顔色が悪いムーちゃんは、ほぼノーメイクでも充分に幽霊が務まるのだ。さすがは百年にひとりの逸材。――あのおばさん、ムーちゃんの仕上がりを見て狂喜乱舞していたもんな~。
「せやけどムー、そんなカッコさせたらホンマよう似合うなあ。ウチ絶対夜中に会いとないわ」
「ありがとう……。火野さんも似合ってる……」
皿屋敷で有名な〈お菊さん〉の扮装をしているムーちゃんを褒めた? のは、町娘に扮した火野さんだ。ムーちゃんが言ったように、チャキチャキした感じの火野さんに赤い着物がよく似合っているね。
ちなみに、私が扮しているのは商家のお嬢さんだ。着物は火野さんが着ているのよりも高そうで、カツラにはきれいなかんざしが刺さっている。ホントは私、もっと大人っぽい格好をしたかったんだけどね、残念ながら私だけ身長制限のため、子供向け衣装からしか選べなかったんだよ……。
「花ちゃんも可愛いよ」
「……ありがとね。そう言う真綾ちゃんこそ……似合いすぎだよ」
ちょっぴり不満顔の私をそっとフォローしてくれた真綾ちゃんは、当然、お姫様……ではなく、とある理由により今日は動きやすい格好が求められるため、なんと新選組隊士に扮していた。お殿様、お奉行様、素浪人と、さんざん悩んだ末の決断だそうだ。……まあ、時代劇をこよなく愛する彼女には、彼女なりのこだわりがあるんだろうね。
頭にカツラは被らず、濡れ羽色の長い髪をポニーテールにして、額には鉢金を巻いている。メイクさんが「この美しさに余計なものは必要ない」と言ったため、彼女もムーちゃん同様、ほぼノーメイクだ。
その新選組隊士、真綾ちゃんなんだけど……ヤバい、コレはヤバすぎるよ!
現在一七〇センチ台半ばと思われる長身に、日本人離れした長い手足、そしてこの美貌である。夢見がちな乙女たちの憧れる美剣士が、現実世界に顕現している状態なのだ! 現に着付けやメイク担当のスタッフさんたちが、真綾ちゃんの涼しげな視線を受けて気絶しそうになっていたからね……。私も鼻血が出そうだよっ!
……とか言ってる間に、また来たぞ……。
「あの~、撮影してもいいですか?」
コクリ。
「きゃー!」
真綾ちゃんを見て放心していた女性観光客らが、しばらくすると頬を染めて写真撮影をお願いしてくる。この光景、いったいこれで何度めだろう……。まあ、その第一号は青島先生だったんだけどね、第二号は木下だったし……。
当の真綾ちゃんはといえば、嫌な顔ひとつせず、律儀にも頼まれるまま撮影に応じ、その合間に――。
「ここは『銭形平太』の!」
「ここは『食いしん坊将軍』の!」
「ここは――」
――江戸の町を再現しているオープンセットのあれやこれやを見ては、フンスと鼻息も荒く興奮していた。
「まあ、かなり膨大な数の時代劇がこのセットを使って撮影されたらしいから、時代劇ファンの真綾ちゃんにとっちゃ聖地そのものだよね。時代劇で見たことがある場所ばっかりでしょ?」
「うん、嬉しい。――あれは!」
あ~新鮮だな~、この真綾ちゃん、新選組だけに……。などと言いながら、私たちもちゃっかりスマホでお互いに撮影しまくってるんだけどね~。
「……さて、と……。どうやらターゲットが現れたようだね。みんな、作戦どおりだよ」
「うん」
「よっしゃ、とにかく気づかんフリやな。目が合うたら慌てて逃げ出しよるからな」
「なんか……。未確認生物の捕獲作戦みたいで……興奮する……」
ターゲットをさりげなく確認した私が指示を出すと、〈チーム姫様〉のみんなは狩人のような目で頷いた。……そう、ターゲットこと、火野パパと謎のおじさんが現れたのだ。
「私たちはこのまま例のポイントまで誘導するから、真綾ちゃん、あとは頼んだよ」
「オッケー牧場」
生真面目な顔で私に答えると、真綾ちゃんはふらりと脇道に消えていった。うむ、すべて手はずどおり。
私たちはそのまま何ごともないようにブラブラと歩き、やがて、吉原遊廓を再現している通りに入った。
そして、オトナな雰囲気の遊女屋が両側に連なる吉原遊廓の通りを進み、ようやく遊廓出口の門を抜けようとした私たちは……クルッと振り向いた!
「お父ちゃん!」
火野さんが叫んだとたん、火野パパたちは慌てて逃げ出す。しかし、この場所は両側を遊女屋に挟まれた一本道だから、逃げられるのは私たちが押さえているのとは反対側にある出口のみ。……実は一か所だけ、遊女屋の一階に裏通りへ抜けられるところがあるんだけど、焦っている人にはちょっと見つけにくいうえ、そもそも火野パパの位置からでは見えないんだよね。
私たちに捕まらないよう、十分な距離を保って尾行していたらしい火野パパたちは、唯一見える出口に向かって脱兎のごとく走って行く。……まあ、それしかないよね……。
私はニヤリとほくそ笑んだ。
「確保!」
ターゲットが出口に到達しようとしたタイミングで私が叫ぶ。するとその出口を塞ぐように、ひとりの美しい剣士が現れた!
「身に纏うダンダラ羽織の背中には『誠』の一文字、切れ長の大きな目には夜空を思わせる静かな瞳、スラリと通った鼻すじと形のよい艷やかな唇。濡れ羽色の長い髪をポニーテールにした、その美剣士の名は!」
「姫様しかおらんやろ。花、ひとりで何言うてんの……」
「あ、また口に出てた? ごめんね」
などと私たちがしゃべっている間にも、進退きわまった火野パパは、それぞれ出口を塞いでいる私たちと真綾ちゃんをオロオロと見比べ、ついには、最も行ってはいけない真綾ちゃんのほうへと向かっていった。
「ホンマや、花が言うたとおりになった」
「まあね。娘に合わせる顔がなくて逃げ回っているはずだからね、火野さんのお父さんが火野さんのほうに突っ込んでくることはないよ、心理的に。――実質二か所しか逃げ場がないこの場所に誘い込み、成人男性を捕縛可能な唯一の戦力、真綾ちゃんを片方の出口に配し、もう一方には、ターゲットが避けるだろうと予想される火野さんを配したこの布陣、二門遁甲の陣とでも名付けようか、ふはははは!」
「すごい……。花ちゃんが……悪い諸葛孔明に見える……」
しかしこの時、私の高笑いが響くなか、予想外のことが起こった。
真綾ちゃんが何を思ったのか、さっきお土産物屋さんで買っていた木刀を火野パパに投げ渡し、自分は腰に差しているお飾りの日本刀をスラリと抜いたんだよ。
あれ? こんなの作戦にないよね。……ああ、これアレだ、たぶん真綾ちゃん、憧れていたオープンセットの雰囲気に呑まれて、時代劇の主人公気分になっちゃったんだ……。
「アカン姫様! そう見えてオトン、剣道の猛者なんや!」
火野さんの叫びが遊廓の空に虚しく消えていっても、真綾ちゃんと火野パパ、両者とも静かに正眼の構えで対峙したままだ。ふたりの間に交わされているだろう不可視の攻防を感じて、私たちはゴクリとつばを飲み込んだ。
その状態がどれだけ続いただろうか、やがて、張り詰めた空気を破ったのは火野パパだった。
「参りました!」
なぜか火野パパは木刀をゆっくり地面に置くと、真綾ちゃんに土下座したのだった……。あれ? 見せ場は……。
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