第一六話 修学旅行 九
「ねえねえ真綾ちゃん……」
「?」
北野天満宮の次に訪れた金閣寺こと鹿苑寺の境内を歩きながら、私が声を潜めて話しかけると、となりを歩く真綾ちゃんは小さく首をかしげた。……おお……こんな仕草ひとつだけでも美しい。ごはん三杯はイケそうだよ……って、それどころじゃなかった。
「……天満宮出てからさ、なんか火野さんの様子がおかしくない? すごく思いつめたような顔してるんだよね。紅ちゃんがいなくなって寂しいのかと思ったけど、どうやらそれだけでもなさそうだし……」
「うん」
私と真綾ちゃんはコッソリ後ろを振り返った。いつもの火野さんなら、そんな私たちにもすぐ気づいて「なんやなんや?」って言いそうなんだけど、今は心ここにあらずという感じだ。
さっき池越しに金ピカの舎利堂と記念撮影した時も、こんな感じで反応が薄かったんだよね。大阪人って、もっとこう、金ピカ好きそうなのに……。
「うーん、どうしちゃったんだろうね……。あれ?」
境内の出口である山門を抜けた私は、山門の長い下り階段から一直線に続く道の上に、こちらをチラチラ窺っている人影を発見して、思わず足を止めた。
間違いない、大阪から私たちをストーキングしている怪しいふたり組だ。
「……また例のふたり組だよ……あ、逃げた」
私に気づかれたことを察知したのか、ふたり組はスタコラサッサと逃げていく。なかなかに見事な逃げっぷりだね。
「やっぱり先生に言ったほうがいいかなあ」
「……花、やめたってや……」
先生に報告すべきか思案し始めた私に、後ろから火野さんが声をかけてきた。
「……正直に言うわ。あの野球帽被っとるほうな、ウチのオトンやねん……」
「ほえ?」
声をかけられた瞬間に後ろを振り返っていた私は、火野さんの口から衝撃の告白を聞いて、一瞬、理解できずに間抜けな声を出してしまった。きっと顔も間抜けな感じになってしまっていたのだろう、火野さんはそんな私の顔を見て苦笑すると、心なしかサッパリとした表情で口を開いた。
「歩きながら話すわ。……花、前向かな転ぶで」
「あ、うん」
言われたとおりに前を向き、長い階段を私が下り始めると、火野さんはポツリポツリと、大阪にいたころの話を語ってくれた――。
火野さんのお父さんはラーメンをこよなく愛する人だそうで、ラーメン好きが高じた彼は、とうとう脱サラをしてラーメン屋さんを始めたらしい。実家がラーメン屋さんであるお母さんは、商売のたいへんさを知っているものの、そのことに反対もせず、むしろお父さんを応援して一緒に働いてくれていたんだって。火野ママらしいね。
研究熱心で働き者のお父さんと、気が利いて明るいお母さんが切り盛りするお店は、たくさん常連客も付いてなかなか繁盛していたそうな。
それを話してくれた時の火野さんの声は、そのころを思い出しているのか、とても幸せそうだった。けど――。
「そんな時や、アイツが現れたんは……」
――火野さんは一変して、苦いものでも吐き出すようにそう言った。
なんでも、お父さんが新メニューとして〈焼き味噌ラーメン〉なるものを完成させたあと、あのヒゲ伸び放題でボロを纏った謎のおじさんが、お父さんのそばにいつも見えるようになったんだって。
見えるって言うと、変な表現に聞こえるかもしんないけど、不思議なことに、あのおじさんの姿は火野さんだけにしか見えず、怖がった彼女がご両親に訴えても信じてもらえなくて、彼女はとても悲しい思いをしたんだそうな。
それから、幸せだった火野家を取り巻く環境が一変。あれだけ来てくれていたお客さんが全然来なくなって、貯金もあっという間に底を尽き、開店資金ローンの返済と運転資金のためにお金を借りて、その返済のためにまたお金を借りて……。
もちろん、お父さんもただ指を咥えていたわけじゃなくて、夜中にバイトしながら、日中は新メニューの開発や価格の見直し、新しいサービスを考えたり広告を出したりと、その健康を火野さんが心配するほど、それはもう一生懸命に頑張っていたんだって。
でも、お父さんが何をやっても、どんなにあがいても、一向に状況は好転せず……そしてとうとう、お父さんの心は折れた。
あとは早かった。お父さんはあがくことを諦め、お酒に逃げた。パチンコやギャンブルなんかに入り浸るようになり、そして火野さんやお母さんと目を合わそうともしなくなった。
自分自身、一生懸命パートで働いて、文句ひとつ言わずにお父さんを支えていたお母さんも、そんなお父さんの姿を見るのが堪えられなくなり、そしてとうとう火野さんを連れて実家に帰った……。
「……まあ、最後まで暴れたりせんかったんがオトンらしいっちゅうか、せめてもの救いやな……」
そう言って語り終えた火野さんは、グスグスと鼻を鳴らしていた。さっき言われたとおりに前を向いている私でも、彼女が今どんな顔をしているのか、簡単に想像がつくよ。
「お父さんは、優しい人だったんだね」
「……せやなあ、ちょっとお調子モンでアカンたれなとこもあるけど、……まあ……優しなあ……」
「火野さんはお父さんのこと、大好きなんだね」
「…………せやなあ……」
「もし今度見かけたら、どうする?」
「………………せやなあ……」
私と火野さんがそうやって話していると、突然、真綾ちゃんが足を止めて後ろを振り向いた。私も釣られて振り向くと、火野さんが驚いた表情で真綾ちゃんの顔を見ている。
「火野さん、本当に会えなくなったら、本当に会えないんだよ。どんなに会いたいって思っても……」
火野さんの瞳を、夜空のように静かな瞳で見つめると、真綾ちゃんはいつもよりちょっぴり長いセリフを口にした。この時、一見クールに見える彼女の眼差しにあるのが、友達のことを真摯に心配している光だと気づいたのは、……どうやら、私だけではなかったようだ。
「……姫様……。ごめん姫様、ウチ、贅沢やったわ。……もう顔も見とない思とったけどな、一生懸命、お父ちゃんに会いに行こしとった紅ちゃんのこと見とったら、ホンマはウチも会いたいんやって気ぃついたんよ。そのあとで紅ちゃん親子が無事に会えて、幸せそうにしとるとこ見たやろ? せやから、紅ちゃんに勇気もろたっちゅうか……うん、ウチ、オトンと会いたい。ほんで、話がしたい!」
真綾ちゃんのご両親が亡くなっていることを思い出したのか、火野さんは真面目な顔で真綾ちゃんに謝ると、自分の気持ちを正直に教えてくれた。
そして、すべて言いきったあとで火野さんが太陽みたいにニカッと笑うと、驚くべきことに、あの、いつも無表情な真綾ちゃんが、ほんの少しだけニコリと微笑んだのだ!
氷の女王と称される、あの、真綾ちゃんが!
給食のフルーツポンチがいつもより多めに余った時でさえ、内心小躍りしたいほど嬉しいくせにニコリともしない、あの、真綾ちゃんが!
鬼の目にも涙とはこのことか……。
「花ちゃん、聞こえてるよ」
「ごめんなさい」
どうやらまた声に出ていたようだね、真綾ちゃんが氷の女王みたいに冷たい目で私を見ていたよ……。
「……恐いなあ真綾ちゃん……。よし、そうと決まれば、次にまたノコノコと出てきたところを引っ捕らえよう!」
「それなら……。花ちゃん……話があるの……」
真綾ちゃんにごめんなさいしたあとで、対象をいかに確保すべきか考えようとしていた私に、ムーちゃんが幽霊みたいな声で話しかけてきた。
なになに……フム、たしかに。……ほうほう、なるほど、それなら……。
こうして悪巧みを終え、ギラギラした顔をしている私たち〈チーム姫様〉を乗せて、バスは次の目的地へと発車した。
◇ ◇ ◇
私たちが今日、三番目に訪れたのは、この修学旅行のメインディッシュと言っても過言ではない〈映画村〉である。数々の名作が生まれた日本映画の聖地だ。
なぜここが私たちにとってメインディッシュなのかというと、またも気を利かせた白井先生が「ケチくさいこと言ってないで、パス付きにしてあげなさいよ~」と、有料アトラクションのパス付き入場券を入手するように、手下である青島先生に指示してくれたため、なんと私たちは今日、アトラクションに入り放題なのだ! もはや白井先生は私たちにとって女王様、いや、神である! オパイ神様である!
「へへー!」
「アンタたち、どこ拝んでるのよ……」
映画村内の大食堂で早めの昼食を終えた私たち〈チーム姫様〉が、全員で神様の神々しき胸元を拝んでいたら、神様がお呆れになった。
「……いや、感謝の気持ちを……」
「……まあ、アンタたち子供は遊ぶのが仕事なんだから、せいぜい今日は楽しんでちょうだい」
「へへー!」
妖艶に笑う白井せ……じゃなかった、神様の胸元をもう一度拝んでから、私たちは小走りにアトラクションへと向かった。まずは大食堂に近いアトラクションを、次に、離れた場所のアトラクションを、心ゆくまで満喫してから、江戸の町のオープンセットを見て回る作戦なのだ。
◇ ◇ ◇
この映画村を時代劇のセットだけだと思ったら大きな間違いだよ。昔はどうだったか知らないけど、今は子供たちが喜びそうなコーナーやアトラクションなんかもあるんだよね。
と、いうわけで、アニメ関係の展示エリアで、小さいころからの憧れである女児向けアニメ、『プリピュア』シリーズの等身大フィギュアに興奮しすぎた私が、タラリと鼻血を出したり――。
「え? もう出口?」
「姫様いてたら、これ、入る意味ないんとちゃう?」
――真綾ちゃんの野生の勘で、立体迷路をサクッと攻略したり――。
「ひ、火野さん! 撮れてる? ちゃんと撮れてる? 私、テンション上がりすぎで活動限界迎えそうだよ!」
「撮れとるけど……鼻血出とるで」
――大好きなアニメ、『オヴァンゲリュオン』の等身大上半身像に興奮した私が、またもや鼻血を出したり――。
「全部ど真ん中だよ……」
「マンガやな……」
――手裏剣コーナーで真綾ちゃんが無双したり――。
「通れない……」
――忍者屋敷をイメージしたらしい子供向けアスレチックで、張り巡らされたロープに真綾ちゃんが絡まったり――。
「ぎゃあああああ!」
――お化けに扮した役者さんが超怖いと有名なお化け屋敷で、ムーちゃんを見たお化けが悲鳴を上げて超怖がったり――。
「ぎゃあああああ!」
――パス持ちなのをいいことに、そのお化け屋敷に何度も入って最後にはお化けを失神させたりと、私たちは思う存分、アトラクションを満喫させていただいた。
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