第一二話 修学旅行 五
冷凍マグロのごとく凍りついていた私は、その女の子が一生懸命に握ってくれている手の感触と、私の顔を心配そうに見上げる真剣な眼差しに、ものの数秒で急速解凍されていった。
「え~と、……助けてくれたの……かな?」
おずおずと尋ねる私に、女の子はコクリと頷く。
思えば、百鬼夜行に呼ばれた私を真っ先に引き止めてくれたのも、ムーちゃんと同時に呪文を唱えていたのも、どちらもこの小さな女の子だったんだよね。
「そうだったんだね、ありがとう」
私がお礼を言うと、その子はまたコクリと頷いてから、梅の花みたいに可愛らしいその顔で少し照れたように笑った。……何コレ、可愛いんですけど!
「うわ! なんやこの子、ムッチャ可愛いやん! うちに欲しいわ。――うちのチビラのこと助けてくれて、ありがとうな」
「誰がチビラだ! ちびっ子怪獣かっ!」
「チ……花ちゃんを助けてくれてありがとう」
「まさに……天使……」
その笑顔を見たとたん、火野さんを皮切りにして、班のみんながお礼を言いながら女の子を揉みくちゃにした。みんな、小さくって可愛い子が好きなのだ。
真綾ちゃん、あとで話があるからね……。
その後、真綾ちゃん並みに口数の少ないその子が、ポツリ、ポツリと語ってくれたところによると、彼女のお名前は、漢字で紅白の紅と書いて〈べに〉ちゃんとおっしゃるらしい。……可愛い。
小学校低学年くらいに見えるけど、年齢は十歳なんだって。それを聞いて、実年齢よりも小柄で幼く見える彼女に対するシンパシーと庇護欲が、私の中でふつふつと沸き起こったのは言うまでもない。
あまりハッキリとは言わないけど、九州の太宰府近くに住んでいた彼女は、どうやら複雑そうな家庭の事情により、縁のある伏見稲荷大社に引き取られてきたようなのだ。
それじゃあ、伏見稲荷大社で巫女さんたちが探していたのって、やっぱり紅ちゃんなのかな……。
「でも、どうして、私たちのバスにコッソリ隠れてたの?」
どこにどうやって隠れていたのかは知らないけど、私たちのバスに乗ってついてきたと言う彼女に、私はその理由を聞いてみた。
「北野天満宮に行くと、聞いた……」
「北野天満宮?」
なんで北野天満宮に行きたいんだろう? 私が首をかしげていると、紅ちゃんの可愛らしい唇が小さく動いた。
「てて様が……」
「……もしかしたら……。紅ちゃん、てて様……お父さんが、北野天満宮にいるのかな?」
何か気づいたらしいムーちゃんの言葉に、紅ちゃんはコクリと小さく頷く。
なるほど、家庭の事情で離ればなれになってしまったお父さんが、今は北野天満宮にいる……。そのことを知った紅ちゃんはお父さんに会いたくて、いても立ってもいられなくなった――。と、いうことなんだろうな、たぶん。
「……そうか、紅ちゃんはお父さんのことが大好きなんだね」
「うん、てて様は優しい」
自分の父親を好きかと問われて好きだと即答できる紅ちゃんの、眩しいまでの純粋さと健気さに、いつもお父さんのことをけちょんけちょんに言っている私が、心洗われるような感動を覚えていると――。
「クソっ! ええ話や! ええ話やっ!」
――火野さんが夜空を見上げながら鼻をグスグスいわせていた。
ふと、真綾ちゃんの顔を見ると、いつもは無表情な彼女が、今はその瞳を涙で潤ませて紅ちゃんを優しく見つめている。……幼いころにご両親を亡くしてしまった真綾ちゃんには、会えなくなったお父さんに会いたい紅ちゃんの気持ちが、きっと痛いほどよくわかるんだろうな……。
「うーん、やっぱり先生には言ったほうがいいかなー。……でも、そしたら警察に連絡されちゃうかも……」
「あかん! せっかくここまで来たんや、送り返すようなむごたらしいこと、絶対ウチは反対や! ――なぁ花、ウチらがコッソリひと晩だけかくまって、明日んなったら天神さんに連れていってあげよ。な、このとおり、お願いや。お父ちゃんに……お父ちゃんに会わせてあげようや……」
私のひとりごとに火野さんが猛然と反対してきた。よほど紅ちゃんに思い入れがあるのか、自分のことのように必死な様子で私に手を合わせている。最後にはボロボロと涙までこぼしながら……。
私が片方の眉を上げて真綾ちゃんとムーちゃんの顔を見ると、彼女たちは当然と言うように大きく頷いた。
「だよねー。……よし! こうなったら一蓮托生、呉越同舟、船頭多くして船山に登るだよ、見つかったときはみんなで叱られよう!」
「ええんか花! アンタ、ホンマええやっちゃなあ……」
私の言葉を聞いたとたん、火野さんは太陽のように輝く笑顔になって抱きついてきた。
――うん、火野さんには笑顔のほうがよく似合ってるよ。
「そうと決まれば作戦会議だ! 時間がないからチャッチャとやるよ~」
「よっしゃー!」
「おー」
「おー……」
こうして、みんなで力強く拳を突き上げて作戦会議を始めたはいいけど――。
「うーん、でもどうしよう? 巫女さんたち、ものすごく心配してたからな~。私たちが紅ちゃんをひと晩だけ預かるって連絡するべきなんだろうけど……」
「それには及びません」
「ぎゃー!」
どうしようかと悩んでいる時に、いきなり後ろから声をかけられたもんだから、私は無様にも悲鳴と両手を上げて跳び上がってしまった。
両手をバンザイしたまま私が恐る恐る背後を振り向くと、そこには、いつの間に現れたのか、白いコートを着た二十歳前後のお姉さんが立っていた。
コートに負けないくらい白いその人の顔は、どこか現実離れしているように美しく、人のよさそ~な柔和極まりない目がとても印象的だ。――うわ~、きれいな人だな~、真綾ちゃんを見慣れていなかったら魂を抜かれているところだったよ。
「あらあら、……驚かせてしまったようですね。ごめんなさい」
「あ、いえ……」
そのお姉さんは、両手をバンザイしたまま固まっている私を見て上品に微笑むと、やわらかな声で謝った。……うう、なんかすごく恥ずかしいよ……。
「わたくしは伏見の社でその子を預かっている者です。このたびは皆さんにご迷惑をおかけしたようですね、重ねがさね、申しわけございませんでした」
お姉さんは私たちに深々と頭を下げたかと思うと、今度は優しい視線を紅ちゃんに向けて、やんわりと諭すように声をかけた。
「紅、わたくしの留守中に黙っていなくなるのは、決して褒められたことではありませんよ。皆もたいへん心配していたわ」
「……ごめんなさい」
あ、紅ちゃんがシュンとなってしまったよ、かわいそうだな……。
「あのー、叱らないであげてください。私さっき、紅ちゃんに危ないところを助けてもらったばかりなんです」
「あらあら、そうなの? ここは昔から通り道になっているから……」
通り道って……この人もしかして、アレのこと知っているのかな? 私、百鬼夜行が出たとは言ってないんだけどな……。
「せやで、全然ウチら迷惑やなんて思てへんし、紅ちゃんはお父ちゃんに会いとなっただけなんや、怒らんといてやってぇな」
「迷惑じゃないです、むしろ幸福」
「紅ちゃんは……とても、いい子です……」
私に続いて紅ちゃんを弁護し始めたみんなの言葉を、ふわりとした微笑みを浮かべて聞きながら、お姉さんは温かく私たちのことを見つめている。――あ~なんだろうこの包容力、安心するな~。
「お父ちゃん……なるほど、北野へ行こうとしたのですね……」
紅ちゃんの失踪の目的がお父さんに会うことだと知ったお姉さんは、とたんに神妙な面持ちになった。どうやらこの人、北野天満宮に紅ちゃんのお父さんがいることは知っていたようだね……。
「……わたくしは幼い紅を守り、立派に育てることだけに気を取られて、紅に北野のことを教えておりませんでした。ですが……人の子が親を恋しく思うのは当然のことでしたね。わたくしが人の心というものに思い至らぬばかりに、紅にはかわいそうなことをしてしまいました。……ごめんなさい、紅」
ちょっと寂しそうな表情をしたお姉さんは、真っすぐ紅ちゃんを見つめると、なんとも優雅な所作で頭を下げた。
すると、慌ててお姉さんに駆け寄った紅ちゃんがその頭を上げさせる。……うむ、この流れなら……イケる!
「あのう……。それでですねぇ、ヘヘ……。しがない小学生の私たちが言ってもアレかもしれませんが、私たちが紅ちゃんをひと晩だけお預かりしてですね、明日にですね、北野天満宮まで送り届けてもいいでしょうか? 的な? ヘヘ……」
「うわ! なんや花、そのゲスい顔と卑屈な態度は。……まあ、この際そんなんどうでもええ。――お姉はん、そんなわけで頼んます! ちゃんとウチらが責任持って預かりますんで、許したってください!」
「お願いします」
「必ず……送り届けます……」
やり手商人になったつもりで、ちょっと歯が出て目もイヤらしい感じになった私が、揉み手をしながら交渉を始めると、班のみんなが次々に頭を下げた。――よし、この流れで強引にイケるか?
「皆さん、すみません――」
ああ……やっぱり無理か……。そりゃそうだよね、大事にしている子を見ず知らずの小学生なんかに預けないよね、普通……。
「――それではこの子のこと、よろしくお願いしますね」
そっちのすみませんか! 難しいな日本語!
「やった! お姉はん、おおきにありがとう! ホンマにええん?」
「ええ、もちろんです。――紅が北野のことを知ったのと時を同じくして皆さんが社を訪れ、こうして巡り会った。これは決して偶然などではではないでしょう。紅と皆さんの縁は結ばれ、ひとつの流れが生まれました。この流れを止めようなど愚かなことです。今回のことは皆さんにお任せしますね」
お姉さんが何やら難しいことを言ってニコリと笑うと、私たち四人と紅ちゃんは大喜びでハイタッチをした。紅ちゃんよかったね、明日にはお父さんと会えるよ。
「あ、でも、どうやってここがわかったんですか?」
「はい、社の者が、鹿くさい女の子が千本鳥居を抜けてきたと申しましたので、もしやと思い、鹿の臭いをたどって……」
「…………嫌だな~お姉さん、悪い冗談を……」
「うわっ! 遠い目ぇして花が泣いとる!」
このあと、お姉さんから説明を受けた白井先生が、「いいんじゃない?」とあっさり許可してくれたことで、私たち〈チーム姫様〉に、ひと晩だけの新メンバーが加入したのであった。
ちなみにこの修学旅行だけど、引率の先生は、クラス担任の青島先生と養護教諭の白井先生、そして、すごく気弱な教頭先生の三名だけである。三十二名しかいない生徒数に対する人員としては十分なんだろうけど、その結果、白井先生が女王様のごとく君臨しているのだった。……まあ、白井先生のおかげで、こうして私たちは何かと助かっているんだけどね。
今まで心の中でオパイ先生などと呼んでいた自分が恥ずかしいよ、ホントごめんね白井先生。
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