第一〇話 修学旅行 三
奈良を出た私たちが次に訪れたのは、京都市街から南東に離れた宇治にある、平等院という有名なお寺だ。
「おおー、ホントに十円玉と同じだよ」
私は池に浮かぶ左右対称の美しい建造物、平等院鳳凰堂の姿と、手にした十円玉を見比べて感心していた。何を隠そうこの鳳凰堂こそ、十円玉に描かれているあの建物なんだよね。
屋根のてっぺんにある鳥の飾りは鳳凰だ。いや~、鳳凰って名前はなんだか中二ゴコロをくすぐってくれるね。
外から鳳凰堂の写真を撮りまくったあと、敷地内に併設された現代的なミュージアムを堪能した私たちは、最後に鳳凰堂内部の特別拝観をさせてもらった。わざわざ青島先生が午前中に平等院まで先行して、特別拝観の予約をしてくれたんだそうな。――先生ありがとね、早く彼氏ができるといいね。
でね、その特別拝観中に変なことがあったんだよ――。
『誰じゃい! わしの頭の上を鹿くさい足で踏んだんは!』
『うむ、たしかに鹿くさい、……いや、鹿は鹿でも…………これはフンの臭いじゃ! くさっ!』
『ヒィィィ! 妾の毛並みに臭いが移りそうじゃ!』
「あ、ごめんなさい」
堂内中央のでっかい阿弥陀様を見上げていたら、突然、男性ふたりと女性ひとりと思われる人たちからの、鹿くさいとのクレームが聞こえてきたので、自覚のある私は反射的に謝った。うぅ、やっぱ臭うよね……。
『……なんや? 小娘、わしらの声が聞こえるんか? 珍しいのう……。のう小娘、お前の名は?』
「斎藤花です」
『斎藤……藤原の斎宮頭の一族か? なるほど、それでか……。で、名は花っちゅうたかのう、……うん、ええ名や』
『そうかそうか、花とやら、その声からするとまだ幼子じゃろう。まあ、素直に謝ったことじゃから、許してやろう』
『いとけない子を相手に妾も大人げなかった、臭いはついておらぬゆえ心配はいらぬ。さあ、気をつけてお帰り』
「あハイ、ありがとうございます」
『…………人に礼を言われたんは初めてや』
『うむ……』
『……妾は何やら心地よいぞえ』
男性たちは恐ろしげな野太い声、女性は悪女っぽい妖艶な声なんだけど、意外にもあっさりと許してくれた。ムッチャいい人そうでよかったよ。
「花、何ひとりごと言うてんの」
「へ?」
小さく火野さんに話しかけられて私はやっと気づいた、声を聞き慣れたクラスのみんなと引率の先生たち、堂内の説明をしてくれているお寺の人だけがいるこの場所には、さっきの声に該当する人物がひとりもいないことに……。
よく考えたら、会話中あの人たちが妙なことを言っていた気がするし、その声に誰も気づいた様子がなかったよね。あの、真綾ちゃんでさえも……。
ぞくり……。背すじに冷たいものが走ると同時に、私は肌が粟立つのを感じた。
◇ ◇ ◇
「――と、いうわけなんだよ」
お寺から出て参道沿いのお店で買った宇治茶ソフトを食べながら、私は班のみんなにさっきの体験を話していた。――季節的にすごく寒いけど、やっぱりここに来たら宇治茶ソフトは食べたいよね。
「…………」
真綾ちゃんは真剣な表情で私の話を聞いてくれた、マラカスのごとく両手に持った宇治茶ソフトを終始無言で食べながら。……うん、いつもどおりだ。
「けったいな話もあるもんやなあ。……でも、ウチは花のこと信じるで、ウチかて身に覚えあるし……」
「ありがとね火野さん。でも、身に覚えって?」
「え? ……まあ、ええやん、そんなこと……。それよりムー、今こそ出番ちゃう?」
大阪城にいた時のように一瞬だけ笑顔を曇らせると、火野さんは慌ててムーちゃんに話を振った。
「……花ちゃん、聞こえたのは……男性ふたり、女性ひとりで間違いない?」
「あ、うん、そうだけど」
私に尋ねるムーちゃんの顔色が悪い。これだけ寒いのに宇治茶ソフトを食べているもんだから、ただでさえ血色の悪い顔の青白さがとんでもないことになってるよ、お願いだから倒れないでね。
「平等院にはね……。〈宇治の宝蔵〉と呼ばれる経蔵があって……そこには、『源氏物語』幻の巻や玄奘三蔵の袈裟、その他にも数々の秘宝が隠されている……。という伝説があるんだけど……。その秘宝の中には、〈酒呑童子の首〉〈大嶽丸の首〉〈九尾の遺骸〉も含まれているの……」
「げ! どれもビッグネームばっかじゃん! ……あ、でも、みんなすごくいい人そうだったから、やっぱ関係ないと思うよ」
大江山の悪鬼〈酒呑童子〉、鈴鹿山の鬼神〈大嶽丸〉、そして、いくつもの国を滅ぼしたといわれる妖狐〈白面金毛九尾の狐〉。ムーちゃんが挙げた名前はどれも、平安時代の日本で最強にして最凶の大妖怪ばかりだ。その凶悪な大妖怪の名前と、さっき聞いた気のよさそうな人たちの声は、とても私の中でつながりそうにない。
「きみたち!」
「ブッ!」
背後から急に声がしたもんだから、ビックリした私は宇治茶ソフトに顔を突っ込んでしまった。おかげで口の周りがベチャベチャだよ。
すると、すぐに真綾ちゃんがティッシュを取り出した……あれ? 真綾ちゃん、さっきまで両手に持っていた宇治茶ソフトはどこ?
「花ちゃん、口」
「あ、真綾ちゃんありがとね……」
真綾ちゃんに口周りをふきふきしてもらっている私の後ろで、声の主は話を続けた。
「今言っていた名前はどれも、時の権力者に敵対的だった人間や集団が妖怪に置き換えられただけじゃないか。――そもそも〈宇治の宝蔵〉の伝説にしたって、藤原氏が権威付けのために作り出したと考えるのが妥当さ。妖怪なんて非科学的な存在はどこにもいないんだよ」
「なんやと出喜多、ほな、花が嘘ついたっちゅうんか? コイツはちっこいけど、人の気ぃ引くために嘘つくようなヤツちゃうで」
声の主、出喜多君を勝ち気な目でキッと睨んで、火野さんは私をかばってくれた。ちっこいは気になるけど、ちょっと嬉しい。
「火野さんは勘違いしているようだね、僕も斎藤さんが嘘をつくような人だとは思っていないよ。――斎藤さん、きみのことだから、昨夜は興奮して眠れなかったんじゃないかな?」
「あ、うん……よくわかったね、へへ」
振り向いて話を聞いていた私に、出喜多君は木下と同い年とは思えない理知的な眼差しで尋ねてきた。――そのとおり図星です一睡もしてませんハイ……。
「そして斎藤さんは、奈良であのような痛ましい事故にあって以来、自分の臭いが人の迷惑になっていないか、そのことで誰かに文句を言われないか、常に気にしていた。――違いますか?」
「え? あハイ、まったくそのとおりで……」
出喜多君は私の答えにゆっくりと頷くと、キッと前を向いた。なぜ急に敬語?
「つまり! 睡眠不足によりいつ睡眠に落ちてもおかしくない状態のまま、斎藤さんはお寺の方による耳心地良い説明を聞き、ずっと気にしていた臭いに関するクレームの白昼夢を見てしまった。これがこの事件の真相です。――裁判長」
「無罪」
ものの見事に事件を解決した出喜多君は、裁判長……真綾ちゃんの判決を聞くと、お土産に買ったらしい宇治茶の袋を提げて颯爽と去っていった。……何、コレ?
「あいつ、ホンマに小学生か……」
呆れたような火野さんの声が、出喜多君の背中を追うように、冬近づく平等院の参道に流れたのだった――。
◇ ◇ ◇
バスが動き出した瞬間にスコンと寝落ちしたらしい私が、ようやく目を覚ました時、次の目的地である伏見稲荷大社に着いていた。いつの間にか西に傾いていた太陽が、バスの窓越しにオレンジ色の光で私を照らしている。
「ハーイ皆さーん、参拝中は班別行動だけど、危険なことや人の迷惑になるようなことはしない、行っていいのは千本鳥居を抜けたところまで、集合時間までには必ずバスに戻ること、この三カ条は必ず守ってくださいね。いいですかー?」
「ハーイ」
一番前の席で立ち上がった青島先生が注意事項を言うと、みんなの元気よく返事する声がバスの中に響いた。
「花ちゃん、口」
「あ、真綾ちゃんありがとね、毎度……」
真綾ちゃんにヨダレをふきふきしてもらい、ようやく頭がシャキッとした私は、バスをあとにして、みんなと一緒に晩秋の参道を歩き出した。
のんびり歩いていた私たちが大鳥居を抜けた先では、狛犬ならぬ狛狐に守られた朱塗りの楼門が、西陽に白漆喰壁まで朱く染められてそびえ立っていた。
「ほー、絵になるね~。真綾ちゃん、ちょっとそこに立ってよ」
「うん」
絶好の撮影スポットだと思い、私が真綾ちゃんに頼んで立ってもらうと、とたんに火野さんたちが声を上げた。
「うわ! やっぱり姫様は絵になるなあ、ホンマに大人のモデルさんみたいや。何食うたらそんなになるんやろか」
「尊い……」
本人はただヌボーっと立っているだけなんだろうけど、真綾ちゃんの、ピシッと背すじが伸びた美しい立ち姿、日本人離れしてスラリと長い手足、サラリとした濡れ羽色の長い髪と美しく整った白い顔、そして、その全身から漂う神々しいまでに高貴なオーラが、歴史ある朱塗りの楼門に映えること映えること! ムーちゃんなんか手を合わせて拝み始めたよ。
「撮影いいですかー?」
「すみませーん、目線くださーい」
私たちがパシャパシャ写真を撮りまくっていたら、それに気づいた他班の子たちや一般観光客まで写真を撮り始めて、なんか、人気レイヤーさんの囲み撮影会のようになってしまった……。その中に木下がいるのは当然として、青島先生までノリノリになって撮影しまくっているのはいかがなものか……。え? あくまでも業務上、修学旅行の記念写真で他意はない? ポスターにして部屋に飾ったりしないから問題ないでしょ、と……ああそう、ふーん。
ちなみに真綾ちゃんは、相変わらず無表情ではあるが、律儀にも言われたとおりポーズをとっている。
その観光客のなかに、なんとなく見覚えがあるふたり組を見かけたけど、それが誰だか思い出せなかった私は、ちょっと首をかしげたあと、自分もノリノリで真綾ちゃんの撮影を再開した。
◇ ◇ ◇
火野さんの、「三、二、一、はい終了ー! ありがとうございましたー」という合図で撮影会は解散となり、その後、粛々と本殿の参拝も終えた私たちは、海外の人にも人気がある〈千本鳥居〉の前にやってきていた。
日が沈んだのか複雑なグラデーションを描き始めた空の下、どこまでも無限に続いているような朱塗りの鳥居でできたトンネルがふたつ、私たちを誘うようにポッカリと口を開けている。それは幻想的……というより、どこかなまめかしく、妖しい怖さのようなものがあった。
「おー、すごく雰囲気あるね~」
「うん」
「鳥居とは……本来、この世と異界をつなぐ門……。この先には、人ならざるモノの世界が……」
「怖っ! やめやムー、今から入んのに怖いやんかー」
「そうだよムーちゃん、通れなくなるよ~」
などとムーちゃんの発言にビビりながらも、ちゃっかり入り口で写真を撮りまくった私たちは、千本鳥居に足を踏み入れた――。
「――なかなか終わらないね、ここってこんなに長いんだっけ? 火野さん、初詣とかで来たことないの?」
「いーや、来たことないんちゃうかなー。ウチら初詣行くんはたいがい天満の天神さんやったし」
「……異界への門が……」
大阪に住んでいた火野さんなら知っているかと思って聞いたけど、彼女は腕を組んで首をかしげた。……ムーちゃんの発言は聞かなかったことにしよう、うん。
……そう、もう結構な距離を歩いたはずなのに、朱い鳥居のトンネルはまだまだ続いているのだ。
延々と歩いている間にムーちゃんの言葉を思い出して怖くなってきた私が、引き返そうかとみんなに提案しようとした、その時――。
「もう終わるよ」
――真綾ちゃんが唐突に口を開いた。なるほど、異常に勘が鋭い彼女は何かを感じ取ったのかもしれないね。
その言葉を信じて歩いていると、彼女の言ったとおり、すぐに出口が見えてきた。
「ホントだ、出口だ! やっぱり真綾ちゃんの勘は頼りになるよ~」
「ホンマや、さすが姫様やな!」
「まさか……未来視……」
などと口々に真綾ちゃんを讃美しながら、私たちは出口に向かって急いだ。小走りになっているのは仕方のないことだろう。
「ウチが一番や! ……あ」
「脱出成功っ! ……あ」
勢いよく千本鳥居から飛び出した火野さんと私は、慌てて口を閉じた。
だってね、そこには、緋袴を履いた巫女さんたちの姿があったんだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます