第九話 修学旅行 二
本丸に入った私たちが、巨石の使われた桝形虎口を抜けていくと、やがて、西洋のお城みたいな建物が姿を現した。きっとこれが火野さんの言っていた建物だね。
左右対称に造られたその建物は、正面の隅に小塔が、壁の上に狭間胸壁っぽい飾りがあって、たしかに、お城を模した西洋の貴族館みたいだ。表面は褐色のタイルで仕上げているのかな? すごく重厚な雰囲気がある。
「な? 外国のお城みたいやろ?」
「うん、すごくイイ感じだね。私こういうの好きだよ~」
「この建物は……旧陸軍第四師団司令部庁舎……。ここには、設計図にも書かれていない秘密の地下司令室や地下道が……隠されているんだって……」
さすがムーちゃん、オカルトと都市伝説に関しての知識は私も敵わないよ。ガイドブックいらないんじゃないかなコレ。
あれ? なんか真綾ちゃんの様子がおかしいぞ?
「レストラン……」
「わー! だめだよ真綾ちゃん、レストランなんか入ってたら、クラスのみんなに置いていかれるよ!」
「姫様、辛抱や!」
「その先に行けば……きっと、二度と戻れなくなる……。きさらぎ駅や、八幡の藪知らずに……迷い込んだ人のように……」
その建物にフラフラと吸い寄せられていく真綾ちゃんを引っ張って、私たちはクラスのみんなを追いかけた。――真綾ちゃん、さっきまでバスの中でおやつを大量に食べてたよね……。
そんな私たちを微笑ましく眺めている周囲の人たちのなかに、ちょっと気になるふたり組がいたんだけど、この時の私は、たいして気にも留めなかった。
◇ ◇ ◇
大阪城三代目天守、それは、徳川大阪城の天守台の上に豊臣大阪城っぽい外見で建てられた、鉄筋コンクリート造りの近代建築……。
「なあ花、ひょっとして、これも徳川の天守閣なん?」
「いや~それが、徳川の天守も江戸時代初期に落雷が原因で焼失したんだよね」
「その日は……秀吉の命日だったから……秀吉の怨霊のせいだといわれているの……」
「怖いなムー。……ほな、これは?」
「昭和初期に鉄筋コンクリートで建てられた三代目だよ」
「…………知らんかった、バッタもんのコンクリ天守閣やったんか……」
天守に入るなり私に質問してきた火野さんが、現実を知って呆然としている。……コンクリート造りなのは見たらわかると思うんだけどな……。
あ、ちなみに、火野さんは〈てんしゅかく〉って呼んでるけど、それは近代に新しくできた呼び名だから、私はお城好きのこだわりで〈てんしゅ〉って呼んでたりする。
「バッタもんって言ったら失礼だよ。歴史的価値はともかく、これだけのものを大阪市民の寄付だけで建てたんだから、この天守には大阪人たちの大阪城に対する愛情がこもっているんだからね」
「そうか……うん、それもそうやな、花はええこと言うわ。――せや! これがウチらの天守閣や!」
ポジティブな関西人は立ち直りも早いらしい、私の言葉で火野さんは瞬く間に復活を果たした。
あ、真綾ちゃんが、出番のなくなった飴ちゃんをポケットにそっと戻してるよ……。
火野さんの気持ち的な天守問題が丸く収まったところで、天守内部を見学し始めた私たちだったんだけど――。
「むはー! これは萌えるよ~」
豊臣大阪城と徳川大阪城の精巧なジオラマに、私はかぶりついていた。興奮しすぎて今にも鼻血が出そうだ。
よく天守のことだけをお城だと思っている人がいるけど、それは大きな間違いだ。ネットなんかで天守の写真だけ載せて「これが日本のナニナニ城です」って言っている人に、「ワオ、日本の城は小さいネ、すぐに落とせそうだヨ、ハハハ!」って外国の人が付けたコメントを見るとイラッとするんだよね。
天守というものは、城を構成する無数の施設のひとつにしか過ぎないんだよ。防御という面において、存在しなくても困らないただのシンボルタワーだといえるね。実際、天守を持たないお城のほうがはるかに多いし。
日本のお城とは、堀や石垣、土塁を巧みに配した縄張り全体のことだから、日本のお城を紹介するなら天守だけじゃなく、本丸はもちろん、二の丸、三の丸、あるなら総構えまで含めた全体像も載せてほしいと思う。
その点、ここのジオラマは天守だけじゃなく、ちゃんと本丸の外まで再現してくれているから、私としてはもうタマランのですよ。
「花ちゃん、これ欲しい? 仁志おじさんに言って――」
「ノーサンキュー! 貰っても置くところないし、こんな高価なものは貰えないよ。気持ちだけありがたく頂くね」
私は真綾ちゃんからの厚意を断腸の思いで断った。あの仁志おじさんのことだから、真綾ちゃんが頼んだらホイホイ用意してくれるだろうけど、こんなにでっかいジオラマを部屋に置いたら、私の居住スペースがなくなっちゃうよ。それに小市民の私としては、あまり高価なものを貰うと生きた心地がしないからね。
天守内部はちょっとしたミュージアムのようになっているんだけど、こうしてジオラマや映像で楽しめる工夫がされているから、活字を見ると眠くなるらしい真綾ちゃんも、彼女なりに楽しんでいるみたいだ。――よきかな、よきかな。
そんな感じで天守内部を見て回り――。
「あそこは京橋口……。その昔、あのあたりには……絵図にも名前が書き込まれるほど有名な……化け物屋敷があったの……」
「ぎゃー! ムーちゃん、白目剥いて話すのやめて!」
――最上階からの大阪の風景を眺め――。
「うわ! なんやそのお菓子の山! 買い過ぎやで姫様」
「真綾ちゃん、ここでそんなに買い込んだら、初日でお小遣い全部なくなっちゃうよ」
「……………………わかった」
――売店でお土産を物色した私たちは、駐車場で待ってくれている大型バスにゾロゾロと戻っていった。次に向かうは万葉の都、奈良だ!
◇ ◇ ◇
「姫様、ええ感じや! それに比べて花は全然迫力が足らんなー、顔が小動物じみとるからやろか? それともちっこいから?」
「誰がちっこいだ!」
奈良に着いてすぐに昼食を終え、歩いて東大寺大仏殿に向かう途中、南大門の前で金剛力士立像と同じポーズをした私と真綾ちゃんは、火野さんに写真を撮ってもらっていたんだけど……小動物じみてるってどんな顔だ?
「だいたい迫力って言われても、そんなのどうやって出せばいいんだよー。立ってるだけでも威圧感がある真綾ちゃんと一緒にしないでよ」
「……」
あ、真綾ちゃんがショックを受けた。
「ごめんごめん、言葉を間違えちゃったよ、威圧感じゃなくて女の子らしさだったよ」
「……」
あ、ちょっと復活したかな……ふう。いつも無表情な真綾ちゃんの感情を読み取れるのは、彼女のおじいちゃんと私くらいだろうね。
写真を撮り終わって歩きながら、私はあらためて奈良公園にいる鹿の多さに感心していた。ノソノソと歩いている子、観光客にエサをおねだりしている子、ゴロンと横になっている子、どこを見ても鹿がいる。
なんでも鹿は神様のお使いということで、ここ奈良公園周辺では昔から大事にされているんだそうな。
「鹿、可愛いよね~真綾ちゃん」
「うん、可愛い」
その大人びた外見に似合わず可愛いもの好きな真綾ちゃんも、ちょっぴり嬉しそうに鹿たちを眺めている。この姿を彼女のおじいちゃんにも見せてあげたいよ、きっと目を細めて喜ぶと思うんだ。
そうやって歩いているうちに、私は自分の足に異変を感じた。
「あれ? なんか私、変だ……」
「花ちゃん、どうしたの?」
私が異変を訴えると、すぐに真綾ちゃんは心配してくれた。その気遣いが心からのものだと感じられて、私はちょっぴり嬉しい。
「うん……なんかね、足が重いんだよ。……重いっていうか、足を持ち上げようとすると足の裏を地面が離そうとしないような、すごく変な感じなんだよね」
「花ちゃん……それは、地縛霊の影響だと思う……。このあたりはかつて……平家の南都焼討で、大勢の人が焼け死んだ場所でもあるから……」
ムーちゃんが何やら怖ろしいことを言い出すと、真綾ちゃんが真剣な表情で私の足を見る。え? ホントに地縛霊なんてこと、ないよね……。
「なあ、なんか、ムッチャくさない?」
私が地縛霊に何かされているかもしれないこの状況で、火野さんが鼻をクンクンさせながら緊張感に欠けることを言ってきた。
「そりゃこれだけ鹿がいるんだから、臭いもするよ」
「いや、なんかこう……もっと凝縮された感じのキッツいやつや。……花、ちょっと足上げてみ」
ふと私の足元に目を留めると、火野さんは変な注文をしてきた。……なぜ?
「えー、こんな非常事態に何を言うかな、地縛霊に呪われても知らないよ。――ほら、これで…………ぎゃぁぁぁ!」
「うわっ! きしょっ!」
よっこらしょと足を上げた私の目に映ったのは、靴の裏一面にビッシリと張り付いた大量の……鹿のフンだった……。
その後私は、半狂乱になって靴の裏からフンを引っ剥がしたけど、結局、この日のうちにその臭いが消えることはなかった……。
◇ ◇ ◇
東大寺の大仏様のでっかさに驚き、興福寺の阿修羅像に心ときめかせたあと、私たちは奈良公園でまったりしていた――。
「大和は国のまほろば――」
「いけるか花? なんぞ悪いもんでも食うたんか?」
自分的に万葉ロマン少女漫画風オーラを出したつもりで、のどかな奈良公園の景色を堪能していたら、なんか、火野さんに心配された。
生まれも育ちも東京である私は、この修学旅行で訪れる場所に、実は一度も来たことがない。だから目にするものも感じる空気も、その何もかもが新鮮だ。
この奈良という場所は、なんて言えばいいんだろう? とてものんびりしているというか、独特の空気感がある。奈良公園のベンチに一日中座って、ボーっと鹿でも見ていたい気分にさせる何かがあるんだよね。
「いやあ、のどかでいいところだなーって思ったら、つい口から……」
「ホンマに花はオモロイなー」
「花ちゃんはオモロイ」
「うん……。花ちゃんは、すごく……オモロイ……」
「ほっとけ!」
口を揃えてオモロイなどと言うみんなにプリプリしながら、私はひとりで鹿せんべい屋さんに向かった。木下たちの班が鹿せんべいを鹿にあげているのを見て、実は自分もやってみたくなったのだ。
「イタタタ! 俺のお尻が~!」
おやおや? 鹿せんべいをあげるのを調子に乗ってじらしていた木下が、痺れを切らした鹿にお尻を噛まれて無様に叫んでいる……フッ、いい気味だよ。
「木下、あんた全然わかっちゃいないね。おせんべいを鹿にあげるなら、私のように愛情を持って、そしてエレガントにあげないとね。見てろよ木下――」
私は得意げに鹿せんべいを買ったとたん、鹿に囲まれた……。
「ぎゃー!」
「ああっ! 斎藤が鹿の群れに消えた!」
結局、私が買った鹿せんべいは一瞬で強奪されてしまい、犯人らが去ったあと犯行現場に残されていたのは、鹿のヨダレだか鼻水だかわからない液体でビショビショにされ、目にいっぱい涙を浮かべた私だけであった……。
こうして、みんなのワクワクと全身から異臭を放つ私を乗せて、私たちのバスは次の目的地へと出発した。……先生、早くお風呂に入りたいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます