第八話 修学旅行 一


 十一月末の修学旅行を間近に控え、クラスのみんながソワソワし始めたころ、六年生でも引き続き私たちの担任になっている青島先生が、教室に入ってくるなり元気に言った。


「ハーイおはよー。今日は皆さんに、新しいお友達を紹介しまーす」


 ん? デジャビュ?

 などと私が首をかしげている間にチョークを取った先生は、カツカツと黒板に大きく『火野照子』と書き――。


「なんと! 天下の台所、大阪から転校してきた、ひのてるこさんでーす。はい拍手ー」


 ――と、自分の横で立っているショートヘアの女の子を、たいへんテンション高く紹介した。……いやいや、天下の台所って……。

 あの紹介、やられたほうは結構困るんだよな~。案の定、みんなざわついてるし……。


「はい、じゃあ火野さん、みんなに自己紹介してね」


 あー自己紹介イベントだ、懐かしいな~、嫌だったな~。あの子、萎縮してなきゃいいけど……火野さん、頑張って。

 などと、泣きそうになっていた自分の時を思い出して、私が心の中で転校生にエールを送っていると――。


「えー、大阪から来ました火野照子です。この名前、てるてる坊主みたいやからウチは嫌いです。せやから名字のほうで呼んでや、調子こいて『てるてる坊主』言うたらシバき倒すで。――得意なんは体育で、あっちではずっと剣道やってました。ここには剣道クラブがないみたいなんで、中学生になったらまた始めよ思てます。勉強はニガテです……。ほんで、好きな食べモンは粉モン全般とラーメンで、商店街の〈赤龍軒〉はウチのジイちゃんがやってます。おすすめは豚骨醤油ラーメンやね、見た目ほどコッテリしてなくてムッチャうまいから、みんな食べに来てや!」


 ――火野さんは勝ち気そうな瞳をらんらんと輝かせながら、元気な声で一気に自己紹介を始めると、最後はおじいさんのお店の宣伝までしっかり入れて、太陽みたいにニカッと笑った。……恐るべし、関西人のメンタリティ……。


 東京で家にこもり気味だった自分と、大阪から来た陽キャ、火野さんとの、あまりの違いに愕然としつつ、私は真綾ちゃんの反応を確認しようと窓際一番後ろの席をチラリと見て――。


「ヒッ!」


 ――思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

 いつもならボケーっと窓の外を眺めていることの多い真綾ちゃんが、大きな目をクワッとさらに見開いて火野さんのことを凝視していたのだ。ヤバい、なんか漂うオーラがハンパない……。

 これは全財産を賭けたっていいね、私、近いうちに絶対、ラーメン食べに行こうって誘われるよ……。


      ◇      ◇      ◇


 その日のうちに誘われた……。


 放課後、いったん家に帰って荷物を置いた私と真綾ちゃんは、仲良くお小遣いを握りしめて、〈赤龍軒〉というすごく強そうな名前のお店に来ていた――。


 私たちの町の商店街……といっても、ささやかな商店が数軒肩寄せ合ってるだけなんだけど、その商店街に火野さんのおじいちゃんがやっているという〈赤龍軒〉はあった。

 いちおうラーメン屋さんなんだけど、餃子やチャーハン、唐揚げなんかも出していて、店内は思ったよりも広く、カウンター席の他にテーブル席もいくつか並んでいた。

 都会にあるストイックなラーメン専門店と違って、ご長寿マンガがビッシリ並んだ本棚や、きれいなお姉さんが微笑んでいるビールのポスターなんかが、なんともシブい雰囲気をかもし出している。


「何コレ! んまー」


 ズルッ、ズルズルッ。


 午後四時過ぎという中途半端な時間のためか、他のお客さんが誰もいない店内に、私の声とラーメンをすする音が響いていた。


「何コレ! おいちー」


 ズゾ、ズゾゾゾゾー。


「アンタずっとそればっかりやん! ちゅうか、姫様もなんか言いや!」


 カウンター席で私がひとくち食べるごとに絶賛していたら、エプロンをした火野さんから本場モノの鋭いツッコミを頂いた。――さすがだね、小気味よいツッコミだよ。

 ちなみに、火野さんは転校初日にして、すでになんの違和感もなく、真綾ちゃんのことを姫様と呼んでいる。恐るべし、関西人のコミュニケーション能力……。


「いや~、ホントにおいしいもんで、つい、へへ」


 コトリ――。


「火野さん……」

「なんや姫様?」


 おや? 私が火野さんにヘラヘラと笑っていたら、今まで一心不乱にラーメンをすすっていた真綾ちゃんが、器を置くなり重々しく口を開いたぞ。


「おかわり」

「まだ食べるんかいっ! それ〈アルティメット〉っ!」


 見た目楚々としたお嬢様の真綾ちゃんが、巨大な〈アルティメット醤油豚骨〉を完食したうえ、さらにおかわりまでしたもんだから、真綾ちゃんのキャラをまだ知らない火野さんは、いささか驚いてしまったようだね……。あ~、やっぱ本場のツッコミは違うな~。


      ◇      ◇      ◇


「ごちそうさまでした」


 長い黒髪をゴムで縛り、見惚れるほど美しい姿勢で二杯目の〈アルティメット醤油豚骨〉をすすっていた真綾ちゃんは、大きな器を置くと静かに手を合わせた。……きれいにスープも飲み干しているね、太っても知らないよ。


「その食べっぷり見たらわかるで姫様。ジイちゃんのラーメン、ウチの言うたとおりムッチャうまかったやろ?」

「ムッチャ」


 真綾ちゃんがビシッとサムズアップして火野さんに答えると、とたんにカウンターの向こうが騒がしくなった。


「あんた~、姫様が褒めてくださったよ~」

「ああカアチャン、俺ぁ、もう死んでもいい」

「死んだらアカンやろ」


 嬉し涙を滝のように流し抱き合っている店主夫妻に、火野さんが的確なツッコミを入れた。さすがだ、見習わなければ……。

 店主夫妻、つまり火野さんのおじいちゃんとおばあちゃんにしてみたら、自分たちが長年工夫を重ねて作り上げた味を、この町の姫様が直々に食べに来てくれたうえで絶賛してくれたんだ、そりゃ涙が出るほど嬉しいよね。


「それにしても、転校初日に照子の友達が来てくれるなんて思わなかったよ、それもまさか、そのひとりが羅城門の姫様だなんてねぇ。姫様が店に入ってきた時の父ちゃんと母ちゃんの顔ったら――」


 そう言って明るく笑う、火野さんによく似て勝ち気そうな女性は、彼女のお母さんだ。

 どうやら火野さんとお母さんは、お母さんの実家であるこのお店でお手伝いをしているらしい。


「ふたりとも来てくれてありがとう。この子はちょっとガサツだけど――」

「ガサツちゃうわ!」

「――まあ、悪い子じゃないから、これから仲良くしてやってね。こんな感じで強がってるけど、本当は転校してきて心細いはずだから」

「……うるさいわ」


 ちょっと恥ずかしそうにする火野さんを見て、彼女のお母さんはニカッと笑った。それは、お店に入ってきた私たちの顔を見た時の火野さんと同じ、太陽みたいな笑顔だった。

 いい親子だな~。うん、またこのお店に真綾ちゃんと来よう。……真綾ちゃんが絶対そうするだろうし。

 あ、真綾ちゃんが火野ママの顔をジッと見た。なんか言うぞ……。


「餃子六人前、持ち帰りで」

「あいよ。――父ちゃん母ちゃん、いつまで泣いてるんだい? 照子の大事なお友達が餃子六人前お持ち帰りだよ! ――姫様、おうちの方にお土産?」


 あー火野ママ、そう思ったか……。あの量を完食したばかりの真綾ちゃんが、このあと晩ごはん食べるとは思わないよね、普通……。


「はい、おじいちゃんと半分こです」

「まだ食べるんかいっ!」


 火野さんが華麗なツッコミを決めたあと、しばらく火野さん親子とおしゃべりした私と真綾ちゃんは、羅城門家の今日の晩ごはんが焼きあがってから意気揚々と家に帰った。


      ◇      ◇      ◇


 今日は、みんなが待ちに待った修学旅行の初日だ――。


「大阪城、到~着!」

「降、臨」

「あ、ウチもウチも」

「……降臨? やっぱり姫様は……現人神……」


 深い水堀から立ち上がる見事な高石垣を前に、私と真綾ちゃんが両手をバッと空に掲げて仁王立ちしていると、ノリのいい火野さんがすぐに乗っかってきた。

 ムーちゃんは真綾ちゃんを見ながら何かブツブツと言ってるね。……うん、いつもどおりだ。


「そこの四人、こっちこっちー!」

「あハイ、ごめんなさい」


 大阪に着いた早々、学校の集団に置いていかれそうになってしまっていた私たちは、ちょっと呆れ顔の青島先生に呼ばれると、そそくさと合流した……。

 先生、今日はいつものジャージ姿じゃないんですね、ヘヘ、バッチリメイクなんかしちゃって、都会だからオシャレして――え? うるさい? あハイ……。


 この修学旅行では、私と真綾ちゃん、そしてムーちゃんと火野さん、この四人がひとつの班として一緒に行動することになっている。通称〈チーム姫様〉だ。真綾ちゃんと同じ班になったことを知った時、私は小躍りして喜んだもんだよ。


 それにしても――。


「ウヒョーさすが大阪城! このでっかい堀、そして横矢掛りのために何度も折られた高石垣! もう堪んないよ~。ほら見てよ真綾ちゃん、なんとか土橋を渡って大手口の高麗門前までたどり着いても、真横の千貫櫓から狙い撃ちされるんだよ、しかも高麗門を抜けたら桝形虎口になっていて、十字砲火で蜂の巣にされるんだよ、エグいよね~」


 近世城郭の完成形のひとつともいえる大阪城を眼前にして、お城好きの私はテンションがいきなり最大値まで上がってしまった。くぅ~! 無理なのはわかってるけど、高知城天守並みの三重櫓が十二基と、二重櫓が十五基も立ち並んでいたころの雄姿を見てみたかったよー。


「なるほど」


 高麗門の横にそびえる千貫櫓を見て、真綾ちゃんがわかったような顔をして頷いていると、前を歩いていた火野さんがドヤ顔で振り返った。


「へへーん、どや? すごいやろ、太閤さんの城は」

「……あー悪いけど火野さん、これ、豊臣秀吉の大阪城じゃないよ?」

「へ?」

「そう、花ちゃんの言うとおり……。豊臣家を滅ぼした徳川家は、秀吉の大阪城を地上から完全に消し去って……その上に新しい大阪城を築いたの……。まるで、豊臣家の怨霊を怖れて封印するように……」

「なんやて! ほな、ここは……」

「徳川大阪城」

「ガーン!」


 それまで得意げに胸を張っていた火野さんは、私とムーちゃんから驚愕の事実を知らされると、名作ボクシング漫画の主人公みたいに真っ白になった。……うん、そりゃショックだよね、大阪人の誇りらしいもんね、太閤さんの大阪城。


「火野さん……」

「……そんな、知らんかった……ん? なんや姫様」

「あげる」

「……あ、飴ちゃん。おおきに」


 打ちひしがれていた火野さんにポケットから取り出した飴ちゃんを渡すと、真綾ちゃんは無表情のままで大きく頷いた。


 そのまま高麗門を通り、桝形虎口を抜けて二の丸に入った私たちは、天守の立つ本丸に入るため、今度は内堀に架かる土橋に向かった。

 場内にはたくさんの木が植えられているけど、今はその木々がどれも色づいていて美しい。

 ついこの間引っ越してきた火野さんは大阪が恋しいのだろうか、懐かしそうに城内を眺めている。東京から引っ越して一年と経っていない私としては、その気持ちがわかる気がするよ。


「火野さん、ここにはよく来たの?」

「うん、よう来たで。そらもう、うちのオトンが……」


 なぜかそこまで言って、私に明るく答えていた火野さんの表情が急に曇った。それはまるで、暖かな陽光が厚い雲に遮られたときのような……。


「それより花、本丸に入ってちょっと歩いたら、外国の城みたいなええ感じの建てもんがあるんやけどな、今はその中にレストランやカフェが何軒も入ってんねんで」


 いきなり明るい表情に戻ると、火野さんは取って付けたように話題を変えた。なんか私、言っちゃいけないことでも言ってしまったのかな? う~ん、ちょっと気になるなあ。


「レストラン……」


 私のとなりで、真綾ちゃんはひとことだけボソッとつぶやいた。違うところが気になったようだね……。





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