第七話 成敗 三 


「梅雨明けは、まだかな~」


 雨上がりの空に虹が立っているのを眺めながら、濡れた坂道を上っていくと、真綾ちゃんちの見慣れた白い塀の前に、見慣れぬ黒塗り高級車が止まっていた。


「うへぇ~、ひょっとして、これ一台で私んちが何軒か買えるんじゃない? お金って、あるところにはあるもんだね~」


 などと、お父さんがようやく手に入れたマイホームに失礼なことを、私は口にしつつ、顔が映るくらいピカピカに磨き上げられた高級車の間近に顔を寄せ、ジロジロと遠慮なく見ていた。

 すると突然、運転席のドアが開いて、中から黒スーツ姿のゴツい男の人がヌウッと出てきたではないか!


「ヒッ!」


 ビックリした私は、情けない声を上げてピョコンと後ろに飛びすさってしまった。

 ――いや~、人が乗ってたんだね、スモークガラスだから全然気がつかなかったよ、恥ずかしいな~。


 その人は私を見て少し笑ったあとで、真っ白い手袋をした手を後部座席のドアノブにかけ、ガチャリと丁寧に開いた。

 ゴツい人が開けたドアの中から現れたのは、お高そうなスーツでビシッとキメた、さらにでっかいおじさんだった。


「花ちゃん!」

「ぎゃー!」


 お高そうなスーツ姿のでっかいおじさんは、車から出てくるなり、でっかい声で私の名前を呼びながら近づいてきた! ひー、このおじさん、なんで私の名前を知ってるの!

 悲鳴を上げながらも、私はさらに飛びすさって距離をとると、背中のヒヨコ型リュックにぶら下げてある防犯ブザーをグッと握りしめた!


「誘拐しても、うちお金ないです!」

「あ、いや……」


 先月の一件以来、私の危機管理意識は一段階引き上げられているのだ。常在戦場というやつだ。


 私がフシューフシューと威嚇していると、真綾ちゃんちの門の格子戸が突然ガラガラと開いた。

 すると、どこからともなく、ポンポンスポポンと鼓の音が聞こえてきたかと思ったら、門の奥から、酒屋さんに貰ったようなタオルを両手で頭にかけた般若が出てきた。首から下はなぜか小学校指定の体操服で、胸のゼッケンには『羅城門』と、きれいな文字で書かれている……。


 私たちの前で、スッポンスッポンいう鼓の音に合わせて、舞うようにクルクルと回っていた般若は、最高潮に達した鼓の音が止まると同時に、ピタリと動きを止めた。

 耳が痛くなるほどの静寂が、その場を覆う――。


「…………」

「…………」

「…………」

『…………何やつ、って言って』


 みんなが呆然としてたら、静寂の中にボソッとちっちゃい声がした。


「…………な、何やつ!」


 あ、この人、ノリがいいね。

 でっかいおじさんが、言われたとおりのセリフを口にした。


「足柄山の……金太郎!」


 そう言って、カッ! と、般若のお面を外した金太郎侍こと羅城門真綾は、出てきた門までいそいそと引き返すと、石段の上にタオルをきちんと敷いて、その上に般若のお面を大事そうに置いた。

 そして、すぐさまさっきの位置まで戻ってくると、まるで何ごともなかったかのように、腰に差していた木刀を構える。

 あ、また真綾ちゃんがなんか言い始めた……まだ続けるんだね。


「ひと~つ、…………以下省略」


 セリフ、忘れたんだね……。


「退治てくれよう、金太郎!」


 ビシッとそこまで言うと、すでにやりきった感がある真綾ちゃんはどこか満足げだ。


 しばらく呆気にとられていたでっかいおじさんは、ハッと我に返ると、翼を広げた鳳凰のように大きく腕を開いた! あ……あれはまさか! 奥義、天翔十字ほ――。


「真綾~、盛大な出迎えありがとう!」

「いらっしゃい、仁志おじさん」

「おじさんかよっ!」


      ◇      ◇      ◇


 真綾ちゃんちの一番立派な十畳間で、私と真綾ちゃん、おじいちゃんとでっかいおじさんの四人が卓を囲んでいた。

 最初に車から出てきたゴツいおじさんこと運転手さんと、あとからもうひとり出てきた眼鏡の秘書さんは、となりの九畳の間で待っている。

 といっても、襖を全部外しているから同じ部屋みたいなもんだけどね。


「仁志、突然見知らぬ男にでかい声で名前を呼びながら迫られたら、花ちゃんじゃなくても驚く。ましてお前のような大男ならばなおさらだろう……」


 おじいちゃんは由緒ありそうな鼓を木箱にしまいながら、卓の向かい側で座るでっかいおじさんを諭すように言った。

 どうやら金太郎侍登場時のスポポンは、生演奏だったようだね……。


「いやぁ、本当にすまなかったね、花ちゃん」

「あ、いえいえ、こちらこそなんか、不審者扱いしちゃってごめんなさい」


 申しわけなさそうに謝る五十代くらいのでっかいおじさんに、私も慌てて謝り返した。


 ――この人が、真綾ちゃんの亡くなったお父さんのお兄さん、仁志おじさんか……。私はこの人が子供のころの写真しか見てなかったから、そりゃわかんないよね。

 そう言われてみれば、なんとなく顔がおじいちゃんに似ているし、立派な体格も姿勢の良さも、ザ・羅城門家って感じだ。

 でも、物静かで穏やかなおじいちゃんと違って、この人からは真夏の太陽みたいに強烈な、生命力のようなものが溢れ出しているんだよね、この感じ、どこかで――ああそうか、この人って、おじいちゃんの書斎にあった写真で見た、真綾ちゃんのひいおじいちゃんと、雰囲気がそっくりなんだよ。


「花ちゃん、きみの話はふたりからよく聞かされていてね、私も一度会ってみたいと思っていたんだよ。――初めまして、真綾の伯父、羅城門仁志らじょうもんひとしです」

「は、初めまして、斎藤花でしゅ……」


 噛んだ……。


「緊張しなくていいよ花ちゃん。聞いたよ、先月は大活躍だったそうじゃないか」


 仁志おじさんは、ハハハと明るく笑いながら緊張するなって言ってくれるけど……そんなの無理だよ~。だってこの人って、世界的大企業である羅城門グループの現会長にして最高経営責任者なんだよね、雲の上の存在だよ?


「大活躍だなんて、とんでもないです。私は真綾ちゃんに助けてもらっただけ――」

「花ちゃんはすごかった」


 私が慌てて否定しようとしたら、向かい側に座る体操服姿の真綾ちゃんが、フンスと鼻息も荒く言葉を被せてきた。ひー、やめてよう。


「謙遜する必要はないよ花ちゃん。たったひとり身を挺して圧倒的な力から弱き者を守るというのは、本当の強さと優しさがないとできないことだ。――きみのような子が真綾の友達になってくれて、私も嬉しいよ」


 仁志おじさんは力強くも優しい目で私を見ると、心に染み込んでくるような深い声でそう言ってくれた。

 あれ? 前におじいちゃんにも似たようなことを言われたぞ、真綾ちゃんもウンウンと頷いている。そうか、これが羅城門家の考え方なのかもしれないね。


「体はもう大丈夫かい? 傷跡が残ったりしてないかな?」

「はい、痛みはなくなったし、傷も大丈夫そうです」


 仁志おじさんがすごく心配そうに聞いてくれたもんだから、私はグッと力こぶを作ってみせる。フニっと、ちょっとだけ私の上腕二頭筋が動いた。


「うーむ、たまたま行きつけの店があの近くだったからよかったものの、真綾が気づくのがもう少し遅れていたらと思うと……」

「私の〈花ちゃんレーダー〉は優秀だから」


 私のささやかな力こぶを痛ましそうに眺めながら、おじいちゃんが重い声を出すと、真綾ちゃんは得意げに『羅城門』と書かれた体操服の胸を張った。


「え、そんなレーダー搭載してるの?」

「うん、優秀」


 私の問いかけに真顔でVサインして答える真綾ちゃんを見て、私はその〈花ちゃんレーダー〉とやらに手を合わせることにした。


「ちょっと拝ませて」

「どうぞ」


 彼女が頭を差し出してきたので、とりあえず、つむじのあたりに手を合わせた。

 ――花ちゃんレーダーさん、ありがとうございました、なむなむ――。


 おじいちゃんから聞いた話によると、あの日、行きつけのレストランで食後のデザートを堪能していた真綾ちゃんは、私の名前をつぶやいて突然立ち上がったかと思うと、ものすごい勢いでレストランの外へ飛び出していったんだって。

 あの真綾ちゃんが食べていたデザートを放り出していく、ということの異常さと、その鬼気迫る様子から、なんとなく事情を察したおじいちゃんは、軽く騒然となった店内を治めたあと、つてを頼って情報収集をして、すぐに動いてくれたらしい。


 ホントに花ちゃんレーダー様々だよ。もちろん、おじいちゃんも真綾ちゃんもありがとね、なむなむ――。


 心ゆくまでレーダーさんを拝んだ私は、卓の上で天井を睨みつけている般若のお面を指差した。


「ところで、プレゼント、気に入ってくれてるみたいでよかったよ」

「うん、おかげで金太郎侍がはかどる。花ちゃんだと思って大事にするね」

「私、そんな顔じゃないよ」


 私の言葉に、珍しく真綾ちゃんが嬉しそうな顔で答えた。そんな彼女に私は軽く釘を刺しておく。……般若と一緒にされてなるものか。

 そう、あの日買ったお誕生日プレゼントとは、これのことだったのだ。

 いや~、お店の壁にかかってる般若と目が合った瞬間ビビッときたもんね、これこそ真綾ちゃんの求めているものだ! とね。

 可愛くラッピングしてある箱を開けて般若のお面を見た時の、彼女の顔が忘れられないよ、普段は無表情なくせに、クワッ! と、大きな目をさらに見開いてたもんね。気に入っていただけて何よりだよ~。


「あの署長は、よくやってくれたようだ」

「はい父さん。なかなかの狸ですよ、あれは」


 私と真綾ちゃんの他愛ないやり取りを、おじいちゃんと仁志おじさんは目を細めて眺めていたんだけど、おもむろに、何やら気になることをふたりで話し始めた。……たぶん、頭頂部がちょっと寂しいあの署長さんのことだろう。


 婦警さんがあの日言っていたように、頭頂部が寂しい署長さんは、権力者の意向と自分の考えが一致したときは有能だったらしく、私への傷害事件に切り替えると、瞬く間に少年全員を児童相談所に通告。ねちねちと触法調査したうえで、余罪も含めた証拠と自供を手に入れたそうだ。

 有力者だという保護者に気を遣っていたのか、それともデリケートな未成年案件に及び腰になっていたのか知らないけど、今まではあの連中が何をやってもずっと沈黙していたマスコミが、今回に限っていったいどんな力が働いたのか、さすがに実名こそ出さないものの、水を得た魚のように連日あの連中を叩いていた。


 ……でも、結局、処罰されることはないから、ほとぼりが冷めたころにあの連中はまたやるんだろうな、今度はもっとひどいことを、見つからないように……。

 私の脳裏に、心から楽しそうに私を蹴っていた連中の顔と、血だらけで横たわるお母さん猫の姿が浮かんで、気持ちが深く沈んでいく――。


「仁志、あとは任せた」


 そんな私の顔をチラリと見たおじいさんが、仁志おじさんに視線を戻して声をかけた。それは私が知っているおじいちゃんの穏やかな声じゃなくて、まるでどこかの国の王様のような、威厳に満ちた重々しい声だった。


「はい、父さん。――真綾、花ちゃん、あの連中がお礼参りに来たり、保護者が真綾を訴えたり、ということは絶対にないから、ふたりとも安心して暮らしなさい。――あの連中が悪事を働くことは、もう二度とないからね」


 仁志おじさんはおじいちゃんに頷いたあと、真綾ちゃんと私の顔を順番に見て優しく言った。私はその言葉にちょっと気になるところがあったけど、なんか聞いちゃいけないような気がして、そのまま黙って頷いた。


      ◇      ◇      ◇


 それから数日が過ぎ、梅雨明けしたとたん元気いっぱいになった太陽の強い光が、私たちの小学校の校舎に降り注いでいる。よーし、もうちょっとで夏休みだね。


「花ちゃん……知ってる?」

「うん?」


 学校の休み時間、となりの席に座る、ムーちゃんこと蓮台野夢羽れんだいのむうちゃんが、何やら私に声をかけてきた。ちなみにこの子は、オカルトや都市伝説が三度の飯より大好きで、よくソッチ系の本を貸してくれる読書仲間でもある。

 この前なんか、借りた心霊写真集のおかげで夜中にトイレへ行けなくなり、私は危うくお漏らしするところだったんだよね。


「花ちゃんをいじめた中学生……全員、消えたらしいよ……」

「ほえ?」


 私はムーちゃんの言ったことが一瞬わからなくて、変な声を出してしまった。


「それだけじゃなくて……。あいつらの保護者数人と……通ってた中学校の校長と、教頭を含めた教師数人も、行方不明だって噂だよ……。たぶん、イジメで自殺した生徒の呪いだと、私は思う……」


 ムーちゃんが長い前髪の間から恨めしそうな目で私を見てきた……。怖いって! あんたが一番怖いって!


「あ、私もそれ知ってるよ、たしか、ものすごい数の鴉の群れに骨も残さず食べられたんでしょ?」

「違うよ~、私が聞いた話だと、黒いセーラー服を着た女の子が小舟に乗せて地獄へ連れていったらしいよ~」

「え? 俺、黒いスーツとサングラスの男たちにさらわれたってネットで見たよ」

「どうしよう~、あいつらが姫様の足で踏みつけてもらったって話を聞いた時に、あんまり羨ましいもんだから、つい、俺が呪っちゃったからかも……」


 すぐにムーちゃんの話を聞きつけた子たちがワラワラと寄ってきて、口々にその噂についてしゃべり出した。だけど、みんな言っている内容がバラバラで、噂なんていい加減なもんだとつくづく思う。

 自分のせいかもしれないとオロオロしている木下は、とりあえず無視だ。……私はコイツの将来が不安だよ。


「いやいや、そんな大事件が起こったにしては、どのマスコミもまったく騒いでないのが答えなんじゃない? ただの噂だよ」


 そう言って、頭のいい出喜多くんがきっちり締めたところで、タイミングよく授業開始のチャイムが鳴ると、みんなは自分の席に戻っていった。

 私はなんとなく、窓際一番後ろの席に座っている真綾ちゃんを見た。

 彼女は物憂げな表情で窓の外を眺めているけど、あれはきっと、今日の給食のことを考えているに違いない。

 うん、出喜多くんの言ったように、きっとただの噂だよね――。

 私は仁志おじさんの顔をちょっと思い浮かべたあと、気持ちを切り替えて四時間目の授業の教科書を開いた。


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