第六話 成敗 二


 こんなところに真綾ちゃんがいることへの驚きも忘れ、私はドレスアップしている彼女の美しさに見惚れてしまった。

 ……はぁ、今日はまた、いつにも増してきれいだね~。レースのワンピドレスに真珠のネックレスなんかしちゃって、とてもじゃないけど小学生には見えないよ――そうだ! この子たちを早く獣医さんに診てもらわないと!


「この子たちを……」


 なんとかそれだけ言って、私が体の下にいる猫ちゃんたちを見せると、真綾ちゃんはちょっと驚いたような顔をしたあと、普段の無表情ぶりが嘘のような、女神様みたいな微笑みを浮かべて、優しく頷いた。


「さすがは花ちゃん。ちょと待ってて――」


 そう言って立ち上がった彼女と私の周りには、すでに連中が厚い壁を作っていた。美人の真綾ちゃんを見たせいか、どいつもこいつも目にイヤらしい光を宿している。


「勘違いしないでね~きれいなお姉さん、僕たちはその子が転んで怪我してたから介抱してあげてただけなんだよね~。そんなことより、お姉さんが僕たちの言うとおりにしてくれたら何もしないから、これからちょっとだけ撮影に――」


 真綾ちゃんのことを小学生だとは気づいていないバカが、汚いセリフを最後まで言い終えることはなかった。

 だって、言い終わる前に、真綾ちゃんの白い四本貫き手がソイツの喉に突き刺さっていたから――。


「てめぇら人間じゃねぇ、たたぁっ斬ってやる!」


 真綾ちゃんが吼えると同時に、静かな虐殺は始まった。


 真綾ちゃんはまず、目の前で喉を押さえて苦しんでいる相手の横を通り抜けざま、ソイツの腎臓のあたりにズドンと裏拳を入れた。するとソイツはその場所を押さえて、声もなく転げ回り始める。

 次に、掴みかかってきた相手の指を握ったと思った直後、彼女は螺旋を描くようにその相手をうつ伏せに引きずり倒して、腎臓のあたりをパンプスのヒールで踏みつけた。とたんに相手は、その場所を押さえて無言で転げ回る。

 続いて殴りかかってきた相手のアゴにカウンターで掌底を入れた彼女は、棒立ちになって気を失ったらしい相手の横に素早く回り込んで、腎臓のあたりに容赦ない膝の一撃を加えた。おそらく激痛で目を覚ましたであろう相手はその場所を押さえて無言で……。


 腎臓を強打されたら、痛みのあまり声も出せないって聞いたことあったけど、どうやらホントみたいだね……。

 あ、今、真綾ちゃん、自分の後ろから打ち出されたスリングショットの金属弾をヒラリと躱したよ。あの勘の鋭さには野生動物もビックリだね。――おお、一瞬で距離を詰めたかと思ったら、打ってきたやつを殴り倒したあとできちんと腎臓に一撃入れた……うん、几帳面な性格が出てるね。


 あまりにも美しい殺戮者の姿を、私が全身の痛みすら忘れて見入っている間にも、無言で七転八倒するバカの数は見る見る増殖していく。

 その数が九人ほどになった時、最初は数を頼りに強気だった連中がついに崩れ出した。


「う、うわぁ~っ!」

「バケモノだ~!」


 ほんのさっきまで私を笑いながら蹴っていた連中が、情けない声を残して蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 すると真綾ちゃんは、地面に散らばっているスマホをひとつ拾い上げると、背を向けて逃げていく一番遠いやつ目がけ――それをぶん投げた! 硬式野球ボールより重そうなスマホが猛スピードで腎臓を直撃すると、ソイツは無言で転げ回る……。

 そんなことが、あと数回繰り返された――。


「成敗……」


 最後に決めゼリフを口にして、すぐに真綾ちゃんが私のところへ駆け寄ってきてくれた時には、公園の地面に無言の集団が転げ回る異様な光景が広がっていた。

 それは、あっという間の出来事だった。


「真綾ちゃん……たたっ斬って……ないよ……」


 そこまで言うと緊張の糸が切れたのか、急速に意識が薄れていく私の耳に、どこかで鳴るサイレンと、慌ただしい足音が聞こえた……。


      ◇      ◇      ◇


 気を失ったまま救急車で運ばれた私は、病院で目覚めるとすぐに診察と精密検査を受けた。

 検査の結果、全身の打撲といくつかの擦過傷はあるものの、幸い骨にも内蔵にも目立った異常はなかったそうだ。でも、一歩間違えていたら外傷性ショックで死んでいたかも知れないと聞いて、私はゾッとした。


 私は病院で手当てを受けたあと、今度はパトカーで警察署にドナドナされた。いちおう事件の当事者ということで、事情聴取が必要なんだって――。


「……ごめんね、子猫のほうはみんな助かったんだけど、お母さん猫は……」

「そうですか…………」


 警察署の殺風景な部屋で、私が車椅子に座り小さくなっていると、私の担当らしい若い婦警さんが、とても悲しそうに、あの猫ちゃんたちのことを教えてくれた。

 そうか、あのお母さん猫、助からなかったんだね…………。

 子猫たちを守って死んでいったお母さん猫の姿を思い出して、私の目から涙がボロボロ溢れ出した。


「これ使って」


 優しくハンカチを差し出してくれる婦警さんに小さく頷くと、ちょっとだけ時間がかかったけど、私は頑張って涙を止めた。


「……でも、動物好きのお巡りさんがいてよかったです」

「うん、あの人コワオモテだけど、あなたが守ってた猫たちを見たとたん、サイレン鳴らして獣医に連れていったからね」

「それ、大丈夫なんですか?」

「課長に無線で怒鳴られてたわ」


 私はその優しいお巡りさんに心の中で感謝した。その人が傷ついた猫を放っておくような人だったら、今頃あの子猫たちは冷たくなっていただろう。


 しばらく私の顔をじっと見ていた婦警さんは、気になる言葉を口にした。


「こんな子があんなひどいことをするはずないのに……」

「へ?」


 思わず私は、間の抜けた声を出してしまった。

 婦警さん、それってどういう……。


「……病院送りになった中学生たちの話だと、猫を虐待しているあなたを見つけた彼らが注意したら、あなたが慌てて逃げようとして転んだんだって。それを彼らが介抱してあげていたら、通りがかりの女がいきなり襲いかかってきたんだそうよ」

「嘘です!」


 私は即座に大きな声で否定した、――呆れた、あいつら、そんな見えすいた嘘を言ってるんだね、よりにもよって私や真綾ちゃんを悪者扱いするなんて!


「うん、私もそう思う。……けどね、運の悪いことに、彼らがあなたや猫たちに暴行を加えているのを見た人はいないのに、あの女性が彼らに暴力を振るっているのを見かけて通報した人と、彼ら十三名の証言だけはあるのよ……」

「そんな……。転んだだけでこんな怪我するはずないじゃないですか! そもそも、あいつらのスマホに画像が残ってるはずじゃ――」


 私がそこまで言うと、ひどくつらそうな表情で婦警さんは首を横に振った。


「あの女性からの彼らに対する傷害事件、そういう線でいくことに上が決定したそうだから、彼らはあくまで被害者の立場なのよ」

「そんな……」


 あまりの理不尽さに絶句した私の気持ちが伝わったのだろう、ちょっと迷ったあと深くため息をついた婦警さんは、信じられないことを口にした。


「ここからは、私のひとりごとね。――あいつら、今回だけじゃないのよ」


 婦警さんは忌々しそうに語り始める。


「あいつらね、子供のあなたには聞かせられないような、とてもひどいことを今までにもやっていて、イジメで自殺者を出したこともあるのよ」

「じゃあ、なんで――」

「だよね、おかしいよね。――でも、学校は絶対にイジメなんて認めないし、保護者の中には有力者もいる。それに、そもそもあいつらまだ十四歳未満なのよ。子供には罰を与えないっていうのが国の方針だから、法律上絶対に逮捕なんてできないし、よほどのことがない限り、児童相談所への送致すらできない」


 私は、そこまで言った婦警さんがギリッと歯を食いしばったのに気づいた。そうか、この人も悔しいんだ。


「未来ある子供を処罰するんじゃなくて、更生の機会を与えてあげましょうっていうのはね、もちろん私もわかる。……でもね、それを利用して、自分はどんなにひどいことをしてもいいんだって考える連中がいるのが現実で、罪もない子供を全然守ってあげなかった大人たちが、笑いながらひどいことをしたほうの子供たちのことは、ちゃんと守ってやるっていうんだから、笑えないよ……」


 婦警さんはどこか遠いところを見ながら、力なくそう言った……。


 しかし、暗く陰っていた婦警さんの目は、やがて私の目と合うと、徐々に光を取り戻し始めた。


「そういえば……取り調べ中のあの女性、あなたのお友達だっけ? 彼女、あの外見で自分のことを小学生だなんて言ってるらしいんだけど、まさか……」

「小学生です……」


 真綾ちゃん、信じてもらえなかったんだね。よりにもよって今日はドレスアップなんかしてるから、どう見ても大人にしか見えなかったからな……。


 私の言葉を聞いた婦警さんは、何かを決意したような表情で急に立ち上がると、私に向かって手を伸ばした。


「お友達に会わせてあげる! 子供には罰を与えないのが国の方針だからね、こりゃたいへんだ!」


 きょとんとした私の顔を見て婦警さんがヤンチャそうに笑ったのと、ドアがノックされたのは、ほぼ同時だった。

 婦警さんが返事をすると、ガチャリと開いたドアから鬼瓦みたいな顔の警察官がノッソリ入ってきて、彼女に何ごとか耳打ちし始めたんだよ。

 すると婦警さんの目が大きく見開かれて、最後にはニンマリ笑顔になった。


「じゃあ行こうか、あなたのお友達に会いに」


      ◇      ◇      ◇


 まだ体中がひどく痛む私を気遣いながら、婦警さんが車椅子を押して連れてきてくれたのは、ひとつのドアの前だった。


 ここに、真綾ちゃんがいるんだね。――私の脳裏に、カツ丼を前にして、刑事さんが持ったデスクライトの光を顔に当てられている彼女の姿が浮かんだ。

 あの子、無表情で無口だから、誤解されてなければいいんだけど……。

 お待たせ真綾ちゃん、今、私が行くよ!


 私の意気込みが伝わったかのように、婦警さんはノックへの返事を確認すると勢いよくドアを開いた!


「真綾ちゃ…………」


 ドアが開くと同時に大事な友達の名を叫びかけた私は、部屋の中を見たとたん、車椅子の上で固まってしまった。


 だって、私が部屋の中に見たのは、ちょっとお高そうな革張りソファーに座りカツ丼を優雅に食べている、真綾ちゃんとおじいちゃんの姿だったから……。

 レースのワンピースドレスなんか着ておめかししている真綾ちゃんと、珍しくビシッとスーツに身を固めたおじいちゃんの姿は、そこだけまるで外国映画の中のワンシーンみたいだよ。……ふたりでカツ丼を食べていたとしてもね。


「花ちゃん!」


 私に気がついた真綾ちゃんは、すぐさま丼ぶりを置いて立ち上がると、私のところへ駆け寄ってきた。

 たぶん彼女は私をギュッとしたいんだろうけど、車椅子に乗っている私のあちこちに覗いている包帯や湿布なんかを見て、悲しそうに固まっている。


「大丈夫だよ、真綾ちゃんのおかげで骨にも内蔵にも大した異常はないからね。……助けに来てくれてありがとう」

「良かった……」


 私の目から涙が溢れ出すと、真綾ちゃんはしゃがんで優しく私の手を取った。

 私の目を見つめる真綾ちゃんの目にも、光るものが見えた。心配かけてごめんね。


「真綾ちゃんは、私の王子様だよ」

「お姫様」

「……ああ、うん、お姫様だった……」


 そう言って私たちが微笑み合っていると、いつの間にか真綾ちゃんのとなりに来ていたおじいちゃんが、私の頭にそっと手を置いた。


「花ちゃん、よく頑張ったね。きみは本当に優しくて強い子だ」


 私の頭に置かれたおじいちゃんの大きな手は、とても温かかった。

 いつも自己評価が高くない私は、ちょっとだけ誇らしい気持ちになったよ。


「もう大丈夫、あとのことは心配いらないからね。ここからは私たち大人がしっかりやる番だ……」


 おじいちゃんは優しい声で私にそう言うと、ふたりがカツ丼を食べていたソファーの横で石像のように直立不動の体勢を続けている、頭頂部がちょっと寂しい感じの人に顔を向けた。


「署長、あとは……いいね?」

「はっ!」


 おじいちゃんが声をかけると、直立不動だった人がビシッと腰を折って四十五度の最敬礼をした。あ、頭頂部の髪の毛が一本、そよりと揺れたよ。

 あの人、署長さんだったんだね……。


 さっきまで私の後ろで車椅子を押してくれていた婦警さんが、私の耳元に顔を寄せてささやいた。


「うちの署長って俗物だから、あなたのお友達の家がすごい権力者だってわかったとたんに、あのとおりなんだって」


 ああ、なるほどね~。


「これでもう安心ね。あの署長、俗物だから、権力者の意向と自分の考えが一致したときだけは、すごく有能になるから」


 自分の上司のことを何度も俗物と呼んだ婦警さんは、私の顔を見てウィンクした。


      ◇      ◇      ◇


 真綾ちゃんと無事合流してほどなく、私は別室で待機していた両親と涙の対面を果たすと、平和なあの町へと帰れることになった。もちろん、真綾ちゃんたちはあのカツ丼を残さずたいらげていたよ。


 私たちが警察署を出る時、わざわざ署長以下、手の空いている署員総出でお見送りしてくれたんだけど、その時にあの鬼瓦みたいな警察官が、「子猫たちのことは心配いらないからね」と、私にコッソリ教えてくれた。

 そうか、この人があの子たちを助けてくれた動物好きのお巡りさんだったんだ!

 その近くであの婦警さんがニヤニヤしながら頷いていた。


「ありがとうございました」


 嬉しくなった私が車椅子の上でペコリと頭を下げると、鬼瓦さんはちょっと恥ずかしそうに笑っていた。


「お世話になりました~」


 帰り際、夕日に照らされた警察署の玄関先で、私が車の窓を開けて手を振ったら、警察署の人たちも手を振り返してくれた。その中に、ぎこちなく笑う鬼瓦のような顔と、あの婦警さんのヤンチャそうな笑顔を見つけた私は、より大きく手を振ったのだった。


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