第五話 成敗 一
私がいつものように真綾ちゃんちの門をくぐると、玄関までのアプローチに植えられた青や紫のアジサイたちが、梅雨の晴れ間の陽光に照らされて輝いていた。――うむ、きみたち、今日も元気そうで何よりだよ。
「あ~、やっぱり……」
アジサイから顔を上げた私は、予想どおり全開になっている玄関の戸を見て、ため息をついた。
初めてこれを見た時にとても驚いた私が、どういうことかと真綾ちゃんに聞いてみたら、少し暑くなってくると、晴れた日はだいたい窓も戸も全開にしているんだと言っていた。
おおらかというか不用心というか、東京じゃ考えられないよ。
私が玄関前で羅城門家のゆる~い防犯意識に呆れていると、左側にある竹垣の向こうから、カツカツと木の棒同士を強く打ち合わせるような、乾いた音が聞こえてきた。
「これは、……またやってるな」
竹垣に設けられた庭門を私がギィと開くと――うん、正解。
庭門の向こう側、芝生が青々と茂る庭の中では、木刀を手にした羅城門家のふたりによる静かな戦いが繰り広げられていた――。
どちらも静かに正眼に構えていて、無駄な動きはいっさいしない。真綾ちゃんが地を滑るように回り込もうとすると、おじいちゃんは上体を揺らさず、なめらかにそれに対応する。そして、静寂――。
これはアレだ、一見静かなようでいて、きっとその裏では、達人同士の激しい駆け引き的な何かが行われている、的なアレに違いない、この私にはわかるよ、ウン。――あ、なんか鼻がムズムズしてきた……。
「ぶうぇっくしょい!」
私の盛大なクシャミを合図に、対峙するふたりは同時に木刀を上段に構え、――振り下ろした!
「……参りました」
真綾ちゃんが口を開いた。この勝負、おじいちゃんの勝利だ――。
ふたりが木刀を同時に振り下ろしたような気がしたんだけど、私が気づいた時には、なぜだか真綾ちゃんの木刀は外に逸らされていて、おじいちゃんの木刀がピタリと真綾ちゃんの頭上で止まっていたんだよね。……おじいちゃん、どんな達人だよ。
ふたりが何をしていたのか、というと、チャンバラごっこだ。
実は真綾ちゃん、意外にもテレビっ子である。といっても今どきのテレビ番組はほとんど観ない。おじいちゃんの影響を色濃く受けた彼女が好んで観るのは、もっぱらケーブルテレビでやっている映画か古い時代劇、あとは昭和のテレビ番組ばかりだ。たまに彼女が私には理解不能な発言をするのは、きっとそのせいだろう。
まぁそれで、おじいちゃんと一緒に時代劇を観たあと興に乗った真綾ちゃんが、おじいちゃん相手にチャンバラごっこをする、というのが、ちっちゃいころからの日課らしいんだよね。
ちっちゃい子供が相手なんで、おじいちゃんも最初はかなり手加減をしていたらしいんだけど、真綾ちゃんの成長たるや凄まじく、今では、チャンバラごっこと呼べるシロモノではなくなってしまっていた。「抜かれる日も近い」と、おじいちゃんは嬉しそうに笑っていたよ。
おじいちゃんは、真綾ちゃんをいったいどこに向かわせる気だろうね……。
「花ちゃん、いらっしゃい」
私を迎える真綾ちゃんとおじいちゃんの声が揃った。相変わらず息ピッタリだね。
「お邪魔しま~す。これ、お母さんが、先週頂いた山菜のお礼にって――」
そう言いながら、お母さんの手作りクッキーを渡そうとした私の視界に、黒い影が映った……けど、無視。
すると、サッと素早く伸びてきた手が黒い影をムンズと掴んだ。
「成敗……」
平坦な声でひとことつぶやく真綾ちゃんの手に、ぶらんとぶら下げられた一羽の鴉を見て、私は思う。懲りないね、クロ……。
「ありがとう花ちゃん、いつもすまないね」
「おとっつぁん、それは言わないや――」
「いえいえ、こちらこそいつもお世話になってます。山菜は天ぷらにして、山桃はジャムにしたら、すっごくおいしかったです、ごちそうさまでした」
お礼を言うおじいちゃんの言葉に触発されたのか、真綾ちゃんが時代劇定番のセリフを口にし始めたけど、ぶった斬っておく。
「…………」
「花ちゃんも、この子の扱いにずいぶん慣れてきたようだ」
せっかくのセリフを言えずにちょっとご不満そうな真綾ちゃんを見て、おじいちゃんはタオルで汗を拭きながらカカカと笑った。
「この町では皆、この子のことを、姫様、姫様、などと呼んで、ずいぶんと慕ってくれているが、実際は体ばかり大きいただの子供だ。花ちゃんみたいに適当にあしらってくれる友達ができて、私は嬉しいよ」
おじいちゃんは本当に嬉しそうにそう言うと、真綾ちゃんの頭にポンと手を置いた。
真綾ちゃんは黙っているけど、なんか嬉しそうなので、よし。
そんなふたりを見て、私は笑った。
「まあ、五か月以上ずっと一緒にいますから」
私と真綾ちゃんが仲良くなってからもう五か月以上が過ぎ、私たちはこの春、六年生になっていた。
その間ほぼ毎日一緒にいるうちに、私には羅城門真綾という子のことが少しずつわかってきたんだよね。
彼女は背が高くて、大人びた美人で、無口、無表情だから、取っつきにくく見えるかもしれないけど、その中身は、少し……かなり独特の感性があるものの、結構お茶目なところもあるし、可愛いもの好きで優しい普通のおじいちゃん子だった。
だから、私はこうやって普通に接しているんだけど、おじいちゃんにはそれが嬉しいみたいだ。
まぁたしかに、町のみんなは真綾ちゃんのことが大好きみたいなんだけど、なんというか、羅城門家の姫様に対する遠慮みたいなものを感じるときがあるからね……。
「あ、真綾ちゃん、そろそろ離してあげたら?」
「あ……」
真綾ちゃんに首根っこを掴まれて、ダラ~ンと力なくぶら下がっていた鴉のクロは、蟹のように口から泡を吹いていた……。
◇ ◇ ◇
両側の障子とガラス窓を大きく開け放った和室を、梅雨の晴れ間の少し湿り気を帯びた風が通り抜けていく。――本格的な夏が、すぐそこまで来ている。
真綾ちゃんの部屋に座って庭を眺めながら、私はおじいちゃんが出してくれた冷たいニワトコジュースをズズズとすすった。
ライチのような、マスカットのような、さわやかで甘ずっぱい風味と、炭酸のシュワシュワが、私の渇きを癒やしてくれる。おいちー。
これは、西洋ニワトコという植物の花から作ったシロップを炭酸水で割ったもので、おじいちゃんのお母さん直伝の飲み物なんだって。
――真綾ちゃんのひいおばあちゃん、ごちそうさまです。
写真で見た美しい顔を心に浮かべて私が感謝していると、ニワトコジュースをあっという間に飲み終えた真綾ちゃんが話しかけてきた。
「借りてた本の次の巻、持ってる?」
「あたぼうよ、今度持ってくるよ」
私はゴキゲンでそう答えると、ニンマリと笑った――。
そう、あれだけ読書に興味を示さなかった真綾ちゃんが、最近では、斎藤花セレクションなら楽しんで読んでくれるようになっていたのだ。
まあ、もともと時代劇や映画は好きな子なんだから、活字を読むのがちょっとめんどくさいだけで、物語というもの自体を嫌いなはずないからね。
おじいちゃんと私が楽しそうに本の話をしているのを目の前で見て、仲間に入れてほしくなった真綾ちゃんが、一度本を手に取ってしまったら……あとはチョロかったよ、ふははは。
「それはそうと真綾ちゃん、明日って日曜だけど、忙しいんだっけ?」
「うん、明日は〈レストランの日〉だから」
「そっかー」
真綾ちゃんがどこか嬉しそうに口にした〈レストランの日〉とは、彼女にとって特別な日だ。
意外にも、姫様と呼ばれる彼女の食生活の内容は、私たちがいつも食べているものと変わらないか、やや質素なくらいだった。……量はともかく。
そんな慎ましい羅城門家の食生活だけど、三か月に一度の〈レストランの日〉だけはオシャレをして、ふたり仲良くバスに乗って、大きな町のフレンチレストランに出かけるんだって。
真綾ちゃんにとって、大好きなおじいちゃんと一緒においしいごちそうを食べられるその日は、きっと最高に幸せな日なんだろうね。
よし、じゃあ、私は明日――。
私は再度、ニンマリと笑った。
◇ ◇ ◇
土曜日に真綾ちゃんちでいつもどおりのまったりとした時間を過ごした翌日、私はお母さんと一緒に大きな町までやってきていた。
目的は真綾ちゃんへのお誕生日プレゼントを探すためだ。彼女は明日、六月二十日が誕生日なんだけど、私は週末になると彼女の家に入り浸っているから、羅城門家恒例の〈レストランの日〉でもないと、プレゼント探しできないんだよね。
「花~、ホントにそれでいいの?」
「いやいや、コレがいいんだよ。お母さんわかってないな~」
お母さんが私の手元を見て、ものすごく心配そうな声をかけてくる。……失敬な!
大事な友達、真綾ちゃんが、心から喜んでくれそうなものはないかしら? と、私はダイエット気味のおサイフと相談しながらいろんなお店を回ったんだけど、どうにも、こう、グッとくるものがない。
真綾ちゃんのことだから、きっと何をプレゼントしても喜んでくれるんだろうけど、それでは私のプライドが許さないんだよね。
なかなか誕生日プレゼントで貰いそうもなくて、それでいて、あの真綾ちゃんが喜びそうな――。
その時、何げなく壁を見上げた私の目に飛び込んできたものが、こう、心にグッときたんだよ!
それで、値段を見たら思ったほど高くないし、さらにお店の人がオマケしてくれるって言うから、思いきって買っちゃったんだよね。
えへへ~、真綾ちゃん、気に入ってくれるといいな。
私は手に提げていた紙袋を持ち上げてニマニマと眺めた。
「それじゃあ、お母さんはいったん荷物を車に置いてくるから、アンタは先に行って待ってて。――ほら貸しなさい、ついでにそれも置いてくるから」
「は~い」
自分も夏服を買い込んでゴキゲンのお母さんが、車を止めてある立体駐車場の近くで手を出してきたから、私はお言葉に甘えて、真綾ちゃんへのプレゼントが入った紙袋を渡した。
「じゃ、小説コーナーのどっかにいるから」
私はお母さんにシュタッと手を上げると、待ち合わせ場所である大型書店へと足早に向かった。
そこで合流したら、私たち親子はそのまましばらく本を物色したあとで、ちょっと遅めのランチにする予定だ。
私が住んでる町の、置物みたいなおばあちゃんがレジに座っているちっちゃい本屋さんと違って、ここにある大型書店はラノベコーナーも結構充実してるんだよね~。これは早く行って少しでも物色時間を稼がなくてはいけないね、うふふ~、楽しみだな~。
「早っく、本屋に、行っきたっいなっと」
鼻歌交じりにスキップしているゴキゲンな私は、目的の大型書店へ最短時間で到達すべく、以前来た時に偶然発見した近道に入った。
私が発見した近道は、日曜の昼間だというのに全然人通りのない裏路だ。まあ今の世の中、地方都市の中心街の裏路なんてどこも似たようなもんだろうね。
「なんだアレ?」
昼なお暗い裏路の途中で、私は足を止めた。
ビルに挟まれて誰からも忘れ去られたような公園の中に、中学生くらいの人たちが十数人集まって、なんかやってるようだ。みんな不良っていうよりは普通っぽい感じだけど、スマホを片手にケラケラ笑っている。
なぜだか嫌な胸騒ぎを感じた私は、少しだけ近寄って目を凝らした――。
「な!」
彼らの足の隙間から見えた信じられない光景に、一瞬、私の息が止まった。
でもその直後、お腹の中から込み上げてくる強い感情に突き動かされて、私の体は集団の中に突っ込んでいった!
「ダメー!」
必死に彼らの間をかき分けていった私が覆い被さったもの、それは、体中から血を流して力なく横たわる母猫と、三匹の小猫たちだった――。
気持ちが悪い、吐きそうだ……。それはもちろん、血を流している猫ちゃんたちのことではない。手にしたスリングショットで小動物をいたぶって喜んでるバカと、それをヘラヘラ笑いながらスマホで撮影しているバカどものことだ!
「ニャー……」
私の下から小さな声が聞こえた。……あぁ、まだ生きている子がいるんだ。
お母さん猫は自分だけなら逃げられただろうに、子供たちを見捨てずに命がけで守ったんだね、お母さん偉いね、よくやったね…………。
「なに? このチビ」
「囲め囲め」
そんな声とともに集団は私を取り囲んだ。おそらく逃げ道を塞ぐのと、外から見えないようにするためだろう。
「こんなこと絶対に、ダメ!」
そう言いながら私が顔を上げて睨んだら、連中の顔が見えた。スマホのシャッター音が聞こえる。動画を撮っているやつもいるみたいだ。
これだけ人がいて止めようとする者はひとりもいない、全員揃ってニヤニヤと、気味の悪い笑顔を浮かべている。
「なにこのチビ? 正義の味方ごっこ?」
「おいチビ、ダメって言うてもお前だって肉を食うだろ? 何が違うんか言うてみ?」
「野良猫が増えたら、地域の人の害になるだけだろ?」
「プッ」
周りから、私の心を傷つけることが楽しくてしょうがないって感じの、下品な声が浴びせかけられる。
「だからって、これは違うでしょ!?」
そうやって真剣に私が訴えても、返ってくるのは下品な笑い声と、絶対的優位な立場にある人間が弱者を見下ろす悪意に満ちた目。
いや、ひょっとしたら、こいつらは悪意もなしに、まるで朝のパンでも食べるような感覚で、どんなにひどいことでもできるのかもしれない。
「ウッ!」
突然、私の脇腹に痛みが走った! 誰だよ、人を足蹴にしたのは!
「スリングは使うなよ、コイツが自分で転んだことにするから」
「いやいや、こんだけ蹴ったらさすがにバレるって、……あ、この人数で証言したら大丈夫か」
「どうせバレたって、僕ら十四歳未満だから何やっても絶対逮捕されんし」
「そうそう、どうせ今度も大丈夫だって」
そんな声が聞こえる間もずっと、私の体はあちこちを蹴られる痛みが続いていて、だんだんそれが激しくなっていく。
「大丈夫、私が守ってあげるからね……」
「ニャー……」
私の体の下にいる猫ちゃんたちに声をかけたら、答えるように弱々しい声がした。早くこの子たちを獣医さんに診てもらわなきゃ、早く……。
私に真綾ちゃんくらいの運動能力があったら――。
「うっ!」
――と言う、くぐもった声が聞こえたかと思うと、私への蹴りが急に止み、周りの連中から動揺したような気配が伝わってきた。
恐る恐る顔を上げた私の目に最初に映ったのは、自分の腰の後ろあたりに手を当て声もなく七転八倒しているバカがひとり……。
次に、その向こうで立っている、ベージュのパンプスを履いた形のよい足。
私の視線がその足をたどっていくと、スラリと伸びた長い足の上に……どうやら、淡いピンクのワンピースドレスを着た女性のようだ。――ダメ! ここにいたらダメだよ! こいつらに何されるか――。
「逃げ、て……」
私がなんとか絞り出した声も彼女には届かなかったのか、その足は、地面に転がっているやつの頭をパンプスのヒールで一度踏みつけたあと、私のほうへと近づいてくる。
すると、私を囲む連中が、まるで海が割れるように道を作った。
私の前で止まってゆっくりしゃがんだその人から、ふわっといい匂いがした。
あれ? この匂いって――。
「真綾、ちゃん?」
嗅ぎ慣れたいい匂いに気づいた私が慌てて見上げると、そこには、すごく悲しそうな真綾ちゃんの顔があったんだよ。
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