第四話 羅城門家 二
家の一番奥にある真綾ちゃんの部屋は八畳の和室で、入って左側の雪見障子からは小さな中庭が、右側の雪見障子からは広い日本庭園が見えた。
きれいに片付けられた部屋のところどころには、意外にも可愛いぬいぐるみたちが鎮座していて、部屋の真ん中にはレトロなちゃぶ台が置いてある。
とりあえず鼻から大~きく深~く空気を吸い込んでみたら、真綾ちゃんのとてもいい匂いがしたので、月曜になったら学校で木下に自慢するつもりだ。
「素敵な家だね~。私、緊張しすぎて挙動が変になっちゃったよ。それに真綾ちゃんのおじいちゃん、すごく優しそうだしカッコいいね、まるでハリウッドスターみたいだからビックリした」
「ありがとう」
真綾ちゃんの言葉は相変わらず少ないけど、学校にいるときよりも少し表情がやわらかい。きっと、この家とおじいちゃんのことが大好きなんだね。
「そうそう、このためにお邪魔したんだったよ」
そう言うと、私は横に下ろしていたヒヨコ型リュックをゴソゴソとあさり始めた。
これと、これと、これと、あとこれ。
「はい、これが例のブツだよ」
私がちゃぶ台の上にドーンと広げたのは、四冊の本だ。
転校してすぐに私が驚かされたのが、完璧超人かと思われた真綾ちゃんにも弱点のあったことなんだよ――。
たしかに、真綾ちゃんの身体能力の高さは異常だった。鬼ごっこで鬼になった彼女にロックオンされたら誰も逃げきれなかったし、ドッヂボールでは彼女ひとりで男子チームを虐殺していた。……今でも男子たちの悲鳴が私の耳から離れないよ。
そのうえ、彼女は野生動物並みに勘が鋭いらしく、隠れんぼで鬼になっても必ず全員見つけ出すもんだから、どうやってるのか私が聞いたら、「なんとなく」というたいへん短い答えが返ってきた。
それに、いつも家事をしているそうだから家庭科も完璧だし、普段は無口なのに、音楽の授業では歌声がすごくきれいだった。まさに完璧超人――。
だけどね、肝心の勉強のほうが、アレだった……。
字がきれいだし漢字もそれなりに知ってるから、国語はまだいいけど、あとの社会と算数と理科が、なんというかすごく…………アレなんだよ。
会話してて思うんだけど、決して地頭が悪いほうじゃない感じなんだけどね。聞けば彼女、普段は全然読書をしないらしい。活字を見ると眠くなるんだって……。
そこで私の脳内にある豆電球がピカリと光った! 本を読む習慣を身に付けたら考える力も読解力も上がって、この子、伸びるんじゃない?
そういうわけで、まずは読書の楽しさを知ってもらうために、初心者向けの斎藤花セレクションを、四冊ほど真綾ちゃんにお貸しすることになったんだよ。
「よ~し、まずはこの本なんだけど――」
「失礼します」
私が真綾ちゃんにこれからアツく説明しようとしたら、襖の向こうからおじいちゃんの声が聞こえた。
「どうぞ」
真綾ちゃんが返事をすると、襖を音もなく開けて、お盆を持ったおじいちゃんが入ってきた。
それを見て目をピカリと光らせた真綾ちゃんは、パパパと瞬時にちゃぶ台の上にスペースを作る。
「おもたせではございますが……」
おじいちゃんはきれいな所作で、お盆に載せていたお皿とティーカップをちゃぶ台の上に並べたかと思うと、カップに湯気の立つ紅茶を注いでくれた。ここバリバリの和室なんだけど、おじいちゃん、なんだか英国貴族家の執事みたいだよ。
そうか、この人に育てられたから、真綾ちゃんもあんなに所作がきれいなんだ。
お皿の上に載っていたのは薄いパイ生地で作られたお菓子。上には粉砂糖がかかっていて、横にはバニラアイスが添えてある。カットされている断面に見えるのはリンゴとレーズン、あとはたぶんクルミみたいだから、私が知ってるアップルパイとはちょっと違うのかな?
「これはなんていうお菓子なんですか?」
気になった私はおじいちゃんに聞いてみた。
すると、おじいちゃんは目を細めながらひとつ頷くと、優しく私に教えてくれた。
「これはアプフェルシュトゥルーデルといってね、下に敷いた新聞の字が透けて見えるくらい薄くした生地で、リンゴを包んで焼いたお菓子だよ」
「あ、これってひょっとして……」
「そう、花ちゃんがさっき持ってきてくれたお土産だよ。それをオーブンで温めて、ちょうど冷凍庫にバニラアイスがあったから添えてみたんだ。――これはドイツやオーストリアでは有名なお菓子なんだが、このあたりではなかなかお目にかかれなくてね、親御さんによくお礼を言っておいておくれ」
おもたせうんぬんって、貰ったお土産を相手に出すときの文句なんだね、勉強になったよ。
それはともかく、これはいい反応を頂いたぞ、お父さん、グッジョブだよ! ――私は心の中でお父さんにビシッとサムズアップした。
「実は亡くなった母の好物でね、私も昔はよく食べたもんだが、まさか、また口にできるとは……。今日は思わぬご褒美を頂けて私も本当に嬉しいよ、花ちゃんありがとう」
「花ちゃんありがとう」
「あ、いえいえ、どういたしまして」
私にお礼を言ってくれるおじいちゃんは本当に嬉しそうで、そんなおじいちゃんを見たのがよほど嬉しいのか、真綾ちゃんも珍しくちょっぴり笑顔でお礼を言ってくれた。えヘヘ~、なんだか私も嬉しくなってきちゃったよ、これは帰ったらお父さんに肩叩き券を発行しないとね。
「いただきま~す!」
「いただきます」
私と真綾ちゃんは仲良くアプフェルナントカを頂くことにした。
ザクリとフォークを入れると、表面の薄い生地が割れるけど、そのまま切り取って口に運ぶ。
ひとくち噛めば、表面の薄い生地が口の中で砕けていく感触。温かくしっとりしたフィリングには、シャキッとした食感の甘ずっぱいリンゴと甘さ控えめのラムレーズン、香ばしいクルミと、ほのかにシナモンの風味……。
「何コレおいしい! 何コレ!」
「…………」
あまりのおいしさに単純な言葉しか出てこない私と、ひたすら無言で味わうことに集中している真綾ちゃんの姿を、おじいちゃんはニコニコと眺めていた。
「おや、これは?」
あちゃ~。ちゃぶ台の隅に積み上がった斎藤花セレクションに、おじいちゃんが気づいちゃったみたいだ。
「あ、はい、真綾ちゃんに読んでもらおうと思ってですね……」
「……ちょっと、見せてもらってもいいかな?」
「え……あ、はい!」
いやぁ、それって異世界転生、転移系のラノベばっかなんですよね、あまりおじいちゃんみたいな目の肥えてそうな人が読むような……。
いちおう許可はしたものの、内心ハラハラしている私をよそに、おじいちゃんは本を一冊手に取って読み始めた。そして少し読むとそれを置いて次の一冊を手に――。
「花ちゃん」
「ひゃいっ!」
アプフェルナントカを食べ終わった私が、横目でチラチラとおじいちゃんの様子を確認しつつ、ズズズと紅茶をすすっていたら、斎藤花セレクション四冊すべての最初のあたりを読み終えたおじいちゃんが、唐突に私の名前を呼んだ。
こんな俗な本をうちの真綾に読ませる気か! とか言って怒られると思い、私はビクッとしてしまったよ。
「真綾が借りている間、私も読ませてもらってもいいかな?」
「へ?」
「いささか文章につたないところはあるが……うん、単純に、面白い!」
あれ? 意外にもおじいちゃん、イケる口?
◇ ◇ ◇
意外にもイケる口なのか、異世界転生、転移系ラノベに興味を示した真綾ちゃんのおじいちゃんは、借りるばかりでは悪いからと、私を書斎に案内してくれた。
土蔵を改造したというおじいちゃんの書斎は、私のような者にとってはパラダイスそのものだった。
なんと三方の壁そのものが書棚になっていて、その中にビッシリと本が並んでいるんだよね、ちょっとした図書館みたいでテンション上がるよ。
おじいちゃんが、「なんでも気に入った本があったら貸してあげよう」と言ってくれたので、お言葉に甘えて部屋の中を物色していた私は、机の上に飾ってある数枚の写真に気がついた。
一枚は、オムツでお尻がぷりっとした、すごく小さいころの真綾ちゃんが、トマトにかぶりついている写真、…………尊い。
次に、小さいころの真綾ちゃんが四分の一切れのでっかいスイカにかぶりついている写真で、なぜだかその足元に、クロらしき鴉がグッタリと横たわっている…………。
「私のスイカを食べようとしたから、成敗した」
「あ、そう……」
私のとなりに来た真綾ちゃんが、淡々と説明してくれた。
その次が、四十代くらいのころのおじいちゃんと、奥さんらしき優しそうな女性、その間に挟まれて、小学生くらいの男の子とちっちゃな男の子が並んでいる、色あせたカラー写真で、みんな幸せそうにニコニコ笑っている。ひゃー、おじいちゃんカッケー!
「これが仁志おじさんで、こっちが、お父さん」
「そう……」
そうか、真綾ちゃんの指差した小さいほうの子が、三歳の彼女を遺して亡くなったっていうお父さんなんだね……。
写真の中でニコニコしているあどけない顔を見て、私の胸はキュッと締めつけられた。
そしてその次に見た、黒い壁を背に立っている三人の人物を写したモノクロ写真が、なぜだか私にはすごく気になったんだよ。
ひとりは、モーニングコートを着た大柄な男性で、ものすごい生命力のようなものを写真からでも感じる。
その斜め前に、洋服を着た天使、いや、天使みたいに可愛い五歳くらいの男の子。顔立ちは西洋人ぽいかな? パッチリ大きなお目々でホントに可愛い。
そしてその後ろで男の子の肩に手を置いて立っている、襟の高い長袖ドレスに身を包んだ、おそらくは黒髪の女性。
その女性は、どこか儚げな感じがする美人さんなんだけど……西洋人だよね、どう見ても。
「母はドイツ人でね、それで――」
私が食い入るように見ている写真に気づいたおじいちゃんは、そう言いながら自分の高い鼻をチョンチョンと指でつついた。
「ああ、それで」
私はポンと手を打った。
なるほど、おじいちゃんのお顔が西洋人ぽいのも、そのお母さんの好物が、アプフェルナントカっていう聞き慣れないお菓子だったのも、そういうことなら頷けるよ。うん、あらためて見るとこの女性、どことなく真綾ちゃんにも似ているね。
「何しろ時代が時代だったから、一時期は母も私も、この外見のせいで少しばかり肩身のせまい思いをしたこともあったが、……まあ、周りの人たちに恵まれたんだろうね、支えてくれた人たちのおかげで大禍なく過ごせたよ。――戦争が終わったとたん、いろいろ言っていた連中が手のひらを返したようにチヤホヤし出したのには呆れたがね」
おじいちゃんは遠い目でそう言うと、苦笑した。
そうか、ドイツが当時の同盟国だったからって、外見だけで欧米人の区別なんかつかないもんね、子供のころのおじいちゃんは、きっと嫌な思いもしたんだろうな……。
おじいちゃんが言っていた周りの人たちに、私は心の中で感謝した。
「じゃあ、あとのふたりは――」
「うん、私と父だ」
私の言いかけた言葉を、頷くおじいちゃんの言葉が引き継いだ。
おじいちゃんのお母さんがドイツ人だって聞いた時、私はてっきり、真綾ちゃんたちの背が高いのはゲルマン民族の血を引くからだと思ったけど、この写真を見る限り、どうやら羅城門家の血すじのようだね。
真綾ちゃんのひいおじいちゃんに当たるその人は、昔の日本人なのにすごく立派な体格をしていて、威風堂々としたオーラは真綾ちゃんに通じるものがある。
まあ、戦国時代にブイブイいわせてたサムライって、飛び抜けてでっかい人もいたらしいから、羅城門一族もそうなんだろうね。
ひとりで納得した私は、そのでっかい人の近くでキュートな笑顔を見せる天使を、ジックリねっとりと見つめて脳内のハードディスクに収める。――ふぅ、ごちそうさまでした。
「真綾ちゃん!」
「花ちゃん」
となりで同じように写真を見つめていた真綾ちゃんと私は、ガシッと固く手を握り合った。可愛いもの好きなうえにおじいちゃん至上主義者の彼女にとっても、どうやらこの写真は、堪らない一品のようだね。
◇ ◇ ◇
天使の写真を堪能した私は、書棚の物色を再開していた。
おじいちゃんは雑食性らしく、船舶工学に経済学、歴史関連に動、植物学、美術関連、その他諸々、蔵書の種類は多岐にわたっている。外国語が堪能なのか、洋書や中国語の本も多い。あ、でも、よく見たら船舶関連が多めだから、船が好きなのかな? うちのお父さんと話が合いそう。――おっ! 私が好きな海外のお城や宮殿の写真集があるぞ、これも借りよう。
「せっかくこんなにあるんだから、真綾ちゃんも読んだらいいのに」
「あっしには関係のねぇこって……」
そう言って真綾ちゃんがニヒルに目を逸らすと、苦笑しながら私の顔を見たおじいちゃんは肩をすくめた。ホント、勿体ないよね~。
そして本命の、小説が並んだエリアをジックリと物色し始めた私の目は、発見した一冊の本に釘付けになった。
「こっ、これは、鴉ヶ森くらら大先生のっ!」
鴉ヶ森くらら大先生とは、戦後、彗星のごとく現れた謎の女流作家で、羅城門出版から刊行された代表作『私、伯爵令嬢だけど異世界から転移して来ちゃいました』と、その続編である『美少女が異世界転移したら無双しちゃった件』の両シリーズは、題名が長すぎる、カギ括弧を重ねている、擬音が多い、等々の批判を受けながらも、その斬新かつアヴァンギャルドな作風と、本物を見てきたかのようにリアルな異世界描写が、一部の読者層による熱烈な支持を得て、現在では異世界転移系ライトノベルのバイブルとも呼ばれている、伝説の名作である。
もちろん、かく言う私も鴉ヶ森くらら大先生の大ファンだよ。
――その、敬愛する大先生の記念すべき第一作が、こんなところに。しかも、お名前の「くらら」が、ひらがなじゃなくカタカナで書いてあるってことは、もしかして、こ、これって幻の初版本じゃ……。
「おや? 花ちゃんは古い本を知ってるんだね、それならそのあたりに――」
私が鼻息も荒く、プルプル震える手で鴉ヶ森大先生幻の一冊を手に取っていたら、おじいちゃんはちょっと驚いたような表情をしたあと、となりの書棚を指差した。
ギギギと首を回してその一角を見た私は、目ン玉ひん剥いて停止した。
なぜなら、私の飛び出した目玉の先にあったのは、ズラリと並んだ……鴉ヶ森大先生の全作品だったのだから……。
そして、なんとか再起動した私が、ギギギと首を戻して、自分の手元にある幻の一冊をおずおずと開くと、見開きには、『恵存 羅城門義継様』と添え書きされた鴉ヶ森大先生の直筆サインが…………。
「師匠と呼ばせてくださいっ!」
こうして、イケる口どころか大先輩だったおじいちゃんに土下座で弟子入りを果たし、私はこの日から羅城門家に入り浸るようになるのだった。
あ、ちなみに、師匠呼びするのだけは、やんわりと却下されたよ……残念。
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