第三話 羅城門家 一
羅城門真綾ちゃんという友達が私にできたあの日から、数日が過ぎた土曜日の午後、我が斎藤家の玄関先で、私は家族総出の盛大な見送りを受けていた。
「花、ちゃんとお土産持った?」
「ほい、このとおり」
最近話題の洋菓子店のオシャレな紙袋を私が見せると、お母さんは満足そうに頷いた。
「花ぁ、ほんっとーに、お父さんが送っていかなくて大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
心配性なお父さんは昨日から何度も同じことを聞いてくる。……まあ、それだけ私のことを大事に思ってくれているんだろうけど、正直しつこいよ!
実は一昨日、週末に真綾ちゃんちへ遊びに行くってことになったんだけど、東京では家にこもり気味で、あまり友達の家に遊びに行ったことのない私が、急にそんなことを言い出したもんだから、そりゃもう家族は大騒ぎだよ。
お母さんは、……まあ、嬉しいんだろうね、すっかり舞い上がって、朝からお父さんを大きな町までパシらせてお土産を買ってこさせるし、お父さんは私がひとりで無事に歩いて行けるか心配みたいだし……。
「花はでぇれぇ可愛いけど、ちょっとそそっかしいところがあるからのぅ、くれぐれも粗相のないようにな、花、くれぐれも、くれぐれも……」
「誉れじゃ、誉れじゃ」
「わかってるって、おじいちゃん。おばあちゃんも大げさ過ぎだよ~」
近くに住んでいる母方のおじいちゃんとおばあちゃんまで、なぜだか見送りに参加しているんだよ。
おじいちゃんは真綾ちゃんちで私が何かやらかさないか心配らしく、「くれぐれも」を連発するし、おばあちゃんは念仏を唱えるように「誉れじゃ」を繰り返している。
なんでも、この町で羅城門家というのは今でも特別な存在らしく、私が真綾ちゃんちに遊びに行くことを知って狂喜乱舞したおじいちゃんたちが、お昼前に特上のお寿司を持ってきてくれた、というわけなんだよね。……どんだけ嬉しいの?
「斎藤花、バンザーイ!」
「バンザーイ!」
「出征兵士かっ!」
家族一同に万歳三唱で見送られた私は、恥ずかしさのあまり、そそくさと家をあとにしたのだった。
◇ ◇ ◇
「うぅ~、さぶっ」
冬の寒空を舞う一羽の鴉を見上げ、思わずそう言った私の息が白い。
いくらこの町が東京より少し暖かいとはいってもさすがにまだ一月。おまけに、今日は朝から空が厚い雲に覆われているもんだから、昼間でも結構風が冷たくて、ブクブクに着膨れた私も無防備な鼻の先がちょっとジンジンしている。
鼻の頭を撫でつつも、私は真綾ちゃんが描いてくれた地図に目を落とした。
その地図には、大人びた彼女の外見からはまったく想像できないファンシーなイラストが、いくつも丁寧に描き込んであって、小学生とは思えない達筆で書かれた文字とのアンバランスがなんとも堪らない。
「個性的だな~。とりあえず、この坂道を上ればいいんだよね」
地図の中に描かれたキュートなアルパカが教えてくれたとおり、私は羅城門家へと続く坂道を上り始めた――。
「うぅ、運動不足なんだよう」
いつも家にこもってゴロゴロしている私に、この坂道は正直キツかった。たいしたものは入っていないはずなのに、背中のヒヨコ型リュックがズシリと重く感じる。何度か足がつりそうになったよ。
――それでもなんとか頑張って上りきると、すでに虫の息となった私の前方に、左右に伸びた白壁と、その前で手を振る真綾ちゃんの姿があった。
黒いニットの上にカーキのフライトジャケットを羽織り、ピンクのプリーツスカートを穿いている姿を見て、彼女が小学生だと思う人間は存在しないだろう。長身だから何を着ても似合うんだろうな、私があのカッコしても、ちっちゃい子が背伸びしているようにしか見えないだろう……誰がちっちゃいだ!
「し、死ぬかと思った……」
「花ちゃん、いらっしゃい」
「ひょっとして、寒いのにずっと外で待っててくれたの?」
「今出てきた、花ちゃんが着いた気がしたから」
ふるふると首を横に振り真綾ちゃんはそう言うと、死にかけている私の手を引いて門へと向かった。
想像していたような厳めしいのとは違う控えめで上品な門構えに内心驚きつつ、私が門の格子戸を抜けると、左右を竹垣と植栽に挟まれてリズミカルに続く敷石の先に、趣のある古民家がたたずんでいた。
今でもこの町で特別な存在であるかつての領主家ということで、お城みたいな豪邸を私は勝手に想像していたんだけど、今、目の前にある建物はそんな感じじゃなかった。
真綾ちゃんの家は思ったほど大きくない平屋で、ゴテゴテした装飾などもなく、一見すると簡素な造りのようにも見えた。――でも、なんだろう? 素人の私が見ても全然ショボい感じがしない。
門を見た時にも思ったけど、上質な風格というか、気品というか、そんなものを感じるんだよね。物知りなお父さんが見たらわかるかもしれないけど、きっとこの家にはさりげなく匠の技が使われてたりするんだろうな。
うーむ、やっぱり本物ってのは成金と感性が違うんだなー。
「いらっしゃい」
「ヒッ!」
玄関前でいきなり声をかけられてびっくりした私は、無様な悲鳴を上げながらピョコンと二〇センチほど跳び上がってしまった。
「ああ、驚かせてしまったね、すまない」
「おじいちゃん、寒いから中で待っててって言ったのに」
玄関に向かって左側の竹垣にある庭門が開いていて、そこから現れた大柄なおじいさんが私に謝った。
真綾ちゃんが「おじいちゃん」って呼ぶってことは、そうか、この人が……。
すっかり真綾ちゃんと仲良くなった私は、毎日彼女と一緒に登下校するようになったんだけど、彼女が三歳の時にご両親を事故で亡くしていること、それからはずっと、彼女を引き取ってくれたおじいちゃんとふたりだけで暮らしていること、そういった事情を下校中の会話の中で知った……。
「だ、大丈夫です。は、初めまして、斎藤花でしゅ」
噛んだ……。
「はい、初めまして、真綾のじぃです」
優しい目をしたこの人が、幼い真綾ちゃんをひとりで育ててくれたんだね……。
私はあらためて真綾ちゃんのおじいちゃん、
なんと、真綾ちゃんよりも背が高い! 一九〇センチくらいはありそうだよ。九十歳くらいだって私は聞いてたから、きっとヨボヨボのおじいちゃんなんだろうなって思ってたけど、背すじがピシッと伸びているせいか、予想してたよりもお若く見える。
彫りの深い顔立ちはとても日本人には見えなくて、ハリウッドの映画俳優だって言われても疑う人はいないだろうね。今では深い皺が刻まれているけど、きっと若いころは女の子たちにキャーキャー言われていたに違いない。――あ、そういえば、真綾ちゃんのおじいちゃんに会うって私が言った時、うちのおばあちゃん、目の色が少しおかしかったような……。
とにかく、背が高くピシッとした立ち姿も、どこか品のある整った顔立ちも、いかにも真綾ちゃんのおじいちゃんって感じだよ。うん、とても優しそうでカッコいいおじいちゃんだ。
あ、お土産渡さなきゃ――。
「あの、これ――」
私がお土産の袋を差し出した瞬間、バサバサッという羽音とともに、ものすごい速さで黒い影が降ってきた! とたんに私の手からお土産の袋が引っ張られる!
「ぎゃー!」
私は思わず、悲鳴を上げて目をつぶった。すると――。
「クロ!」
真綾ちゃんの鋭い声がしたかと思うと、激しい羽音がピタリと止み、同時にお土産の袋を引っ張っていた力も消えた。い、いったい何が……。
「成敗……」
私が恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、片手で鴉の首根っこをガッシリ掴んでぶら下げている、真綾ちゃんの姿だった。……成敗って、ソレ、死んでないよね?
彼女は、ぶらんと力なくぶら下がっている鴉を、自分の目の前までゆっくり持ち上げると、極寒の地、ロシアのオイミャコン並みに冷たい目でソレを見つめた。
「クロ、絞めるよ」
「……ガ……ガア……」
死んだように見えた鴉は、真綾ちゃんが東南極高原並みに冷たい声でひとこと言ったとたん、カチカチとくちばしを鳴らしながら、今にも消え入りそうな声で鳴いた。
こ、恐ぇ~。……真綾ちゃん、怒ったら結構容赦ないんだね。あとでメモしとこう。
「花ちゃん、うちのバカが申しわけない。その中にこいつの好物が入っている気がしたようでな、辛抱ができんかったそうだ」
真綾ちゃんのおじいちゃんが、ものすごく申しわけなさそうな顔で私に謝ってくれる。
――え? この鴉って真綾ちゃんちの子なの? おじいちゃん、ひょっとして鴉の言葉がわかるの?
「こいつも反省しとるようだから、許してやってもらえんかね? ――ほら、真綾も離してやってくれ」
「…………」
ちょっと不服そうだったけど、真綾ちゃんはおじいちゃんの言うとおり鴉を開放してあげた。
すると自由になった鴉は、私の足元までバタバタと転がるようにやってきて……土下座した!?
おお……私はこの世に生を受けてから初めて、土下座する鴉を見たよ……。
うーん、ちょっとかわいそうになってきたな。
「もういいよ、怒ってないからね」
「カポ」
私が声をかけると、鴉は嬉しそうに変な鳴き声を上げて飛び上がり、おじいちゃんの肩に止まった。あらためて見るとこの鴉、やけにでっかくない? そのへんにいる鴉よりひと回りは大きく見えるんだけど……。
あ、お土産、お土産――。
「ど、どうぞ、ふつつかものですが……」
「わざわざありがとう。さあ、外は寒い、中にお入りなさい」
私の差し出したお土産を両手で大事そうに受け取ると、真綾ちゃんのおじいちゃんはニコリと笑顔で招き入れてくれた。
ん? こういうときって、ふつつかものって言わなかったっけ?
「カポ、カポ」
鴉のクロは私をあざ笑うかのように鳴いてから、冬の空へと舞い上がっていった――。
◇ ◇ ◇
玄関に入ったとたん私は声を失った。――私の足元はピカピカに磨き込まれた黒い石材制の土間で、奥に一段高く一枚板の床がある。そのすぐ奥に、さらに一段高く畳敷きの廊下が左のほうへと延びていた。
玄関正面に見えるのは繊細な細工を中央に施した板戸で、その脇の花器には何かの枝が生けてある。玄関に入った時から木の香りに包まれているようで、それがとても心地いい。
これ見よがしな派手さはないけれど、私の目には、すべてが計算されているように美しく映った。
「いらっしゃい」
真綾ちゃんとおじいちゃんの声がピタリと揃った。
「お、お邪魔しま~す」
「花ちゃん、こっち」
こんな素敵なお宅に私なんかがお邪魔して本当にいいんだろうか、などと考えながらも上がらせていただいた私は、畳敷きの廊下を音もなく歩き始めた真綾ちゃんについていった。
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