第23話 決闘4
宣言するのとともに、アランを包む雰囲気が激変した。
瞳がギラギラと輝き始め、病的に白い肌に血色が戻る。まるで赤いマントを前にした闘牛のように、アランは興奮を隠しきれず闘志に猛っていた。
なんだ? 何をした? ドーピングでもしたのか?
天崎が見ていた限りでは、牙を突き立てた人差し指から血を舐めただけだったが……。
瞬間、呆然と立ち尽くしていた天崎の左脚が、逆方向へと折れ曲がった。
「……えっ?」
何が起きたのか理解できず、場違いながらも素っ頓狂な声を上げてしまう。
いや、視えていた。天崎の目にはしっかりと映っていた。
予備動作もなく動き出したアランが、真正面から天崎の左脚を蹴り抜いたのだ。何もおかしな点はない。ただ天崎の脳が事実を認識する前に、アランはすでに行動を終えていたというだけの話。
「貴様は誇っていい」
バランスを崩す天崎の背後に回ったアランが、今度は右腕をへし折った。
「吾輩が人間にここまで追い詰められたのは初めてだ」
続いて右脚を潰す。
「熟練の吸血鬼ハンターですら、吾輩に傷をつけるだけで精一杯だというのに」
残る左腕もタオルのように捩じられる。
「これは先ほどのお返しだ」
最後に、うつ伏せに倒れる天崎の頭を軽く踏みつけた。
文字通り、手足をもがれた昆虫同然と化した天崎が地面に沈む。意識を失ったことで血統の覚醒が維持できなくなったのか、天崎はすでに人間の姿へと戻っていた。
「何とも奇怪な身体をした人間よの」
獣人という種族、その中でも狼男について、ある程度の知識は持っている。
吸血鬼と同じく、満月の夜に最大限の力を発揮できる怪物だ。ただ狼男は、満月を目にした時しか変身できず、また月が沈むまで人の形には戻れなかったはず。その力を自由に使いこなせるならば、それはもう狼男を越えた存在なのではないか?
そこまで考え、アランは首を横に振った。もう終わった話だ。
後はトドメを刺すのみ。
瀕死の天崎を見下ろしながら、アランは大きく息を吐き出した。
と、その時、
「天崎さん!」
妹の金切り声が轟き、アランはゆっくりと振り返った。
依然として磔にされたままのリベリアが、親の仇でも前にしたようにこちらを睨みつけている。白木の杭で両手を縫い付けられていなければ、今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。
天崎に手を出すなと、必死に訴えるリベリア。
そんな妹の要求を、アランは――無視した。
再び天崎の方へと向き直り、ゆっくりと目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、幼き妹と遊んでいた頃の記憶。無邪気に笑う彼女は汚れの知らない天使のようで、カルガモの子供みたくアランの後ろを常に付いて回っていた。
それはリベリアが常識ある年齢に成長した今でも、何ら変わりがない。さすがに四六時中顔を合わせるということはなくなったが、分からないことがあれば頼ってくるし、悩みがあれば相談もしてくれる。
アランは妹の行為を一度も煩わしいと思ったことはない。天崎に宣言したように、アランはリベリアのことを愛しているし、彼女もまたアランを尊敬しているだろう。
お互いの気持ちなど、言葉にせずとも通じ合っていた。
だからこそ、アランはリベリアに立派な吸血鬼になってほしいのだ。
いつまでも兄に頼るのではなく、支える者がいなくなっても一人で生きていける立派な大人になってほしい。成人の儀が、そのための最初の試練なのだ。嫌だ嫌だでは通らない辛い経験を乗り越えることで、精神的に成熟するものだとアランは信じている。
それを儀式の前に逃げ出して……。
と、心の中で妹を窘めるアランの顔が緩んだ。不意に昔を思い出してしまったのだ。
かつて母親を喰らうことで成人の儀を果たしたアランにとって、今のリベリアの心境は痛いくらいに理解できた。なぜならアランもまた、儀式前日に逃げ出した経験があったからだ。
さすがに地球の裏側まで逃走することはなかったが、国を跨ぎ、儀式の予定日を過ぎても城に帰ろうとはしなかった。
そんなアランを捜して見つけてくれたのが、やっぱり母親だった。
アランは当時の母親が抱いていた心労を知り、苦笑いを抑えることができなかった。
しかしリベリアの考えまでは許せない。
最愛の兄を喰らいたくないがために、こんな遠い国へと逃げ込んだ。それはまだいい。だがそのために吸血鬼であることを放棄するというのは、どういう了見か。古い伝説を信じていること自体は可愛らしくあるものの、家や種族を捨てるなど言語道断である。
だからリベリアと再会した時、柄にもなく激昂してしまった。
そして彼女にそのような希望を与えてしまったこの『完全なる雑種』が、とても憎らしかった。コイツが生きている限り、リベリアがまたおかしな考えを持ちかねない。故に、何としてでもここで殺しておかなければならなかった。
だがしかし、真にリベリアを想うのであれば……。
「…………」
己の腹の中で渦巻く黒い感情を無理やり押し殺す。
目を開けたアランは、苦々しげな声で天崎の頭に言葉を落とした。
「『完全なる雑種』よ。聞こえているか?」
「…………」
天崎がわずかに反応した。
完全に気を失っているわけではない。だが朦朧とした意識の中では、投げかけられる言葉を拾って意味を理解することで精一杯だった。
聞こえているのなら構わないと、アランは続けた。
「もし吾輩が出す条件に従うというのであれば、命だけは助けてやろう」
「な……に?」
不意に目の前に垂らされた蜘蛛の糸に、天崎は驚きを隠せなかった。
無理やり首を動かしてアランの顔を睨み上げる。同時に……悟った。コイツは間違いなく約束を守る。漫画やアニメでよくある、死に逝く者にわずかな希望を与えた後で殺してしまう極悪非道な輩ではない。と、天崎は直感した。
どのみち後は殺されるのを待つだけだ。ならばと、天崎は縋るように耳を傾けた。
「条件……は?」
「リベリアに懇願せよ」
「……?」
「リベリアに泣いて乞え。『大人しく成人の儀を行ってください。でないと私はあなたの兄に殺されてしまいます。私はまだ死にたくありません』とな」
「…………」
そういうことか。と、天崎はアランの意図をようやく理解した。
アランの目的はリベリアに成人の儀を行わせること。それ一点のみ。逆に言えば、それ以外の要素はすべて余計なことでしかないのだ。天崎を殺そうとしているのも、リベリアが吸血鬼を放棄するなどという戯言を言い出さないようにするために過ぎない。
つまりアランにとって天崎の命などどうでもいいのだ。恙なく儀式を行いさえすれば。
アランの言う通り、確かに生き残る道はある。
だが……天崎は返答しかねていた。
「何を迷う必要がある? そもそも貴様は巻き込まれただけなのだろう? ならばリベリアが素直に儀式を受け入れ、貴様は今日を生き延びる。これですべてが元通りになるとは思わないか?」
「…………」
「吾輩が亡き後のことまでリベリアにとやかく言うつもりはない。リベリアと交友を続けたいと言うのであれば、吾輩はそれを認めよう」
リベリアが『完全なる雑種』の元にいる理由。それは成人の儀を拒むためである。
つまり儀式さえ行ってしまえば、吸血鬼であることを放棄するなどという愚行には及ばないだろう。というのが、アランの考えだった。
また、妹の交友関係に口を出すべきではないとの本音もあった。
アラン自身、成人後にミシェルという眷属を作っているのだ。もしリベリアがこの『完全なる雑種』を友人として慕っているのなら、自分と同じように互いを支え合う関係に発展しなくもない。だからこそアランは、天崎を生かす方向へと話を進めているのである。自分亡き後、残されたリベリアのことを想って。
そんなことを考えながら、アランはじっと天崎の返答を待つ。
対する天崎は、未だにぼんやりする頭で必死にアランの言葉を噛み砕いていた。
アランの言ってることは、おそらく正しい。天崎はただ巻き込まれただけ。リベリアが逃げ出さなければ、自分が『完全なる雑種』でさえなければ、お互い見知らぬ関係で終わっていたはずだ。こんな場所で死にかけたりはしていないだろう。
でも、関わってしまった。知ってしまった。
見てしまった。聞いてしまった。
リベリアが泣いているところを。人間に生まれたかったと嘆いている言葉を
だったらもう、無関係なんかでいられるわけがない!
「……いいや、違うな」
「なに?」
予想外の返答に、アランは眉根を寄せる。
正しいだけのアランが思い描く未来。そこには一番重要なものが足りていない。
それはリベリアの笑顔だ。己の手で愛する兄を殺して喰らったリベリアが、心の底から笑えるはずなど……できるはずもなかった。
だから天崎は蜘蛛の糸を己の手で断ち切った。
違うものは違うと、はっきり口にするために。
「あんたが成人の儀を諦めて、この先リベリアがずっと兄と暮らすことになって、ついでに俺が生き残る。それが真のハッピーエンドだ、バーーーーカ!!!」
「……そうか。残念だ」
アランを纏う空気が一気に低下する。
もう躊躇う必要はない。アランは天崎の命を摘むため、その首筋へと手刀を振り下ろした。
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