第22話 決闘3

「『獣王の怪モンスターアクション』」


 おののき荘を破壊したミシェルに制裁を行った時と同じ変身。だが今回は右腕だけに留まらなかった。


 腕から首筋、さらに顔面までもが黒い体毛で覆われる。口の周りにはマズルが現れ、中からは異様に発達した犬歯が覗いていた。その変化は、満月を見た狼男が獣へと変わっていく過程そのものだった。


「ミシェルが言っていた獣人の血統とやらの覚醒か。なるほど、時間稼ぎとはこのことだったのだな?」


 あまりに奇々怪々な現象が目の前で起こっているというのに、アランにはまったく動揺した様子がない。それどころか興味深げに観察し、変身の行く末を見守っているよう。結局、天崎の上半身が完全な獣の姿へと成り果てるまで、アランが攻め込むことはなかった。


「行くぞ」


 不気味に光る瞳がアランを射抜く。


 先に仕掛けたのは天崎だった。異常に肥大化した両腕を振り上げ、アランの元へと一直線に駆け出していく。


「ぬう!」


 猪突猛進に突っ込んでくる敵の対処法など、アランはいくつも持ち合わせていた。


 だが『完全なる雑種』という未知なる相手との対峙が、アランの好奇心を掻き立てたのだろう。容易に回避できるのにもかかわらず、あえて真正面から挑む。


 結果――、


「バカな! この吾輩が力で押されているだと!?」


 天崎の攻撃を両手で受け止めたところでアランが狼狽した。


 取っ組み合いの状態になるものの、決して力が拮抗しているわけではない。耐えるアランの足元が、徐々に後方へと轍を作っていく。


「どうやら純粋な腕力は俺の方が上みたいだな!」


 濁った声で吠えるのとともに、天崎の前蹴りが炸裂した。


 予想外の力比べに驚いていたアランにとっては、完全な不意打ちの形となる。土手っ腹に衝撃が奔り、為す術もなく後方へと吹っ飛ばされた。


「ぐっ……」


 その威力も、もはや人間のそれではない。まるで視えない砲弾でも撃ち込まれたかのよう。足が地面から浮いている状態では自分の意思で動くことすら叶わず、最終的には翼をパラシュートにすることで無理やり停止した。


 アランは即座に蹴られた部位へと意識を集中させる。


 痛みはするが、内臓は無事だ。戦闘に支障はない。


 瞬きほどの時間で診断を終えたアランは、再び天崎の方へと視線を移す。狼男は鋭い牙を剥き出しにしながら、すでに眼前まで迫っていた。


「……なるほど」


 翼を広げたついでに、アランは上空へと飛翔した。


 二十メートルほど上昇したところで、地上へと振り返る。


「いくら特殊な血統を持っていようとも、所詮は戦闘の素人というわけか」


 この短いやり取りの中で、アランはすでに天崎への評価を固めていた。


 獣人化したことにより、身体能力が飛躍的に向上した。ただ、それだけだ。吸血鬼ハンターのように遠方から狙撃するわけでも、魔術を施した魔道具で拘束してくるわけでもない。基本的には、圧倒的な筋力を駆使して相手を蹂躙するのみ。


 にもかかわらず、力比べで優勢だった相手を前蹴りで突き放したり、挙句の果てには空へと逃がす失態を犯してしまう。戦い慣れていないのは明白だ。


 とはいえ、元々普通の高校生である天崎に戦闘能力を求める方が酷というもの。百年以上生きている吸血鬼と十七歳の少年の間に、戦闘経験の差が出るのは当たり前だった。


「さて、どうやって料理したものか」


 滞空しながら、狼男の攻略法を優雅に考え始めたアランだったが――、


 空は吸血鬼の独壇場。その思い込みが仇となった。


 頭上に……気配!


「こっちだ」


 喉を鳴らすような低い声が降ってくる。


 振り向けば、宙に浮いた天崎の拳が目の前にあった。


「なにッ!?」


 バキッ! と音がして、吸血鬼の腕力をも凌ぐ一撃がアランの頬骨を砕いた。


 だが……決定打には至らない。空中での打撃は威力を霧散させてしまう。


 アランは一瞬だけ意識を失いかけるも、すぐに体勢を整えて距離を取った。


 完全に油断していた。まさか跳躍してくるとは夢にも思わなかった。


 いや、天崎の脚力に疑いがあるわけではない。獣人の身体能力ならば、二十メートル程度なら楽に跳んで来られるだろう。問題は、その後。翼を持たない天崎は、重力に任せて地面へと落ちていくしかないのだ。


 落下中は完全に無防備。吸血鬼にとってはいい的だ。今の一撃のために命を捨てるなど、あまりにも考えがなさすぎると呆れるしかない。


「愚かな。地に足が触れる前に決着をつけてやる」


 血の混じる唾を吐き捨て、アランは落下する天崎を真上から追跡する。


 首を捩じり切るか、それとも地面へ叩きつけるか。高速で地上へと迫っていく最中、アランは天崎の処刑方法に頭を巡らせていたのだが……彼は失念していた。自分が相手をしているのは人間でも獣人でもない。『完全なる雑種』だということを。


 天崎に照準を絞ることで、ようやく異変に気づく。彼の身体の一部がまた変化していた。


 具体的に言えば背中だ。背中から鳥類のような翼が生えている。


「なッ!?」


 声を上げた頃には、もう遅かった。


 視界から天崎の姿が消える。吸血鬼ですら反応できないほどの速度で、唐突に急上昇を始めたのだ。一瞬にして頭上へと回り込んだ天崎は、アランが振り返るよりも早く、その頭を鷲摑みにした。


 そのまま地面へと急降下だ。


「「おおおおおおおおおおお!!!!」」


 必死で脱出しようとするアランと、決して放すまいとする天崎の雄叫びが混じる。


 だが、拘束を解くには圧倒的に高度が足りなかった。


 地上十数メートル、時間にして二秒未満では、獣人の力から脱出することなどまず不可能。必死の抵抗も空しく、アランは顔面から地面へと叩きつけられた。


 耳を劈く衝撃音。着地点を中心に、蜘蛛の巣のような地割れがグランドに奔る。


 人間だったら間違いなく原形を留めていられないほどの威力。ならば吸血鬼には、どれほどの効果があるのか……残念ながら、天崎は知ることができなかった。いや、確かめるまでもなかったと言うべきか。


 天崎の手の中から、地面に叩きつけたはずのアランの感触が……消えている!


「死ね」


 短く、それでいて絶大な意志の宿る声が天崎の耳に入った。


 激突の際に舞い上がった砂埃に隠れて、アランが天崎の背後を取った。振り上げるは右腕。大抵の物なら軽く一刀両断できるアランの手刀が、天崎の首筋へと迫る。


 が、


「チィ!」


 今の天崎の皮膚は並大抵の硬さではなかった。


 切断はおろか、首の骨すら折れてはいない。軽いむち打ち症となって、天崎の全身に激痛を奔らせるのみ。


 痛みに耐えながらも、天崎は返す刀で背後にいるアランへと拳を見舞う。


 そんな当てずっぽうの大振りなど食らうわけもなく、アランは天崎から大きく離れた。


「今ので、その程度、なのかよ……」


 呼吸を荒くした天崎は、正面で佇む吸血鬼を見て絶望の声を漏らした。


 衝突後に抜け出されたとはいえ、アランを地面へ叩き潰した一撃は完全に致命打になるはずだった。防御も不可、受け身も不可だったのだ。リベリアには悪いが、殺してしまったとすら思ったくらいだ。


 だが蓋を開けてみればどうか。地面を割るほどの衝撃だったにもかかわらず、アランは額から血を流し、足元をふらつかせている程度。五体満足のまま、一切の戦意も喪失していない。今の手刀も、もし万全の状態だったらと思うと背筋が凍ってしまう。


 これが地上で最も優れた種族であると自負する怪物――吸血鬼なのか。


「貴様こそ、息が上がっているな。相当な無理をしているのだろう?」


「当たり、前、だろ。無理しなきゃ、吸血鬼と戦えるわけ、ないっつーの」


 事実、天崎は今にもぶっ倒れてしまいそうなほど体力を消耗していた。


 狼男への変身に加え、鳥類の翼を背中に生やすという複合技。他種族の血統を意図的に覚醒させることすら滅多にないのに、複数の種族を同時にというのは初めての試みだった。


 こうでもしないと吸血鬼に勝てるわけがない。天崎はそう判断したのだ。


 結果、諸刃の剣は己自身にのみ刃を突き立てることになる。


 やめておけばよかったか? いや、狙いは良かったのだ。判断は間違っていない。ただ今回は相手が別格すぎただけのこと。


 一応、まだ戦える余力はある。しかし、どうしても勝ち筋が見えない。


 ……今回ばかりは死ぬかもしれない。


 天崎の脳裏に諦めが過った、その時……何を思ったのか、アランがいきなり頭を下げた。


「……何のつもりだ?」


「このまま手を抜いて戦っていては、身を削ってまで全力を出していた貴様に申し訳が立たないと思ってな。貴様は吾輩が本気で相手するに相応しい敵だ。人間相手だとなめていた非礼を詫びよう」


「な……に……?」


 にわかには信じられない言葉を聞き、天崎は絶句した。同時に全身の血の気が引く。


「今まで、全力じゃ、なかったのか?」


「当然であろう。吾輩は昨夜、貴様よりも手ごわいリベリアの折檻をしていたのだぞ。あれから丸一日経過しているとはいえ、万全にはほど遠い」


 愕然とした。手を抜いた状態で、天崎とほぼ互角だったと言うのだ。


 こんな化け物、どうやったら勝てるのだ?


「貴様ほどではないにしろ、吾輩も本気を出した後は動きが鈍くなる。もし耐えることができたならば、貴様にも勝機があるかもしれんな」


 そう言って、アランは己の人差し指を咥えた。


「では参るぞ。『吸血の時間ドラキュティックタイム』だ」

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